氷漬けにされて見世物になっていた! 獣人UMA「ミネソタ・アイスマン」の基礎知識

文=羽仁礼

    毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。 今回は、1960年代後半にアメリカ・ミネソタ州で見世物にされていた氷漬けの獣人UMAを取りあげる。

    冷凍装置に入れられた氷漬けの獣人の死体

     1968年12月9日、アメリカ・ニュージャージー州にあるアイヴァン・サンダーソン(1911〜1973)の農場に、1本の電話がかかってきた。これが、ミネソタ・アイスマンを巡る一連の事件の発端であった。
     サンダーソンはイギリス生まれであるが、第2次世界大戦後アメリカに移住した動物学者で、超常現象研究家としても知られており、「オーパーツ」や「ファフロツキーズ」など、いくつもの関連用語を考案した人物だ。
     そんな彼に電話をかけてきたのは、テリー・カレンというミルウォーキーのヘビ取扱業者だった。サンダーソンは自分の農場で多くの動物を飼育し、私設動物園も運営していたので、こうした業者ともつきあいがあったのだ。
     カレンは電話で、最近ある町の広場で、奇妙な生物が見世物にされているのを見たと告げた。それは氷漬けにされた毛むくじゃらの人間のような生物の死体で、見世物師は「これこそ人類と類人猿をつなぐミッシングリンクだ」との口上を述べていたという。

    アメリカ・ミネソタ州で見世物として展示されていた獣人UMA「ミネソタ・アイスマン」。

     その電話がかかってきたとき、サンダーソンの農場にはたまたま友人のベルナール・ユーヴェルマン(1916〜2001)が滞在していた。ユーヴェルマンはベルギーの動物学者で、いわゆるUMAの探索に生涯を捧げた人物だ。
     カレンから聞いた話を調べてみると、見世物の興行主はミネソタ州ウィノナ郡ローリングストーンの農場に住むフランク・ハンセンという人物で、前年の1967年からこの生物の展示を行っていた。ふたりはすぐハンセンに電話し、その生物の調査をしたいと申し入れた。
     自動車ではるばるローリングストーンの農場を訪ねると、くだんの氷漬けの死体は、トレーラーの中に置かれた、冷凍装置のついた大きなガラスケースの中にあった。
     死体に直接触れることを禁じられたため、ふたりは12月16日から18日までの3日間かけて、ケースの外から毎日11時間、ひたすら生物をスケッチし、写真を撮りまくった。

    動物学者アイヴァン・サンダーソンが描き起こしたミネソタ・アイスマンのスケッチ。調査は目視のみで行われたが、濁った氷のせいで細部の確認は困難だった。
    ミネソタ・アイスマンの死体を詳しく調査したサンダーソン(右)とベルギーの動物学者ベルナール・ユーヴェルマン(左)(写真=strange realityより)。

    ふたりの動物学者による謎の生物の調査結果は?

     ケースの中の生物の身長は1・8メートルほどで、全身を長い茶色の体毛で覆われていたが、顔面と股間には毛が生えておらず、睾丸と細いペニスが見えたため、オスであることは明らかだった。
     皮膚は淡くピンクがかった白色で、広くてがっしりした筋肉質の上半身、樽のような太い胴を持っていた。左腕は顔の上に大きくねじ曲げられており、明らかに骨折していた。片方の眼窩は空っぽで、もう一方の眼球は飛びだして頬骨の上に載っていた。サンダーソンは、この顔面と腕の傷は銃撃の可能性があると考えた。
     平たい鼻孔は上を向き、下肢は短く、大きくて偏平な足の親指は人間のように他の指と平行に並んでおり、他の霊長類のように足でものを?めるようにはなっていなかった。つまり、この生物は二足歩行していた可能性があったのだ。片方の足には、腐敗したらしく灰色になっている部分もあった。 
     トレーラー内部の電球は光量が不足していたので、ユーヴェルマンは長いコードを引いて、強力電球を顔の部分に近づけようとした。すると電球の熱でガラスが砕け、腐臭がトレーラー内に充満した。しかしこの臭いで、サンダーソンはこの死体が本物の生物だと確信した。

