羽咋の人食い怪火! 未確認飛行妖怪「そうはちぼん」/黒史郎・妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

関連キーワード:
地域:

    ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」! 今回は〝宇宙3部作〟の第一弾、「UFOのまち」に伝わる怪火の伝承から補遺々々します。

    「UFOのまち」に天空より来たるあり

     数年前に「UFOのまち」――石川県の羽咋(はくい)を訪れました。

     駅前のオブジェ、建物の壁面、各商店の掲示物など、あちこちに見られる「空飛ぶ円盤」。もっとも目を引くのは、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」でしょう。こちらでは月面着陸船、実物の帰還用宇宙カプセル、宇宙人の模型といった貴重な展示物を数々そろえ、平成9年にはNASAのエイムズ研究センターの博士、アメリカの海軍兵器研究所の博士、元CIA要員などを招いて「宇宙&UFO国際会議」を開いています。博物館の外観は、UFOそのものです。

     さて、宇宙の話も大変興味深いのですが、そろそろ妖怪の話をいたしましょう。

     羽咋という地名の由来はいくつかありますが、そのひとつが妖怪に関係する話でした。

     昔、この地の森に大毒鳥が現れ、土地を荒らし、人々を苦しめました。天皇はこれを鎮圧するため、磐衝別命(いわつくわけのみこと)を派遣します。勇敢な磐衝別命が見事、この悪鳥を射落としますと、お供の3匹の犬が悪鳥の羽に喰らいつきました。
    「羽」を「咋(くらう)」――そこから「羽咋」という地名になった、というお話です。

     空飛ぶ円盤ではありませんが、「空から来る脅威」の伝承とは、「UFOのまち」にふさわしい由来だと思います。

     実は、この羽咋を含めた周辺地域では、妖怪好きとUFO好きの双方のロマンを掻き立てるような素敵な伝承があります。その最たるものは【そうはちぼん】でしょう。

    人食らう怪火

     秋の日暮れ方に現れ、眉丈山の中腹を東より徐々に西へと移動する怪火がありました。これは【そうはちぼん】、あるいは【ちゅうはちぼん】と呼ばれています。
     この怪火は、どんな理由で、どこへ向かって移動していたのでしょうか。

     昭和3年刊行『石川県鹿島郡誌』には、こんな話があります。

    【そうはちぼん】は、一の宮の権現様に「人を食いたい」と願いました。
    権現様は「鶏の鳴かぬうちならいいだろう」と申されました。なんと、夕方から朝までなら、人を取って食っても良いとの許しを出したのです。
     権現様のお許しをいただいた【そうはちぼん】は、夕暮れ時に羽坂の六所の宮より現れ、深夜2時ごろに良川の山を通り過ぎ、金丸あたりからうろうろしだし、柳田あたりまで移動します。やがて、鶏の鳴き声が聞こえますと、しかたなく六所の宮へと引き換えしていったといいます。

     その移動ルートを地図で見ると、鹿島郡能登町羽板~中能登町金丸~羽咋市柳田と、なかなかの広範囲を移動しています。
     取って食われた人がいたのかはわかりませんが……いくらお願いされたからといって、人を食う許しを出すなんてあんまりです。どういう気持ちで許しを出したのでしょうか。

     権現様も、ただ許したわけではありません。

    〝狩り〟の終了を告げる鶏の鳴き声、実は本物の鶏ではなく、権現様が真似て、発していたものなのです。朝が来るよりも、ずっと早い時間に鶏の鳴き声を発することで、【そうはちぼん】を食い止めていたのでしょうか。

    そうはちぼんの正体は?

    『石川県鹿島郡誌』によると、【そうはちぼん】を実際に目撃した人がおりました。

     後山にある西照寺の先代住職です。まだ、若いころのこと。寺へ帰ろうと夜中に眉丈山の中腹に差し掛かると、あたりがポッと明るくなりました。
    すると、高張提灯のようなものが山の背より現れ、谷に向かって真一文字にゆるゆると進んでいったのを見たのだそうです。

    ――さて、この【そうはちぼん】、実はUFOだったのではないかといわれています。

    〝空を移動する怪しい火〟は、すでに「未確認飛行物体」ではあるので、おそらく、「地球外からやって来たもの」というイメージのUFOのほうでしょう――といいますのも、この地域には「鍋降り伝説」というものがあるそうなのです。昔の子供たちは、「夜遅くまで遊んでいると、鍋の蓋が降ってきてさらわれるぞ」と脅されたというのです。

