宮古島の奇祭パーントゥ・プナハ訪問! 泥まみれの来訪神と遭遇/奇祭巡り・影市マオ
美しい海に囲まれた南の楽園に、「パーントゥ・プナハ」という奇祭が伝わる。全身に泥をまとった異形の神「パーントゥ」が、人々を追い回しては泥を塗りつけるのだ。“日本一恐ろしい祭り”とも称されるその伝統行事
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思い思いの仮面をつけた異形の集団が観光客に襲いかかる…!薩摩に伝わる奇祭「メンドン」の一部始終を目撃した!
「し、死んでる……!」
驚きのあまり、思わずそんな独り言を口走った。なぜなら、偶然“モンスターの死骸”らしきものを発見したからだ――。ここは、鹿児島県の薩摩半島南端、指宿市にある池田湖のほとり。
「ムー」読者には説明不要かと思うが、池田湖といえば、水棲UMA「イッシー」の池田湖といえば、水棲UMA「イッシー」の出没が噂されてきた九州最大の湖である。
1970年代のブーム以来、イッシーは地元のマスコットキャラと化しており、首長竜や大ウナギを思わせる形状のオブジェが湖畔に点在。そうしたなかの1体だったのだろう、筆者の目の前の草むらには、朽ち果てたイッシー像が無残にも放置されていた。ツタに覆われて自然と同化し、軽く閲覧注意なグロさを漂わすその姿は、まるでニューネッシーならぬ“ニューイッシー”である。
湖畔に着いて僅か1分、風光明媚な景色に気分が高揚し、鼻歌混じりにイッシーを探し始めた途端の出来事だった。
古くは「開聞の御池」「神の御池」と呼ばれた池田湖には、イッシーとの関係が疑われる龍神伝説もあって興味深い。
江戸時代の文献『三国名勝図会』によると、ある農夫が湖畔を通りがかった際、人頭龍身の怪物、すなわち龍神が草むらで眠っているのを発見。驚いた農夫が、短刀で龍神の首を斬りつけると、龍神は流血して水中へ逃げた。だがその夜、農夫は病で急死してしまい、彼の妻は狂ったように「我はこの池の龍王なり。我を殺せし故に、汝の子孫をことごとく絶す」と宣言。祟りを恐れた農夫の親族は謝罪し、龍神を祀る社を作ることを約束すると、妻の異変は収まったという。
こうして湖畔に作られた龍神の社は、「池王(尾)大明神」として現在もひっそりと残されている。
……図らずも、龍神に遭遇した農夫の気持ちを、筆者も一瞬だけ味わったようだ。
ところで、この神秘的な湖の東岸にある山川利永地区では、毎年1月の第3日曜日に、「メンドン祭り」なる伝統行事が催される。「メンドン」とは、漢字で「面殿」と書く通り、仮面を被った異形の神である。
一般的には、2018年にユネスコ無形文化遺産に登録された、三島村・薩摩硫黄島の来訪神のことを指す。赤と黒の渦巻きや格子模様の付いた仮面に、茅蓑をまとった奇怪な姿をしており、まさに南方妖怪のような存在である。しかし、姿や由来は異なるものの、実は同名の来訪神が薩摩半島にも現れるのだ。そのため、区別して「利永のメンドン」とも呼ばれる。
「メンドン祭り」を簡単に説明すると、利永のメンドン達が神幸行列で集落内を練り歩き、「ヘグロ」(鍋釜の墨)を人々に塗り付けるというもの。ヘグロを塗られた者は、神の霊力を得て、1年を無病息災で過ごせるとされる。離島よりはアクセスが容易いし、何より好みの匂いがプンプンする祭りではないか。
そんな訳で筆者は、ゾンビ化したイッシーに気を取られつつ、山川利永地区へと急いだのだった。
