異端の超古代文献「古史古伝」の数々/世界ミステリー入門

文=藤島啓章

    現存する日本最古の歴史書といわれる『古事記』。ところが、それよりも古いとされる歴史書が存在する。それが「古史古伝」と総称される史書群だ。漢字伝来以前の書といわれ、アカデミズムから「偽書」扱いされているこれらの超古代史書は、何を物語っているのか?

    記紀以前に記された超古代文献の存在

     日本最古の歴史書は和銅5年(712)に編纂された『古事記』であり、伝存する最古の正史は養老4年(720)に完成した『日本書紀』とされている。だが、その一方で、記紀以前に成立した超古代史書が存在する、との主張がなされており、それら異端の史書や反記紀的内容の史書群を「古史古伝」と総称する。
     アカデミズムは、古史古伝は偽書である、と断じて史料的価値を認めようとはしない。しかし、正史とされる日本古代史は大和朝廷の王権の正統性を確立するために組み立てられており、正統性をいささかでも揺るがせるようなものは意図的に抹殺されてきた。
     記紀も明記しているように、国史=天皇家の正史を編纂するに際し、朝廷は諸豪族が継承してきた固有の神話や伝承を提出させた。そして編纂の過程で、不都合な異伝を封印、改竄、抹消したことに疑念の余地はない。だが、闇に葬られた異形の日本古代史の一部は、篋底(きょうてい)深くに隠され、あるいは密かに受け継がれ書き継がれてきた。それが古史古伝なのであり、虚妄の偽書として切って捨てるわけにはいかないのである。

     ちなみに、現在までに発見されている古史古伝は30種余りにのぼり、漢字伝来以前の日本に存在した文字とされる「神代(じんだい)文字」で記されたものもある。

     なかでも、壮大なスケールで描かれ、内容も群を抜いて異彩を放っているのが『竹内文書』(『竹内文献』『竹内太古史』『磯原文書』『天津教文書』とも)だ。

    世界の歴史を覆す『竹内文書』

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    巨麿が公開した『竹内文書』の一部。「神代文字」と呼ばれる文字で記されている(写真提供=八幡書店)。

    『竹内文書』は、太古、現在の富山県富山市久郷の「御皇城山(おみじんやま)=呉羽山」に鎮座していた皇祖皇太神宮の宮司(ぐうじ)家・竹内一族に伝承された文献・神宝の総称。皇祖皇太神宮は人類発祥以来の歴史を誇る古社だったが、いったん廃絶、明治末期に竹内巨麿が現在の茨城県北茨城市磯原の地で再建して天津教を興し、昭和初期に『竹内文書』を経典として公開し、謎多き超古代文書の存在が初めて世に知らされることになったのである。

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    富山市久郷の御皇城山にある皇祖皇太神宮。『竹内文書』によれば、皇祖皇太神宮は最初、飛騨の位山(ピラミッド)に築かれ、後に越中富山へ、明治期には茨城県へと移ったという。

     数々の文書、系図、神代文字を刻んだ神剣、神鏡など数千点にのぼる文書や器物からなる『竹内文書』のなかには、超古代天皇の骨を砕き固めてつくったという「神体神骨」、イエス・キリストの遺書と遺骨、モーゼの十戒石(表・裏の2種)、謎の金属「ヒヒイロカネ」、ムー大陸時代の超古地図など、常識をはるかに超越した驚愕の遺物も含まれている。

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    明治末期に天津教(あまつきょう)を興し、一族に伝承された『竹内文書』を経典として公開した竹内巨麿(写真提供=八幡書店)。