     空から降りてくる鍋の蓋が人をさらっていく――まるでUFOによる誘拐(アブダクション)を彷彿とさせる伝説ではありませんか。

     コスモアイル羽咋の公式ホームページには、【そうはちぼん】とは『日蓮宗で使われるシンバルのような仏具』の名称とあります。「妙鉢」という名称で知られるもので、その形状を見ると確かに昔から「空飛ぶ円盤」といわれている飛行物体に似ております。

     また同博物館には『気多古縁起』という古文書が所蔵されています。一般公開はされないというこの古文書には、「神力自在に空を飛ぶ物体」についての記述があるそうです。

    正八坊の亡魂

     せっかくUFO寄りの話になったところですが、【そうはちぼん】がもともとは人であったという伝説もあるのです。

     羽咋市内にある邑知潟(おうちがた)という潟湖は、昔は広く、山際まで水が寄せていました。一の宮の権現様は、邑知潟の水を引かせて田にしたら、村人たちが裕福になるのではと考えました。
     しかし、そう簡単な話ではありませんでした。水を引かせるには【潮干る珠】という霊珠が必要になるのですが、その珠は【正八坊(そうはちぼん)】という坊様が持っていたのです。この坊様は珠をだれにも見せず、懐の中に大事にしまっていました。
     なんとかして、潮干る珠を手に入れようと一計を案じた権現様は、きれいな女性に化けると正八坊のもとへ行きました。そして、いろいろとうまいことをいって、正八坊に酒をたくさん飲ませたのです。美人からのお酌で上機嫌な正八坊、たっぷり飲んで泥酔し、大いびきをかいて寝てしまいます。ほくそえむ権現様は坊主の懐から潮干る珠を抜き取り、一の宮の奥深くに隠れてしまいました。
     しばらくして、目を覚ました正八坊は、大事な珠がないことに気がつきます。
    「さては、一の宮から来た、あの娘の仕業か! ただでは済まさぬぞ!」 
    怒り心頭の正八坊、一の宮へ行って怒鳴り込みました。すると権現様は、こういいます。
    「そんなに欲しければ渡さないこともないが、明日の朝、一番鶏が鳴くまでにもう一度来い」
     もちろん、素直に渡すつもりなどありません。正八坊が大寝坊で、一番鶏が鳴くまでに起きることができないとわかっていたのです。
     どうしても潮干る珠が取り戻したいのに、早く起きることができない正八坊、いつまで経っても一の宮へは行けません。そんなことを繰り返しているうちに彼は狂って死んでしまいました。
     その後、正八坊の亡魂は火の魂(たま)となって、尾丈山の中腹をさまよい歩いたといいます。

     桜の花が散り、暖かくなってきたころの夕暮れ時。
     眉丈山の中腹から上のほうに幾つもの火が横に連なって、一の宮のほうへと移動し、谷へ入ると消え、また山の上のほうに現れたそうです。

    画像1

    参考資料
    『石川県鹿島郡誌』上巻
    『鹿島町史 通史・民俗編』
    林忠雄『ふるさと羽咋の伝承民俗』
    清酒時男編『加賀・能登の民話』
    宮城清一『石動山 山麓周辺』
    コスモアイル羽咋『宇宙&UFO国際会議報告書』
    コスモアイル羽咋 パンフレット
    岩井宏『絵引き 民具の事典』
    「UFO情報提供します 世界初、公の施設 石川県羽咋市が宇宙の〝出島〟めざす」『読売新聞』1996年1月14日朝刊(ヨミダスパーソナル)
    「ひと紀行:変わり種博物館 凝った展示 注目の的」『読売新聞』2008年10月1日,朝刊(ヨミダスパーソナル)
    「民ゾクッ学:UFOこそ「現代の黒船」」石川県羽咋市『読売新聞』2013年11月6日,夕刊(ヨミダスパーソナル)
    「民ゾクッ学:UFOの町 モーゼも訪問?」『読売新聞』2019年6月5日,夕刊(ヨミダスパーソナル)
    「旅:羽咋(石川) 田園,砂浜…随所に「宝物」」『読売新聞』2015年12月10日,夕刊(ヨミダスパーソナル)

    (2022年6月記事を再掲載)

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

    関連記事

    おすすめ記事