「あの祠を壊したのか……!」 祠クラッシャーたちの顛末/妖怪補遺々々

文・絵=黒史郎

    禁忌破りのひとつとして話題になった「祠壊し」。古来、様々な理由で実際に祠を壊した人たちには、どのような展開が待ち受けていたのか? 「やっぱり」と納得のものから驚愕の顛末まで、補遺々々しました。

    祠を壊したのか?

     つい先日、SNSで「祠を壊す」という言葉がトレンドに入りました。
     筆者ははじめ、「祠壊し系」みたいな迷惑系配信者でも現れたのかと思いましたが、ホラー系創作物でよく見られる「禁忌破り系」のネタのことだったようですね。

     ホラー作品では、地蔵を破壊するとか、お札を破るとか、登場人物の不届きな行為によってなんらかの封印が解け、禁を破った本人が恐ろしい目に遭うという展開が多く見られます。
     触れてはならないものに触れてしまったことで、自身や周辺で異変が起きたという例は、なにも創作の中だけの話ではありません。随筆や各地の民俗資料を開きますと、祠に限らず、踏み込めば祟る禁足地、開かずの箱や扉、見てはいけない物、話してはいけない話などが実在し、その禁を破ったがためになんらかの被害を受けた人たちがいて、そういった記録が少なからず残っているのです。

    触れるな、壊すな、動かすな

     神奈川県川崎市の八丁畷(はっちょうなわて)というところには、かつて【山伏塚】と呼ばれる塚があったそうです。塚の名前の由来は不明。おそらく、この地で死んだ山伏が埋葬されていたのではないかとのこと。
     この塚は「手ヲ触レバ祟アリ」といわれ、明治維新ごろまで地元の人たちに恐れられていました。
     しかし、明治のころ、その禁が破られます。京浜電気鉄道(京浜急行電鉄)で行われた工事の際、作業員がこの山伏塚の一部を切り崩したところ、崩した箇所の下から、穴が現れました。
     その穴から「白い煙」のようなものが現れ、現場は騒然とします。作業員たちは、触れると祟るといわれている場所を壊すという「冒涜行為」をしているという自覚がありました。だから、何かが起こるのではと恐れていたのです。
     それからまもなく、現場にいたふたりの作業員が亡くなったとのことです。

     また、この山伏塚の付近では「奇妙なもの」が発見されています。
     塚の近くで土地を借りて耕作していた農夫が、ある日、「土でできた人の形をしたもの」を土中から見つけたのです。それは地蔵でも観音様でもない、よくわからないものでした。発見者がこれを路傍に置いて祀ってみると、ひとり、またひとりと参拝する者がでてきました。一時は、線香の煙が絶えないほどの人が来たそうです。
     このなんだかわからない「人の形をしたもの」を拝みに来た参拝者たちは、何者なんでしょう。これをなんだと思って拝んでいたのでしょうか。
     謎だらけの無気味な話です。

     同じく神奈川県には、勝手に動かしてはならない「石」があります。
     横浜市磯子区峰町の円海山護念寺、その付近の山の雑木林に直径50センチほどの紅葉が生えており、その根のあたりに直径20センチほどの苔で覆われた石があります。
    【霊石】と呼ばれるこの石は、勝手に動いて〝居場所〟が変わるといい、昨日は山の上にあったかと思えば、今日は竹藪の中にあるといったことがたびたびあったそうです。
     この石を人が勝手に動かすと必ず高熱を出し、急死するといって人々は恐れていました。ところが、またその禁が破られてしまいます。
     ある男が萱(かや)を刈るのに邪魔だからと、この石を動かしてしまったのです。
     直後、男は卒倒し、高熱を出して戸板で運ばれ、その後の安否は不明とのことです。
     この石は形状から五輪塔の中央にある「火輪」という部分のようで、名のある人物の墓の一部であった可能性が高いそうです。また、この石のそばには、長さ3尺、胴回り1尺という奇妙な形状の蛇が棲みついているといいます。
     これは【ツト蛇】と呼ばれています。幻の怪蛇【ツチノコ】の別称です。
     祟りは怖いですが、伝説の蛇と出会えるのであれば、【霊石】に会いに行くのもアリですね。

     さて、せっかく前フリが「祠ネタ」なので、祠にまつわる話をいくつかご紹介します。

    祠を壊した話

     江戸時代、増上寺という寺院で起きたとされる出来事です。
     ある日、寺の寮に暮らすひとりの若い僧に異変が起こりました。
     突然、彼の所作が女性のようになったのです。
     この若い僧は主僧に、こんなことを話しだしました。
    「われは隣舎の庭にある小祠に住むものだ」
     その祠には、狐が住んでいました。若い僧が突然、女性っぽくなったのは、その狐が憑いていたからなのです。
     狐の話によると、寮主が祠を壊して捨ててしまい、住むところがないので、ここの庭に祠を建てて欲しいとのこと。また、朔望(陰暦の1日と15日)に、一飯を与えて欲しいといいます。この飯は自分のためでなく、彼女の眷属のためのものだそうです。
     主僧が狐に従来を問うと、自分は洛西久世(京都)の者で、この地に数百年前に来た【花崎】というものだと名乗りました。
    ——本当なのでしょうか?
     周囲は怪しんでいろいろ詰問しました。しかし、若い僧に憑いた狐は「人間には異なり」としか答えません。
     それで、どうなったかというと——。
     祠は建てたそうです。鳥居の額には、この狐に自分で書かせた「花崎社」という文字が刻まれているそうです。
     大出費ですが、祠を壊したバツとしては軽い方なのではないでしょうか。昨今の「祠ネタ」ホラーのほうがひどい目に遭っています。