山川利永地区は、眼前に別名「薩摩富士」の開聞岳が雄大に聳える、長閑な田園地帯の集落である。2006年に指宿市と合併するまで山川町に属し、それ以前は利永村と呼ばれていた。JR日本最南端の駅・西大山駅(指宿枕崎線)で電車を降り、農道を30分程歩くと、午後3時過ぎ、集落の中心部に到着。ところが、ハレの日だというのに、辺りに人影は見当たらず、不安になるくらい静寂に包まれている。ただ、道端にある消防ホースの格納庫には、不気味なメンドンの絵が描かれており、祭りを予感させるものとなっていた。
どうやらメンドンは、この集落の象徴的存在でもあるようだ。
「メンドン祭り」を司るのは、住宅街に鎮座する利永神社。
祭神はオオクニヌシ(大国主命)とウケモチ(保食命)で、創建年などの由緒は不詳ながら、次のような伝説が残されている。昔々、南の島から1人の男が小舟に乗って、薩摩半島へ流れ着いた。やがて男は利永に住み、村人達に様々な新しい知識を授けた。そのため、男が亡くなると、村人達は彼の死を深く悼んだ。そして、舟でやって来た男の霊を祀るため、長さ60センチ程のくり舟(丸木舟)を作り、「利永のツイドン」に奉納した。
このツイドン(鎮守殿)こそが、今の利永神社であるという――(『山川町史』より抜粋)。
つまり、元々ここは、“謎の来訪神”と縁がある神社らしい。
鳥居の先には、燈籠や狛犬も無い広々とした境内があり、赤い小さな社殿が建っていた。内部を覗くと、10畳あまりの空間に、20人近い氏子ら地元住民が座っており、意外な人口密度に少し驚いた。法被やスーツを着た人の他、警察官と消防団員の姿も見える。そして正面の祭壇前では、何やら神職が祈祷を行っている。
「メンドン祭り」の始まりとなる例大祭(神事)だ。
ここで気になるのが、奥の本殿に祭神と合祀された“6基の祠”。
これらは、かつて地区内の各集落ごとにあった「伊勢講」の祠で、御神体の石と御札が奉納されているという。「メンドン祭り」は、伊勢講の習俗が変容した行事なのだ。
そもそも伊勢講とは、伊勢神宮に参詣するための信仰集団のこと。江戸時代、全国的に伊勢参りが流行したが、当時の旅行は庶民にとって費用が高額であった。そこで、地域単位で講(団体)を作って旅費を積み立て、毎年くじ引きで代参者(代表)を選ぶことによって、人々は交代で伊勢参りを果たしたのだ。
伊勢講は重要な祭礼としても位置付けられ、代参者の出発時には、盛大な見送りの儀式が行われた。また、代参者が無事帰還した際には、村境での「サカムカエ」や、他家での「ハバキヌギ」と呼ばれる酒宴も広く行われた。代参は一般的でなくなったが、現在も伊勢講に関する様々な習俗が伝承されており、薩摩半島では、賑やかな神幸行列や踊りを伴う点が特徴となっている。
これは、「伊勢神は“賑やかなこと”や“荒々しいこと”を好む」と伝わるためで、お伊勢さんを喜ばせ、集落の安泰を祈願するのだという。そして、この“伊勢神の化身”とされるのが、利永のメンドンなのである。
一説に「メンドン祭り」も、江戸時代に疱瘡が流行った際、利永村の庄屋が代表として伊勢神宮へ参拝し、疫病退散を願ったことが由来と伝えられている。この時、庄屋が持ち帰った伊勢神宮の御札は、利永神社に奉納された。
そして、その御札を移した神輿を担いで村内を練り歩き、見物人の顔にヘグロを塗ることで、無病息災を祈願したのである。
同行事は当時「おいどんちっち」と呼ばれていたが、村人達の注目を集め、やがて「メンドン祭り」に発展したと考えられている。戦前は、利永の6つの集落で、1月と5月、9月の16日に年3回、祭りが行われていたそうだ。しかし戦後、伊勢講が利永神社にまとめられ、毎年1月のみ行われるようになったという。
