語ってはいけないタブー怪談「牛の首」/朝里樹・都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 

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    都市伝説には元ネタがあった。ただただ恐ろしいがだれも内容を知らない怪談の話。

    聞いた人間をおかしくさせる怪談

     「牛の首」という怪談がある。この怪談を聞いた人間は恐怖のあまり3日とたたずに死んでしまう、正気を失う、ある教師がこの怪談について小学生の子どもたちに語ったところ、児童たちが皆口から泡を吹いて失神した、などといったエピソードが語られるが、その具体的な内容については一切触れられない。 ただとにかく恐ろしい「牛の首」という怪談がある、ということのみが語られる都市伝説だ。

     この都市伝説を題材にした小説に小松左京の『牛の首』(1965年)があるが、この小説の中でも「牛の首」の内容には触れられず、とにかく恐ろしい怪談がある、という形で語られる。これは小松氏が実際に出版界で語られていた小話を元に書いた小説だとしているため、恐らくそれ以前から「牛の首」の話は流布していたものと思われる。ちなみに小松左京は『くだんのはは』という短編で牛頭人身の件として生まれてきた娘、つまり「牛の首」を持った人間にまつわる怪異譚を記している。
     また、インターネット上、特に電子掲示板2ちゃんねる(現5ちゃんねる)では、「牛の首の真相」として、「牛の首」の内容とされるものが語られた。それらには、たとえば飢饉に襲われた村が生け贄とした人間に牛の頭を被せ、人ではなく牛であるという体裁で「牛追い祭り」なる祭りを開き、その人間を殺して食らっていたという話が書き込まれた。

     しかしこれは2ちゃんねるの時点で創作だと書き込まれているし、WEBサイト『現代奇談』にて、早い段階から星野之宣の漫画『贄の木』を元にしていることが指摘されている。

     ほかにも2ちゃんねるに書き込まれた話としては、戦前、隣接していながら対立していた矢尻村と馬坂村というふたつの村を舞台にして語られるものもある。

     馬坂村はいわれのない差別を受けていた村で、矢尻村は馬坂村を異様に忌み嫌っていた。しかし、あるとき矢尻村で牛が頭部を切断されて殺されるという事件が何度も発生した。矢尻村の村人たちは犯人が馬坂村の人間に違いないと考え、馬坂村の者を責め立てた。
     一方、馬坂村でも若い女が次々と行方不明になるという事件が続いており、矢尻村の者が犯人ではないかと疑っていた。そのため、二村の対立は深まったが、犯人は矢尻村の権力者の息子であることが判明した。彼はさらった女の首を切断し、牛の頭と挿げ替え、その死体と何度も交わっていた。
     男の父親は事件の発覚を恐れ、死体を焼いて警察に金を渡し、そして男を土蔵に死ぬまで閉じ込めた。さらに彼のことを知った馬坂村の人間が警察に抗議に行こうとした際、矢尻村の者たちが彼らを殺害し、その首を4つの牛の首と並べて川の橋の上に並べ、彼らに罪をかぶせた。
     この見せしめにより、馬坂村も矢尻村もこのことを人に話せば殺される、と恐れ、事件について口外しなくなった。こうして「牛の首」の話はだれも語ることのない恐ろしい話となったのだ、というものだ。

     よくできた話だが、そもそも無に葬られた事件の詳細がなぜ残っているのか、という矛盾が発生している。これも個人によって創作された話だろう。

     しかし、「牛の首」の話が語られる以前にも、口外するとその人間が死ぬため、その内容がだれにも知られていないという話が存在していた。

     その話は「田中河内介の最期」などと呼ばれている。

    絵=本多翔

    だれも知らない田中河内介の最期

     田中貢太郎が記した『怪談会の怪異』(1938年)では、この「田中河内介の最期」を語ろうとした人物の末路について記されている。

     関東大震災の前、白画堂(博画堂)という建物の3階に泉鏡花、喜多村緑郎、鈴木鼓村、市川猿之助、松崎天民といった名だたる人物が集まり、ひとりひとり高座に上がって怪異譚などを語っていると、背広を着た萬朝報(かつて存在した日刊新聞)の記者である男が高座に上がり、「この話は、私の家の秘密で、公開を禁ぜられておりますが、もう時代もすぎましたから、話してもいいと思いますから話しますが、これは田中河内守を殺した話でありますが、それを殺した者は、私の祖父……」といいかけたところで言葉に詰まり、そのまま前のめりになって倒れ、3日ばかりして亡くなった。この話は市川猿之助に実際に聞いたものだ、と記されている。

     この他にも民俗学者の池田弥三郎は著書『日本の幽霊』において、自身の父親がこの怪談会に参加しており、実際に「田中河内介の最期」を語ろうとした人間が死んだことを記している。ただし、先ほどの話とは異なり、萬朝報の記者は一時的にその場にだれもいなくなった際に机にうつぶせたまま死んでいた、と語られている。

     この他にも場に居合わせた著名人が多かったことから、萬朝報の記者が「田中河内介の最期」を語ろうとして死んだことは幾人もの回想として記録が残っている。この記者が死んだのは偶然の可能性もあるが、田中河内介は非業の死を遂げながらその死亡時の詳細が不明なこと、そしてその詳細を語ろうとした男が語る直前に死んだことなどから、「田中河内介の最期」を語ろうとする人間は死に、その話を知る者はいない、という都市伝説として流布することになった。

     このように「牛の首」と「田中河内介の最期」はだれも内容を知らない恐ろしい話である、という共通点がある。しかし、「牛の首」の内容は存在しないのに対し、「田中河内介の最期」は史実の人物にまつわるものであるから、存在している。いつか、この内容が解き明かされる日が来るかもしれない。

    明治13年5月に出版された『高名像伝 : 近世遺勲天』より田中河内介。(国立国会図書館デジタルコレクション)

    (月刊ムー2023年12月号掲載)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。

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