     文書群には、原始神の大宇宙創成から神々の地球降臨、過去2度におよんだ人類文明の盛衰までが描かれている。もう少し具体的にいうなら、宇宙第1の原始神は「元無極躰主王大御神(もとふみくらいぬしのおおみかみ)」といい、同神から分かれて第3代の「天地分主尊大神(あめつちわかれぬしのおおかみ)」に至り天地ができたとし、その年数はじつに224億32万16年だったという。
     そして「天神」7代につづき、「上古」第1代「天日豊本葺牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびききみぬしひかりおおかみすめらみこと)」が“神定”により神々の故郷である銀河系から地球に降臨して超高度な文明を建設。人類の黄金期ともいうべき上古25代の時代を迎える。
     その第2代「造化気万男身光天皇(つくりのしきよろずおみひかりすめらみこと)」の即位6億8660万621年のとき、16人の弟妹や皇子たちが全世界に移住し、世界5大人種(五色人=黄人・赤人・青人・黒人・白人)の祖になった。彼らの名は「天竺万山黒人民王(てんじくまんさんくろひとみつとそん)」「ヨイロパアダムイブヒ赤人女祖民」「アフリエジフト赤人民王」などであり、それが『旧約聖書』が人類の祖をする「アダム」と「イブ」、地名の「天竺」「ヨーロッパ」「アフリカ」「エジプト」などの語源になり、「ボストン」「ヨハネスブルク」なども彼らの名に由来する、と説いている。それだけではない。各民族の言語をはじめピラミッドなどの地上文明のすべては天皇の系譜から創造されたという。
     この黄金時代、世界の中心は日本であり、天皇は絶対権力を持った「万国棟梁」として世界人民のトップに君臨し、天空を飛行する「天之浮船(あまのうきふね)」を駆使して地球全域を巡幸した。
     日本の国産み神話で知られ、記紀では神武天皇の7代先祖とされる「イザナギ」は、この時代における上古21代「伊邪那岐天津日嗣天日天皇(いざなぎあまつひつぎあめひのすめらみこと)」のことであり、その1子「月向津彦月弓命」が記紀にいう「ツクヨミ」であり、「須佐之男命(すさのおのみこと)」=「スサノオ」はその別名である、とも記している。
     上古25代のあとは「万国土の海となる」地球規模の大異変や戦争による文明の崩壊があり、それを再建した「鵜草葺不合(うがやふきあえず)」73代の第2期黄金時代を経て、ムー大陸やアトランティス大陸を想起させずにはおかない「ミヨイ」と「タミアラ」の海没による再びの文明崩壊とつづく。そして長い空白期間の後、神武天皇にはじまり現代へと至る「神倭朝(かみやまとちょう)」が起こり、人類文明の2度目の再建が開始された、というのである。

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    『竹内文書』が伝えるモーゼの十戒石。表面に神代文字が刻まれている(写真提供=八幡書店)。

     気が遠くなるほどに長期間の記述はすべて神代文字によってなされ、数百十種もの神代文字が用いられていた。ただし、武烈天皇の時代、勅命によって武内宿禰の孫である平群真鳥(へぐりのまとり)によって漢字・カタカナ交じり文に訳されたため、現代まで伝えられた神代文字はすごく一部のサンプルしかない。
     原本もない。昭和期、内容の一部が不敬罪に当たるとして官憲に押収され、東京大空襲で焼失してしまったのだ。ただし一説によると、未発表のものがあり、しかるべきときがくるまで秘密の霊区に封印されているともいう。

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    『竹内文書』が収められていたとされる「開かずの瓶」(写真提供=八幡書店)。

    『竹内文書』は気宇壮大というか、あまりにも破天荒な内容ゆえに、妄想書扱いされがちだが、神道霊学的に看過できない部分も多数あり、古代超文明の研究上も無視できない内容がすくなからず含まれている。

     ちなみに、かの出口王仁三郎は「信ずべきところもあり、事実もある」と評価した。また一部研究家は、『竹内文書』を史書とは見なさず、「アカシック・レコード」を文書化したものと解すべきだとの見解を示している。

     話を別の主要な古史古伝に移したいが、紙幅に限りがあるので、以下は簡単な紹介にとどめる。

    大本にも影響を与えた『九鬼文書』

    『九鬼(くかみ)文書』(『九鬼文献』『九鬼神社精史』とも)

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    九鬼家の遠祖・天児屋根命(あめのこやねのみこと)が神代文字で記したとされる『九鬼文書』。

     修験道熊野別当宗家で、戦国時代、水軍衆を率いて活躍した九鬼家に伝えられた超古代文書。九鬼家の遠祖である天児屋根命(あめのこやねのみこと)が神代文字で記した原文を奈良時代に藤原不比等が漢字に書き改めたという。出口王仁三郎が多大な霊感を得た書として名高い。
     宇宙創造神を「宇志採羅根真(うしとらのこんしん)」とするが、周知のように、この神は大本の出口ナオに憑いた天地の根源主宰神だ。同書によると宇宙は7段階にわたって進化したとされ、太陽系宇宙の開発を担当した「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ」の活躍、地球人類の再生に尽力した「伊邪那美尊(いざなみのみこと)」の献身などが描かれている。

