アラスカに出没するロシアの幽霊「黒服の貴婦人」は何者なのか!? 背景にある悲劇の物語

文=仲田しんじ

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    アメリカ国内で、なぜかロシア人女性の幽霊が出没しているという。この意外な組み合わせの背後にある悲哀の“ゴースト・ストーリー”とは――。

    アラスカに伝わる悲劇のゴースト・ストーリー

     アメリカ合衆国の一部としてのアラスカの歴史は1867年に始まるが、アラスカを発見して最初に開拓に着手したのはロシア人である。そのため、ロシア帝国は1733年から1867年まで北米地域の現在のアラスカを「ロシア領アメリカ(Russkaya Amerika)」として領有していた。

     ロシア領アメリカの首都が置かれていたノヴォ・アルハンゲリスクは現在のシトカ(Sitka)市であったのだが、この時代、この一帯には数々の不思議な民間伝承が語り伝えらえており、超常現象研究家にとっての宝の山であるという。

     シトカに伝わる都市伝説に着目したジェームズ・デヴェローは、2016年の著書『Spirits of Southeast Alaska: The History & Hauntings of Alaska’s Panhandle(アラスカ南東部の霊たち:アラスカのパンハンドルの歴史と幽霊)』で数々のストーリーを詳しく紹介している。

    『Spirits of Southeast Alaska: The History & Hauntings of Alaska’s Panhandle』 画像は「Amazon」より

     著書では旧ノヴォ・アルハンゲリスクの「バラノフ城」にまつわる都市伝説も紹介している。この城はロシア領アメリカの初代総督、アレクサンダー・バラノフの邸宅で、建物自体は1894年に火災で焼失した。しかし、この場所に出没するという「ロシアの貴婦人」の幽霊についての話は当時から語り伝えられ都市伝説となっている。

     1883年8月22日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事「アラスカの幽霊の物語」では、遺棄された城に住み着いた幽霊の物語を紹介している。地元住民によると、真夜中に現れる神秘的な“貴婦人”は長く黒いローブを着ており、額、首、手首をダイヤモンドの装飾品で飾っていたという。

     同紙は「彼女は白く美しい両手を組み、部屋から部屋へと悲しげに彷徨い、歩くたびに野バラのほのかな香りを残した」と書いている。

     美女の幽霊が出ると噂を聞きつけた海軍の将校たちの中には、好奇心と肝試しであえてバラノフ城で一夜を過した者もいたが、この貴婦人の幽霊に接触できた者は一人もいなかった。

     地元では、この「黒服の貴婦人」は、かつてその美しさと優雅さでシトカで有名だったロシア総督(何代目の総督であったかは諸説ある)の娘だと考えられているという。

     この少女は自分の意志に反して、愛していない男性と政略結婚させられたというが、結婚式の初夜に失踪し、不幸なことに死体で発見されたのだった。この少女が幽霊となって今もバラノフ城をさまよっているというのである。

     一説では彼女は自殺を図ったといわれ、また別の説では、政略結婚を知って絶望した恋人(商船の船員)によって殺されたともいわれている。

    バラノフ城 画像は「Wikimedia Commons」より

     さらには、ロミオとジュリエットばりの悲哀のゴースト・ストーリーも伝えられている。

     デヴェローによれば、少女は士官候補生の若い軍人と相思相愛の恋に落ちていたという。

     この時代のロシア帝国には、すでに革命分子が社会の随所に潜んでおり、よりによって少女の恋人である若い軍人にも革命分子の嫌疑がかけられていたのだ。それを知った総督は、娘の交際に反対していたのである。

     愛を深め合う2人の仲を引き裂くべく、総督は軍に根回ししてこの若い軍人を遠征艦隊のメンバーに加えてアラスカから追い出した。

     失意に沈んだ少女であったが、政略結婚の結婚式当日、遠征艦隊が港に帰港した。これを知った少女は披露宴の会場から逃げ出して港へ向かった。若い軍人もまた陸に降りてからすぐに少女を追い求めた。そして奇跡的に2人は再開を遂げる。

