愛媛県・龍の淵の奇祭! 御面雨乞い神事と「おたたさん」

文=寺田真理子 取材協力=愛媛県歴史文化博物館、佐伯直紀

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    「雨をくだされ龍宮どん 龍宮界のオトノ姫……」 愛媛県中予地域に伝わる、雨乞い伝承と謎の仮面。 いまも続く「三つの御面」の神事とは? そして雨乞い祈禱を行った「おたたさん」とはいったい何者だったのか。 神秘の歴史の断片を繋ぎ、現れた新解釈とさらなる謎に迫る。

    確認された新たな「仮面」と雨乞い伝承

     2025年初夏、愛媛県東温とうおん市河之内地区に鎮座する惣河内そうこうち神社にて、木箱に収められた謎の「仮面」とともに22点の古文書等の資料が確認された。これらのなかには未確認の文献資料も含まれていた。愛媛県立しげのぶ特別支援学校教諭の佐伯直紀氏による調査研究が発端となったこの発見を受け、愛媛大学特定准教授大本敬久氏をはじめ、地元の識者や高校生らの協力のもと、現地調査が行われた。
     古文書には、かつて当地域において催行されていた「御面ごめん雨乞い」に関する記述も確認された。人々は何を畏れ、何に祈ったのか。龍の淵に伝わる神秘の儀式とは。

    現代に姿を現した謎の仮面。赤・黒・金泥の彩色が残り、カッと見開いた両眼、大きな鼻、牙のようなものも確認できる。「雨瀧大明神 御寶面」と墨書きされた木箱に収められていたが、雨乞い神事にまつわる「雨乞い三面」とはまったく趣が異なる。2025年、多数の資料とともに新たに発見されたが、詳細は不明(惣河内神社蔵)。
    仮面を確認する惣河内神社宮司(佐伯直紀撮影)。
    仮面とともに確認された『祈雨祭記録』には「潮行事」や「御面映し」の記述があった(惣河内神社蔵)。
    惣河内神社にて確認された雨乞いの祝詞を調査する高校生。豊玉彦命に言及した『祝詞』も確認された(佐伯直紀撮影)。

    龍がすむ淵に、雨を乞う

     われわれの生命は天候に委ねられているといっても過言ではない。
     瀬戸内海沿岸部に位置する愛媛県は温暖で穏やかな気候に恵まれている半面、年間降水量が少ない地域である。近年でも1994年の大渇水では、松山市の水瓶である石手川ダムの貯水率がゼロになるほどの記録的な小雨を記録した。現代においても、日照りや冷夏、長雨や虫害などの農作物への影響は、いまだわれわれの営みを静かに揺さぶりつづけているが、その昔、天候不順がもたらす不作は「死」に直結していた。
     どうか命の雨を……。旱魃が起きると人々は、神仏への祈願で天に雨を乞うた。

    「雨乞い」には多種多様なかたちがあるが、今回の舞台である愛媛県伊予郡松前町まさきちょうから東温市の河之内地区にかけての地域には、「雨乞い三面」と称される3つ神面を用いた「御面雨乞い」と、海からの行商人「おたたさん」による雨乞い祈禱が融合した「御面雨乞い行事」の記録が残っている。
     1979年に発行された『松前町誌』に、その行程について詳細に記載されているので引用する。

     御面雨乞いは、藩政時代、代官行事として浮穴郡野田・牛渕の両三島宮(徳威三嶋宮・浮嶋神社)と松前浜との間で、神面の渡御とおたたの雨瀧三嶋宮参詣の儀式が行われた。
    (中略)
     三嶋宮では、二夜三日の祭典を行い、宮司は潔斎して切火を用い、丹誠をこめて降雨を祈り、四日目の辰の刻(午前八時)神面を奉じて松前に向かうのである。
    (中略)
     松前の浜に着くと「御面」を仮宮に安置し、潮水を汲んで再び二夜三日の祭祀を行う。最後の六日目には松前のおたたも行列に加わり(おたた竹森わかによると六〇人くらい参加するのが恒例であった)、「御本城御用」の赤絹の幟を先頭に、「御面」と松前の海で汲んだ「潮水」を奉持して河之内雨瀧三嶋宮へ向かうのである。約七里(約二八キロメートル)の道のりを歩いて雨瀧に着くと、高坏に「御面」を安置し、宮司は瀧におりて「御面映(ごめんうつし)」の行事を厳修し、おたたが奉持した海水を瀧に投じ、再び行列を整えて神社に帰り、翌、午の刻(午前一二時)すべての行事が終了する。

