90年代最恐の心霊スポットを再訪問! いたこ28号「中野病院跡」考察/吉田悠軌・怪談連鎖

文/監修・解説=吉田悠軌 原話=いたこ28号 挿絵=Ken kurahashi

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    怪談は、引き寄せあい、連鎖する。怪談師の珠玉の一話を、オカルト探偵・吉田悠軌が考察! 今月は「東京最強の心霊スポット」ともいわれる、あの場所をひもとく。

    「いってはいけない、いったら死ぬ」場所

    「1998年に『あっちの世界ゾーン』というサイトを始めて、怪談を募集していったところ、すごく多かった情報がありまして。江古田の病院跡地に幽霊が出る、そこは東京最強の心霊スポットだ、という……」

     いたこ28号さんが怪談を語りだす。

    「でも『江古田病院』で調べてもなにも見つからない。つまりそれは江古田の森公園にある、『中野病院』の廃墟のことだったんですね」

     中野病院とはもともと、1920年に建てられた「東京市療養所」という結核病棟だった。貧困層のための福祉施設だったこともあり、戦前は入院患者の8割が亡くなっていたともいう。
     1965年、地上10階地下1階の新病棟が完成。旧病棟も合わせると病床1010床もの規模の結核療養所となった。そして1993年、国立国際医療センター(新宿区)へと統合されるかたちで73年の歴史に幕を閉じたのである。

     いたこさんへの投稿によれば、近所の子どもたちは1990年代からその廃墟でよく肝試しをしていたらしい。結核という伝染病への差別意識が、当地の心霊スポット化に作用したのだろう。

    「みんな、親からは『いってはいけない、あそこにいったら死ぬ』と脅されていたみたいですね」

     いたこさんのもとに寄せられたのは、例えばこんな証言だ。
     同地には、きれいな10階建ての新病棟とは別に、3階建ての廃病棟がある。1階から3階までの窓ガラスがすべて割れている、ボロボロの木造建築だった。地下室へと下りていくと、なぜか数十個ものバケツが、ピラミッドのように積まれていた。そのバケツのなかを見て驚いた。たっぷりと入った液体のなかに、明らかに人間の臓物が浸されていたからである。

    「投稿者さんが友人から聞いた話なんですが、僕も投稿者さんも『いやちょっと待て』と。その液体はホルマリンらしいけど、そんな劇薬を無数のバケツに満たした部屋に入ったら死んでしまうぞ、と」

     最初はただの嘘かと思った。しかし投稿が集まるうち、まったく別の人々から同じような話を聞き及ぶようになっていく。皆が口を揃えて、廃病棟の地下室には無数のバケツがあり、そこには液体に浸された内臓が入れられていた……と同じ怪談を語るのだ。

    「僕はそれがすごく面白くて。中野病院という場所は、噂としての『都市伝説』と実体験の『怪談』とがごちゃ混ぜになってるんじゃないか、と思ったんです」

     白衣を着た医者らしき3人の男を目撃した、という話もよく聞いた。彼らの白衣は血まみれで、手にはメスを振りかざしており、こちらを見るや襲いかからんと追いかけてくるのだという。

    「そういう子どもじみた嘘っぽい話もあるんですが、色んな人たちの話で変なディテールが共通してたりするのも不思議なんですよ」

    立ち入りを妨害するなにか

     中野療養所時代の旧病棟は立派なコンクリート造りのはずだ。しかし投稿者たちは口を揃えて、自分たちが訪れたのは「小さな」「木造」の建物だというのである。3階建てなのは同じとしても、このギャップはなぜだろうか。もしかしたら皆が入ったのは「(旧)霊安棟」や「(旧)解剖棟」だったのではないか、というのがいたこさんの推察だ。しかしその確証が得られない事情もまた存在する。

    「当時、江古田で飲み屋さんをやってた人がいて、現地で写真をたくさん撮っていたらしいんです。他にも肝試しのやつらが大勢いて、たいてい写ルンですで記念撮影していたっていうんですけど」

     例の廃病棟の写真は、どこにも一枚も存在しないのである。確かにあの廃病棟については、現地写真を保存している人も、インターネットで画像をアップしているサイトも、これまで一度も見たことがない。あれだけ有名なスポットであり、皆がこぞって写真撮影していたのにもかかわらず、だ。「小さな木造の廃病棟があった」という証言は数多いのに、その証拠は不気味にこの世から抹消されている。

     証拠といえば、これらの噂の根拠となる事件が実際に起きていたのだ、と主張する投稿者もいた。同地が心霊スポット化する少し前の1980年代のこと。病院が敷地内の土中に解剖遺体を違法に埋めた。それが発覚して警察沙汰になった……といった事件があったはずなのだという。

    「ちゃんと新聞記事にもなったと主張されたんですが、本当の出来事かどうかはまだ確認できてませんね」

     噂の根拠だとされる事実もまた嘘の噂に過ぎなかったという、よくある「都市伝説の都市伝説」なのかもしれない。

    「そういうのとは別に、怪談として面白いのは『木の陰の女』ですね」

     病院敷地は小さな丘で、例の廃病棟まで続く道は雑木林となっている。霊感がある人が訪れると必ず、とある大木の陰から赤い服の女が覗いていることに気づくそうだ。女の手は斜め後ろにまっすぐ伸び、旧病棟の方向を指さしている。なにかと思っているうち、女は両手を交わらせて✕印を見せつけてくる。その表情と✕印のジェスチャーから、「こっちにくるな」という女の意思が強烈に伝わるのだという。

    「赤い服の女が木の陰にいる、というのは投稿でも聞いてたんだけど。✕印パターンを最初に聞いたのは、『「超」怖い話』の加藤一さんから。吉田さんと初めて出会った2006年の飲み会の時でしたね」

