昭和「秘境」ブームの盛衰…80年代に消えた「彼方」への憧憬/初見健一の昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

関連キーワード:

    アマゾンの奥地に怪獣がいる!? 80年代に自然消滅した「秘境」を振り返る。

    子ども向け「秘境冒険小説」の登場

     前回は昭和オカルトとしての「秘境」の源泉を探るために19世紀まで遡って、主に「秘境冒険小説」の流行などについて概観してみた。後編の今回は話を「昭和こども文化」に限定して、我々60~70年代の子どもたちに直接的な影響を与えた「秘境」関連のトピックをまとめて回顧してみたい。とにかく情報量が多くて多岐に渡るので、かなりの駆け足でさまざまなトピックを目まぐるしく辿ることになってしまいそうだが、どうかお付き合い願いたい。

     さて、前回でも解説した通り、19世紀末に欧米で誕生した「秘境冒険小説」は日本でも大流行し、影響を受けたさまざまな作家が独自の作品を生みだすようになった。特に子どもたちに多大な影響を与えたのは、児童文学作家・翻訳家の南洋一郎の一連の作品だ。南洋一郎といえば、同世代ならポプラ社から出ていた怖い表紙の『怪盗ルパン全集』の翻訳家として記憶されていると思う。

     彼は1930年代に『少年倶楽部』などの児童雑誌に大量の子ども向け読みものを連載していたが、なかでも代表作といえるのが典型的な「秘境冒険小説」である『吠える密林』(1932年)だ。アフリカ、ボルネオ、マレー半島などで探検家と各種猛獣たちの死闘が繰り広げられる定番的な展開がウケまくり、大ベストセラーになった。この作品によって、日本の子どもたちの多くが「秘境冒険小説」の魅力を知ることになったといわれている。彼はその後も多くの「秘境冒険小説」を立て続けに発表した。

     「秘境」は子ども文化においても完全にジャンル化され、特に男の子たちにとっての主要な娯楽コンテンツになっていく。

    「絵物語」が描く荒唐無稽な「秘境」

     戦後になると、従来の小説形式のものとは別に、まったく新しいスタイルの子ども向け読みものが人気を博すようになる。いわゆる「絵物語」だ。大きなイラストに比較的少量のテキストを配しながら物語を進める形式で、今でいえば「グラフィックノベル」に近い。もともとは「紙芝居」の人気にあやかり、児童雑誌が「紙上紙芝居」として企画・考案したものだったという。1930~40年代に急速に発展して子どもたちを魅了し、児童雑誌の主要な売りものになっていった。

     この「絵物語」の世界で社会現象とまでいわれるほどのブームを巻き起こしたのが、1951年から「産業経済新聞」(現在の産経新聞)に連載された山川惣治の『少年ケニヤ』。アフリカで孤児となった少年「ワタル」が波乱万丈の冒険を繰り広げる「秘境冒険絵物語」である。前回でも解説した通り、「秘境」関連の読物はそもそも誕生の段階から荒唐無稽でオカルティックだったのだが、この『少年ケニヤ』で描かれる「暗黒大陸=アフリカ」の描写も極度にファンタジック……というかハチャメチャで、ティラノザウルスが棲息する「地下世界」などが登場する(洋の東西を問わず「秘境冒険小説」と「地球空洞説」は親和性が高いらしい)。

     ちなみに、「絵物語」市場で山川と人気を二分していたのが、かの小松崎茂である。我々世代が後にオカルト児童書で目にすることになる多くの絵師たちは、この分野で頭角を現し、子どもたちの人気を獲得していった。

    「絵物語」は児童雑誌のメインコンテンツがマンガに移行する60年代に消滅するが、そのタイミングで彼らは『少年マガジン』の「大図解」など、オカルティックなカラー口絵の世界で活躍するようになっていったわけだ。

    『なぜなに もうじゅうと大怪獣』(小学館/1971年)より。70年代の「秘境」ネタの定番だった「ゾウの墓場」。ゾウは死期が近づくと密林の奥地にある「謎のゾウの墓場」へと向かう……という話はさまざまな本に書かれていた。僕は大人になるまで信じていたが、単なる言い伝えに過ぎず、ゾウにそんな習性はないらしい。