    冷凍装置内に横たわる氷漬けのミネソタ・アイスマン。サンダーソンとユーヴェルマンの調査中、溶けかけた氷から明らかに生物の腐臭とおぼしき臭いがしたという。
    ミネソタ・アイスマンの体のサイズを記録したサンダーソンのスケッチ。上に曲げた左手は骨折しているとみられる。

     ハンセンは、この生物の存在が世間に広く知られることを望んでいないようだったが、ユーヴェルマンは翌年の1969年1月14日、「ホモ・ボンゴイデス」と名づけたこの生物についての論文をベルギー王立博物館に送った。論文は博物館の機関誌第45号(1968年2月10日号)に掲載された。

    ミネソタ・アイスマンを見世物として展示していたフランク・ハンセン。

     ユーヴェルマンはまた、当時スミソニアン研究所で霊長類研究プログラムの局長を務めており、ビッグフットの研究もしていた人類学者ジョン・ネイピア(1917〜1987)に宛てて、同じ論文を英文で送った。ネイピアはこのニュースに強い興味を持ち、この生物を「アイスマン」と名づけた。
     3月11日には、ベルギーの新聞がアイスマンに関する最初の記事を載せ、数日のうちに世界中の新聞記者がこの話を追いはじめた。一方、サンダーソンは雑誌「アーゴシー」の1969年5月号に関連記事を掲載した。

     こうして世間の注目が集まると、ハンセンはアイスマンとともに一時行方をくらました。1か月後、再びアイスマンが公開されたとき、アイスマンの姿勢は以前のものとは変化しており、ハンセンもこれはレプリカだとして各地で展示を続けた。そのレプリカも、1973年のニュージャージーでの公開を最後に世間から消え失せた。

    ミネソタ・アイスマンは本物の生物だったのか?

     いったん消えた後で再び現れたレプリカなるものはともかくとして、それ以前に公開されていたアイスマンは果たして本物の生物の死体だったのだろうか。だとすれば、ハンセンはそれをどこで手に入れたのだろうか。このあたりについて、ハンセンの発言は一貫していない。

     当初サンダーソンに対しては、アイスマンはソ連籍の漁船がベーリング海峡を漂う約260キロの氷塊の中から見つけたとか、自分は香港の商人から手に入れたというような話をしていたが、本当の持ち主はカリフォルニア州ロサンゼルスに住む大金持ちであり、自分は彼に代わって面倒を見ているとも述べていた。
     一度アイスマンを引き揚げた後、レプリカを展示しはじめたときも、本物はこの持ち主に返したとしている。しかし、その人物の身元はいっさい明らかにしておらず、果たして実在するのかどうかも定かでない。

     他方、ネイピアや事件性を疑って訪れたウィノナ郡の保安官に対しては、「死体はハリウッドで作らせた造形物だ」と答えた。またあるときには、最初から本物は別の場所に保管しており、展示しているのは偽物だと述べたこともある。

     このような証言の曖昧さもあり、現在ではミネソタ・アイスマンなるものは作りものだったという考えが主流のようである。

     しかし、アイスマンが最初から作りものだったとずれば、奇妙な点がいくつかある。
     まずは、もし偽物だとしたら、田舎での催しやショッピングモールでの面白半分の展示としては、冷凍装置付のガラスケースは大げさすぎるのではないかということだ。
     その程度の物見遊山の客相手であれば、わざわざ冷凍保存しなくても、ぬいぐるみを本物と称して展示したところで大した騒ぎにはならないだろうと思われるのだ。
     仮に、展示物の信憑性を増すために偽物を冷凍したとしても、わざわざ銃撃を受けたような傷をつけたことも不思議である。
     ハンセンが最初に述べていたように、シベリアの氷塊の中に冷凍されていたという話を貫くのであれば、銃撃の痕はむしろ不自然だし、傷をつけるには全体の造型を整えた後に一部をそれらしく損壊するという手間をかけることになる。
     さらに、ガラス越しとはいえ、アイスマンを子細に調査したふたりの動物学の権威、サンダーソンとユーヴェルマンも、当初公開されたものを本物と確信しているのだ。

    アイスマンの正体はベトナムの獣人UMA?

