朝廷に討たれた麗しき鬼の悲劇! 岩手県奥州市「人首」の鬼伝説/高橋御山人
人の首と書いて「ひとかべ(ひとこうべ)」。物騒に思える地名には。地元を守った美しい鬼少年の伝説があった。
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その昔、日本に飛来した「塵輪(じんりん)」と呼ばれる鬼を天皇が弓矢で征伐したとされる伝説。中国地方各地を巡り、その背後にある真実を探る!
山口県下関市。本州と九州を隔てる狭い海峡・関門海峡に面したこの街は、幕末にはイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国艦隊と長州藩の間で下関戦争が起き、日清戦争後には下関条約が締結されるなど、国際的な争乱と深い関わりのある街でもある。
そんな下関の、関門海峡の北東あたりに、長府の街がある。高杉晋作が挙兵した功山寺があり、維新回天の地として知られるが、その地名は、古代に長門国の国府が置かれたことによる。国府の場所は特定されていないが、長門国二宮・忌宮(いみのみや)神社の付近とされている。
忌宮神社は、第14代仲哀天皇が、熊襲征伐の際に営んだ、豊浦宮(とゆらのみや)の跡とされている。仲哀天皇は、その後九州で神託を疑った為に崩御。神功皇后がその遺志を継いで熊襲、さらに朝鮮半島の新羅をも征伐して、帰途、宮跡に仲哀天皇を祀ったのが始まりという。この豊浦宮や神託と崩御、神功皇后の征伐は、古事記や日本書紀にも載る話だが、忌宮神社には、記紀にはない独自の話も伝えられている。
仲哀天皇が豊浦宮に滞在していた時、新羅より渡来した塵輪(じんりん)が、熊襲を煽動し攻め寄せた。皇軍は大いに戦ったが、配下の武将・阿部高麿(たかまろ)・助麿(すけまろ)まで討ち死にするに至り、天皇自ら弓矢をとって、塵輪を射倒した。そうして賊軍は退散、皇軍は喜んで塵輪の屍を踊り周り、首を埋めて石で覆った。塵輪の顔が鬼のようだった為、鬼石と呼ばれたその石は、今も社殿の真正面下段にあり、まるで神社自体が塵輪を封印しているかのようだ。
また、勝利の際の踊りは、鬼石を踊り周る「数方庭祭(すほうていさい)」の起源とされている。さらに、一月には全国の神社で、弓矢で的を射る奉射祭(ぶしゃさい)が行われるが、忌宮神社では特に重視され、仲哀天皇の故事にちなみ、宮司自ら奉製した弓矢を引く。鬼石と神事によって示される塵輪征伐の神話は、神社がその存在そのものを以て語るかの如くだ。
そしてこの神話は、下関だけでなく、中国地方に広く伝わっている。その一つが、岡山県瀬戸内市、旧牛窓町(うしまどちょう)の伝説だ。黒雲に乗って八つの頭を持つ塵輪鬼がこの地に飛来、行軍中の仲哀天皇と相討ちとなる。その後、新羅征伐の帰り、神功皇后が船でこの地を通ると、塵輪鬼が巨大な牛の姿をした、牛鬼となって襲い掛かるが、住吉明神が投げて倒した。その為この地は牛転(うしまろび)と呼ばれ、後に訛って牛窓となった。また、海に落ちた牛鬼の遺骸は、いくつかの島々になった、という。
牛鬼は近畿から瀬戸内にかけて広く伝わる、水に関係した恐ろしい妖怪で、愛媛県の宇和島市周辺では、神聖視され祭礼にも登場するが、いずれにしても大暴れする存在であり、その点で塵輪との共通性もある。なお、牛窓の伝説は「備前国風土記逸文」にも載るが、江戸時代の文献に引用されたものしかなく、古代の記録としては疑わしい。
もう一つ、塵輪を語る上で避けて通れないのが、島根県西部、旧石見国で広く演じられる石見神楽だ。「塵輪」はその演目の一つで、仲哀天皇、高麻呂、そして白鬼・赤鬼二体の塵輪によって演じられ、舞台を周りながら激しく踊る。また仲哀天皇は、天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽々矢(あめのはばや)を武器とするが、これは記紀神話において、高天原より出雲に派遣された天若日子(あめのわかひこ)が授けられたものである。
石見神楽は、老若男女を問わず石見の人々に非常によく親しまれており、塵輪はその定番中の定番の演目である為、石見ほど塵輪という存在が身近な地域もない。それには、石見が日本海に面した、東西に長い国で、新羅──朝鮮半島から鬼が飛来するという伝承にリアリティを感じる、地理的な要因も手伝っていると思われる。
塵輪神話が載る最古の文献は、鎌倉時代に成立したとされる「八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)」だ。その筋書きは、概ね忌宮神社の伝承と同じである。この書物は、八幡神の霊験を説いたものだが、元寇の記録が載る事で名高い。外国の脅威に対する霊験を説くのがこの書物の趣旨であり、その冒頭にあるのが塵輪神話なのだ。
牛窓のある岡山県にしても、桃太郎が退治した鬼のルーツと言われる温羅(うら)は、百済の王子と伝えられる。その居城とされている鬼ノ城は、白村江で唐・新羅連合軍に敗れた朝廷が、必死になって九州から近畿にかけて築いた、朝鮮式山城の一つである。中国地方は、古代から外国の脅威を身近に感じる場所であった。
その脅威に対する思いは、塵輪という存在に収斂されて行った。そして、神社がその存在をかけて伝えようとするかのような忌宮神社が、近代の夜明けに西洋の艦隊から砲撃を受けた下関に鎮座することは、実に象徴的である。
高橋御山人
在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。
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