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    霊的な能力を秘めていた出口王仁三郎。『九鬼文書』に多大な影響を受けたといわれる。
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    新宗教教団「大本」の開祖・出口ナオ。彼女は「宇志採羅根真」の憑依によって神憑り状態になり、自動書記でさまざまな啓示を受け取った。

    『竹内文書』と同じく、神武天皇以前に「鵜草朝」があったとし、73代目を神武としているが、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」を皇祖とする出雲王朝の実在と正統性を主張し、聖徳太子が日本古代史を改竄した張本人である、と非難している。また古代における日本とユダヤの関係に言及している点でも異色である。

    徐福が記した富士古代王朝史『宮下文書』

    『宮下文書』(『富士宮下文書』『富士古文書』『富士古文献』『富士高天原朝史』とも)

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    何度も書写を繰り返されてきた『宮下文書』の文面。

     富士山の北麓、現在の山梨県富士吉田市大明見の旧家・宮下家に伝わる古記録・古文書の総称。
     第7代孝霊天皇の73年(紀元前213)、日本へ渡米した徐福が、阿祖山大神宮(富士皇祖皇太神宮)の神官36家が所蔵する、神代文字で書かれた超古代文書のほか口碑や伝承を集成したものという。
     同書によれば、「天神真群洲(あまつくにまぐりのくに)」から天降った「神皇農作比古神」が富士山麓に高天原朝を開いた。そして地神第4代神皇「彦火火出見」の第1皇子「阿祖男命」が神都を九州霧島山に移し、「宇家澗不合洲朝」を開いて初代神皇となった。この王朝は51代続いた後、神武天皇の「神倭朝」にとって代わられた、としている。

    超古代の叡智を収めた『上記』

    『上記(うえつふみ)』(『上紀』『上つ文』『ウエツフミ』『大友文書』『大友文献』とも)

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    『上記』。一部では、編纂者の大友能直が山の民の歴史書を盗用したとの噂もささやかれた。

      天保8年(1837)、現在の大分県で発見。序文によると、貞応2年(1223)、豊後国守護・大友能直(おおともよしなお)が『新はりの記』や『高千穂宮司家文書』などをもとに編纂したといい、全文が豊国文字(神代文字の一種)で記されている。
     原始神「天之御中主命」から神武天皇までの神代史を描いており、神武王朝に先行して72代におよんだ「鵜草葺不合朝」が存在したとしており、この主張は『竹内文書』や『九鬼文書』と共通する。
     その他、政治・経済・軍事・産業・交通・天文学・暦法・医学・冶金・度量衡・一般風俗……などにも言及しており、超古代の百科事典的性格を有している。
     とりわけ注目すべきは、山人族との関連だ。豊国文字は、作家でサンカ研究家の三角寛が採集した古代山人族文字をほぼ同一で、しかも山人族には「大友能直が自分たちの古伝を盗んだ」という伝承があるのである。

    古代日本の姿を伝える『秀真伝』

    『秀真伝(ほつまつたえ)』(『秀真政伝紀』『ホツマツタヱ』『ホツマツタヘ』『ホツマツタエ』『ホツマ』とも)

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    解読不能の神代文字で記された『秀真伝』の本文。

     現在の滋賀県高島市安曇川町に鎮座する三尾神社の神宝として伝存してきた超古代文書。
    「ヲシテ文字(ホツマ文字とも/神代文字の一種)」を用い、五七調の長歌体で記されており、全40アヤ(章)、1万700行余りからなる。紀元前7世紀ころの成立といわれ、記紀の原書として評価する研究家もいるが、もちろんアカデミズムは認めていない。
     天地開闢から神代、人皇初代の「神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)」=神武天皇の即位を経て、人皇第12代景行天皇56年までの歴史を記述している。
     扱う時代は、記紀とほぼ同じだが、神代の出来事は天上界ではなく、実在の人物により日本列島上の実在の場所で起こったことしている点が、記紀とは大きく異なる。
     また「鵜草葺不合朝」は1代限りであったとし、皇室の成立と歴史、国号の変遷。神武東遷の背景、天皇即位儀式の変遷、伊勢神宮ほか主要神社創建のいわれ、自然神の祭祀、暦法、婚姻や葬儀の方法。禊の方法、大和言葉の語源、ヲシテ文字の成り立ちとその意味……などが記されている。
     もし真書であれば、日本の建国の経緯と古代日本の文明を明らかにする貴重な文献となる。付記しておくならば、同じヲシテ文字を用いた古史古伝として『三笠紀』と『太占(ふとまに)』が発見されている。