一通りの儀式が終わると、そんな歴史を持つ伊勢講の祠を1基、法被姿の男達が慎重に運び出した。6基の中から毎年違う祠が選ばれるらしく、今回は正面向かって右側にあったものだ。この祠は、赤い台座の上に載せられ、「オドド」と呼ばれる“伊勢講神輿”と化した。小さくて飾りの無い素朴な神輿である。
その後、オドドは4人に担がれ、早々と神社の外へ。彼らを追いかけると、程なくして到着したのは、近所にある公民館(利永集落センター)。手前の駐車場には、「メンドンまつり」と記された横断幕が掲げられている。ここが“御旅所”になるのだ。
というのも、伊勢講の行事は、「宿送り」「宿移り」「宿迎え」の順で構成される。
「メンドン祭り」の場合、利永神社で宿を決めて送り出すのが「宿送り」。公民館を御旅所(宿)と見做し、神幸行列で移動するのが「宿移り」で、これは「オドドナオイ(神輿直り)」とも呼ばれる。
そして集落を一巡し、公民館に戻るのが「宿迎え」に相当するという。オドドは一旦、館内の舞台上に安置されると、集落の役員が次々に参拝。いつの間にか赤い台座には、小さな賽銭箱と、複数のご飯茶碗が供えられている。このご飯は、利永神社でお祓いを受けた白米「オドドメシ」で、食べると縁起が良いとされるものだ。こうして全ての準備が整い、あとは主役のメンドンを待つばかりとなった。
やがて午後4時頃、祭りの開始を告げる防災行政無線の放送とともに、神幸行列が出発。太鼓や鉦を鳴らす者など、数人の露払いを先頭に、オドドが集落長の老夫4人に担がれて進んでいく。
すると、それらに続いて、いよいよメンドン達が出現。その姿は、実に面妖かつ個性豊かである。天狗や鬼、般若など、伝統行事ではお馴染みの仮面の他、明らかに異質な存在も混じっている。
なんと、ピエロやドクロ、ゴリラなどの仮面もいるではないか。そうした面々が、カラフルな着物を重ね着し、あるいは手ぬぐいをほっかむりし、なんならヘアウィッグも付けているのだ。そして全員が、20センチ程の短い大根(先端が筆状)と、ヘグロ入りのビニール袋を手に持っている。狂気と緩さが同居する装いで、さながら“現代版の山賊”である。
メンドンに扮するのは、「ニセ(二才衆)」と呼ばれる地元の青年達(消防団員など)。祭り当日の彼らには“神が宿る”とされるが、全身の肌さえ隠していれば、衣装に厳格な決まりは無いそうだ。そのため、公民館に備え付けの仮面や着物の他、市販品や手作りなど、自前のものを身に着ける者もいる。中には有名キャラのお面まで使われるので、新旧混交なフリースタイルは賛否を招きそうだが、伝統行事とは時代に合わせて変容するもの。現世に適した素材を依り代として、神は顕現するともいえよう。
さて、住民が集まって来ると、メンドン達は誰彼構わず次々に捕らえ、大根の先端に付けたヘグロを容赦無く、人々の顔に塗りたくっていく。「メンドン回り」や「ワヤクメイ(いたずら参り)」とも呼ばれる、祭りのメインイベントである。俄かに顔が黒くなる者が続出し、静かだった集落は騒然となった。もちろん大人達は、ヘグロ=無病息災であることを理解しており、塗られた後は笑顔でお礼を述べる。しかし小さな子供達に至っては、この世の終わりが来たかのように号泣絶叫。
例え逃げようが、悪戯好きな神々はしつこく、何処までも追いかけて目的を果たす。さすがに今では見られないが、昔は通りがかったバスを止めて、その乗客にもヘグロを塗ることがあったという。ちょっとしたバスジャック事件なので、さぞ乗客らは驚いたに違いない。
