予言獣、巨大獣、一切不明の怪奇生物……海からやってくる怪獣たち/鹿角崇彦・大江戸怪獣録
江戸時代、謎の怪獣は島国ニッポンを取り囲む海からも続々と上陸していたのだ。各地で目撃された、海棲怪奇生物の正体とは?
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2月といったら節分、節分といったら豆、豆といったら小豆、小豆といったら小豆洗い! と、マジカルバナナ風連想で、メジャー妖怪の登場です。しかしそこは黒史郎、なんとオランダ産を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
2月の行事といえば節分です。
昨年は、節分の夜に「尻を撫でる」妖怪について書きました。今年も同じテーマでいこうと考えましたが、「撫でる」系は前回の『妖怪補遺々々』でもやってしまったので、今回は「豆」というキーワードから入っていこうと思います。
名称に「豆」が付く妖怪で、知名度があって伝承が広く分布されているのは、「小豆系」ではないでしょうか。
【小豆洗い】【小豆投げ】【小豆とぎ】【小豆さらさら】【小豆ばばあ】——小豆を洗ったり投げたりする(ような音をさせる)怪しいモノたちです。
日本の代表的な妖怪のひとつといってもいい存在ですが、次にご紹介するのは「オランダ産の小豆洗い」です。
栃木県佐野市上羽田町にある曹洞宗の寺院、龍江院。
山門を入って左手に観音堂があり、そこに徳川初期から大正末期まで観音像と一緒に安置されていた「カテキ様」という木像がありました。
この木像は【アズキとぎ婆】と呼ばれて、恐れられていたそうです。
夜になると、観音堂の中から「ザッザッ」と小豆を研ぐような音がすると噂されていたからです。
こんな話があります。
月もない暗い夜、川のほとりを通りかかった村人が、「ザザァー ザザァー」と小豆をとぐ音を聞きました。こんな夜中にだれだろうと河原に下りていくと、暗闇の中に小豆を研いでいる銀髪の老婆がおります。
びっくりした村人、怪しみながらじっくり見ますと、なんとその老婆は、村のお堂にある「カテキ様」だったーーというお話です。
この村では、子どもがいうことを聞かないと「アズキとぎ婆がやってくるぞ」と脅かしたといいます。
また、「カテキ様」は音をさせるだけでなく、夜な夜な【むじな】に化け、村の中をうろついて村人をだましたり、「チャンピロリン、チャンピロリン」と歌ったりもしたそうです。
【むじな】に化けているとき、村人たちに鉄砲で撃たれたため、木像の腰には小さな弾痕が残っているそうです。
「カテキ様」は、頭巾を被った姿の異人像で、約400年前、龍江院に納められました。
どこのどなたを模った像なのか、初めはわからなかったそうです。
龍江院住職・大沢雄鳳が1979年に書いた案内書によりますと——。
栃木県の考古学者・丸山瓦全は、「カテキ」の意味はカトリック教の教理を問答式に書いた「カテキスム」、あるいは問答を行う役僧の「カテキスタ」から来ているという説を唱えています。
しかし新村出博士は、中国の伝説にある船の発明者とされる「貨狄尊者(かてきそんじゃ)」のことだという説を唱えておりました。
謎多き異人像「カテキ様」。
これはいったい、どういう意味をもつものだったのでしょう。
その正体は、大正15年に判明します。
大正13年のクリスマスから2年間、バチカン市で開かれた「世界の宗教博覧会」に、この「カテキ様」の写真が「在日本キリスト教聖人像」として出品されました。
ここで注目を浴びたことがきっかけで、この木像のモデルがオランダの人文学者「デリウス・エラスムス・ロッテルダムス」であると判明したのです。この木像が手に持つ巻物に、「R……TTE……M……」と書かれており、それが彼の名だと判読されたからです。
また、そもそもはオランダ船「リーフデ号」の船尾飾であったこともわかりました。