    平十字が授けた超古代技術書『カタカムナ文献』

    『カタカムナ文献』(『カタカムナのウタヒ』とも)
     昭和24年(1949)、大地電気測定のために全国各地を調査していた楢崎皐月(ならさきこうげつ)が、兵庫県六甲系金鳥山頂近くにあり、陰陽師・芦屋道満の刃かといわれていた狐塚付近で、カタカムナ神社の宮司・平十字(たいらとうじ)を名乗る老翁から授かった超古代化学の原理書である。

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    『カタカムナ文献』で使用されていたカタカムナ文字。幾何学的な文字が、渦巻き状に配列されているのが特徴だ。

     用いられているのは、丸と十字を基本とした図象文字。数ある神代文字のなかでもまったく特殊なもので、これを「八分円図象」とか「八鏡化美津文字(略して「八鏡文字」とも)」と呼ぶ。
     解読は難渋を極め、20年以上もかかったという楢崎によると、はるかな超古代、日本には「カタカムナ人」と称する高度な文明種族が先住しており、八分円図象を用いて超高度な科学知識を表現し、星々の運行から現代の素粒子の問題まで解明していたという。

    東北王朝を示した疑惑の資料集『東日流外三郡誌』

    『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

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    『東日流外三郡誌』。1970年代に、青森県五所川原市の民家で、改装中に天井裏から長箱ごと落ちてきたという(写真提供=八幡書店)。

     古代津軽(現・青森県)を構成していた6郡のうちの恵留間・有馬・奥法の3郡(外3郡という)を中心とした古代以来の歴史・地誌・宗教・社会・民俗などの伝承を集成した資料集。神武東征の最大の抵抗者だった長髄彦(ながすねひこ)とその兄・安日彦(あびひこ)の子孫といわれる津軽の旧家・秋田家と秋田家と姻戚関係にあった和田家に門外不出として密かに伝えらえてきたという。
     秋田孝季と和田長三郎吉次が全国から古記録を収集し、18世紀末の寛政年間に編纂したが、その後も加筆されつづけた。1970年代、長三郎吉次の末裔で青森県五所川原市在住の和田喜八郎が公開し、一般に知られるようにあった。
     先史時代、津軽に先住していた「阿曽部(あそべ)族」と「津保化(つぼけ)族」の対立・抗争、岩木山の大噴火による悲劇、大和にあった邪馬台国連合の族長・長髄彦と日向族長の「磐余彦(神武天皇)」との対決、邪馬台国連合と日向族との熾烈を極めた戦い、長髄彦と安日彦の津軽亡命、荒羽吐(あらはばき)族の形成と荒羽吐国家の成立、荒羽吐軍の南進と大和制圧、荒羽吐系天皇の擁立。神武王朝歴代天皇の征夷軍軍事行動と荒羽吐族の反撃、十三湊の大津波……など、驚愕すべき異形の歴史が綴られている。
     肯定派と否定派の間で激しい真贋論争が起こったことでも有名な古史古伝である。
     以上に紹介したもののほかに、『阿蘇幣立神社文書』『安倍文書』『阿部文献』『伊未自由来記』『大伴文献』『忍日伝天孫記』『甲斐古蹟考』『春日文書』『神名比備軌』『契丹古伝』『神伝上代天皇紀』『神道原典』『先代旧事本紀大成経』『但馬故事記』『神璽基兆伝』『物部文書』……などの古史古伝の存在が知られている。
     これらの古史古伝は、前記したように、アカデミズムの世界においては史料価値は皆無の偽書とされているが、荒唐無稽な奇書として片づけられない内容のものもある。たとえば、伊勢の皇家神道によって支配される以前の日本の神祭や修法などは正史を検証するだけでは実態が見えてこないし、大和王朝を中心軸に据えた偏狭な日本古史を見直すうえでも、古史古伝は新たな視座を提供してくれるのである。

    (月刊ムー2017年1月号掲載)

    藤島啓章

    ライター。ムーにて基礎知識連載「世界ミステリー入門」などを担当

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