道頓堀のお笑いライブやお祭りに化けタヌキが紛れ込む? 田辺青蛙の「大阪タヌキ譚」めぐり
大阪の中心地、道頓堀周辺につたわる狸の伝説。現場を歩いてみると、今も街にとけこむユニークな狸たちの姿がみえてきた。
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前回に続き、昭和こども視点での「化かされ」話を振り返る。今回は…狸! 僧や汽車に化けて、人間社会に紛れこんでいた……。
今回も「狐と狸に化かされる」という怪異についての考察である。前回は主に狐について考えてみたが、今回は狸にスポットを当ててみたい。
前回も書いたが、神秘性が高く、ときに残虐でもあることから人々に畏怖される狐に比べ、狸のイメージは基本的にユーモラスなものとして捉えられる傾向がある。親しみやすいせいなのか、少なくとも江戸時代の伝承における「化かされた話」には、狐よりも狸絡みの説話の方が圧倒的に多いようだ。
例えば現在の東京墨田区付近の奇談を伝える「本所七不思議」を見ると、計8~9個の怪異譚のうち(「七不思議」といっても7つ以上のエピソードが含まれる)、実に6つが「狸のせい」と考えられていた。
お堀のなかから「おいてけ!」と声が聞こえるご存知「置行掘(おいてけぼり)」、いつも店主がおらず、灯りも消えている謎めいた蕎麦の屋台「燈無蕎麦(あかりなしそば)」、天井から巨大な足が突き出てくる化け物屋敷「足洗邸(あしあらいやしき)」、提灯の灯りや拍子木の音が人につきまとう「送り提灯」「送り拍子木」、そして狸のお家芸である「狸囃子」……。「送り提灯・拍子木」については「狐のせい」とする見方もあるが、当時の人々はこれらをおおかた「狸のいたずら」として語ることが多かったらしい。

「本所七不思議」が伝える古典的怪異譚のなかで、現在も怪談として語られることが多いのは怪しい光が見える「送り提灯」と、どこからともなく太鼓の音、あるいは祭囃子が聞こえる「狸囃子」だろう。今ではこの種の怪異は「狸のせい」などとは解釈されず、霊的な「怪火・怪音」として処理されるため、狸の出番はすっかりなくなってしまっているが。
特に「狸囃子」の体験者は今も多いらしい。例えば新居に引っ越した最初の日、夕刻から遠方の祭囃子の音が聞こえはじめて、「今日はどこかの神社のお祭りなのかな?」と思っていると、その音が真夜中を過ぎても鳴りやまない。翌朝に近所の人にたずねてみたが、「こんな季節に祭りなんかやってない」と言われてしまう……といった類の体験である。
残念ながら僕はそうした「怪音」を耳にしたことは一度もないが、10年ほど前、知人と伊豆方面へ旅行し、とある観光ホテルに泊まった。夕飯を済ませて部屋に戻ってしばらくすると、知人が「今日は夏祭りの日なの?」などと言う。さきほどからずっと太鼓の音が響いているそうだ。僕にはまったく聞こえない。「聞こえるでしょ? あっちからだよ」と窓から見える山並みを指さすので、僕はわざわざは窓から身を乗り出して耳を澄ませてみたが、やはりなにも聞こえなかった。「ほら、ほら! 鳴ってるでしょ? これが聞こえないの?」と言われて僕は少々怖くなり、向こうも僕がまったく聞こえないことに気味が悪くなったらしい。これなどは典型的な「狸囃子」現象だろう。

主に日露戦争の頃に盛んに語られた一種の都市伝説に、「軍隊狸」という逸話がある。満州や半島における露軍との戦いにおいて「戦況不利」との情報を得た日本の愛国的狸たちが、「我らも戦わん!」と大和魂を発揮し、小豆に化けて貨物船で大陸に渡って日本軍に加勢した……という荒唐無稽な噂だ。ときには狸たちが協力して大きな山に化け、そこにロシア兵の一団が登ってきたところを見計らって山をひっくり返すなどして、大いに敵軍を悩ませたそうだ。
松谷みよ子の『現代民話考2』によれば、狸の兵隊は〇に『喜』の字の印のある赤い服を着込み、赤い旗を掲げていたという。戦場で「赤い兵士を見た」と証言する人も多かったそうだ。まさに「帝国主義時代の民話」とでも呼ぶべきお話である。
こうした逸話は特に香川、愛媛に多く伝えられており、「軍隊狸」の赤い服に記されていた〇に「喜」の字の紋は、伊予の国(愛媛)の大君神社境内に棲んでいたとされる「喜左衛門狸」という大狸の印。「四国三大狸」に数えられる強力な神通力を備えた名狸(?)で、数々の伝説を残している。
この当時、「人ならざるもの」が日本軍に加勢したというお話は他にもいろいろあったらしく、援軍が「神」や「天狗」とされる場合も多かったようだ。要するに元寇の頃から語られる「神風が吹いた」のバリエーションのひとつだったのだろう。
日露戦争でロシア満州軍総司令官を務めたアレクセイ・クロパトキンの手記には、この「軍隊狸」らしきものに関する記述があるという。真偽は不明だが、というか非常に眉唾な話だと思うのだが、今でも次のような手記の内容がまことしやかに伝えられている。
「日本軍のなかには、ときどき『赤い兵士』がいる。『赤い兵士』はいくら撃たれても死なない。それどころか、撃つと銃撃者の目がくらんでしまう。」
敵味方がともに目撃している正体不明の不死身の兵士。第二次世界戦中の「フーファイター」の噂と同種のものとして捉えることもできそうなエピソードだ。

