「妖狐怪狸」に化かされた! 狐と狸の「怖い話」/初見健一の昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

関連キーワード:

    キツネやタヌキに化かされた話は、高度経済成長で失われた……とはいうものの、昭和こどもにもしっかり語り伝えられていた!

    狐……聖獣・霊獣・妖獣

     まだまだ不快な残暑が続きそうな8月の終わりにふさわしく、今回は少し怪談じみたお話をしてみたい。といっても、いわゆる心霊現象ではなく、「狐と狸が人を化かす」という「日本昔ばなし」のようなテーマについて書いてみたいのである。

     「狐狸妖怪」という言葉があるように、昔から狐と狸は単なる畜生ではなく、なかば「妖怪」の側に片足を突っ込んだ「妖獣」、もしくは「聖獣」のようなものとして考えられてきた。多くの伝承で「人を幻惑する特殊な能力を持つ」と語られているが、その理由に関しては、適当な民俗学の本を開いてみればあれこれの説が列挙されている。

     曰く、例えば狐についてなら、まずその棲息圏の特異性。人間が暮らす場から遠すぎず、近すぎず、犬や猫のように人の身近に定住することは決してないが、かといってめったに姿を見せないわけでもなく、山や森という「異界」と人里の「あわい」で活動する「日常の異物」であったこと。また、知能と警戒心が高いことから「狡猾」という印象を与え(これはイソップ寓話などを読めばわかる通り、欧州でも同様だったようだ)、人間から見れば極めて不思議な行動を取ることが多いうえに、闇夜に瞳が怪しく光ること。さらには「尾は九本、鳴き声は嬰児のようで、よく人を喰う」とされる「九尾の狐」などの中国の伝承が仏教とともに流入し、古くから知られていたこと。『日本霊異記』などでもしっかりと「霊獣」の称号が与えられている。そしてもちろん、日本各地に広く普及した稲荷信仰では狐は眷属、神の使いである(これはそこらの野狐のことではなく、本来は狐の姿をした「狐霊」を示すが)。

     いずれにしても、「狐に化かされる話」はすでに奈良・平安時代に多くの説話に記され、稲荷信仰が全国に急速に普及した江戸時代以降、狐を畏れ、敬う感覚が人々の心に深く定着した。その一方、化かす狐を人が逆に騙し返して、徹底的にとっちめる滑稽噺も多く残されており、落語などではおなじみのネタとして親しまれている。

    狐を神聖視するのは中国、朝鮮、ベトナムなどアジアの国々に多く、欧米にはその傾向はあまり見られない。ただ北欧神話には「霊体の化身」として登場することもあるそうだ。

    狸……「化かし」の技術は狐より格上?

     狸についても、その生態や行動で人に特殊な印象を与えてきたことは、狐の場合とさほどの変わりはない。すでに『日本書紀』に「人を化かす」と記されており、江戸時代には小泉八雲の「のっぺらぼう」でおなじみの「狢」として、さまざまなイタズラ、もしくはちょっとした悪事をあちこちで働いている。ちなみに「狢=ムジナ」とは狸、アナグマ、ハクビシンなどを指す曖昧な呼称で、要するに「狸のようなもの」という意味合いだったらしい。

     狸信仰は稲荷信仰ほどには普及せず、民間信仰として各地にあるものの、多くが江戸末期から昭和初期の「流行神」だったようだ。残虐で禍々しいことを頻繁にしでかす狐と比べ、狸はお人好しで、そのイタズラにも罪がなく、ときにマヌケとして描写される愉快な説話が多いのは、神とのつながりが薄いからなのかも知れない。

     しかし、例えば徳島県には人を化かして誘い出し、あろうことが首を吊らせてしまう「首吊り狸」のような恐ろしい伝承も残っている。徳島といえば、狸たちの大戦争「阿波狸合戦」(阿波国の伝承。1939年に映画になって大ヒット。また『平成狸合戦ぽんぽこ』のモチーフにもなった)の合戦の場として名高く、生粋の「狸どころ」である。