     抱き合って喜ぶ2人であったが、少女は自分たちの状況が絶望的であることを深く悟っていた。少女は若い軍人が腰に下げていた短剣を引き抜くと、刃先を自分の胸に向けて突き刺したのだった。

     信じられない出来事に打ちひしがれた青年は、すぐに少女の手から短剣を奪い、同じく自分の胸に突き刺した。こうして2人は川のほとりで悲劇的な最期を遂げたのだった。

     恋人たちは抱き合ったままの状態で埋葬されたといわれている。そして、それ以来「黒服の貴婦人」の霊がバラノフ城の周りをさまよいはじめたという。

     物語のいくつかのバージョンでは、少女は恋人を探しているかのように手にロウソクまたはランタンを持っていると描写されている。また、美女の幽霊の胸は血にまみれており、姿を消す前にはひどい痛みからくる断末魔の叫び声を上げるという。民間伝承によると「黒服の貴婦人」は半年に一度、旧バラノフ城の北西部に好んで姿を現すということだ。

    画像は「Pixabay」より

    「黒服の貴婦人」とは誰だったのか

     このように「黒服の貴婦人」は初代総督、アレクサンダー・バラノフの娘であったというのが通説になっているが、極地探検家のフレデリック・スヴァトカは、この都市伝説は1830年から1835年までの第6代総督、フェルディナンド・フォン・ランゲル男爵の時代のものであると指摘している。

     また、1906年に発行された「ボストン・アラスカン」紙によると、この血なまぐさいドラマは、アラスカがマトヴェイ・ムラヴィヨフによって統治されていた1826年の春に起こったという。

     幾人かのジャーナリストらは、ムラヴィヨフの姪であるオルガ・アルブゾワ王女、若い士官候補生デメトリアス・ダビドフ、老ワシリエフ伯爵の名前をこの物語の登場人物として挙げているが、ロシア領アメリカの歴史研究者でそのような人物について言及している者は一人もいない。

    かつてバラノフ城があった現在のキャッスルヒル 画像は「Wikimedia Commons」より

     伝説自体にも多くの矛盾がある。たとえば、ロシア貴族の結婚式の衣装は常に白装束であったため、なぜ不幸な花嫁の幽霊が黒いローブを着ているのかは謎である。

     ただし、物語のいくつかのバージョンでは、幽霊は「青い服を着た女性」とも呼ばれている。暗闇の中では服の色を判別するのは簡単ではなく、青に見えたり黒に見えたりしていても不思議ではない。さらに、幽霊が出現すると不思議なことに辺りの明かりは消えるという。

    「黒服の貴婦人」のプロットは政略結婚によって引き裂かれた恋人たちの悲劇を描いたウォルター・スコットの小説「ランメルモールのルチア」の影響を受けている可能性も指摘されている。この物語全体が、19世紀後半のタブロイド紙の娯楽読物のストーリーであった可能性もなきにしもあらずだ。

     しかし、たとえそうであったとしても、この美しい幽霊の伝説はやがて都市伝説となって人々の間で語り継がれることになった。ちなみに「黒服の貴婦人」の死亡推定日が3月18日であり、バラノフ城が焼失したのが1894年のこの日だったという事実もある。

     この伝説の信憑性は微妙であるにもかかわらず、今もシトカ市の旅行ガイドたちは観光客に「黒服の貴婦人」の墓を案内し、その物語を語り伝えている。そして、この物語はロシアとアメリカの意外な歴史的接点に気づかせてくれるものでもあるだろう。

    参考映像 YouTubeチャンネル「Top 5 Scary Videos」より

    【参考】
    https://anomalien.com/the-lady-in-black-the-story-of-a-russian-ghost-in-alaska/

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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