「鵺(ぬえ)」を射抜いた二本の矢が眠る愛媛「赤蔵ヶ池」探訪! 源頼政の母の執念が伝わる妖怪現場の謎

文=寺田真理子

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    我が子の立身出世を切願した果てに鵺(ぬえ)となり、自らを討ち取らせた母の悲願。四国・愛媛 久万高原町 二箆(ふたつの)地区に伝わる「赤蔵ヶ池(あぞがいけ)の鵺伝説」に迫る!

    異形の妖怪、鵺

     古くは平安時代の歴史書「日本紀略」にも登場する怪異「ぬえ」。
    「平家物語」には、夜な夜な不気味な鳴き声で天皇を恐れさせた鵼を二本の矢を用いて見事討ち取った、京都紫宸殿における源頼政の鵼退治がある。 歌川国芳の浮世絵では「サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾」を持つ姿で描かれている、異形の妖怪だ。

    歌川国芳「木曽街道六十九次之内 京都 鵺 大尾」

    愛媛県 久万高原町 赤蔵ヶ池の「鵺伝説」

     この「鵺」にまつわる伝説は静岡県・愛知県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県など、各地で黒雲のように漂っている。
     四国・愛媛県の山間部にある赤蔵ヶ池(あぞがいけ)の麓、久万高原町 二箆(ふたつの)も「鵺」伝説の現場のひとつだ。

    愛媛県 久万高原町、国道33号線沿いにある、『怪鳥「ぬえ」伝説の池 赤蔵ヶ池』の標識。

     ここ久万高原町 旧美川村エリアにある「赤蔵ヶ池」に伝わる鵺伝説は、「美川村二十年誌」にも記されている。それは、息子の頼政に手柄を取らせるため鵺に化身し自らを討ち取らせた母と、鵺を射抜いた二本の矢にまつわるもの。

     以下に概略を記そう。

    …二箆に矢竹の群生があり、その上に赤蔵ヶ池があって源三位頼政にかかわる伝説があるので、まずこの事に触れておく。この話を載せた最初の本は「予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)」で松山藩家老奥平貞虎が宝永七年(一七一〇)に領内村々の伝説をまとめたものである。

    「美川村二十年誌」より

     この記録から、江戸時代初期には既に語り継がれていた伝説であることがうかがえる。また、久万郷土史会によって1970年に発行された「ふるさと久万 二号」では、この「予陽郡郷俚諺集」の記述に触れながら、明治27年に刊行された「伊予温故録」の現代語訳も交えた伝説のあらましが記載されている。

    (予陽郡郷)俚諺集に書いてある二箆は昔源三位頼政の母が隠居していた所である。(中略)
     此の村に二本宛節の揃った矢竹がある。母は此の矢竹をとって京都の頼政に送り、武芸に励むことを勧めて我が子を励ました。後母が病気にかかり危篤になった時、赤蔵ヶ池に怪鳥の姿を見た。その鳥は猿の頭、蛇の尾、虎の口の形をして鳴き声は鶴に似ており早朝から池畔に住み夜は飛び去って行く。
     たまたま京都にも同様の鳥がいた。天皇の御寝室の上で鳴くと天皇は非常に苦しみ、頼政にこの怪鳥を退治することを命じた。仁平三年四月七日の夜、頼政は母の送った矢を夜空に向けて射たて、怪鳥を退治した。その夜母もついに死亡しその後池畔で怪鳥の姿を見ることはなくなった。(中略)
     頼政の母は、毎夜赤蔵ヶ池で水ごりをとり、頼政の世に出るのを祈っていた。ある夜とうとう鵺となり、雲にかこまれて京都の御所の方へ消えて行き、子供頼政に討たせたという。

    久万郷土史会「ふるさと久万 二号 赤蔵ヶ池(伝説)」より

     息子頼政の立身出世を願った赤蔵ヶ池での水行の果てに病に伏し、鵺に化身して京へと飛び、自身が送った矢で我が身を討たせた……悲しくも痛ましい母の伝説である。

     深い森の中に佇む赤蔵ヶ池。鵺に化けて頼政に射抜かれた母の血で、真っ赤に染まったという。そのほとりに立つと……生あたたかく湿った風が頬を撫でた。

    赤蔵ヶ池は、四国・愛媛県の山間部にある久万高原町 旧美川村、二箆(ふたつの)・沢渡(さわたり)・筒状(つつじょう)集落に囲まれた、標高870mの山頂にある湧水の池。
     現地案内板にも、鵺の姿が描かれている。

    源頼政の母 切願の地「二箆地区」へ

     息子の出世を願うあまり、ついに鵺に化けたという頼政の母の居所跡は二箆地区にある。さらに、頼政が放った「矢」の材料となった「矢竹」は今も自生しているという。まさに妖怪伝説の現場なのだ。

     地元の方々のご協力で、鵺伝説の痕跡を追うことにした。

     子どもの頃から「赤蔵ヶ池の鵺伝説」を聞いて育ったという地元の方々のご案内で、道なき道を進み……二箆の奥地へ入る。
     地元の方でも知る人ぞ知る二箆の森の中にある「長者屋敷跡」。頼政の母が隠れ住んだ屋敷跡と伝わる石垣が残っている。