柳田國男の『山の人生』には、狸にまつわる奇妙な伝承が記されている。題して「大和尚に化けて廻国せし狸の事」。
関東各地の旧家や旅館の多くには、旅の僧侶に化けた狸が書き残した書や画が代々伝えられているそうだ。いかにも威厳のありそうな謎の「高僧」がふらりと家を訪れ、しばらく滞在する。そのお礼のつもりなのか、書や画をさらさらと書いて残していったのだという。なにやら妙な坊さんで、自分がいる部屋の戸は絶対に開けるなとか、入浴中は誰も風呂に入れるなといった注文が多く、どうも挙動不審で家人が訝しんでいると、そのうちふらりと出ていってしまう。
たいていの逸話には、後日、家の近所で犬に噛み殺された狸の死体が発見された、というオチがついている。こうした話は枚挙に暇がないそうで、特に小仏峠付近の村々には、鎌倉建長寺の御使僧を名乗る謎の坊さんが残した書画があちこちの家に保管されていたらしい。
少し現実的に考えてみれば、これはいわゆる「無銭宿泊」の詐欺だったのではないか?……という気もする。名のありそうな高僧に扮して他人の家を訪れ、ある種の「人たらし」の手練手管で家人にうまく取り入ってしばし滞在し、好きなだけ飲み喰いして去っていく。そういう類の詐欺が当時も横行していたのかも知れない。そういえば、かつて一世を風靡した『一杯のかけそば』のセンセイが、こうした詐欺行為を繰り返して、各地を転々としていたという懐かしいニュースを思い出す。
ただ少々不思議なのは、狸が残していったとされる画のほとんどは、妙に乱雑な筆致で、なにが描かれているのかもよくわからず、書についても「字らしきもの」が書いてあるにはあるが、まるで判読不能という奇妙なものばかりだという。詐欺師が宿代の代わりに残す書画なら、もう少しもっともらしい作品をでっちあげそうなものなのだとも思う。
狸の手になる画としてもっとも有名で、なおかつ非常に不気味な印象の作品といえば、長野県伊那郡の泰阜村立学校美術館に所蔵されている掛け軸だろう。奇妙な獣の胴体に髪の長い鬼のような人間の顔をくっつけた、なんとも奇怪な生物が描かれている。構図などもどことなく不自然で、じっと眺めていると妙に居心地が悪くなるような絵だ。この掛け軸には、次のような謂れがある。
その昔、柿野・温田付近の集落(現在の泰阜村にあたる)に、多くの御伴を引き連れて立派な駕籠がしずしずと入ってきた。一行の主が何者なのかは明かさぬし、駕籠の垂れ幕は絶対に上げようとしない。家来衆にたずねても「さる由緒ある都のお公家様であらせられる」と答えるのみ。ともかく村人は「やんごとなきお方が村にお入りになった」と大騒ぎし、一行を村一番の庄屋の邸宅へお連れし、相手が誰かもわからぬまま酒とご馳走でもてなした。野次馬根性を抑えることのできなかった村人のひとりがそっと座敷のなかを覗いてみると、そのお公家さんは飯も吸い物も煮物も魚もすべて膳の上にぶちまけ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから、手を使わずにむしゃむしゃと浅ましく犬喰いしていたという。先の半人半獣の奇怪な生物の絵は、この人物(?)の手になるものだとされている。
これを読んで思い出したのが、2010年に三池崇史監督が撮った映画『十三人の刺客』。1963年の東映時代劇のリメイクだ。稲垣吾郎が演じる残虐非道なサイコパス的お殿様の快楽殺人遊戯の凄惨さが話題になった。この邪悪な若殿が、すべての料理を膳の上にぶちまけ、こねくりまわしてから犬喰いしていたのが印象的だ。非常に不快な食事シーンで、「ケッタイな演出を考えるなぁ」と感心したものだが(東映オリジナルにこんな場面はない)、あれは狸伝承を参考にしたものだったのかも知れない。「この殿はヒトではない。ケダモノの化身である」と示す意図があったのだろうか。

