自分自身の遺体を用意した凶悪犯の目的とは? ドイツでドッペルゲンガー殺人事件発生!
ドイツで起きた殺人事件で、「実は被害者が別人だった」という衝撃的事態が発生! ドッペルゲンガー殺人事件の全貌とは!?
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新居大島の願行寺には、母の亡霊が娘に託した着物の片袖が残っている。あやしくもかなしい、その伝説とは……。
愛媛県新居浜市沖に浮かぶ「大島」は、周囲9.8km、人口150人程の島。しまなみ海道にある今治市沖の大島と区別するため、「新居(にい)大島」とも呼ばれる。天然の良港に恵まれ早くから寄港地として開け、14世紀に活躍した村上水軍(村上海賊)の祖「村上義弘」の生誕地としても知られるが、江戸時代には海運の要衝として栄え、各地との交流も盛んであった。
この大島にある願行寺(がんぎょうじ)に、「幽霊の片袖」が伝わっていると知り、調査に向かった。
上陸手段は、愛媛県新居浜市の黒島港から出ている市営渡海船。別途料金を支払えば自転車やバイク、自動車の積み込みもできるが、願行寺は大島港に着いてから徒歩圏内だ。
渡海船は大島住民の生活の足としても活躍しており、郵便配達のバイクなども、この船で大島に渡る。15分程で大島港に到着すると、島民たちは「こんにちは~!」と笑顔で迎えてくれた。
大島港から徒歩10分程で願行寺に到着。空はすっきりと晴れていた。
誓立山正覚院願行寺は、いまから450年前の1573年(天平元年)に創建された浄土宗の寺院。開祖の歎蓮社讃誉上人(たんれんじゃ さんよしょうにん)は織田信長の比叡山焼き討ち(1571年)などの戦乱から逃れるため、京都から阿弥陀如来像を背負って山陽道を南下し、安全な場所を求め、この地に辿り着いたのではないかといわれる。
この願行寺に伝わるのが、件の「幽霊の片袖」である。
快く取材に応じてくださった和尚さんがおもむろに桐箱を開くと……巻物らしき包みが数本現れた!
「これは、幽霊の片袖の謂れを説明するために作られたものではと思いますが……」とまず、伝承が記された「縁起書」をほどいて見せてくださった。
この縁起書は古文体で記されているが、願行寺には現代語訳も伝わっているので、そちらを紹介しよう。
【幽霊の片袖】
願行寺所蔵「縁起書」現代語訳より引用(原文まま)
元禄の頃、この漁村に喜恵門という漁師がいた。菊という妻と五歳になる娘と暮らしていたが、いつの頃からかよそに女を作り、菊につらくあたるようになった。そして罪もない妻菊を離縁し、この女を後妻として迎え入れた。
後妻は慈悲も愛想もない人間で娘を憎んだが、いつしか喜恵門も娘を敵のように攻め叩き、挙げ句食事もとらせぬありさまだった。そのため娘はやせ衰え、たびたび菊(実母)の元へ行っては泣いていた。それでなくとも喜恵門夫婦を憎んでいた菊は思いわずらい、それがもとでついには死んでしまったのだった。
娘は頼れる母を失い両親には憎まれ、あまりのつらさに八歳になると夜な夜な菊の墓へ行き、そこで泣くようになった。
そんな或る夜、幽霊の菊が現れ、娘は喜んで母に抱きつき泣き崩れた。菊は娘をなでてこう言った。
「私がこれから言うことを忘れちゃだめよ。いい? 家に帰ればつらいことがたくさんあるから、これからお寺に行って尼さんになるの。そうして私の供養をして暮らすのよ。私がこうしてあなたの前に現れるのは、あなたのことが気になって成仏できないからなの。だから尼さんになって私を供養してほしいの。ほら、この着物の袖を渡すから形見だと思って私が恋しい時はこれを見て頑張ってね。こうして現れるのはこれっきりだからね、もう二度と姿は表さないから。さぁ、本当にお別れよ」
二人は抱き合って一晩泣き明かし、鳥の鳴く音と共に菊はかき消えた。
娘はそれから願行寺で尼となり、敬虔な信仰を持った娘は母からもらった袖を寄付した。娘の功徳によって菊は涅槃浄土に成仏し、娘も七十三歳まで長生きをした。(元禄の頃の平均寿命は約五十歳)
「元禄の頃」と記されているので、元禄年間(1688年〜1704年)以降の伝承ではないかと推測されるが、年代は不詳。和尚さんによると、73歳で亡くなったとされる「娘」の墓所も探してみたが分からなかったという。
なんとこの寺には、娘が寄付したとされる「幽霊の片袖」の現物も伝わっている。普段は公開されていないが、特別に見せてくださった。
「この片袖はお母さんの形見ですから、今で言う亡くなった方の写真のようなもの。地元の高校生たちが郷土研究にやってきた際には、『お母さんの代わりのようなものだと思って良いんだよ』と話して聞かせました」と和尚さんは語る。
「お母さんが幽霊となって現れて言い聞かせなければ、もしかしたら娘の恨みが、自分につらくあたったお父さんや継母に向けられたかも知れません。亡くなった方の菩提を弔ってあげることで故人の成仏と遺族の救いを……と説いているのでしょう」と和尚さんは穏やかに語ってくださった。
浄土宗の開祖 法然上人は、9歳の時に夜襲により父 漆間時国(うるまのときくに)を亡くしたが、瀕死の父からの「仇討ちは仇討ちを招く。出家し私の菩提を弔い、自らもさとりを求めよ」との遺言にしたがって出家し、仏道を志した。この逸話に準えた伝承でもあるようだ。
そしてこの願行寺には、「幽霊が描かれた掛け軸」も伝わる。こちらも特別に見せていただくことが叶った。
「あまり怖い顔し顔はしてないでしょ。恨みつらみのこもったような表情ではなさそうですよね」と言いながら、するするとほどいてくださった和尚さん。
娘を案じて墓前に現れた母菊の姿が投影されるからか、不思議と恐れは感じなかった。
「この寺に幽霊のお話があると聞いて、江戸時代頃に寄付されたものではないでしょうか」と和尚さん。交易が盛んであった時代にもたらされた絵画であるようだ。大阪・堺から長崎に向かう船の寄港地になるなど、大島が商業港として栄えた江戸時代頃に伝わったもので、当時の流行画だったのではという。
この幽霊画、かつては島の文化祭で片袖と一緒に境内に展示されていたこともあったそうだ。一般的な「怖い幽霊」とは違い、これほど島の人たちに親しまれている幽霊も珍しいだろう。先祖供養の大切さを説く「幽霊の片袖伝承」とともに、願行寺に代々伝わってきた一幅だ。
でも、なにしろ「幽霊の絵」である。これまでに怖い体験はなかったのだろうか。
和尚さんに訊ねてみると……「夜中になにやらゴトゴトと騒ぐので、何かと思ったら野良猫たちでした(笑)」と微笑ましいエピソードが飛び出した。「恐れ」は、ときに憎しみや争いを生むが、それは己の心がつくり出す幻想のようなものかも知れない。
願行寺
〒792-0891 愛媛県新居浜市大島114
http://otera.jodo.or.jp/temple/41-002/
※「幽霊の片袖」や「幽霊画」等を拝観の際には、願行寺へ事前のご連絡を。
寺田真理子
ライター、デザイナー、動植物と自然を愛するオカルト・ミステリー研究家。日々キョロキョロと、主に四国の謎を追う。
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