     これは、享和元年に刊行された『閑田耕筆』という随筆にあるお話でした。
     このように、祠は別にありがたい神仏だけを祀っているものだけではありません。また、先の狐のような「話せばわかる」モノが住んでいるともかぎりません。
     だからやっぱり、人が触れてはいけないものなのです。
     悪い神様や妖怪を祀っている、次のような例もあるのですから。

    それでも壊す。ならば徹底的に

     豊前の小倉城の城内に、小さな祠がありました。
     ただ、どのような神を祀っているかはだれも知りませんでした。
     城主は「この地は穢れが多いので、祠は城外の潔清の地に移すべきだ」と考えました。
     ところが、これを実行させようとしたタイミングで城主は目を患ってしまいます。大きく腫れあがり、その痛みは耐えがたいものでした。
     これは祟りにちがいありません。しかも、この祠に祀られているものは、どうも穢れを好み、潔きを嫌う【邪神】のようです。
     これに怒った城主、祠を移すことを止め、壊して野外で焼き払ってしまいました。
     するとどうでしょう。目の病は、すぐに治ったのです。

     ——あれ? 祠って、壊しちゃってもいいんだ?
     そんな声が聞こえてきそうですが、いいわけありません。基本、祠は壊してはダメです。絶対に壊さないでください。今の話は、下手に動かしたら祟られたので、徹底的に破壊したらたまたま良い結果となったという稀有な一例です。

     でも、次もそういうお話です。

     宋の張南軒という人が、ある「淫祠」を壊すようにと役人に命じました。
     これは、邪神を祀っているとされる祠でした。しかし、任された役人は臆病で、バチが当たるのではないかとビクビクしながら祠を壊しました。
     案の定、たちまち両足が萎えて、立てなくなってしまいました。
     それでもなんとか輿(乗り物)に乗って移動し、祠の中にあった神像を壊しました。
     神像の腹の中に香箱のようなものがありました。それも壊すと中にはまた箱が入っています。この箱も壊すと、また中には箱が。こうして最後の箱を壊すと、中から大きな白い虫が出てきたので、これを捕らえ、油に入れて殺しました。
     どうやら、これは邪術の一種だったようです。
     役人の足はすぐに治り、立てるようになったということです。
     
     これは寛政に刊行された『闇の曙』にあるお話で、正徳5年に刊行された『閑際筆記 和漢太平広記』にも同様の話があり、こちらは宋の張敬夫という人物が役人に淫祠を壊させたと書かれています。

    壊さなくても祠は怖い

     壊されなくても、その「扱い」に不満を抱いて祟るという祠もあります。

     高知県幡多郡大月町の某家で祀られていた【若宮さん】の祠です。
     この地にまだ3、4軒しか家がなかったころの昔のことです。
     ある日、村の浜に「うつろ舟」が流れ着きました。
     舟に乗っていた人は、なぜかたくさんの金をもっていました。
     欲に目がくらんだ村人はその人を殺し、金をすべて奪ってしまいます。
     その後、祟りを恐れた村人は小さな瓦作りの祠を建てました。
     ところが、「小さすぎて頭がつかえる」という神様のお言葉があり、また同じ時期に村で悪い事が起きたので、村人は慌てて木像の少し大きい祠に建て直したといいます。

     村人の犯した罪に怒るのではなく、また、住んでいる祠を壊されたから怒るのでもなく、「狭い家に住まわされた」という待遇の悪さに怒って祟ったのです。厳しいですね。

     この「若宮さま」には、これとは違う怨霊伝説があります。

     ある日、村にひとりの女性がやってきて、住むようになりました。
     その女性はとても気性の激しい人だったそうです。
     やがて女性は亡くなり、その後、女性の住んでいた家に他の家族が引っ越してきました。その人たちは彼女の霊を供養しなかったので様々な祟りがあり、それから「若宮さま」を家で祀るようになったそうです。
     供養しなかったことが問題ではなく、女性の霊の性格に問題があったように思います。

     祠を壊さなかったからといって、安心してはいけません。
     祠とは、祠がなくとも祟るものなのです。
     かつて祠あったという場所が、その後も強力な土地となって禁足化している例もあります。

     香川県仲多度郡吉野村の中央に【王屋敷】【天皇屋敷】と呼ばれる所がありました。
     南北50間、東西30間の周縁を堤で囲み、外側に堀を巡らせている土地です。
     この堤の上には道隆親王を祀る小さな祠がありましたが、後に八幡神社に合祀されています。
     しかし、この王屋敷の場所に家を建てると、その家は倒壊するといわれています。
     祠を壊すのではなく、祠が壊す例もあるのですね。

    【参考文献】
    「閑際筆記」『日本随筆大成』第一期
    「闇の曙」『日本随筆大成』第二期
    草薙金四郎「讃岐土俗傳説誌 其ノ一」『旅と伝説』通巻114号
    『民俗採訪 39年度』民俗学研究会〈1965〉
    黒史郎『川崎怪談』竹書房
    黒史郎『横浜怪談』竹書房

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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