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姥尊(富山県立山町・閻魔堂)
越中(現富山県)立山信仰の拠点として知られた芦峅寺集落。
人気の途絶えたその一角に、閻魔堂と呼ばれる小堂があった。
わずかな灯りに目をこらすと、正面には朱塗りの閻魔王坐像。その背後には、亡者を裁く冥府の神々が控えている。それらの堂々たる忿怒の表情を拝むべく近づくと、やがて暗がりに端座する〃老婆〃の存在に気づき、はっとさせられる。
姥尊(おんばさま)の像という。
そのもっとも古そうな像は、真っ白なサラシの浄衣をまとい、片膝を立てて前方を見据えていた。彩色も剥げ、剥き出しの木肌も傷みが激しい。大きく見開いた玉眼は、重篤な白内障を患ったかのように白濁し、開いた口は何ごとか言葉を発しているようだ。
この像は何を見据え、何を語ろうというのか――。
老醜を極めたような凄まじい容貌を前に、たじろいでしまうばかりだった。
閻魔像と同席するさまから、地獄絵巻に描かれる〝三途川の奪衣婆〟を連想させるが、そうではないという。ただし、立山信仰独自の尊容だといわれる一方で、その由来ははっきりとしていないらしい。
「山の神は醜い女性とされるが、それを表現したものか、あるいは立山を開山した慈興聖人の母親の姿か、はたまた土偶のように縄文人の造形感覚を伝えたものとする説もある」(立山博物館・福江充氏)
はっきりとしているのは、地元の人が「おんばさま」とも呼ぶこの像が、本来、姥堂と呼ばれる別のお堂に安置されていたもので、そこで行われていた女人救済の神秘儀礼の本尊だったということである。
その「姥堂の秘儀」とは、およそ次のようなものだったらしい。
――死装束に身を包んだ女性らが、閻魔堂でさまざまな罪を懺悔し、戒文を授かったのち、目隠しをして出立。念仏を唱えながら白布の敷かれた布橋を渡り(その先はあの世だ)、真っ暗な姥堂に入る。そこで僧侶の念仏が小一時間続いたのち、東側の板戸が開かれ、夕日に照らされた霊峰立山のパノラマが眩しく目に焼き付けられる――。
それは、地獄から極楽浄土への転生を実感させる秘儀だったようだ。
山は古来、さまざまな産物を里人にもたらす場であると同時に、祖霊の鎮まる神域でもあった。山中他界の観念はやがて浄土思想と結びつき、立山は阿弥陀仏の鎮まる聖地となる。
他方で、古来女神とされた多くの山の神は、時代が下ると山姥(ヤマンバ)的な存在へと零落していった。
しかし立山の姥尊は、自然崇拝や祖霊信仰、地獄や極楽浄土の思想といったさまざまな信仰がクロスするポイントにみずからのポジションを得、女人を往生へと導く立山の地母神として君臨しているのである。
本田不二雄
ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。
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