     では、その女を無視して進むとどうなるのか? これはまた別の女性霊能者から聞いた話なのだが。

    「その女性から最強の心霊スポットを教えてくれと頼まれたので、それなら中野病院じゃないかとメールしたら」

     女性はすぐさま「ダメ、いたこさん。私そこ知ってるけど、入り口の橋までしかいけない」と返信してきたのである。橋に立ったとたん、丘の頂上から得体のしれない気配を感じてしまう。あまりの恐怖にその場で足がすくんでしまうので、丘の上のそれを目視した訳ではない。しかし、ある強烈なイメージだけはひしひしと伝わってくる。

    「『食欲の塊』って彼女はいってました。強烈な『食欲の塊』がそこにいるから、霊たちもあの丘に集められて、出られなくなってしまうんだって」

     まさに怪談と都市伝説のフルコースのようなスポットだが、いたこさん自身はいつ現地を訪問したのだろうか?

    「それが不思議なんですよ。女性霊能者の話を聞いてすぐ、自分もいってみよう! と深夜に訪ねたら、橋のたもとで突然、会社から電話がかかってきたんです」

     現場で事故があったから急いで戻れ、との連絡だった。仕方なく引き返したその一年後、リベンジのつもりで再訪したのだが、この時も橋まで着いたところで職場からの電話で急用を告げられ、戻らざるを得なくなった。

    「で、例の2006年の加藤さんや吉田さんたちとの飲み会ですよ。夜中の3時ごろに店を追い出されて、『じゃあ皆で中野病院にいこう!』となったじゃないですか」

     しかしこの時もやはり、橋まで辿り着いたところでいたこさんの携帯電話が鳴った。

    「うちの奥さんからで、『ごめん怖いから帰ってきてくれない?』と。部屋の脇の駐輪場に変な男がいて、壁越しに息づかいまで聞こえてくるっていうんですよ」

     いたこさんは急いでタクシーに乗って帰宅せざるをえなかった。霊感ゼロの彼だが、「木の陰の女」や「食欲の塊」と同じように、なにかの力によって立ち入りを妨害されていたのかもしれない。

     結局、いたこさんが中野病院跡に入れたのは2010年頃。廃墟がすべて撤去され、現在の公園に整備された後のことだった。

    「怪談がつくられる過程」が見えてくる場所

     今回の記事のために現場取材をしたのだが、その夜、私はいたこさんとの待ち合わせに遅刻してしまった。理由は、家の最寄り駅から乗ろうとした電車が人身事故を起こしたから。電車が人を轢くところに居合わせたのは初の経験だったが、それが中野病院跡を目指そうとしたタイミングで起きたのである。いたこさんが受けてきた「妨害」を考えると、ただの偶然と片づけてよいものかどうか。

     ようやく現地に着いた頃には、冬の太陽はすっかり沈んでしまっていた。今では旧本館もその他の病棟も跡形すらなく、さっぱりした公園と老人ホームの他は、ただ丘の上に雑木林が広がっているばかりだ。

    「おそらくこの辺りが『木造3階建て』があったポイントだと思うけど……」

     いたこさんは丘の北西部で立ち止まり、昔の図面と照らし合わせた。確かに1992年の航空写真(国土地理院)を見ても、旧本館とは別の小さな建物が確認できる。多くの人が証言する小さな廃病棟はここにあったのかどうか。

    現地で位置関係を確認する。

     実は私の妻も、1995年に「東京最強の心霊スポットといわれたから」と、この地に肝試しへ訪れている。ただ妻の記憶では「病院にしては小さかったけど木造じゃなくてコンクリート。玄関は封鎖されてたから、木箱を踏み台にして、腰高の窓から入っていった」と、やや証言が食い違っている。旧中野区公式チャンネルがYouTubeにアップしている動画『中野療養所物語』(企画・中野区、制作・毎日映画社)を妻に見せてみると、旧本館の映像が写ったところで「こんな外観だったと思う!」とのこと。彼女が入ったのは旧本館で間違いないようだ。

     それでも、夜中なのに大勢の若者がいたという点については他の証言と同じだ。肝心の地下室については、地下から上がってきた別グループの男たちから、こう告げられたのを覚えているという。

    「下の床は全部、水浸しだった! ホルマリン漬けになった死体も残ってたぞ!」

     後半部は冗談だろうと気にしなかったらしいが、やはり当時「ホルマリン漬けの内臓(死体)」のキーワードが定番化していたことは確かなようだ。ちなみに妻は「水浸しは勘弁」と思い、地下室には下りなかったというから残念だ。

    調査中のいたこ、吉田両氏。

     とにかくこの地には、実体験なのか都市伝説なのかも不明な、幾多もの記憶と証言が錯綜している。「真相」どころか検証の「手がかり」すら摑めない難儀なスポットだ。それでも今回、同地の噂のもととなったのではないかという情報を発見できた。

    「解剖後の遺体縫合 出入り葬儀社任せ」という見出しの朝日新聞記事である。中野病院では約3年に渡り、病理解剖後の遺体の縫合を執刀医ではなく葬儀社社員に任せていたケースが多数あったのだという。この問題が明るみになったのが1987年夏なので、タイミング的には旧病棟跡地の心霊スポット化にやや先駆けた事件だったはずだ。これが「中野病院が解剖遺体を土中に埋めた」噂へ、さらに「ホルマリン漬けの内臓(死体)」へと変質し、肝試しの若者たちに語り継がれていったのではないか。

     あくまで私の推測に過ぎないが、いたこさんもこの情報を面白がってくれたようだ。

    「怪談が作られていく過程が見えてきて興味深い。中野病院伝説は面白いね」

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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