元シティホテルが霊的楽園に! 知られざる霊能者が生み出す幸運の座敷童を現地取材

文=松雪治彦

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    大阪に座敷童子17人が住むホテルがある……そんな噂を聞いて、現地取材! 霊能者かあさんと霊的ファミリーのもとにお邪魔した。

    霊的存在17人と1匹が住まう元ホテル

     大阪なんばから南海本線で45分ほどの高石駅から、徒歩10分ほど。観光地でも商業エリアでもない、住宅街を抜ける幹線道路沿いに「ホテルステージ」の看板が見えてきた。見た目は普通のシティホテルだが、現在は予約者向けにアーユルヴェーダを提供するヒーリングサロンだ。

     とはいえ、ここでインド伝統の心身トリートメントを体験しようというわけではない。取材の目的はザシキワラシ……座敷童だ。

    どこからどう見てもシティホテル。「ステージ」の看板もそのままだった。

    「大阪のホテルに17人の座敷童が出るという噂の場所があります」と教えてくれたのは、大阪在住の作家・田辺青蛙さんだった。
     ザシキワラシが住む宿は東北をはじめ全国にいくつかあるが、老舗旅館ではなくシティホテルで、しかも17人という大所帯とは、気になるではないか。せっかくなので大阪出張の際にその「ホテルステージ」に宿泊しようと問い合わせたのだが、残念ながら昨年、2023年末に宿泊業を止めているという。そのため、アーユルヴェーダを体験しつつ座敷童についてお話を伺うことにした。

    オーナーの山本優心さん。
    座敷童たちの名前が記された、山本さん直筆メモ。

    「最初は仙台から連れてきたんです。ついてきた、というんかなぁ、それが太郎ちゃん。うちの最初の座敷童ですね」

     そう語るのは、元ホテルステージ、現アーユルヴェーダセンター優心のオーナー、山本優心さん。縁のあるデパートが閉店する際に、「そこにいた」太郎ちゃんと一緒になったという。それが平成28年6月7日というから、座敷童との共同生活はまだ10年にもならない。

    「それでな、そのあとに、作ったんよ。次郎、時空(とき)、ひかり、龍雅(りゅうが)、日昇……」

     あまりにもスムーズに話が進んだので、「おお、たくさんいらっしゃいますね」と素直に返してしまったが、山本さんははっきりと「座敷童を作った」と言ったのだ。

    「それとね、龍神が4人。雨龍、雷務、震悟、春子。そのあとに座敷童の双子の流星と星龍、そして正道。いちばん新しいんが、冬月、秋穂、夏風、天河。全部、私が作ったんよね」

     あわせて13人の座敷童と、4人(4柱というべきか)の龍神がいる。
     お話を伺った広間には、山本さんとスタッフ2名と、取材者の筆者のみ。目には見えないが、この場には霊的な存在が17人も同居しているのか……。

    「あと、亡くなった猫の金ちゃんもいるんですよ」

     これで18だ。
     元ホテルステージ、現アーユルヴェーダセンター優心の霊的状況はいったいどうなっているのか。

    座敷童の姿を感じ取った方による再現スケッチ。

    36歳で霊的能力に目覚める

     大阪府・高石の元ホテルステージがもともと霊的に所縁、いわくがある場所というわけではない。
     ごく普通のシティホテルとして営業していたところを、縁あって山本さんがオーナーを引き継いだのが2011年。最初の座敷童がやってきたのが2016年。場所と時期と座敷童にはなんの関係もないのだ。
     だが、2023年11月に宿泊業を休止するまで、宿泊者の間では「小さい子を見かけた」座敷童と出会えた」などの体験が相次ぎ、密かに「座敷童の宿」として知られていったという。宿泊していると胸のあたりが熱くなり、翌朝スッと体調がよくなっているという報告も多かったそうだ。

    宿泊者による「座敷童体験」が綴られたノート。ホテルとしては「座敷童の宿」を大きく売りにはせず、ひっそりと「そういうもの」として営業していた。

     ご自身が「連れてきた」「作った」というだけあって、座敷童13人をはじめとする霊的存在が集まっている理由は、オーナーの山本優心さん、その人にある。

     さて、連れてくるだけでも十分に不思議だが、座敷童を生み出すとはどういうことか。それを考えるためにも、山本さんの霊的な半生を聞くことにした。

    「40年前かな、突然、仏さんの声が聴こえたんよ。ぼーっとしてたら、急に」

     その不思議な声はまず先祖供養についてアドバイスをし、その後もに日常生活にあれこれ指示を出してきたという。唐突な入巫状態だ。
     困ったのが神社仏閣の前を通るときに所持金の80パーセントから90パーセントをお賽銭とすることを命じてきて困ったという。当時、保険のセールススタッフとして家計を一手に担っていた山本さんだが、かなりの額を寄進で手放すことになったわけだ。その声に従わないと体が痺れたり気分が悪くなったりしたというから、いやが上にも、である。
     同時に山本さんは、周囲の人の考えていることや悩みがそれとなくわかるようになったり、無くした物の場所が見えるようになったりと、いわゆる超能力に目覚めていった。山本さんの元には自然と相談者が集まるようになったが、すべては「仏さん」の声に従ったことだという。その結果、山本さんは霊能者、シャーマンとして生きる、仕事をすることを選択するのだが、経済的に困窮した生活状況に、「仏さん」の声と、覚醒していく霊能力への戸惑いは当然あり、簡単に「今に至る」ではまとめられない苦労もあったようだ。