     ことわざに「狐七化け狸八化け」とある通り、昔から「化かし」の手練手管については狐より狸の方が格上で達者……ということになっている。これにはどういう理由があるのかよくわからないが、狐に比べて親しみを持ちやすい狸の方が「化かされた話」に類する説話の数が多いのか、あるいは、そもそも「妖怪変化」と呼ばれるような原因不明の怪現象が起こるたびに人々は「狐か狸のせい」と片付けてきたらしいので、そうした際に多少は身近に感じられる狸を引き合いに出すことの方が多かったのだろうか。また、俗説では顔や背中に「八」の模様がある狸は「八文字狸」と呼ばれ、足が速くて妖力も高いとされる。これが「狸八化け」につながっているのかも知れない。

     さて、民俗学的なお話はこのくらいにして、以降はいくつかの文献に記録された「化かされた話」のなかから、近・現代に起こったとされる「実話怪談」じみた「怪異」を抜き出して吟味してみよう。今回はまず「狐のお話」を中心に並べてみる。さらには、僕が幼児の頃に祖父から何度も聞かされ、総毛立つほど怖かった狐にまつわるお話を紹介してみたい。

    狸は多彩な声で鳴くが、これが「しゃべった」「笑った」と聞こえることもあるそうだ。また狸が「死んだふりをする」ことから「狸寝入り」という言葉が生まれたが、実際に多大なストレスを受けた狸は気絶するという。これが「人をだます」というイメージにつながったという説もある。

    狐が招く「凶事」

     屋根にカラスが群がると、近いうちにその家から死人が出る……といった具合にカラスを「不吉な鳥」と見なす言い伝えは多いが、一部では狐もまた「凶事を知らせる」、あるいは「凶事を招く」と信じられていたようだ。

     明治から昭和初期の怪異体験を集めた田中貢太郎の実話怪談集『日本怪談実話』には、狐が民家の壁を尻尾で叩くと、ほどなくして家人の誰かが「怪死」する……という話が収められている。

     また、松谷みよ子が現代のフォークロアを収集した『現代民話考』にも、明治時代の不気味な狐譚が記されている。ある人が友人と稲荷神社に参拝した。なぜか友人の姿が見えなくなってしまう。彼を探していると、道端で狐が奇妙な声で鳴いていた。彼はこれを「凶事の知らせではないか」と考える。翌朝、田んぼに出かけた友人の妻が帰ってこない。探しに行ってみると、彼女は田の脇を流れる小川に頭を突っ込んで死んでいた。

     『日本怪談実話』には、いわゆる「狐火事」の記載もある。狐が原因とされる不審火だ。数人の男たちが白い狐を殺して喰った。その夜から、彼らの家は次々と火事で焼けてしまった……といった類の説話である。「狐火」(怪火現象)という言葉がある通り、狐と火は昔から密接に結びつけられていたらしい。逆に狐が火事を知らせて出火を未然に防いでくれた、という逸話も多く、「火事除け」のご利益があるとされる「火伏稲荷」「火除稲荷」「火消稲荷」などが東京の各所に今も点在している。

     狐絡みの火事の話は僕も子どもの頃に何度も耳にした。「狐を喰った」という話ではなく、稲荷信仰にまつわる「祟り」の噂だ。例えば、ある家の裏庭にお稲荷さんの祠があった。代替わりした長男には信仰心などさっぱりなく、さっさと祠を撤去する。その翌日、家は火事で全焼してしまう。

     この種の話は「近所の噂話」として、よく親から聞かされた。「商売繁盛」の神様としてお稲荷さんを詣でる人が多かった当時の東京の商店街では、広く共有された典型的な怪談だったのだろう。我が家もかつては店をやっており、日本間には豊川稲荷の神棚があった。よく母は「お稲荷さんは怖いのよ。一度お祀りしたら勝手にやめられないの」などと平気な顔で言っていたが、僕としては「ウチにはそんな物騒なものがあるのか……」と怖気づいていた。扱いを誤れば炸裂する爆弾の上で暮らしているようなものである。

