複製呪物「心霊写真」からの感染/吉田悠軌の怪談解題・呪物編

文=吉田悠軌

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    ひと昔前、夏のホラー特番の定番だった「心霊写真」。紙焼きからデジタルが主流になった現在、その恐怖は薄れるどころか、新たな技術を足がかりにしてさらに恐ろしい「呪物」へと進化していた……!

    お寺で撮影された「おめでたい心霊写真」

     私たちは心霊写真を見るとき、まずそこになにが映っているかに注目する。いい換えれば、2次元の画像として表れている「情報」を読む。ただ一歩引いてみると、私たちは「現物」としての写真そのものを見てもいるはずだ。昔なら紙焼きされたプリント、今ならスマホやPCに保存された画像データが主となるだろう。後者の場合はデータの保存先であるストレージが「現物」の対象となる。

     2次元画像の「情報」と同時に(また別に)、3次元の「現物」としての心霊写真もまた存在する。となると、そこにある写真自体が恐ろしい祟りをなすもの、あるいは逆にめでたい縁起ものとして扱われることもあるようだ。

     まずはおめでたい事例から。

     関ヶ原市の妙応寺は、岐阜県下最古の曹洞宗寺院である。その大庫院(寺務所にあたる建物)には大きな布袋の木像の傍らに、一枚の写真が立てかけられている。
     ご住職にうかがったところ、先代のころ、妙応寺の境内には大きな欅の木が生えていたそうだ。かなりの樹齢を重ねた古木だったのだが、安全のため伐採せねばならなくなった。そのまま処分することを哀しんだ先代住職は、知り合いの仏師に依頼し、布袋尊の木像を作成したのである。
     こうして成人男性ほどの大きさの、立派な布袋像が完成した。原木の素材感を残しつつダイナミックな造形が凝らされた、一級品の仏教美術だ。寺院に納めるにあたり記念写真が撮影されたのだが、そのプリントに思わぬものが映り込んだ。
     大仏像である。布袋像と先代住職に重なり、おそらく銅製であろう大仏の頭部が、くっきりと浮かんでいたのだ。霊木を見事な仏像となしたことで、仏の加護が及んだのだろうか。この奇瑞を参拝者たちにも知らせるため、写真は今も布袋像の脇に安置されている。

    (上・下)岐阜県関ヶ原市の妙応寺と布袋像と不思議な写真。写真には大仏の顔が浮かびあがっているのがわかる。写真は今も同寺布袋像の脇に安置されている。

    転送された写真が呼び寄せた人形の怪

     一枚の写真プリントそれ自体が霊験を示す、ひとつの好例だろう。ただ写真とはまた、コピーされ拡散される複製技術の媒体でもある。その性質はデジタル化でいっそう強まり、心霊写真にも及んでいった。

     2012年のある日の深夜過ぎ。Aさんのスマホから、普及しはじめたばかりのLINEのメッセージ通知が鳴った。知人のMくんが、一枚の画像とともに、なにやら慌てた文面を次々と送ってきたのだ。
     どうやらMくんはこの前、後輩から心霊写真を送りつけられたそうだ。かなりヤンチャな不良少年グループで、関西各地の心霊スポットに行っては大騒ぎすることを趣味にしていた。そんな彼らが先日、和歌山の人形供養で有名な神社へと足を延ばした。そして罰当たりにも境内に置かれた市松人形を持ちだし、それとともに集合写真を撮ったのである。
     ガラケーの夜間撮影による、ひどく粗い画像だ。しかしその異様なものはすぐに見て取れた。中央上部に、これまた人形のような、人を模した面のような白い顔が浮かびあがっているではないか。無表情ながら、彼らを咎めるような気配がひしひしと伝わってくる。
     撮影者の少年はひとりで抱えたくなかったのだろう。Mくん含めた知人数名に、その画像をガラケーからメールで拡散した。
    「自分はもうデータを消しますけど、その前にだれかに渡しておきたくて」
     いきなり無気味な心霊写真が送られてきて、Mくんもひどく迷惑したそうだ。しかも異変は張本人の少年たちではなく、彼の身に起こってしまう。
     実家の2階で寝ていたMくんは、悪夢にうなされ目を覚ました。先日送られてきた画像の市松人形が、この家の前に立っているという夢だ。
     なんや気味悪い……。
     ベッドの上で体を震わせていると、ドアの向こうから聞きなれない音が響いてきた。
     こっとん、こっとん。古い木造の階段を、なにかが上ってくる足音。両親のそれでないのは明らかだ。体重の軽い子供が、一段ごとに飛び跳ねているような気配。
     しかしこの家には小さい子などいない。しかも靴のように硬いものが階段に打ちつけられているような音である。
     こっとん、こっとん。そこで、はたと気がついた。
     人形だ。あの市松人形が、階段を跳ねながら、こちらへ上ってきているのではないか。
     こっとん、こっとん。扉を開けて逃げれば、人形と鉢合わせしてしまう。とにかく今すぐできることはなんだ? 窓から外へ飛び降りる? いや、それよりもまず。
     Mくんはとっさに机へと飛び移り、そこに置いてあるパソコンを起動させた。そして後輩から送られてきたメールを、添付されていた人形の画像ごと消去した。
     その瞬間、足音が止んだ。しばらくしてからおそるおそる扉の外を確認すると、薄暗い階段にはなにひとつ見当たらなかったのだという。
     いったん安心したMくんだが、そこでまたあることに思い至った。大元のメールは消したが、スマホ内にも画像を保存していたはずだ。慌ててそのストレージからも画像を消去しようとしたが。
    「……どうしてもだれかに事情を聞いてもらいたくて」
     Mくんもまた一連の体験談とともに、画像をAさんに送りつけた。そしてAさんから私の知人へ、そこから私へ……と巡り巡ってきたのが、この心霊写真なのである。

