君は青いギターが呪物になる過程を見たことはあるか?/大槻ケンヂ「医者にオカルトを止められた男」

文=大槻ケンヂ 挿絵=チビル松村

    怒り、恨み、願い……何らかの思いを備えた物品は広義で「呪物」というカテゴリに入れられる。物語に生きる人が生み出す呪的文脈は簡単にリアルを食いつぶす。

    明るい呪物コレクターたち

     小学校の頃によく遠足で中野の哲学堂に行った。東洋大学の創始者である井上円了が作った公園である。井上円了はオカルト否定派の学者であった。でも、基本的にその手の話が大好物だったようで、幽霊が出たという梅の木をわざわざ他の地から公園内に移植したりということやっている。
     そして哲学堂の門には幽霊の木像が配置された。昭和の昔でさえすでに古ぼけてくすんだ色になっていたその木像は異様な妖気を発していた。遠足に来た小学生たちをいつも震えあがらせた。
    「こわい!」「見ちゃった!」「見たら呪われるらしいぞ」「目が合った」「呪われた!呪われた~!」
     中野区立北原小学校の生徒たちにとって、実際に呪われたかどうかは定かでないが、哲学堂公園入り口の幽霊の木像は初めて至近距離で接した、広義の意味でのアレは“呪物”的存在であったと思うのだ。
     この幽霊像は貴重なため、現在、哲学堂にはレプリカが置かれているようだ。

     …先日、新宿で怪談&オカルトのトークイベントに参加した。出演者には角由紀子さんや田中俊行さんもいた。角さんはオカルト研究の第一人者として呪物も所有している。呪いのかかった石のボールや室町時代の人斬りがかぶっていた面などを見せてもらった。面を見る際には魔除けにシナモンをなめるのがよいそうで(なぜ?)、お客さん全員でシナモンをペロペロなめていたら角さんが呪いのボールの方を誤って床にドーン!と落としてしまい『おいおい魔除けをなめてもそれじゃダメでしょ』と皆で思ったものである。

     田中俊行さんは肩書が「オカルトコレクター」である。呪物を数多く収集している。その内の多くを共演したテレビ番組で見せてもらったことがある。人形や絵画などだ。
     いずれも曰くありげな、一目で「これはもうやばい!」と思わせるブツばかりであった。正直ゾっとした。『こんなものよく手元に置いておけるなぁ。田中さんって一体どんな人だ』と思うわけだが、お会いすると田中さん、豊富な話題をおだやかに聞かせてくれる関西人で、その飄々としたキャラクターは、顔だちも含めて僕にはなんとなく中島らもさんを思い出させる。

    中島らもの「青いダブルネックギター」

     中島らもさんは2004年に53歳で亡くなった関西の作家だ。「ガダラの豚」「こどもの一生」他、オカルトの絡む小説を多く書いている。懐疑派寄りの視点から超常現象を語る「僕にはわからない」というエッセイ集なども出しているが、晩年は海外での神秘体験をきっかけにややビリーバー化したように思う。

     らもさんが呪物に関して著していたか今パッと思い浮かばないのだが、らもさんは晩年、ダブルネックの青いギターをお守りのように大切にしていた。ボディが一つ、ネックが二つある、双頭の獣のようなエレクトリック・アコースティックギターだった。
     どこかで入手して、気に入って、さらに感じ入るところがあったのだろう、ダブルネックのギターを背負って歩く老作家についての小説まで書いている。「ロカ」という長編だ。「ロカ」とは老作家がギターに名付けた愛称である。
     しかし小説「ロカ」は未完に終わっている。小説を完結させる前にらもさんが亡くなってしまったからだ。酒飲みでいつもへべれけだったらもさんは、飲んだ帰りに酒場の階段を踏みはずして頭を打ち絶命してしまったのだ。

     突然の死によってダブルネックの青いギターは彼の生涯を象徴する一つの聖なる物となった。あるいはそのギターこそが何かの呪いでらもさんを死に至らしめた呪物、という考え方もできなくはないのかもしれない。わからないが、とにかく、そのギターは、見た目にも美しく存在感があって、なき作家を悼む時に場の中心に配置するにピッタリだった。

     らもさんの何回忌だったか、ライブハウスのステージの真ん中にダブルネックの青いギター“ロカ”を配置して、盛大な追悼ライブがおこなわれたこともある。

     ロカの霊験はあらたかだった。ライブは進むごとに盛り上がり、白熱し、やがて続々と、客がステージに昇り始めてしまった。ロカに吸い寄せられるかのようであった。

    「下がって!」「おさないで!!」

     ロカに触れようとする者も多数いた。それはロカを通じてらもさんのいる死の世界につながろうとするかのような光景にも見えた。

    「さわるな!」「それは大切なギターだ!」「やめるんだ!!」

     大騒ぎの中でロカはただ青く神秘的な輝きを放っていた…
     伝説の作家中島らもの残せし一本の神器… もしかしたら呪物ロカ。一体どんな曰くがあってこの世に誕生した個体なのであろうかと想像は限りなくふくらむではないか!

    呪物とリアルのディスタンス

     …しかし、現実とは極めてクールなものなのである。

     僕も含めてらもさんの周りには数多くのミュージシャンがいた。その中にはギタリストも何人もいた。騒動の後、ギタリストの一人が楽屋でぼそっと言った。

    「でもあれ、高見沢俊彦モデルなんですよ」

     え!?

    「あのダブルネック、えらい神聖視されてたけど、実はアルフィーの高見沢さんモデルの市販のギターなんだよねぇ」

     ええっ! そうだったの!?
     らもさんの生きていた証として、あるいは呪物的存在として僕たちがあがめていたあのギターは…タカミーモデルだったんだ!
     いやそりゃもちろん高見沢俊彦モデルなんてステキこの上ないことですけども、なんというかこう、神聖的存在としてあがめていたブツが実はタカミーモデルだったっちゅうのはどうなんだろうそれ、と、正直かっくんとしたのは事実である。いや高見沢さん尊敬してますけどもね。

     かっくん、と来た。だが…おう? これはどういうことだろう??
     すぐに「ダブルネック 高見沢俊彦」でサーチしたところ、該当する画像が一つも出てこないではないか。本当にタカミーモデルであったのか? 教えてくれたギタリストの勘違いではないのか? 本当はやはり、何かもっといかにもなゆかりのある、伝説のギター職人によって作られた世界で一台だけの一品であったりするのではないか? そしてまたそのギター職人も、謎の死を遂げていたりとかして、やっぱり呪物だったりするのではないか?

     僕は一縷の望みを込めて画像サーチを続けてみた。ワードを変え、沢山のギター画像を見た。

     すると…あった! ついに見つけたのだ!!

     らもさんのと全く同じ形のダブルネックギターの画像についにたどり着いたのだ。そしてそれはやはり、高見沢俊彦モデルではなかった! 画像に一行ギターについての説明文があった。それは強烈にショッキングな一文であった。僕は、それを思わず声に出してつぶやいた。

    「…坂崎幸之助モデル」

    手書きの原稿は呪物たる、だろうか。

    大槻ケンヂ

    1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
    筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。

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