秋田で「虚舟事件」の新資料発見! UFO事件現場の常陸と東北を結ぶ点と線を追う

文=鹿角崇彦

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    「虚舟事件」の新資料が秋田県で発見された! 実地調査した虚舟研究の第一人者が抱く新資料の「気になる点」と、そこから導き出される新事実とは……?

    常陸の漂着舟事件が、秋田へ伝わっていた

    「江戸時代のUFO遭遇」として知られる、虚舟事件。今から230年ほど前、常陸国(現在の茨城県神栖市)の海岸に謎の船と女が流れ着いたという怪事件で、過去には虚構説もあったものの、現在では漂着自体は確実にあったといえる段階になっていることは本誌でもたびたびお伝えしてきた。

    「秋田文書」では女が抱える箱についての言及がない。それは何を意味するのか?(画像=国立国会図書館蔵「弘賢随筆」より)

     近年続々と新資料が出現していることが真相解明への大きな足掛かりになっているのだが、2026年春、そんな状況をさらに加速させる資料がまたも発見された。それは江戸でもご当地茨城でもない、遠く離れた秋田県に眠っていたものだった。

    これまで虚舟文書が発見された主な場所。今回、事件の概要が遠く秋田まで伝えられていたことが明らかになった。
    新発見の「秋田文書」(正式名称は「小笠原家関連資料」内「聞書覚及俳諧」)。画像は「秋田魁新報」に掲載したもの(秋田県立図書館所蔵)。

     平成15 年に秋田県立図書館に寄贈された「小笠原家関連資料」のなかに、その文書はあった。さっそく内容をみてみよう。以下が書き下しだ。

    *

    常陸国舎利浜へ二月二十二日着致し候。
    船中に二十歳ばかりの美女一人、羅ら砂の着物にて、食物沢山に蓄へこれ有り。勢の高さ日本と替はりなく、五尺ばかりに相見え候。
    船の深さ二間半ほど、横三間ほど、南蛮鉄にて拵こしらえたる蓋二枚これ有る外は唐から木き にて作たるものにて、何木と云ふ処を知れず。
    言舌チンプンカンにて、一切相分かり得ず。
    右の趣、御訴へに相成り候処、近々紅毛通辞 御催促これ有る様、段々相知るべく申し候。
    享和三年亥二月着船。
    慶応三年卯まで六十七年也。
    小笠原為治、之を書す。
    (久喜市立郷土資料館の読み下し資料をもとに改行、句読点などを適宜調整)

    *

     常陸国の舎利浜に船の漂着があり、二十歳前後の「美女」が乗っていたことなど、一読して虚舟事件を記したものであることは間違いない。

     実際に同館を訪れ現物を調査した田中嘉津夫・岐阜大学名誉教授はこれを「秋田文書」と呼び、特筆すべき点をいくつか指摘している。
     まず最大の特徴は、虚舟資料のアイデンティティともいえる、船、女、そして謎の「宇宙文字」からなる絵図が付属しない、文字のみの資料であること。また「はらやどり」など誤記、誤伝が多い漂着地の地名が「舎利浜」と正確に記されていること、そして既存の資料では例外なく言及されていた「女が抱えていた箱」についていっさい触れられていない点もひっかかるという。

     これらを総合すると、「秋田文書」は当時起こった虚舟の漂着が〝盛られる〞ことなく記録された行政文書がもとになったもので、さらには本来これと一対となる「箱を持つ女」を記した絵図があった可能性も考えられるというのだ。

     2026年、長く眠っていたこの資料の存在に気づいたのは、埼玉県久喜市立郷土資料館の小林純館長だった。同館では昨年、館蔵資料から新たな虚舟図「空舩之図」が発見されたことは本誌2026年4月号でも紹介したが、小林館長はこれに関連した企画展開催のための調査のなかで、偶然「秋田文書」の存在にたどりついたのだという。江戸から遠く離れた秋田で発見された理由について、小林館長は「大名佐竹家の国替えに伴って伝播した可能性も考えられる」と指摘する。

    「秋田文書」を実地調査した田中嘉津夫名誉教授(左)と、発見者の久喜市立郷土資料館・小林純館長(右)。

     デジタルアーカイブの拡充などで未知の古文書にリーチできる確率が上がっている近年、「文字だけの虚舟文書もある」可能性が高まったことを前提に調査すれば、新史料は今後さらに発見されていくことになるだろう。
     漂着を伝えた最初の文書「虚舟事件ジ・オリジン」が現れる日も遠くない、そしてそのときこそ虚舟の真の姿が明らかになるはずだ。

    (月刊ムー 2026年10月号)

    鹿角崇彦

    古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。

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