河童は温泉街にいる! 遠野、日光、定山渓、箱根などから辿った発見した「かっぱ天国」の謎/山下メロ
バブルをまたいだ平成は、いわゆるオカルト事象がやんわりと世に受け入れられていた時代でもある。「ファンシー絵みやげ」研究家の山下メロが、当時を彩った”UMAみやげ”の世界をご案内。 今回は、岩手・栃木・
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一匹の河童から「妖怪町おこし」に成功した町があるという。そこでは、街じゅうに妖怪が鎮座する世にも珍しい光景が広がっていた!
「兵庫県のとある町で、『河童洗い式』がおこなわれる」
webムー編集部にそんな情報がもたらされたのは10月も末のこと。河童洗いとは? ぼんやりとしたイメージしか浮かばないままに、取材班はともかくその現場を訪れてみた。
これがその、河童が洗われるという池。どんよりと濁った水はたしかに不穏な雰囲気を漂わせている。いや、気のせいか目を凝らすとすでになにか見えるような……などと思っていた、直後。
大量の気泡とともに異様な物体が姿を現した。ざんばらの毛に巨大な頭部、真っ赤な体表に、水中に招き入れようとでもするかのような手には鋭い爪が。河童だ!
……いや、確かに河童には違いないのだが、それにしてもあまりに不気味なその姿に目を丸くしていると、池の端からすいすいと河童に近づいていく人影が。おもむろに河童を捕えたその人影――華奢な女性は、手にしたスポンジで河童をゴシゴシと洗い始めたのである。本当に、河童が洗われている。
あっけにとられて見ている我々の前で、女性は方向転換のためくるりと体を回転させた。その瞬間、とんでもないものが目に飛び込んできた。後頭部に、ぱっくりと巨大な「口」が開いていたのである。河童を洗っていたのは、ふたつの口を持つ妖怪・食わず女房だったのだ!
妖怪が妖怪を洗うひととき。満面の笑顔で洗い続ける食わず女房と、洗われる河童をじっと眺める時間が続く。いったい何がどうなったらこんな状況がうまれるというのか……。そこには、ひとつのキーワードがある。
「妖怪の町・福崎」だ。
「福崎町」と聞いてピンときたなら、あなたはかなりの妖怪通だ。
兵庫県福崎町は、姫路市に隣接し、山陽と山陰をむすぶ街道の要地として古くから栄えた町。現在は人口2万人弱ののどかな自治体だが、ほかの町とは一味違う大きな特徴がある。妖怪を目玉にすえた町おこしに成功した、ゴーストタウンならぬ「妖怪タウン」なのである。
福崎町が妖怪タウン化計画の第一歩をふみだしたのは、今から10年ほど前のこと。河童洗い式がおこなわれた辻川山公園のため池がすべてのきっかけだった。
当時、町ではため池のメンテナンスに頭を悩ませていた。この池、どんなに手をかけてもすぐに水が濁ってしまって、一向にきれいにならなかったのだ。
きれいにならないなら、いっそその濁りを活用できないか? そんな逆転の発想から生まれたのが「濁った池に河童の像を置いてみよう」というアイディアだった。もともと福崎町にはフクちゃん、サキちゃんという河童のマスコットキャラクターがいて、河童なら池と相性がいいだろうということでこの計画がもちあがったのである。
当然関係者の多くはそんなゆるキャラ的なかわいい河童像が置かれることを想像していたわけだが、計画を担当することになった町の職員、小川さんはこう考えた。
「怖いもの見たさっていうし、どうせ河童なら気持ち悪いほうがいいだろう」
フィギュア造形を趣味にしていた小川さんは、リアルさを追求したおどろおどろしい河童の原型を自らつくりあげ、試行錯誤のすえ「等身大の不気味な河童が濁った池からせりあがる」という前代未聞の装置の完成にこぎつける。当初は「こんな気持ち悪いもの置けるか!」と役場内でも大反対の嵐だったものの、ふたを開けてみると小川さんの狙い通りその不気味さが評判を呼び、辻川山公園の河童はSNSでも大バズりする。
