「先代旧事本紀大成経」事件の裏面史・伊雑太神宮の謎/菅田正昭
天照大御神が鎮座する、伊勢内宮の別宮、伊雑宮(いぞうのみや)の分社が、江戸の市中にあった! それはいつ、どのような目的で祀られたのか? 隠された歴史の真実に迫る。
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謎の神アラハバキとは、人間を神へと高める守護神だった? そしてその信仰の原点には、縄文時代の呪術の存在がみえてきた!
(前回から続く)
なぜ「はばき」が武勇の象徴なのか。それは、それこそ義経に関係した言い伝えにヒントがある。「弁慶の泣き所」という、有名な言葉があるが、それは脛のことだ。いかなる怪力無双の豪傑でも、鍛えにくい急所、それを防護するのが「はばき」なのである。
我々が日常口にする「アキレス腱」という言葉も、同様の神話伝説に基づく名称である。ギリシア神話で神懸った強さを見せた英雄アキレウスの急所が、かかとだったのだ。若干部位は異なるものの、いかなる英雄であっても下腿部が急所というのは、洋の東西を問わない、古代からの認識であった。
また、北欧神話の英雄ジークフリートなども、足ではないものの一ヶ所だけ弱点があって、それを狙われて殺されたと伝わる。無敵の英雄の、ただ一ヶ所の弱点が、逆説的ながら、無敵の英雄のシンボルでもある。それが「弁慶の泣き所」であり、「アキレス腱」なのだ。
そして、完全に近いながらも、不完全なその一点を補う、ジグソーパズルの最後の1ピースのようなものがあれば、それは本当に完全になり、「神」の領域に達する。その最後の1ピースこそが「はばき」であり、英雄を神たらしめる神器なのだ。完全無欠に近い英雄の、唯一の弱点を守り、神へと高めるもの、それが「はばき」なのである。
こうなって来ると、アラハバキという謎の神の神格も、姿が見えてくる。
アラハバキは足の神として信仰されていて、それは「はばき」による語呂合わせのような説明がなされることがあるが、そうではなく、最初から足の神なのではないか。無敵の英雄の弱点たる足を守り、英雄を神たらしめる武神、それがアラハバキなのではないか。
そうであれば、「アラ」というのも、単純に「荒」の意ということになるだろう。「荒」は、弁慶のような怪力無双の者を「荒法師」というように、武勇を示す言葉である。また「荒御魂」のように、非常に強力な神の霊力を形容する際にも用いられる。英雄の弱点の足を守り、武威を発揮する神、それがアラハバキなのだ。
そして、ここまで来ると、アラハバキの神格を示す「英雄と脛」という組み合わせと直結する、一人の神話的人物を思い出さずにはおれない。それは冒頭近くで述べた長髄彦である。長髄彦は一度は神武天皇を破った、神懸った武勇を誇る人物であり、長い脛というのは「巨人」のような意味合いを持つ、武勇を示す言葉ともいう。
アラハバキは漢字で「荒脛」と表記することがあるが、それと「長髄」とは、漢字だけ見ても、意味するところはさして変わらない。またその神話的意義を詳しく見ても、足において神性が顕現する英雄・長髄彦と、英雄の足を守る事で神性を発揮する神・アラハバキは、極めて近似していると言える。
先に、学術的には偽書である「東日流外三郡誌」に、長髄彦が津軽へ逃れたと書かれていると述べたが、実は、長髄彦や、その兄または同一の存在とされる安日彦が、津軽へ逃れたという伝承は、鎌倉時代〜室町時代に成立したとされる「曽我物語」に既に書かれている。それも、その場所は「外ヶ浜」、つまり陸奥湾西部沿岸から津軽半島東部沿岸にかけての地域で、まさに松尾神社の鎮座する場所も「外ヶ浜」なのだ。
陸奥一の宮である宮城県塩釜市の鹽竈(しおがま)神社も、江戸時代に書かれた「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)」によれば、陸奥国に逃れて塩を焼いて民に施した長髄彦が祭神だという。先代旧事本紀大成経は幕府により偽書・禁書とされ、現代でも学術的には偽書だとされているが、長髄彦が東北に逃れたという話が「東日流外三郡誌」よりずっと古くからあったということは間違いない。それも、東北一の大社と言うべき神社の祭神という話として。