    狐と「神隠し」

     小松和彦『神隠しと日本人』によれば、「神隠し」の原因とされるのは「隠し神」、ときに「天狗」、そして狐。狐による「神隠し」は「狐隠し」と呼ばれることもある。考えてみれば「狐に化かされた話」の多くは、一面から見れば「神隠し」だ。ある男が見知らぬ美女に誘われてお屋敷に招かれる。あれこれの接待を受けて夢見心地になっていると夜が明け、気づけば往来の真ん中で素っ裸のままごろ寝していた……などという類型的な説話も、要するに一夜の「神隠し」だろう。

     『今昔物語』に収められているのも、この類の説話だ。ある女好きの長者が絶世の美女に出会って家に招かれ、そこに居ついて暮らし、子までもうける。あるとき、見知らぬ男がふらりとこの家を訪れ、長者の背を杖で突いて「狭きところ」から出してやる。

     ここまでが「化かされた側」が見ている幻影。その外側の現実の側では、以下のように話が展開する。長者が行方不明になって13日目、家族が心配していると、庭の倉の下(狭きところ)から突然、すっかり衰弱した長者が這い出てきた。家人が慌てて倉の下を覗き込むと、何匹もの狐が逃げ去った。長者が失踪していたのは13日間だったが、彼自身は妖やかしの麗人の屋敷で13年の時を過ごしたつもりになっていたという。

    『神隠しと日本人』(小松和彦・著/1991年/弘文堂。後に角川文庫で刊行)。「異界研究」で知られる文化人類学者である著者による「神隠し」論。伝承や実際の事件をもとに「狐隠し」についても考察されている。

     『神隠しと日本人』には、より陰惨で不可解な「狐隠し」の事例も紹介されている。これは単なるフォークロアではなく、事象自体は実際に起こった失踪事件であり、著者が青森県で採取したものだ。

     5歳と7歳の二人の子が行方不明になる。彼らは野原でウサギを見つけ、それを追っているうちに消えてしまったという。村では「狐に化かされたのだ」と噂が広がる。捜索隊が出されたが、消息はつかめない。数日後に子らの足跡が発見されたが、それは藪の奥で途絶えていた。さらに数日が経過し、ついに死んだものとされ、家族のほかは捜索する者もいなくなった。それからしばらくして、やせ細った7歳の子が河原で保護される。警察が事情聴取するが、失踪中の記憶はかなり曖昧。「5歳の子はどうした?」と尋ねると、「沢で岩の隙間にはさまっている」と答えた。「なにを食べて生きていたんだ?」と聞かれると、どんぶりに入れた「麦饅頭」を食べていたという。医者が胃袋を洗浄して調べると、胃の中には大量のウサギの糞が詰まっていた。数日静養させてから、5歳の子のところへ案内させた。子どもは沢から転落したらしい。狭い岩の間にはさまった死体は、すでに腐敗していた。

     ウサギを追って「異界」に参入してしまうのはまるで『不思議の国のアリス』だし、お菓子やご馳走のつもりで動物の糞を食べてしまうあたりは、民話などでも多く見られる典型的な「化かされ話」だ。また、特段の理由もなく小さな子をさらって、忘れたころにまた親元に帰してみたり、ときには残酷に殺してしまったりする気まぐれな「犯人」の手口は、アイルランドの伝承などに登場する「妖精」のようでもある。

    失踪していた男が「女に化けた狐と暮らしていた」といった異類婚姻譚は無数にある。歌舞伎や浄瑠璃などで広く知られる「葛の葉」の伝説では、陰陽師・安倍晴明は白狐と人の異類婚姻によって生まれた子として語られる。