     では、真相はどこにあるのだろう。ハンセンの証言の曖昧さについては、アイスマンの入手にあたって何らかの不法行為があり、それを追求されることを恐れたとも考えられる。
     ハンセン自身も1970年になって、じつはあの生物は自分がウィスコンシン州で鹿狩りをしたときに仕留めたものだとも述べている。ところが、もしかしたら人を殺したのかもしれないと思い、冷凍ケースに閉じ込めたままにしたというのだ。
     他方、ユーヴェルマンは1966年の新聞記事から、もうひとつの可能性を指摘している。その記事は、ベトナムに派遣されたアメリカ軍兵士の一団が、ジャングルで大型の獣人を撃ち殺したというものだった。

    ユーヴェルマンの著書。彼はミネソタ・アイスマンについて「ベトナムの奥地に生き残っていたネアンデルタール人」だと考えた。

     有名なヒマラヤのイエティやアメリカのビッグフット以外にも、全身が毛に覆われ、人間のように二本足で歩くUMAの存在は世界中で語られている。
     たとえば、中国には野人、スマトラ島には「オラン・ペンデク」と呼ばれるUMAがいるし、ベトナムにも似たような野人の伝説が古くから伝わっている。

    ↑インドネシアのスマトラ島に棲息すると考えられている小型獣人UMAの「オラン・ペンデク」。

     ほかにも、ベトナムからカンボジアにかけての高地に暮らすモイ族の間には、「ナム・ヌン」という尾のある獣人の伝説が伝わっている。また、ベトナム中部高原に暮らすローマム族の集落には、獣人「グオイ・ズン」の伝説がある。

    ベトナムに棲息するという獣人「グオイ・ズン」。その名はベトナム語で「森の人」を意味する(写真=Idaho State Universityより)。

     ベトナム戦争中には、戦地に派遣されたアメリカ兵が身長1・8メートル、全身が赤茶色の毛に覆われた謎の生物に遭遇したり、この生物の群れと戦闘になったという報告がいくつも伝えられているのだ。
     アメリカ兵はこの生物を「ロックエイプ」と呼んでいたが、ロックエイプの身長や毛の色はアイスマンとよく似ている。そして、ユーヴェルマンによれば、1966年の新聞記事で獣人を射殺したというアメリカ兵のグループに、フランク・ハンセンも含まれていたというのだ。
     当時、戦死したアメリカ兵の遺体は冷凍して本土に送り返されていた。ときにはそうした死体に麻薬や貴重品などを紛れ込ませて、密輸も行われていた。とすれば、ハンセンが射殺したロックエイプの死体をこっそりアメリカに持ち込んだことも十分考えられる。

    ベトナム戦争中、アメリカ兵が謎の獣人「ロック・エイプ」に遭遇したとされており、ミネソタ・アイスマンはその獣人の死骸を密かにアメリカへ持ち込んだものという説もある。

     ハンセンがしばしば矛盾した発言を行っていることも、密輸を追及されることを恐れたためと考えれば説明がつくだろう。
     1973年に消息不明になったミネソタ・アイスマンだが、2013年2月になって、突然アメリカのオークション・サイトeBayで競売に出され、テキサス州オースチンのウィアード博物館館長スティーヴ・バスティが落札し、現在はこの博物館で公開されている(博物館名の「ウィアード」とは「不思議な物品」の意味)。
     出品者はハンセンが述べていた本来の持ち主と推定されているが、こちらの展示については2014年に調査が行われ、造形物という結論が出ている。
     ただ、この展示物がハンセンのアイスマンと同じものかどうかは明らかではないようだ。もしこれが偽物だとすれば、本物はどこに消えたのだろう。アイスマンの謎はまだ完全には解けていない。

    オークションで落札されたミネソタ・アイスマンが公開されているテキサス州オースチンのウィアード博物館(写真=YouTubeより)。

    ●参考資料=『未確認動物UMA大全』(並木伸一郎著/学研)/『X-Zone』第18号(デアゴスティーニ)

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

    関連記事

    おすすめ記事