    オカルトに吸収される「秘境」

     僕ら世代がもの心ついた1970年代初頭、子どもたちの間に「秘境」のイメージを拡散させていたのは、もっぱらオカルト児童書だった。「秘境冒険小説」は僕らが生まれる前にすでに役目を終えており(といっても強力な影響を残していて、マンガやアニメや映画のなかで脈々と息づいてはいたのだが)、代わりにオカルティックなノンフィクション本がかなり眉唾な感じの「秘境情報」をばら撒いていたのだ。
    「秘境冒険小説」に出てくるようなネタ、たとえば「アマゾンの奥地には30メートルを超える大蛇がいる!」とか「今も人喰い人種は存在する!」とかいった話をフィクションではなく、あくまで事実(?)として受け入れながらワクワクしていたのが僕ら世代だったのだと思う。

     こうした「オカルト的秘境ノンフィクション」(?)とでも呼ぶべき書籍がいつ頃から出てきたのかという特定は難しいが、例えば1957年にはオカルト本の大家・黒沼健が『秘境物語』(新潮社)を刊行している。僕は未読だが、目次を見てみると「船の墓場」とか「マヤ遺跡の謎」、「ミイラ」の話や「ファラオの呪い」、「ストーンヘンジとUFO」、「首狩り族」、「ニューギニアの人喰い人種」などなど、僕ら世代が子どもの頃に目にした定番「秘境ネタ」がギッシリと詰まった一冊だったようだ。なかには「空中から垂れ下がったローブをよじ登って消えてしまうインドの魔術師」の話も掲載されており、このネタなどはことさら懐かしい。昔はさまざまな本に書かれていたが、今ではさっぱり聞かなくなった逸話である。

     70年代に入ると、かの中岡俊哉センセイも『魔の川アマゾン』『最後の魔境』『吸血鬼のふるさと』といった「秘境シリーズ」を刊行する。我々の小学生時代、学校図書館で異彩を放っていたシリーズだ。このあたりから僕らがリアルタイムで触れた「秘境本」が続々と刊行されるようになっていく。

    『なぜなに びっくり世界一』(小学館/1971年)より。これも子ども向け「秘境本」にやたらと登場していた「世界一大きい花、ラフレシア」。もちろん実在する植物だが、当時の本のなかにはあたかも「人喰い花」のようにおどろおどろしく紹介する記事が多かった。

    映像作品で見る「秘境」

     長々と本の話ばかりを続けてしまったが、子どもたちの荒唐無稽な「秘境憧れ」を加速させたのはもちろん児童書ばかりではない。映画やテレビなど、映像作品もさまざまな形で僕らをありもしない「秘境」に誘った。

     まず半世紀以上にわたって周期的にブームを起こしてきたのが、ご存知『ターザン』だ。アフリカで生まれた白人の孤児が超人的野生児となって大活躍する物語。原作小説の刊行が1912年、1918年にサイレント映画になって以降、無数の映像作品がつくられ、70年後の僕らにもロープにつかまって「あ~ああ~!」と叫ぶ「ターザンごっこ」はおなじみだった。個々の作品の記憶はほとんどないのだが、僕らが見ていたのは60年代後半に放映された実写ドラマの再放送だったようだ。

     同じく何度も映像化され、長期に渡って影響力を持っていたのが『キングコング』である。1933年の映画が世界中に絶大なインパクトを与え、日本においては『ゴジラ』誕生のヒントとなっただけでなく、60年代には東宝特撮版の「和製コング」映画などが制作された。このタイミングで日本の子どもたちの間で一大「コングブーム」が巻き起こったようで、児童雑誌には「コング」が登場する「秘境画」が大量に掲載されている。

     僕らが「キングコング」なるものを初めて目にしたのは、1967年制作のアメリカのアニメの再放送だった。主人公の「ボビー少年」と「正義の怪獣」といった感じの「コング」が毎回さまざまな悪漢を懲らしめる子ども向けの作品だ。そして1976年、ジョン・ギラーミン版の『キングコング』が公開になり、直撃世代だった僕らの多くは、その特撮の迫力とペシミスティックで後味の悪い物語に打ちのめされた(ジェシカ・ラングのエロさにも!)。大人たちの評判は芳しくなかったが、僕らは心底夢中になり、「コング」のぬいぐるみほしさにひたすらロッテの「キングコングガム」を買いまくって点数券を集めたりしていたのである。