ところで、メンドン達を引き連れるオドドは、休憩も兼ねてなのか、しばしば道端で一時停止する。すると興味深いことに、人々は次々と前方から賽銭を入れ、身をかがめて神輿の下を潜っていく。「オドド潜り」だ。そしてオドドの後方に出ると、待ち構えていたメンドン達に、やはりヘグロを塗られるのである。
さらに、オドドメシと御神酒が振舞われ、それを口にすることによって、幾重にも無病息災を祈願する作法なのだ。この一連の流れは、まるでミニアトラクションのような印象だ。もしかしたら、“伊勢参り”を表現しているのかもしれない。
しばらく行列が池田湖方面へ進むと、途中で新たなメンドンが出現。どうやら随時合流し、その数が増えていくようだ。気が付いた頃には、総勢10数体のメンドン軍団が、集落を我が物顔で闊歩する状態となった。手作りと思しきヘタウマな仮面も複数並び、呪物的な不気味さを漂わせながら、人々を追いかけ回すのだ。
しかし、これだけの面子が一堂に揃うと、ダークヒーロー的な格好良さも生じるから不思議である。
「待って待って! 心の準備が! うわあああー!?」
外の賑やかさから自宅前に出て来た老若男女は、たちまちメンドンの餌食となり、悲鳴とともに顔が黒く染まっていく。場合が場合なら警察沙汰だが、その警察官でさえ、この日ばかりは煤まみれの顔で、事態を見守るしかないようであった。かくいう筆者も一応、顔の頬に少しだけヘグロを塗られた(鍋墨なので洗い落としにくい)。臭いが結構きつく、あまり食欲は湧かなかったが、オドドメシも一口貰い、無事に無病息災を得たのである。
ヘグロ塗りが無病息災の祈願になる理由は、「荒神」が関係していると思われる。荒神とは、祟りやすい性格を持つとされる、文字通りの“荒ぶる神”。仏・法・僧の三宝を守り、3つの憤怒相を持つ姿から「三宝荒神」とも呼ばれ、江戸時代には各家庭で、火や火伏の神、竈の神として祀られた。家の中で食を司る竈は、生活の根源ともいえる最も清浄な火所である。火を制御するには、それだけの力が必要ということで、荒神には激しい験力があると考えられた。
そのため、人々は遠出する際、竈の煤=ヘグロを顔(額)に塗ることで、不浄や災難を除去する荒神の力にあやかり、道中の無事を祈ったのである。当然、伊勢参宮者も、一種のお守りとして塗ったことだろう。ちなみにヘグロに関しては、他にも「生まれ立ての子供の額に、×印で塗り付けると悪魔を祓える」「新しい靴に付けないと転ぶ」「鍋の底に付いたら晴れる」など、色々な俗信があるようだ。
また佐賀県では、「子供が泳ぎに行く時は、カワソウ(河童)の難を逃れるため、荒神さんに捧げた“ご仏飯”を食べると良い」とされたらしく、これはオドドメシにも似ている。神々の荒々しさと、伊勢参りの旅路――そんなものを感じさせる神幸行列は、約1時間かけて地区内6集落を練り歩き、先程の公民館へ帰還した。
この後は、集合写真の撮影を行い、オドドは再び館内に安置され、皆で神饌を食する儀式・直会(なおらい)となる。だが、暴れ足りないのか、数体のメンドンは建物の外に残り、尚もヘグロ塗りを続行。と、その時であった。極悪ピエロ顔(後頭部はひょっとこ)のメンドンが、通りがかった1台の車に近付いた。そして、こともあろうに、男性運転手に窓を開けさせると、彼の顔にヘグロをたっぷりと塗ったのである。 バスは止めないが、普通車は今も襲撃するようだ。メンドン、恐るべし……!
*後編に続く!
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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