夏の夜のタクシー幽霊譚…意外すぎる乗客とその行く先/妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

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    講談の世界でも「冬は義士、夏はお化けで飯を食い」などというように、夏のお話といえば怪談! なかでも「タクシーの幽霊」は定番中の定番ですが、そこはいかにも妖怪補遺々々らしい斜め上なお話を紹介しよう。

    タクシー怪談

     ひと気のない夜道を走る、1台のタクシー。
     舗装された道から未舗装の道に変わると、節くれだった木々の影が視界の左右から迫り、跳ねた小石が車体に当たる音が聞こえだす。
     ヘッドライトの先端が、ひとり佇む女性の姿を闇の中から浮かび上がらせる。
     こんな時間に、こんな場所で、たったひとりで荷物も持たず、いったい、あの女性は何を――あっ。
     手を、挙げている。
     乗るのか……。
     女性の前で車を止めてドアを開けると、するりと乗り込んだ。
     俯き加減の女性は低い声で目的地を告げると、そこからはもう、何も話さなくなる。
     息をしているのかも疑わしい沈黙に耐え切れず、運転手は声をかける。
     が、返事はない。
     寝ているのか? 窓のガラス越しに女性の様子をうかがう。
     ガラスに、女性客の姿は映っていない。
     車を止めて、恐る恐る振り返る。
    ――そんな……ばかな……
     たしかに乗せたはずの女性の姿が、忽然と消えている。
     そして。
     彼女の座っていた後部座席は、ぐっしょりと濡れていた。

    「タクシーに乗る幽霊」の話は、あまりに有名な怪談です。
     自動車という完全な個室に、どこのだれかもわからない人とふたりきり。怪談が生まれるシチュエーションとしては最高です。

     乗り物と幽霊の相性はとても良いようで、このような怪談は、古くは駕籠や人力車などの走っていた時代からあるようです。
     よく聞くのは、乗ってきた客が幽霊だったという話ですが、乗り物も幽霊だったという例もあります。「朧駕籠(おぼろかご)」という言葉があり、これはぼんやりと霞んで見える駕籠のことで、幽霊などが乗っている幻の駕籠を指す言葉なのだそうです。

     池田弥三郎は『日本の幽霊』で、東京のタクシーには車中に人形を下げている車が多く、気になって運転手に理由を訊ねた、というエピソードを書いています。
     そこで語られた人形を下げる理由はふたつ。ひとつは、「運転手のいない自動車」とすれ違うことがあるからだといいます。この無人の車と出遭うと、2、3日中に事故を起こすのだそうです。人形を下げるのは、魔除けの意味だといいます。
     もうひとつの理由は、深夜の営業をしていると、幽霊を乗せることがあるから――。

    「乗り物の形の怪」については、またの機会にご紹介するとして、今回は「乗り物に乗ってくる怪」のお話をします。やはりタクシーがいいでしょう。
     それも、ちょっと変わった「乗客」のお話をご紹介いたします。
     実に「妖怪補遺々々」らしい1話です。

    シートを濡らすもの

     タクシーの運転手をされていた、Sさん(当時32歳)の体験談です。

     昭和42年、夏。
     その日の15時ごろ、勤務中だったSさんは、人で溢れかえる新宿を走っていました。
     急に異様な肌寒さを感じ、車内の冷房が利きすぎているのだろうと、冷房装置を切りました。その時、嫌な予感がし、後部座席を振り返りました。
     まだ客を乗せていないのに、乗っているような、そんな気がしたのです。気のせいかと思いましたが、どうも後ろが気になってしょうがない。しかも、冷房装置を切っているのに車内はどんどん寒くなり、寒暖計は15度を示し、まだ下がり続けます。
     これはおかしい。気味が悪くなったSさんは車を止めようとしますが、なぜかブレーキが利きません。タクシーは信号を無視し、何かに操られるように全速力で甲州街道に入り、山梨方面に走り続けます。Sさんは恐ろしさと寒さで気を失ってしまいました。

     数時間後、Sさんが目を覚ますと、車は広い野原の真ん中に止まっています。
     夕暮れ時で空は赤く、見覚えのある山の影が稜線を描いています。
    ――富士山です。
    「おどろかして、すみません」
     突然、女性の声が車内に響きます。
    Sさんは驚いて周囲を見回しますが、人はいません。
    「後ろの座席です」といわれ、後部座席を見ると――やはり、人はいません。
     人はいませんが、奇妙なものがシートにのっています。
     大きさが50センチほどの、青く、四角いもの。
     それは、氷の塊でした。
     氷の中心は黄色い光を放っています。
     この氷は運転手に語りかけ、自分は氷の精霊だといいました。
     今日の朝まで新宿の地下で眠っていたが、ビル工事のために掘り起こされてしまい、氷が溶けて苦しんでいたところ、通りかかったSさんの車に飛び込んだのだそうです。
    「これから富士山の奥底にある精霊の国に帰ります」
     そういうと氷の塊は消え、Sさんは急激な睡魔に襲われました。
     
     うるさい喧騒のなかで目を覚ますと、そこは新宿の裏通り。夜になっていました。
     夢でも見ていたのだろうかと振り返ると。
     後部座席はびっしょりと濡れており、1万円札が5枚、置かれていました。

     これは『まんが王』(1970年 秋田書店)の付録冊子『ビッグマガジン №7 妖怪』にある怪談です。不思議な体験をした人たちに話を聞いた《体験記録集》とあり、実際に体験者から取材されたものか、そういう体で書いた創作怪談の企画なのかはわかりません。
    「氷の精霊」が精霊の国に帰るため、運転中の車を操り、氷の塊が人の言葉で話しかけ、最後に運賃を支払うという、予想の斜め上以上をいく内容です。
     体調を崩して気を失った体験者の見た夢か、本物の精霊遭遇譚か、あるいは執筆者の創作であるかはわかりませんが、この話に登場するものも「タクシーに乗ってきた霊」なのです。

    参考文献
    『ビッグマガジン №7 妖怪』 『まんが王』1970年・付録
    今野圓輔『日本怪談集〈幽霊篇〉』
    池田弥三郎『日本の幽霊』

    (2021年8月4日記事を再編集)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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