     ギラーミン版で描かれた「コング」の印象は強烈だったが、それよりもトラウマ級に怖かったのが、舞台となる孤島の謎の部族による「生贄の儀式」だ。打ち鳴らされる太鼓のリズムにのって奇怪な装束の人々が狂ったように歌い踊る場面は、まさに「これぞ秘境!」というイメージだ。

    1967年の『少年マガジン』より。小松崎茂が描く「原始怪獣の死闘」。二作の「和製コング映画」が公開されたこの時期、児童雑誌には「キングコング」を主役にした「秘境画」が大量に掲載された。

    急増する「秘境ドキュメント」番組

     これについては本連載のあちこちで何度も語っているので詳細は省くが、70年代の「秘境ブーム」を象徴するのが、60年代後半から急増したテレビの「秘境ドキュメント」番組だろう。当初は「知られざる異文化を紹介する」という類のまっとうな「紀行番組」だったのだが、徐々に「秘境の奇習」などをエグいタッチで紹介する「残酷ドキュメント」に変容していったり、「秘境の珍獣」を追うUMA系オカルト番組に接近していったりして、後の「オカルト特番」の下地を作っていく。

     比較的まっとうな「教養番組」として60年代から90年代まで続いた『すばらしい世界旅行』が有名だが、70年代には『冒険者たち』『ナブ号の世界動物探検』『野生の王国』などのレギュラー番組のほか、単発のさまざまな「秘境特番」が放映されていた。『水曜スペシャル』も多くの「秘境探検もの」を放映していたが、それが発展してシリーズ化したのが、ご存知『川口浩探検隊』である。

     一方、最も露悪的にブッ飛んでいたのが『金曜スペシャル』枠の各種「秘境特集」だ。裸族、鳥葬、いけにえ、人喰いワニ、人喰いトラなどをテーマに「ショック! 惨酷! あなたは正視できるか?」みたいな煽り文句とともにエログロ映像を大量に放映していた。

     こうした流れの源流にはもちろんヤコペッティの映画『世界残酷物語』の世界的大ヒットがあり、その先には『グレーハンティング』『ジャンク』『カランバ』などの「残酷ドキュメント」映画のブーム、そして80年代の『食人族』などイタリア製カニバリズム映画の流行があった。

    1969年の『少年マガジン』より。ヤコペッティの映画『世界残酷物語』の向こうを張って、日本の各地に伝わる残酷で恐ろしい「奇習」(?)を集めた特集「日本の秘習」。この恐ろしい扉絵、単に「秋田のナマハゲ」を描写したものである。この種の企画はテレビでも盛んに行われていた。

    高度経済成長期の世相と「秘境」

     僕ら世代の多くが「まだ見ぬ辺境の地」「知られざる未開の地」といったものへの憧れ、「冒険・探検」といったものに対する荒唐無稽な好奇心などをごくあたりまえのように抱いていたのは、先述の通り、雑誌や本、そしてテレビで毎日のように「秘境」の景色を見せられて育ったからなのだろうが、60~70年代にかけての日本の社会的な状況も、人々の好奇心を外へ、遠くへ、未知の地平へと誘う熱量に満ちていたと思う。

     1962年には単独で太平洋横断に成功した堀江謙一の著作『太平洋ひとりぼっち』がベストセラーになって「冒険ブーム」が勃発し、翌年には映画化された。64年には海外旅行が自由化されて国外への渡航者が急増、パック旅行がブームになる。69年には有吉佐和子の抱腹絶倒の「秘境滞在」エッセイ(?)『女二人のニューギニア』が大きな話題になった。

     72年にはグアムの残留日本兵・横井庄一氏が「恥ずかしながら帰ってまいりました」(この年の流行語大賞になった)と帰国して大騒ぎになり、さらに2年後には同じく残留日本兵だった小野田寛郎氏もルバング島から帰国する。これらによってジャングル生活における「サバイバル入門」といったネタが児童雑誌などでも盛んに特集されている。