    狐の嫁入り

     「狐の嫁入り」とは、もっとも常識的に説明するなら、いわゆる「天気雨」の比喩である。晴れた日にパラパラと雨がふりはじめると、昔の人は「ああ、狐の嫁入りだ」と詩的に表現したわけだ。しかし、比喩ではない「狐の嫁入り」、つまり怪異としての「狐の嫁入り」目撃談も昔から非常に多い。そして、この怪異としての「狐の嫁入り」にも、ある程度は常識の範囲内でも解釈できそうなものと、完全に「異界」の光景が現前してしまうものとに二分される。ひとつは、いわゆる「狐火」「鬼火」「人魂」の類。夜道に突然「怪火」の行列が出現する現象を、「狐の嫁入り」の提灯行列に見立てたものだ。こうした「狐火」が「頻繁に出る」とされる場所は各地にあり、近年でも目撃者が絶えない。

     そしてもうひとつが、比喩でも見立てでもなく、まごうかたなき「狐の嫁入り」に遭遇してしまうケースである。つまり顔は狐、肢体は人間の花嫁を筆頭に、無数の「半獣半人」の「化け狐」が長い長い行列を作り、静々と夜道を歩いていく光景を見てしまうわけだ。民話の絵本じゃあるまいし……と思ってしまうが、この種の目撃証言についても、戦後の文献にさえ少なくない量の事例が記録されている。

    「狐の嫁入り」は見てしまうと「災厄がふりかかる」、あるいは「神隠しに会う」とされることも多い。また、地方によっては、特定の日に特定の場所に立つと見えるとか、特殊な形に指を組み合わせ、その隙間から覗くと見えるなどといった伝承も残っている。

     幼少期、祖父は若い時分に一度だけ見たという「狐の嫁入り」の話をしていた。僕はいつも聞いているうちに怖くなって全身に鳥肌が立って、その夜は寝付けなくなる。しかし一月もすると、なぜかまたどうしても聞きたくなって、「おじいちゃん、狐の話して!」とせがんだりしていた。

     何分、僕が園児の頃のことなので、その話の記憶がぼんやりしている。そこで先日、実家の母に確かめてみた。母の記憶も曖昧だったが、祖父が「狐の嫁入り」に出くわしたのは、親族の家があった深沢(世田谷区)。今は住宅地だが、戦前はあちこちに畑がひろがる東京の田舎だった。夕闇迫る時刻に林の間を歩いていると、突然、遠くの高台の道に青白い灯りが無数に現れた。提灯の行列だと思ったが、道に沿ってズラリと並んだ灯りは、それぞれがゆっくりと明滅していたという。それを見た祖父は急に足がすくみ、慌てて来た道を引き返したそうだ。

     しかし、これは僕の記憶とはまったく違うのである。僕の記憶では、祖父が怪異を目にしたのは実家から徒歩10分ほどの天現寺(渋谷区恵比寿から港区麻布周辺)。今は見る影もないが、戦前の彼の地は深沢同様、うっそうとした林がそこかしこに残る郊外。夜は人影もまばらだったという。「急に足がすくんで慌てて引き返した」というオチは僕もよく覚えているが、祖父が遠目に見たのは「狐火」ではなく、綿帽子と白無垢姿の白い狐の花嫁と、紋付羽織袴に身を包んだ無数の狐の群れだったはずだ。

     幼児の頭で話を勝手に解釈してしまったのかも知れないし、数十年の間に記憶が改竄されてしまったのかも知れない。また、天現寺は(狐ではなく)「化け狸」伝承で有名な土地で、「狸に化かされた話」が無数に残っている。そういう話を後になにかの本で読み、祖父の話とごちゃまぜにして、自前の幻影を作り出してしまったのかも知れない。確かめてみたいが、祖父は30年も前に他界してしまっている。今となってはいかんともし難い。

     さて、次回は狸が主役の「怖い話」を少々、そして僕自身が体験した「化かされた(としか思えない)話」について書いてみたい。

    『日本怪談実話』(田中貢太郎・著/1974年/桃源社)。怪談奇談の蒐集・記録家として知られる作家・田中貢太郎の実話怪談アンソロジー。本書にも少女と祖母が秋田県の山道で「狐の嫁入り」を目撃する逸話が掲載されている。一匹の白狐を見たとたんに天気雨が降りだし、行列が現れたという。
     

    ※狐狸の画像は「ChatGPT」で作成しました。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

    関連記事

    おすすめ記事