開けるな! 災いの扉、災いの箱/黒史郎・妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

    開くから〝災い〟があるのか? 災いが〝開かせる〟のか? 各地に伝わる、開けてはならないものを補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ! 

    開けてはいけないもの

    「開かずの間」——。
     この言葉だけで、わたしたちは怖いものを想像してしまいます。
     錆びついた錠前で施錠され、絶対に開けてはならぬと代々伝えられている扉。
     幾重にも封がされ、開けることを固く禁じられている古い箱。
     なぜ、開けてはいけないのか。その中に、なにを封じているのか。
     開いたら、そこから何が出てくるのか。
     今回は「開く」お話をご紹介いたします。

    災いの扉

     まずは、「扉」にまつわる不思議なお話から。
     滝沢馬琴『兎園小説拾遺』には、文政年間に三重県の伊勢神宮で起きた火災について書かれています。それによると、宇治橋が焼け落ちた際、そこから飛び火して神宮に属する80もの末社が炎上し、山をも1里余り焼けるほどの大火災になったのだそうです。
     この火災が起こる前、兆しともとれる奇妙なことが起こっていました。
     外宮拝殿に捧げられていた玉串に、ある日突然、穂が生じ、そこから実が生ったのです。そして、荒御霊(あらみたま)を祀る荒祭宮(あらまつりのみや)の扉が、だれも触れていないのに勝手に開いたというのです。
     荒御魂は災いをも引き起こす、荒ぶる神の魂。自ら扉を開けて社から飛び出し、火の災いを起こしたのでしょうか。
     この荒祭宮も、火災の被害に遭っています。

     青森県の恐山にある菩提寺には「扉」にまつわる不吉な俗信があります。
     その寺の地蔵堂の扉は突然、ギイィ、と開くような音をさせることがあったそうです。
     このようなことがあるたび、檀家に死人が出たというのです。
     こういった社寺内で起こる原因不明の音に【しらせ】と呼ばれるものがあります。
     文字どおり、亡くなった人がそれを報せてくる怪音で、檀家が亡くなってから(亡くなった時刻に)、寺の中で足音や声が聞こえた、といった話は各地にあります。その場合は亡くなった方の霊魂が寺にやってきたのだと解釈できるのですが、この菩提寺では、【しらせ】があった後に人が死にます。
     地蔵堂の扉を開け、「人が死ぬぞ」と報せているのは、いったい何者なのでしょうか。

    開けてはいけない箱

     神奈川県川崎市に、開けることを禁じられた「箱」の話があります。
     ひとつは川崎区にあるS神社。その箱は同社の御神体なのですが、どうも謎の多いものなのです。
     その箱の存在を知る宮司から聞き取られた貴重な記録があります。それによると、その箱は神社の床下に隠すように保管されており、上書きに「建武七年」とあります。
     そして、「村によくないことが起きたときは村民が打ち揃ってこの箱を開けるべし」と書いてあったといいます。
     つまり、「その時」が来るまで、この箱を開けてはならなかったのです。
     ところが、この箱を開けてしまった人がいました。
     当時の総代のひとりでした。
     たまたま、床下にあった箱を見つけてしまい、他の総代たちの見ている前で開けてしまったのです。
     それからまもなく、箱を開けた本人を含め、そこにいた全員の総代が亡くなったそうです。
     そんなことがあって以来、だれもが怖がって、その箱を開けようとはしないのだとか。
     S神社の創建は建武2年とされております。この地で行き倒れになった山伏がおり、その者の所持していた「金幣」を御神体として神社を創建したという縁起があるのですが、実際のところは創建の由来などは不明とのこと。その金幣が箱の中身ということでもないらしいのです。
     では、670年ほど神社とともにあった「開けてはならない箱」の中身とは、なんだったのでしょうか。
     伝え聞いていた宮司の話によると、それは一見、何の変哲もない「丸い石」だったそうです。

     もうひとつは、同市多摩区の某家に伝わっていた「箱」です。
     幅4寸、高さ3寸ほどの木箱で、和紙でくるまれて水引がかけられており、「決して開けてはならない」と昔から固く禁じられていました。
     ーーですが、そんな不穏な箱を、この家まで借りに来る人物がいたというのです。
     その人物はどうやら祈祷師のようで、悪いものにとり憑かれた人や原因不明の病気に臥せっている人などがあると、その家にこの箱を持っていって何やらやっていたといいます。
     この箱には、ある特別なものが入っており、祈祷師が箱を持っていくと、奥の部屋で寝ていた病人が気づいて目覚め、ガバリと起き上がり、異様な大声で騒ぎ出したといいます。
     病人がそういう行動をとるのは、間違いなく何かがとり憑いている証拠であり、箱の中身を恐れているのだそうです。
     箱の中身は、狐落としの呪具として使われる「オオカミの頭骨」であると思われますが、なにせ中身を知る者は家人でもごく一部だけだったようで、実際には何が入っていたかは不明なのだそうです。残念ながら、明治末期ごろの火事により、この箱は中身もろとも焼失してしまったらしく、今となっては確認のしようがありません。

    【参考資料】
    滝沢馬琴「兎園小説拾遺」『日本随筆大成』第二期 五巻
    伊藤隼「南部恐山」『あしなか』五十五号
    角田益信『川崎の民俗』
    『呪いと占い』川崎市民ミュージアム
    『川崎の世間話』川崎市民ミュージアム

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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