タクシー幽霊と消えるヒッチハイカーと、帰ってくるおきくさん/朝里樹・都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 絵=本多翔

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    都市伝説には元ネタがあった。タクシー運転手がバックミラー越しに後を見るとそこには……。

    消えるヒッチハイカーとタクシー幽霊

     あるタクシー運転手が深夜にタクシーを走らせていると、暗い墓地の前でひとりの若い女が手をあげていた。運転手は気味が悪く思いながらも、人気のないこんなところに女性をひとり残していくのは気がひけたため、タクシーをとめて女を乗せた。
     そのまましばらくタクシーを走らせていたが、後ろからは声も聞こえず、ふと気になってバックミラーをのぞくと、なぜか女性の姿が鏡に映っていない。
     驚いてふりむくと後部座席に女性がいる。運転手は恐怖をいだいたが、何とか女性の家までたどりついた。
     女性は礼をいい、今は持ちあわせがないのですぐに持ってくるといって家へ入っていったが、いくら待っていても出てこない。仕方がないので運転手は車を降り、その家の戸をたたくと出てきたのは先ほどの女性とは別の人間だった。
     その人にわけを話すと驚き、そしてとにかくあがってくれと座敷に通された。そこでは通夜がおこなわれており、遺影にうつっているのはタクシーに乗せた女性だった。
     運転手が冷や汗をかきながら話を聞くと、彼が連れてきた女性はつい数日前に亡くなったばかりだったのだという。

    ーーよく知られるタクシー幽霊の話はこういったものだろう。
     ほかにも目的地につく前に乗せていたはずの客が消えており、その席がびっしょりと濡れていた、という展開であったり、乗せた乗客はしばらく前に亡くなっており、客を乗せた墓地にその客の墓があった、という話である場合も多い。
     全国各地を舞台にした怪談があり、特に東京都の青山墓地や京都府の深泥池みどろがいけを舞台にしたものが有名だ。

     また、東日本大震災後の東北地方では、被災地にタクシーを呼びとめる幽霊があらわれるという話が多く語られた。
     それによれば、幽霊は特定の地域にだけあらわれ、運転手に津波で流され、無人となってしまった場所を行き先に指定する。それを疑問に思い、乗せたはずの客がおらず、ほのかに海のにおいがしたのだという(宇田川啓介『震災後の不思議な話』)。

     こういった「タクシー幽霊」の話は1950年代にはすでに新聞に掲載されるなど広く知られていたようだ。
     さらにこの類いの幽霊は日本だけではなく海外にも出現している。そして海外では幽霊はタクシーを呼びとめるのではなくヒッチハイクをするため、「消えるヒッチハイカー」と呼ばれることが多い。
     アメリカの民俗学者であるジャン・ハロルド・ブルンヴァンはその名も『消えるヒッチハイカー』という著作を記している。この本が日本で訳された際、大月隆寛、重信幸彦ら民俗学者が「Urban Legend」という語を「都市伝説」と訳した。つまり日本で「都市伝説」という言葉が生まれるきっかけになった本でもある。
     そしてこの「消えるヒッチハイカー」はヒッチハイクをしている人間を車に乗せるといつの間にかその人間が消えていた、もしくは目的地で車を降ろしたところ、いつまでも帰ってこないため、捜しにいくと墓石にその人間が着ていたコートがかけられていた、など無数のバリエーションがあるのだという。
     また、この「消えるヒッチハイカー」の話は1800年代末にはすでに記録されており、自動車に乗る幽霊は日本よりも前に発生していたと思われる。

     しかし実は、日本においては江戸時代にはすでに「タクシー幽霊」につながる幽霊譚が語られていた。

    江戸時代の「帰ってくるおきくさん」

     1677年に刊行された怪談集『諸国百物語』にある「熊本主理が下女、きくが亡魂の事」がそれだ。話の内容は以下のようなものだ。

     熊本主理という人使いが荒く、残忍冷酷な男がいた。彼は飯の中に縫い針があるのを見つけてひどく怒り、きくという下女を呼びつけてだれに頼まれたのかと問うが、きくは縫い針を髪に挿していたのを落としてしまったのだろうと謝った。
     しかし主理はきくが嘘をついていると決めつけ、拷問の末に穴の中にきくを落として蛇を2、3000匹も入れた。
     このとき、きくの母親が呼ばれたが、きくは母親に、主理を7代に渡って恨むと約束して自ら舌を噛み切り、死んだ。
     その後、実際にきくの亡霊があらわれ、主理を祟り殺した。
     それから時がたち、主理は4代目の松平下総守となった。
     あるとき主理の屋敷から2里(約8キロ)ほどのところできくが現れ、馬子に馬を借りたいと申し出た。日暮れであるため馬子ははじめ断ったが、駄賃を増やすというため、彼女を乗せて主理の家まで連れていった。
     そこできくは屋敷へ入っていったため、駄賃をもらおうと馬子も屋敷へ入り、事情を話すと、屋敷の者たちは「いつものようにきくが馬に乗ってきたぞ。駄賃を払え」と告げた。それから4代目の主理も病みつき、やがてきくにとり殺されたという。

     このきくの幽霊は復讐のための移動手段として馬子を利用しているという前提はあるものの、馬子の前にきくがあらわれてからの展開は現代の日本のタクシー幽霊の話とよく似ている。

     また、日本では明治時代には人力車に乗ってくる幽霊の話が語られているし、鉄道が通ると電車に乗り、いつの間にか消えていてそのシートが濡れているというタクシー幽霊の電車版のような話も語られていた。
     乗り物に乗る幽霊は時代や地域を問わず普遍的に語られるものなのだろう。もしあなたが見知らぬだれかを自分が運転する乗り物の後部座席に乗せることになったとして、その人間が本当に生きているのか、それとも死者なのか。
     それは時代や場所であっても、ふと後ろをふりむいたときまでわからないのかもしれない。

    京都の深泥池付近(上)と東京の青山墓地(下)。深泥池はタクシー怪談の発祥の地という説もある。

    (月刊ムー2023年6月号掲載)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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