    「年々木が太って、最終的に石垣だけが残るんじゃろうなぁ」と地元の方は心なしか寂しそうにつぶやいた。

     そして向かったのは、源頼政の母が参籠したと伝わる「赤蔵(あかぐら)神社」旧社殿。赤蔵ヶ池からほどない所にある。「平家物語」紫宸殿の鵺退治と同年の仁平三年(1153年)創建と伝わり、美川村文化財保護委員会編「美川の歴史と民俗」には、「源三位頼政の母が、頼政のために当社で祈願し、社殿より一里余りの山頂にある赤蔵ヶ池で水行をし…」とある。

    赤蔵(あかぐら)神社の旧社殿。現在の状態は昭和63年に建立されたもの。

     明治期より他社との合祀や火災のための移築を経て、旧社殿から山を少し降りたところに昭和45年に新社殿が再興新築され、現在に至る。

    境内には、母の嘆願を思わせるお百度石がある。

     そしてこちらが、二箆地区に現存する「双生矢竹」の群生地。頼政の母が矢を作る材料にしたという伝説の竹である。地名にある「箆」は「矢竹」を意味する。

     このように地下根茎の隣接する茎から、二本寄り添うように生えてくるという。さながら母と頼政のようだ。昭和48年に天然記念物に指定された。

    案内板には源三位頼政とその母が化身したという赤蔵ヶ池の鵺伝説が記されている。

    語り継がれる鵺伝説

     この日ご案内くださった方々の母校でもある二箆小学校体育館の緞帳に「頼政の鵺退治」が描かれていると、特別に見せてくださった。

    2002年(平成14年)に廃校になった二箆小学校。現在は体育館が残っている。
    左上に描かれているのが赤蔵ヶ池。双生矢竹をモチーフとした校章も、相原校長のデザインではないかという。

    「源頼政の鵺退治」が描かれた緞帳が、今も大切に掲げられている。原画は、昭和45年度〜昭和48年度に校長であった相原芳愛氏が描いたもの。ふるさとの伝説を子どもたちに語り継ごうと尽力した、相原先生の熱意と愛情が感じられる。

    「台風で2回ほど体育館の屋根が飛ばされたことがあってね。赤蔵ヶ池の方へ飛んで行ったんじゃわ〜言うてね(笑)」と地元の方。このステージでは、二箆小学校児童らによる、赤蔵ヶ池の鵺伝説をモチーフにした劇が上演されたこともあったそうだ。

    「矢を受けた母が『頼政…よう討ってくれました…よう討ってくれました…!!』言うて死んでしまうん。もうすっごい劇やって、涙出たで!!」と当時を振り返る目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

     赤蔵ヶ池はかつて「あそぶ池」とも呼ばれ、二箆地区の子どもたちが毎年遠足に出かける池でもあったが、周囲の木々の成長や植生の変化などで、年々おどろおどろしい雰囲気が増しているという。

    「二箆小学校から、子どもが歩いて1時間半くらい。わしらが子どもの頃は、透明で綺麗なかった。木に登って下見たら、魚がいっぱい見えたんよ。池の周りの雑木も、昔は小さかったしなぁ。みんなで遠足に行った時は平気だったけど、絶対にひとりでは行かんことじゃ!」

    「頼政」にまつわる、 もうひとつの謎

     二箆地区への分岐点から国道33号線へ戻り車で10分ほどのところに、源三位頼政が母の冥福を祈るため創建したとも伝わる大寂寺(だいじゃくじ)がある。

     境内には「大寂院殿従三位土岐頼政公碑」と刻まれた石碑が。源頼政の時代から400年ほど後、戦国時代の美濃国(岐阜県)の守護大名「土岐頼政」の名が登場する。

    「ふるさと久万 第二号」にはこの大寂寺について、「実は、源三位頼政ではなく、土岐頼政が窪野の八幡をお迎えして社殿を新営したもの」という記述がある。この寺にまつわる「頼政」の正体は、戦国時代の美濃国(岐阜県)の守護大名、土岐頼政(1502年〜1582年)ではないかというのだ。

     岐阜県から、「土岐氏史跡探訪ツアー」の一行が二箆の地に来訪したこともあったという。二箆地区の土岐さんにもお話を伺ったが、二箆は土佐(高知県)との県境にあり、坂本龍馬のルーツが土岐一族である説とも繋がりそうで、謎が謎を呼ぶ。

     伝説と史実を行き来する鵺伝説のミステリー、果たして真相は……。

    GoogleMapだと、ここに。

    ※ご注意:赤蔵ヶ池へのルートはいくつかあるが、2023年5月現在、二箆地区から赤蔵ヶ池へのルートは路面陥没のため通行止めになっている。現地には駐車場も整備されているが、道幅が狭く未舗装の区間もあるため、もしもお出かけの際にはご注意を。

    寺田真理子

    ライター、デザイナー、動植物と自然を愛するオカルト・ミステリー研究家。日々キョロキョロと、主に四国の謎を追う。

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