    (三嶋宮記録 松前伝承口碑)

     この御面雨乞い行事に用いられる「雨乞い三面」の謂れには諸説あるが、佐伯氏によると、19世紀前半に成立した伊予国の地誌『伊予古蹟誌』に、「その昔、伊予国主河野氏が今治で猿楽を観た際に流れ着いたもので、河野氏はこれを龍神からの授かりものと崇めた」という逸話が記されているという。
     河野氏が滅亡したのち、三神面は河之内の雨滝のほとり雨滝三島神社に納められたが、同社の社家が絶えたことから、江戸の初めに、姻戚関係があった現在の浮嶋神社(東温市牛渕)へと移された。同社は雨滝からおよそ西に12キロメートル離れた田園地帯の神社である。

     その後、野田村(東温市野田)に現在の德威三嶋宮が造営されたとき、浮嶋神社の社家が分かれて神職を務めることになり、一代限りの約束でこの三神面を遷座させたが両社の主張の相違から返還は実現しなかった。そのため浮嶋神社が松山藩寺社奉行へ三神面の返還請求を願い出た結果、享保17年に藩は両社へ、三神面の所蔵を「十二月二十日をもって一年交替とする」裁定をくだした。これらの経緯から、雨乞い三面がいかに重要な神宝であったのかが窺える。

     そしてもう一点注目すべきは、謎の存在「おたたさん」だ。

    ――――――――――――――
     雨をくだされ龍宮どん
     龍宮界のオトノ姫
     アラ 雨 
     大ぶりじゃあ 大ぶりじゃあ
    ――――――――――――――

     御面雨乞いの6日目に加わったおたたさんたちは、松前の浜で汲んだ潮水をたたえた御用櫃ごろびつを頭上に頂き、雨乞いの唄を唱え踊りながら、山間部にある河之内の雨滝まで片道約28キロもの距離を練り歩いたというのだ。仮に時速4キロで進むことができたとしても、7時間を要した計算になる。それは命の雨を乞う、壮絶な祈禱であった。
     この「おたたさん」とは、いったい何者だったのだろうか。

    東温市指定有形文化財「雨乞い三面」。箱には、『古事記』に登場する海の神々、表筒男命、中筒男命、底筒男命(住吉三神)が記されている(浮嶋神社・德威三嶋宮蔵、佐伯直紀撮影)。
    東温(とうおん)市河之内地区、新緑の雨滝。おたたさんが潮を注ぎ込んだというその淵には、龍神伝説が伝わる(佐伯直紀撮影)。
    東温市河之内地区に鎮座する惣河内神社。明治4年には、「雨滝」のほとりにあった雨滝三島神社が合祀された。
    御面雨乞(ごめんあまご)い神事で潮水を汲んだとされる松前の海(佐伯直紀撮影)。
    雨乞い三面は、年に一度の御面渡御祭でのみ一般公開される秘宝である(佐伯直紀撮影)。
    雨乞い三面が浮嶋神社と德威三嶋宮とを渡る「御面渡御祭」は、いまも毎年12月20日に執り行われている(佐伯直紀撮影)。
    おたたさんによる最後の雨乞いが行われた昭和42年と、同39年の雨乞幟。いまも大切に保存されている(松前史談会蔵)。
    昭和2年の雨乞幟。にわかに降り出した雨で墨が流れたという(松前史談会蔵)。
    昭和40年ころの河之内の棚田。右手奥に雨滝の森が見える(佐伯直紀蔵)。