あれよあれよと見物に訪れる観光客も増え、町ではこれを手掛かりに妖怪町おこし路線をプッシュしていくことになったのだ。
福崎町のあたりでは、古くは河童のことを「ガタロ」と呼んだ。河太郎(ガタロ)という意味だが、改めて河童のガタロウとその弟のガジロウが誕生したというわけだ。非公式ながら福崎町のマスコットキャラクターとなったガジロウは、いまでは出没する先々で悲鳴と歓声をまきおこす町一番の人気者だ。
ガジロウ誕生に続いて、4年後の2017年からは福崎町のあちこちに「妖怪ベンチ」が設置されるようになる。ベンチに1体ずつ妖怪が座っていて、ひと休みしながら記念写真をとったりできるスポットだ。9基からはじまったこちらも現在では計22基を数えるまでに“増殖”中だ。
妖怪ベンチは、基本的に飲食店など町内で営業する店舗の一角に設置される。観光客のベンチめぐりも人気のため、今では新ベンチをつくるたびに設置場所の抽選を行うほど店舗からも引く手あまたの状態だそうだ。
そのほかにも空飛ぶ天狗のギミックなど、福崎町内には現在30体近い妖怪が“生息”している。単純計算、町民1000人に対して妖怪1体以上。人間比の妖怪人口密度は、間違いなく全国で5本の指に入るだろう。
ところで福崎町では2022年から、妖怪ベンチで撮影した写真を公募する「妖怪ベンチフォトコンテスト」を開催している。そしてこの最優秀賞受賞者には、副賞として「辻川山公園のガジロウを洗う権利」が授与されるのだ。
今年のコンテストで最優秀賞に輝き、見事この権利を勝ち取ったのが、食わず女房の妖怪ベンチを完全再現した松尾藍佳(ラ㍑アイ)さん。その河童洗い権行使の現場こそが冒頭の場面だったというわけだ。
もともとどうやってもきれいにならなかった池というだけあって、ガジロウは放っておくとあっという間にコケだらけになってしまう。ふだんは役場の担当者が週2回ペースでまめに掃除をしているのだが、そんなハードワークをコンテストの特典にしてしまおうという着眼点、さすが妖怪タウン。もちろん松尾さん含め、歴代受賞者には大好評だったそう。
現在、ガジロウは辻川山公園だけでなく福崎駅前に設置された「ガジロウチューブ」のなかにも出現する。地下トンネルを通って駅前と池を行き来しているそうだ。こうした妖怪オブジェの効果は絶大で、この10年で福崎町の観光客数は3倍以上に増加。2023年度には70万人を突破し、次の目標として80万人を目指している。
ところで、福崎町にはなぜ河童のマスコットがいるのだろうか。適当に選んだわけではなく、そこにはきちんとした由来がある。福崎町は、柳田國男の故郷なのである。
日本の妖怪研究に多大な影響を残したことでも知られる柳田國男。明治8年(1875)に福崎町の辻川(当時は辻川村)で生まれ、幼少期を過ごした柳田は、やがて農商務省の官僚となり全国に出張するなかで、生まれ故郷で聞いたのとよく似た伝承が日本の各地に残されていることに気がつく。その後も多くの地域をめぐり、遠く離れた地に類似する民話や伝承が伝えられていることを確信した柳田は、それらを丹念に調べ、まとめあげていった。
その成果によって柳田は後世「日本民俗学の父」と呼ばれることになるのだが、なかでも妖怪にフィーチャーした執筆をまとめたものが『妖怪談義』という一冊。福崎町の妖怪ベンチに座る妖怪たちは、基本的にこの本のなかからチョイスされているのだ。
また『故郷七十年』という著書のなかには福崎町を流れる市川のガタロ伝承にふれたエピソードがありる。これをモチーフに考案された河童のガタロウの弟として誕生したのがガジロウである。創作ではあるが、ガジロウはいわば「日本民俗学の父」の末っ子的な位置付けの妖怪キャラクターだったのだ。
柳田國男をルーツとし、ガジロウをきっかけに発展をつづける福崎町の妖怪町おこし。そのムーブメントは意外なところにも大きな影響を与えていた。
(つづく)
webムー編集部
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