同船は1600年に現在の大分県臼杵市の黒島に漂着しました。船員は病などで6人が死亡、通訳により海賊船だと吹聴され、船長と船員は捕らえられてしまいます。このときに、船尾飾の「エラスムス像」が臼杵城の城主・太田一吉(おおたかずよし)の手に渡ったという説があります。
その後は武将・牧野成里(まきのしげさと)の息子・成純(しげすみ)によって、彼の菩提寺である龍江院に納められたのだそうです。
ただ、「リーフデ号」が漂着したのは大分県臼杵湾ではなく、佐伯湾だったのではないかという説もあります。考古学者・丸山瓦全の記録にそのような記述があったそうですが、同氏の邸宅は火災で全焼し、その際、貴重な記録はすべて焼失したと考えられています。
「カテキ様」=「エラスムス像」はオランダ政府から買い取りの申し入れがあるほど貴重な物だったそうで、昭和5年に国宝に指定され、昭和25年に重要文化財に指定されて、現在は東京国立博物館の収蔵庫に保管されています。
また「リーフデ号」の像が東京の丸ビル(丸の内ビルディング)に建っております。八重洲という地名は、同船に乗っていた貿易家「ヤン・ヨーステン」からきているそうです。
さて、「カテキ様」のお話は、これで終わりではありません。
舞台は、神奈川県へと移ります。
オランダ船「リーフデ号」の船尾飾だった「エラスムス像」は「カテキ様」と呼ばれ、いつしか【アズキとぎ婆】や【むじな】に化け、人々を脅かしました。
そうなると気になるのは、艦首飾の存在です。立派な船尾飾があるなら艦首にも飾りの像があったはず。
それについて語られている記述が、昭和10年4月21日発行『東京朝日新聞』にありました。
神奈川県横浜市鶴見区の潮田。ここはかつて漁師村でした。
何百年も前のこと。ある日、この村の漁師がひとりで漁に出ると、難破したオランダ船を見つけます。その船首には見事な彫刻がほどこされている像があり、漁師は苦労してこれを船から取り外すと、持ち帰って家で珍蔵していました。
その後、漁師の家では不幸が相次ぎました。
ひとり、またひとりと死に、その家の人たちは死に絶えてしまいます。
すると船首像は同じ町内の別の家に引き取られました。しかし、これを所有した家では病人が出るなどの不幸が降りかかるため、像は所有者を転々とします。船を所有していたオランダ人の「お化け」の祟りであろうと恐れられ、問題の像は潮田の長光寺に納められることとになりました——。
この「伝説」にピンときた人物がいました。東京在住のオランダ人研究家です。彼は潮田で見つかった像こそ、「リーフデ号」の船首像なのではないかと考えたのです。
彼はさっそく、「呪いの船首像」が納められたという長光寺の住職に問い合わせました。
そして、衝撃の事実を知るのです。
船首像は確かに実在していました。
しかし、「お化けが寺に乗り移った」と噂が広まることを恐れた住職が、10年ほど前に焼いて、寺の墓地に埋葬してしまったというのです。なんてことでしょう!
しかし諦めきれません。許可をもらって墓地から掘り出してみると、炭の固まりのような大頭と、人より少し小さい半焦げの胴体が見つかったそうです。
調べたところ、大きさ、彫刻の手法、木質、古さなどが「カテキ様」ーー「エラスムス像」と同一なので、「リーフデ号」の船首像であるという可能性は十分あるとのことです。
残念な結果となりましたが……一隻の船の〝頭〟と〝尾〟を飾る像、それが小豆を研いだり、人々を祟ったりしたのかと想像すると、とても面白いですね。
【参考資料】
「妖怪変化の話」『佐野市史 民俗編』(佐野市史編さん委員会)
宮下良明「エラスムス像は語る」『佐伯史談』154号(佐伯史談会)
「オランダ船リーフデ号の雹着地は何処?」『佐伯史談』154号(佐伯史談会)
『東京朝日新聞』昭和十年四月二十一日発行
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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