     自身の能力に悩んだ山本さんは精神科医の調査にも協力し、その霊的な略歴は論文誌「臨床精神医学」1992年11月号の特集「『信仰と民俗』と精神障害」内の「あるシャーマンの成巫過程」でまとめられている。

    論文誌「臨床精神医学」1992年11月号の特集「『信仰と民俗』と精神障害」

    ご利益は「そっと支える」ように

     山本さんのように、ある日突然に霊媒としての能力を備え、霊能者として生きることになる(そうせざるをえない)事例は、いわゆる憑霊型のシャーマニズムにカテゴライズできる。有名なところでは大本教の出口なおや天理教の中山みき、稲荷のオダイとなった中井シゲノや砂澤たまゑが知られている。
     ただ、山本さんの活動は大きく組織化される(教団となる)ことなく、素朴に周囲の人を対象にしてきたため、40年の霊能活動を通じても広く知られることはなかった、ようだ。

    「なんでもね、頼んでほしいんですよ。わたしは自分の願いはかなえられへん。でも誰かにお願いされたらそれは本当になる。疑ったり嘘ついたりする人の願いはアカンけどね(笑)。生き様、いうんかなぁ、準備ができてる人は座敷童の子たちを感じるし、あとで『なんとかなったー!』ってなるみたいです」

     取材時に聞いた「ご利益」話は、体調のちょっとした好転であったり、悩みの解決が見えたり、不安が薄まったりなどの、ささやかで日常的な幸運体験であった。「座敷童の宿」といえば高額の臨時収入や大きな社会的成功などが得られるイメージもあるが、山本さんの能力や「座敷童の子たち」はそっと相談者を支えるだけ。大いなる超越存在が絶大なご利益をもたらす……ということはない。こういってはなんだが、地味、である。

    小さな子供の姿を見かけた、という証言が多かった場所。

     ただ、ひとつだけ、記事では明記しがたいほどの奇跡的なエピソードを聞けた。デリケートな話題のためここでは詳細を控えるが、後述する山本さんと座敷童たちの関係から、筆者はそれが、ここの座敷童たちの本質ではないかと思っている。

    憑依された「仏さん」と、生み出した「座敷童」

     そして、山本さんは座敷童を「作った」という。

    「呼べば来るし……。そこ、いますよ? 見えへんよね(笑)。それでね、いつでも作れる。増やそうと思ったらできるけど」

     どうやってる「作る」のか、なぜ「やすやすとは作らない」のか。そのあたりも聞いてみたが、「そうは、せんよね」と山本さんは微笑むばかり。

     思えば、筆者は「作る」という言葉に囚われていたようだ。
     山本さんと座敷童の関係は「作る」というよりも、「生み出す」「産む」というものではないか。
     つまり、山本さんは座敷童や龍神たちの母なのである。最初に「つれてきた」太郎が霊的な伴侶となった、と考えると、霊的存在を家族として増やしていったことになる。自らの子供、分身のように大切な存在であるから「作れるけど、そうは簡単にはしない」というのは、そういうことだろう。

     山本さんは現在76歳。取材時は「私は88歳で現世を去る。そうわかっている」と語っていた。計算でいえばそれは2036年ごろとなる。2016年から始まった座敷童との生活で数えれば約20年で、なにか区切りがくるということだろうか。
     人間の時間軸や社会制度で測るのもおかしいのだが……まるでその20年間は「自分が産んだ座敷童たちが大人になる」ための時間のように思えてしまった。

    取材時の外観はまったくシティホテルのままだった。

     大阪・高石のアーユルヴェーダセンター優心(元ホテルステージ)は、霊的な存在17人と1匹が暮らす「山本さんの家」のようだ。

     もし行く機会があれば、「座敷童の母」、山本優心さんの話に耳を傾けてほしい。取材時は宿泊業を止めていたが、現在はアーユルヴェーダのプランには宿泊コースも加わっている。じっくりと、心身が生まれ変わるような体験ができそうだ。

    取材協力
    アーユルヴェーダセンター優心
    http://yushin.online/

    追記 呪物コレクター田中氏も訪れていた

     ちなみに、「ムー」界隈では知る人も多いであろう、オカルトコレクターの田中俊行氏も、筆者の取材前にここを訪れていたという。そのとき田中氏は呪物人形を持ち込んで座敷童と遊ばせようとするなどし、霊的な体験や霊現象の記録を試みたという……しかし実感できるような形ではそれらは果たされなかったそうだ。
     取材時には、「この前、背中に刺青を入れた人が気持ち悪い人形をもってきて……そんなことしてもみんな怖がってしまうよね。そんなんアカンって言うたのよ」と山本さんは苦笑していた。それが田中氏であり、背中の刺青とはタイで施したサックヤンのことだろう。田中氏が入れたのは霊が見えやすくなるものだが、ここの座敷童や霊的な存在にはかえって遠ざける効果となったようだ。

    タイでサックヤンを入れた田中俊行氏。日本の座敷童たちには、怖がらせてしまう効果になったようだ。

    松雪治彦

    ムー歴は浅めのライター。

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