    Mくんが受けとった写真。写真左上(中央男性の帽子左あたり)に無表情な顔
    が映り込んでいるという。
    当時のMくんのLINE。緊迫感が伝わる。

    見るだけで呪われる最恐の心霊写真

     最後に、たいへん有名な「呪いの心霊写真」について紹介しておこう。

     高知県にて、家業の薬局を手伝っていた織田さん(仮名)が体験したエピソードだ。その日、退勤しかけたパート主婦の坂崎さん(仮名)が戻ってきて、レジにいる織田さんにこう話しかけた。
    「店を出ようとしたら、こんなものを拾ったんですけど……」
     入り口すぐ前に、L判の写真プリントが裏向きに落ちていた。裏返したところ、たいへん気味悪いものが映っていたというのだ。
     織田さんが確認すると、それは神社の鳥居をやや遠景から撮影した画像だった。当時としてもずいぶん古びた写真で、石造りの鳥居の下部が赤いカバーで覆われている。ただ織田さんが驚いたのはそのさらに下。根本の台石に、丸くて青白いなにかがふたつ、ぼんやりと浮かんでいるのだ。それは不鮮明ながら、ふたつの人間の顔のように見えた。
     あまりの異様さに恐怖した織田さんだが、家の薬局前に落ちていたのなら仕方ない。
    「うちで預かって、明日にでもお祓いに持っていくから」と約束し、ともかく坂崎さんを帰らせた。
     だがこの直後、坂崎さんは家族を残し、行方不明になってしまったのである。
     もしかしたらこれは、最初に目にしたものに祟りを及ぼす心霊写真だったのかもしれない。そう思った織田さんはこの写真をテレビ番組「奇跡体験! アンビリバボー」へ投稿。番組では霊能者の鑑定により、鳥居の下に浮かぶふたつの顔を「非常に強い地縛霊」で「この場所に近づくことさえも危険」だと伝えた。
     この放送回を見た視聴者たちは恐怖に慄き、口伝えやインターネットにて大いに騒ぎたてたのだ。
     見るものを呪う、最恐の心霊写真があるのだ……と。

    (上・下)鳥居の心霊写真。台石の部分にふたつの白い顔のようなものがある(写真は現在は閉鎖されている個人ブログより引用)。

    解題――「呪いの心霊写真」の正体

     まず結論から述べると、鳥居を写した「呪いの心霊写真」については、どうも元ネタがあるようだ。かつて株式会社コスモスが展開していたカプセルトイの自動販売機。1980年代に流行した「コスモス自販機」では一時期、心霊写真の販売を行っていた。そのなかの一枚にまったく同じ鳥居の写真があったことは、某個人ブログによって判明している。
     私がSNSで情報提供を呼びかけたところ、コスモスのコレクターであるワッキー貝山氏から「この写真は知ってますね」との応答をいただいた。残念ながらこれは最恐の心霊写真ではなく、コスモスが販売していた既製商品だったということになる。
     また「アンビリバボー」のディレクターを務めた長江俊和監督は、後の「放送禁止」でも同じ写真を「呪いの心霊写真」として使っている。もちろん明言こそしていないが、一種の楽屋オチ、オカルトファン向けのサービスだったのだろう。