ここにおいて、義経の「はばき」を祀るというアラハバキ明神こと松尾神社は、本当は東北、津軽へ落ち延びた長髄彦、あるいは長髄彦の「はばき」を祀っていた可能性が浮上してくる。実際に長髄彦が落ち延びたかどうかは別として、そのように信じられていた長髄彦を。それが、後世義経と習合し、伝説が上書きされたのではないか。
江差の小山権現も、アラハバキを祀るとは言われておらず、アラハバキの名を冠してもいないが、菅江真澄が連想するほどに由緒が酷似しており、これも元はアラハバキであった可能性がかなりある。そして即ち、長髄彦であった可能性もあるのだ。
アラハバキが長髄彦であったなら、三河から蝦夷地まで、広い範囲で信仰されていてもおかしくはない。長髄彦は大和に住んでいたのであり、記紀神話では、物部氏の祖神・饒速日命(にぎはやひのみこと)の義理の兄となっている。つまり物部氏の母系の祖先は長髄彦の妹なのだ。
物部氏であれば、日本中、東国や東北にも進出している。ただ、あくまでも母系である上に、天皇に逆らって討たれたという由緒を持つ、あまり大っぴらに出来る信仰でもないので、アラハバキという似た意味合いの言葉に変えて、隠れるようにして信仰した。そのようなことであれば、細々とのみ残るという現状にも納得がいく。
また、中世に津軽や蝦夷地を領有した安東氏(後に秋田氏に改姓)は、長髄彦を祖とする伝承を持っている。外ヶ浜も江差も、古くは安東氏の領地であった。それならば、尚更長髄彦の信仰があって不思議ではない。いやむしろあるべきであろう。先述の「先代旧事本紀大成経」において長髄彦を祀るとされている鹽竈神社の神主の中には、安東氏がいた記録もある。なお、安東氏は前九年の役で滅びた古代東北の豪族・安倍氏も祖としており、安倍氏は義経の庇護者・奥州藤原氏の母系の祖である。
そして、アイヌとの接触が極めて多い氏族であり、混血や「プレアイヌ」の存在を考えるなら、安東氏自体の出自が半ばはそうであった可能性もある。そうであれば、アイヌが類似の信仰を持っていても不思議ではない。時代や場所によって、義経や小山隆政、あるいはオキクルミと習合したのが、アラハバキなのではないか。しかしてその正体は、「はばき」が守る場所をその名に持つ英雄・長髄彦。あるいは、それすらも習合の結果であって、それよりも遡る、足をシンボルとする、太古の武神なのかもしれない。
アラハバキが太古の武神だとしたら、「東日流外三郡誌」が示す、遮光器土偶はその神像、というようなことも、見直してみる必要もあるだろう。宇宙服説さえ唱えられた複雑な文様は、鎧兜のような防具ともとれる。シンボルである遮光器は、そのまま防具としての用を成すだろう。
縄文時代は争いが少なかったとされるが、全くなかった訳ではないし、遮光器土偶が制作されたのは縄文晩期である。気候は寒冷化し、弥生時代の萌芽として、食糧争奪戦が始まっていた可能性もある。
さらに言えば、遮光器土偶の中でも最も有名な亀ヶ岡遺跡から出土したものは、片足がないのである。これは、「弁慶の泣き所」「アキレス腱」のような、唯一の弱点というわずかな不完全性をもって、逆説的に完全に限りなく近い英雄の神性を表現する、ということと一致する。
もちろん遮光器土偶には両足揃ったものもあるが、土偶は一部が破損しているものが非常に多く、これは身代わりや豊穣祈願等の為、呪術的な意図をもって行われた、という説明がよくなされる。その「身代わり」という発想と、唯一の弱点を守ってもらう、という発想は、極めて近い呪術的意図である。アラハバキの原点は、土偶破壊の呪術にあるのかもしれない。
そこまで考えるなら、アラハバキは、そのような名でなかったとしても、そもそも縄文時代から北海道でも信仰されていたことになる。そして義経と習合したオキクルミも、もとは長髄彦引いてはアラハバキかもしれず、義経北行伝説も長髄彦北行伝説を下敷きとしたもので、そもそも、アラハバキ自体が、激動の縄文晩期〜弥生早期に、縄文文化が東北北部と北海道を残して消えていく「北行」のなかで誕生した神なのかもしれない。
高橋御山人
在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。
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