「狸のいたずら」として、明治以降に多く語られるようになり、新聞などでも取りあげられて都市伝説化したのが、「幽霊機関車」「偽汽車」の噂だ。汽車など走っていないのに走行音や警笛の音だけが聞こえる、もしくは走っているはずのない列車が見えてしまう……といった怪現象である。
「幻影の電車」を見てしまう、あるいはそれに乗ってしまう。さらには、そのまま「存在しないはずの駅」に連れていかれるといった類の「鉄道系怪談」は、現在でもよく耳にする。これを狸と結びつけて考える人は今では皆無だろうが、明治の頃はこうした怪異は「狸が汽車に化けている」とされ、多くの逸話に「翌朝、線路を調べてみると狸の轢死体が発見された」というオチが付いていた。
有名なのが、明治の中頃に常磐線でよく起こったとされる現象だ。列車が亀有付近を走っていると、前方で警笛が鳴り響き、同じ線路を逆走してくる列車が現れる。運転手が慌ててブレーキをかけると、すぐそこまで接近していたはずの列車は嘘のように消えてしまう。こうしたことが頻発したらしい。ある運転手が同様の体験をしたとき、「これは幻覚に違いない」とブレーキをかけずに突っ込んだそうだ。衝突寸前に「幽霊機関車」は消失し、奇妙な叫び声が周囲に響いた。翌朝になって線路を調べると、狢(狸)の轢死体が見つかった。この狢を供養するための「狢塚」が、今も亀有の見性寺に残っている。
田中貢太郎の『日本怪談実話』によれば、かつての東京・大崎駅でも怪現象が多発したという。列車が駅に近づくと、赤い危険信号の光が灯る。運転手は驚いて列車を停止させるが、誰も危険信号など出していなかった……といった怪異が繰り返し起こったそうだ。これもまた「狸のせい」と解釈されていた。

僕も一度だけ、狐だか狸だか知らないが、ともかく「化かされた」とした思えない経験をしている。おそらく小学校の3年か4年の頃だったと思う。その当時、毎年の夏休みは数日間を東京郊外の稲城市、よみうりランドの近くにあった祖父母の家で過ごすのが習慣だった。あの界隈も今では住宅密集地だが、当時は山と畑に囲まれた完全な田舎。近くに「どんどん山」と呼ばれる小さな山があり、僕は毎年、そこでカブトムシやクワガタ獲りに夢中になった。「どんどん山」はいわゆる「霊山」だったらしく、山間に某仏教系宗派の道場があり、信者たちが朝と夕に団扇太鼓を打ち鳴らす。その「どんどん」という音が遠方まで響くので「どんどん山」と呼ばれていた。
その年も祖父母の家に到着すると、僕はすぐに祖父と近所に住む従兄弟と一緒に「どんどん山」へ虫捕りに行くつもりだった。ところが従兄弟は林間学校に行っていて留守。明日にならなければ帰ってこないという。祖父は「もう午後も遅いから、今から行っても虫なんか獲れない。明日の朝に行けばいい」などといって連れて行ってくれる様子がない。「嫌だ!今行きたい!」と駄々をこねても聞いてくれず、押し問答の末に僕は腹を立て、「じゃあ、もういい! 一人で行く!」と自分だけで「どんどん山」に向かった。
「どんどん山」は昆虫の宝庫で、真昼間でも30分も探索すればカブトムシやクワガタの数匹は必ず獲れた。ところが、その日に限って、いくら探してもカナブンすら見つからない。このまま手ぶらで帰れば祖父に「だから言ったじゃないか」と笑われるのが目に見えているので、意地になって山の中を歩きまわった。3時間ほどさまよったが、なんの収穫もなし。ついにあきらめて帰途に着いた。
くたくたになって祖父母の家の門の前に来たとき、路地の大木の幹の一部が、ぼおっと金色に輝いているのが見えた。近づくと、十数匹ほどのカブトムシやクワガタが密集して樹液をすすっている。驚いたことに、それらの昆虫はまるで金属でできているかのように金色にギラギラと輝いていた。それを見た僕は慌ててしまい、「新種なのかも知れない。いや、海外の昆虫なのかも知れない」などと考え、ひどく緊張して動悸が激しくなった。「大発見だ。逃がしたら大変だ」と、虫捕り網を握りしめて慎重に近づいた。大木に手が触れる距離に来たとたん、僕は道を外れて高さ3メートルほどの土手から落ちてしまった。
幸いに怪我はない。すぐに立ち上がり、慌てて土手沿いに走ってもとの路地に戻ったところで、急にパッと頭がはっきりした感じがして、我に返った。祖父母の家の前の路地にカブトムシなどいるはずがない。そこには大木などないのだ。ただ路地に沿って垣根のように低い木が植えてあるだけで、そのすぐ向こう側は土手なのである。毎年の夏にここへ来ている僕は、それを知り尽くしているはずなのに、先ほどまでの僕の頭からはそうした認識がまるごと消えていた。あり得ない幻覚を見ただけでなく、その幻覚を「変だな」と疑うこともないまま素直に受け入れていたのだ。「化かされる」というのは、こういうことなのかも知れないと思う。
欲をかいたあげくに、ありもしないお宝を見せられ、つかみとろうとしたら幻のように全てが消えて痛い目を見る。まさに民話などが伝える「狐狸のしわざ」そのままである。しかし、今でも僕の頭のなかには、あの金色の甲虫たちのギラギラとした光沢や、金属のような滑らかな質感までが、生々しいほどリアルに記憶されている。
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
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