     また、70年の大阪万博もこうした傾向に大きな影響を与えた。万博の植民地主義的欺瞞については前回触れたが、ともかくも別種の文明を持つ異国や「辺境の地」への人々の関心を強力に高めたのは事実である。僕の子ども時代は公園や学校のあちこちになぜかトーテムポールが乱立していたが、これも万博によって全国に広まった「異文化教育」によるものだったらしい。こういう形で通俗化されたエキゾティシズムに意味があるのかどうかは置くとして、日常的なあらゆる領域に曖昧な「異国憧れ」が蔓延し、人々の好奇心は外へ、遠くへと広がっていたのだろう。

    先述の特集「日本の秘習」より。秋田や熊本にあるとされた人跡未踏の「深山のねこ岳」。齢を重ねた猫は「ねこ岳」で修行し、超能力を備えた「化け猫」になるという伝承の紹介。こうした「日本にも知られざる秘境がある!」といったコンセプトの企画は大人向け週刊誌などでも定番のネタだった。

    「秘境」が消えた80年代

     「秘境ドキュメント」や「紀行もの」のテレビ番組が急速に視聴率を落としはじめたのは、80年代のなかごろからだといわれている。『川口浩探検隊』もこの時期に急速に形骸化すると同時に、ヤラセ演出が糾弾されるようになった(というか、僕の印象では最初から形骸化していたような気がするけど……)。

     思い出してみると、80年代初頭からバブル期にかけては学生までもが気軽に海外に出かけるようになり、やたらと「国際化」というキーワードが叫ばれていた気がするが、話題にのぼるのはあくまで西欧諸国ばかりで、「秘境」などという話はすっかり耳にしなくなっていたと思う。アフリカやブラジルなども「冒険・探検」といったイメージからは切り離され、もっぱらワールドミュージックとエスニックブームなどによる「消費の対象」と化していた。地球上はすみずみまで探索され、もはや「人跡未踏の地」などないというモードに入ったのか、子ども文化においても典型的な「秘境冒険」の物語はほぼ消えてしまっていたような気がする(だからこそ1981年からはじまる映画『インディジョーンズ』シリーズは、レトロでクラシックな「古き良き冒険映画」として受け入れられたのだろう)。

     そして現在、嘘だか本当だか知らないが、ある一定の世代から下は「秘境憧れ」どころか、そもそも海外の文化への憧れすら持っていないという話をよく耳にする。特に音楽市場の状況などを目にしてしまうと、どうやら実際にそういう傾向はあるようで、経済的な要因などもあるらしいので無理もないとも思う。自分自身がかつてのような「外への憧れ」を持ち続けているかと問われれば、これまた非常に心もとない。欧米諸国から中東、アジアまで、どこの国でも異文化への好奇心を持つ余裕などなく、ひたすら内向きに閉じているように見えたりして、なんだか世界中、どこへ行っても居心地悪そう……などと勝手に絶望してしまったりもする。

     そんなとき、荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい昭和の「秘境本」を読み返すと、「世界はまだまだ広い!」という曖昧な感覚が戻ってきて、なんだか多少は心の風通しがよくなった気がするのである。「秘境」「辺境」、今いる場所の「外側」、ここではない「どこか」が存在しない世界には、なけなしのロマンすら存在する余地がなくて、想像力までが窒息してしまう。だから僕は「世界の果てにあるかも知れない人外魔境」にいつか自分も行くことになるのかも知れない……と子どもの頃から繰り返している馬鹿げた夢想を、今も繰り返しているのだと思う。

    1968年の『少年キング』より特集「世界の食人種」(左)と、小学館『なぜなに ぼうけんと探検』(右)の「ひとくい人しゅはまだいる?」。現在ではフィクション作品でも触れにくいネタになっているが、70年代までは「人喰い人種」は「秘境冒険もの」にはつきものの王道ネタ。ドリフの「探検隊コント」などにもよく登場していた。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

    関連記事

    おすすめ記事