    謎の巫女「おたたさん」

    「魚はいらんかえ」「魚おいりんか」
     松前地区の「おたたさん」は、現在の愛媛県伊予郡松前町を拠点に魚の行商をしていた女性たちである。魚などを入れた「御用櫃」と呼ばれる大きな木桶を頭上に頂いた姿だった。
     なお1682年に刊行された井原西鶴『絵入 好色一代男』巻三「袖の海の肴売」には、小倉地方の肴売り「たゝ」が登場し、頭上運搬売魚婦の挿絵が添えられていることなどから、他地域にも類似のいでたちで魚の行商を行う、「たた」と呼ばれる女性がいたことがわかる。

    愛媛県伊予郡松前町にて撮影された、おたたさん。年代不詳(愛媛県歴史文化博物館蔵・武智利博撮影)。

     松前地区のおたたさんは、いったいどういう存在だったのだろうか。『松前町誌』には、「おたたは、松前の象徴である。頭上運搬姿のおたたがいなくなった昭和51年(1976)の現在においても、長い伝統に支えられて、このイメージは変わっていない。」と記されている。松前地区では、どんなに裕福な家庭に育ったとしても「おたた」を経験しなければ一人前の女性とは認められなかったという。広い世界を知り社会経験と経済力を身につけることが、必須とされたようだ。

     また「おたた」という呼称について、「頂く= 手手上」、松前の「お方」、「魚」の転訛など諸説あるが、永承年間(1050年ころ)に松前の浜に漂着し、魚の行商で身を立てた京都の公卿の妹「御多喜津姫=瀧姫」の愛称「おたき」の転訛説が、当地域の通説である。
     この点が、彼女たちが「単なる行商」ではなかったことを示しているという。

     オタキツヒメ……すなわち多岐都比売命・湍津姫は、記紀にみえる宗像三女神の一柱。海から来た貴人が神格化された伝説をもつことが、彼女たちの霊性を強くしているというのだ。

     中世における「市」の性質にも触れてみよう。ほしいモノを簡単に入手できる現代とは異なり、当時の「モノ」は「所有者の魂の一部が乗り移ったもの」であったという(清水克行著『室町は今日もハードボイルド』)。当時の日本には「虹の立つところに市を立てる」という奇妙な風習があった。空に出現した極彩色のアーチのたもとは、魂を交換し合うに相応しい神聖な場、つまり「聖域」であった。

     こうした習俗から、行商者である彼女たちが「聖域」を発生させながら移動する神秘的な存在であると捉えられていたのでは……とも想像できる。

     そして職業柄、日々天候を注視していたであろうから、「雨の兆し」を熟知していたことも推測できる。このような性質からおたたさんは、気象を司る能力をもつ巫女的な役割を果たしていたのだろう。雨乞いによって雨を降らせる霊力は、多くの人命を救う尊い特殊能力である。松前の女性の「ひとり立ちの条件」として、民に慕われ、尊敬される「おたた」の経験が掲げられていたことにも強く頷ける。
     さらに、松前のおたたさんの商圏は驚愕の広さであった。珍味などの海産物を入れた大きな缶を重ねて背負い、伊予近隣だけでなく北海道や九州にも拠点を広げ、台湾や朝鮮半島にまで赴いたそうだ。昭和5年ころには1500人あまりもいたという記録も残っている。

    松山市で開催された温泉祭りでのおたたさん。河之内の雨滝で彼女たちによる最後の雨乞いが行われたのと同年、昭和42年の姿だ(愛媛県歴史文化博物館蔵・村上節太郎撮影)。
    おたたさんたちが雨滝へと向かったスタート地点、松前町浜地区に鎮座する瀧姫神社。筆者は愛媛県在住だが、この地点から雨滝まで徒歩で行くなど到底想像できない。

    巫女の雨乞いは水循環の再現儀式だった?