     もっとも既製品だからといって、番組や投稿者(高知県の織田さん)の証言を疑わなくともよい。坂崎さんが実際にだれかが落とした写真を拾い、たまたま翌日から行方不明になった……という事態もありうるからだ。
     とにかく「見てしまっただけで呪われる心霊写真」というモチーフが、2000年代前半のオカルトファンを騒がせたことだけは間違いない。そこには心霊写真とわれわれとの関係性の推移が、如実に表れている。
     そもそも心霊写真とはなにか。なにか不思議なものが映っている(または映るべきものが映っていない)写真だと、私たち現代人は捉えているだろう。ただその概念は、昔はもっと狭いものだった。

    (上・下)「最恐の心霊写真」と、それを販売していたコスモス自販機。(写真=ワッキー貝山氏提供)。

    世界の心霊写真の歴史と独自進化した日本の心霊写真

     1861年、アメリカの写真家ウィリアム・マムラーが撮影した写真に、亡くなった従兄弟の霊らしきものが写っていた。
     これが現在確認されている世界初の心霊写真だという。19~20世紀初頭の欧米の心霊写真は、写真館にてポートレートを撮影し、その脇に故人の身内が寄り添うようなかたちが主流。霊の姿が明確で、個人まで特定できるのが特徴だ。当時は日本の心霊学でも「幽霊写真」と呼んでおり、霊魂の存在を実証するための証拠といった意味合いが強かった。もっとも、そのほとんどがトリック写真であることは後に判明しているのだが。

     1970年代の日本で起きた心霊写真ブームは、また少し様相が異なる。まず匿名の大衆が日常で撮影した写真であること。そして写っている霊らしきものも多くが不鮮明で、撮影ミスともとれる曖昧さだ。かつてのトリック幽霊写真に比べればリアリティは高いものの、それがどこのどのような霊であるかについて、第三者による「鑑定」役が必要とされた。

     その代表格が中岡俊哉だ。『恐怖の心霊写真集』シリーズにて中岡は、投稿された写真を「霊エネルギーを測る」などの方法で心霊写真か否かを鑑定していった。さらに中岡は、「なぜ」このような写真が撮れたかの説明も行った。地縛霊、浮遊霊、動物霊など、霊がそこに存在していたため(原因)写真に映ったのだ(結果)という因縁を読み取ったのである。さらに中岡以外の霊能者たちも霊視によって、先祖の祟り、ケガ・病気の予兆などといった撮影者にまつわる因縁を指摘するようになった。

     こうした因縁が絡むのなら、心霊写真はあらゆる場面で撮影される可能性がある。身内の霊魂が寄り添うポートレイト(幽霊写真)よりも、心霊写真という概念がさらに拡張されたのだ。
     とはいえこの時点での因縁は、まだある意味で常識的なものだった。殺人や事故死など非業の死を遂げたものの霊が映った。だからその土地に足を踏み入れた撮影者が祟られたかもしれない。あるいは先祖の祟りやケガ・病気の予兆が、被写体の身体の欠損というかたちで写真に表れた、といった説明だ。あくまで土地、撮影者、被写体に原因があり、写真は結果としてその情報を示したに過ぎないのである。

    それは無差別に感染する呪いのウイルスになった

     しかし21世紀に移るころ、心霊写真はそれ自体が呪いや祟りを及ぼす呪物としても扱われるようになった。

     先述の鳥居の写真は、見てしまっただけのものが被害を受けた。坂崎さんは鳥居の場所を訪れていないし、そこに浮かぶ地縛霊と関わってもいない。ただ写真を拾い、数秒ほど目を落としただけである。私が紹介した人形の写真も同様だ。人形を神社から持ちだした張本人の少年たちにはなにも起きず、ただ画像を転送されただけのMくんに祟りが及んでしまった。因縁を無視した無差別で通り魔的な呪い、より正確にいえば接触したものに感染する伝染性の呪いではないか。
     これには映画『リング』(1998年公開)の影響も窺えるだろう。ビデオテープというダビング可能なメディア媒体が、貞子の因縁とは無関係なものにまで呪いを感染させていく。写真もやはりコピーと拡散をその本質に持つメディアなので、呪いの感染には非常に適している。フィルム時代でもカプセルトイの自動販売機などで不特定多数にばらまかれたし、デジタル画像となればいくらでも転送が可能である。

     こうして心霊写真はなにを映したかの「情報」と同時に、プリントやデータという「現物」までもが恐怖の対象となった。
     心霊写真はもはや、見てしまったものへ無差別に感染する呪いのウイルスでもあるのだ。

    (月刊ムー 2026年10月号)

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