     なぜこのおたたさんたちが雨乞い祈禱を行ったのかについては、「最大の顧客であった農民たちに代わり豊作を祈願するためだった」ともいわれる。そして、潮水を雨滝の淵へ注ぎ込む手法については、「龍を怒らせて雨を降らせるためだった」という説が語り継がれてきた。

     この雨滝にまつわる一連の「御面雨乞い」について調査研究を続けている佐伯直紀氏によると、「なぜおたたさんは雨滝へ行ったのか」由来伝承がなく、彼女たちがいつから御面雨乞いに加わったのかについても不明で、その関係性も謎のベールに包まれているという。

     今回の取材を通して筆者には、この御面雨乞いは、海から山への「水の循環の再現儀式」だったのではとも思えた。
     里山に降った雨は大地に染み入り命を潤す。あるいは山の養分を豊富に含んだ河川となって海に注ぎ込み、海の幸を育くむ。当時の人々は、自然とそれを理解していたのではないだろうか。つまり海の水が「還る」場所として、山を見ていたのかもしれない。おたたさんたちが、松前の海で潮を汲み頭上に頂いた「御用櫃」は、「雨雲」を模したものだったのではとも思えるのだ。
     松前の浜から河之内の雨滝に至る「御面雨乞い」は、雨滝にすむ龍神へ海水を「お還し」する儀式であるとともに、かつて海から漂着し、「これは龍神からの授かりもの」と崇めた河野氏によって雨滝(雨滝三島神社)にもたらされた「雨乞い三面」の還御だったのではないだろうか。松前の浜に漂着した「瀧姫」をその名のルーツに持つ巫女「おたたさん」と合流することで、雨を降らせる霊力はさらに強大なものになったに違いない。

    さらに謎を呼ぶ、割れた奇面

     さて、冒頭の「新たな仮面」である。この仮面は「雨瀧大明神 御寶面」と墨書きされた木箱に収められており、底面には「御形面 豊玉彦命 鎮護」とあった。そしてあわせて確認された古文書や祝詞には、雨乞い神事に関する記述もみられたという。

     これらのことから仮面の正体は容易に判明するかに思われたが、発見時の状態が新たな謎を生んだ。
     佐伯氏が『東温史談』第21号に発表した研究論文によると、仮面は「額から左目にかけて縦に割れており、ほぞ』を付けて継いでいる。(中略)箱の大きさは仮面より小さく、仮面の大きく割れた部分を二つに分解しなければ箱に納めることができない」というのだ。

     このことから佐伯氏は、「この木箱は、仮面本来のものではないかもしれない」とも指摘しているが、そもそもなぜ「割れた状態」で保管されていたのだろうか。
     果たしてこの仮面は、雨滝での雨乞い神事や三神面とも関連があるのだろうか。割れた奇面が意味するものとは。引き続き調査研究に注目したい。

    2025年、新たに確認された仮面。木箱の内側には「御形面 豊玉彦命 鎮護」とあった(惣河内神社蔵)。
    おたたさんが行商に用いた木桶「御用櫃」の名称は、松山城築城の際に重い資材を入れて運搬奉仕した功績から「城下御免」の鑑札を授かったことに由来する(松前町蔵)。
    井原西鶴『絵入 好色一代男』巻三「袖の海の肴売」の挿絵。菱川師宣画(国立国会図書館デジタルコレクション)。

    参考資料=『東温史談』第21号 東温史談会、『文化愛媛』第89号 公益財団法人愛媛県文化振興財団、『伊豫史談』189~191合併号 伊予史談会、『川内町誌』川内町、『松前町誌』松前町誌編集委員会、『松前町の風土と人々のくらし』松前町地域調査委員会、『近世・近代 伊予の人と文化』山内譲、『重信のむかし話』重信町教育委員会、『室町は今日もハードボイルド』清水克行

    (月刊ムー 2026年7月号掲載)

    寺田真理子

    ライター、デザイナー、動植物と自然を愛するオカルト・ミステリー研究家。日々キョロキョロと、主に四国の謎を追う。

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