メキシコ大富豪の宇宙人博物館「アリステア」に集まるUFO遺物など/ムー旅メキシコ日報
ムー旅レポート2発目、宇宙人博物館でメキシコ史を覆す遺物と遭遇!
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2018年、考古学界において画期的かつ衝撃的な報告がもたらされた。 なんと、6万を超える太古のマヤ遺跡群が、最新技術を使った調査により発見されたのだ! これらは、宇宙考古学者たちが提唱してきた、古代マヤ文明の「太古宇宙飛行士」説の有力証拠となる可能性を秘めている。 滅亡予言の2012年に先駆けて緊急公開された“異星人土偶”などのオーパーツ情報もあわせて紹介しよう。
目次
「私が思うに、これはマヤ考古学150年の歴史上、最高最大の画期的収穫といえるのではないだろうか。大げさに聞こえるかもしれないが、この“ライダー画像”を初めて見た瞬間、私はあまりの感動に体が震え、熱い涙が込み上げてきた!」
英BBC記者にインタビューされたとき、そんな感激的なコメントを思わず漏らしたマヤ考古学専門家は、米東海岸の名門ブラウン大学のスティーヴン・ヒューストン考古学・人類学教授だ。
ふだんは冷静なはずの科学者の心をそこまで揺さぶった“LIDAR(ライダー)”とは、「光(またはレーザー)検出と測距」という英語フレーズの頭字語(アクロニム)である。
小難しそうな専門用語だが、要はコウモリが超音波エコーを使って、狭い場所でも巧みに障害物を回避しながら飛び回れるのと、基本的には同じ理屈だ。
レーダーで使われる電波をもっと波長の短い光に置き換えた“ライダー”リモートセンシング技術そのものは、すでに20世紀後半から実用化されていたが、その後電子工学的な進歩改良が大きく加えられたおかげで、今では邪魔な樹木や雑草を自動的にデジタル消去して、地上に存在する固形物だけを捉えた鮮明で立体的な3Dカラー画像を生みだせるようになっている。
2018年が明けて早々、かつては古代マヤ文明が繁栄していたが、現在は住む人もほとんどなく、ただ鬱蒼とした熱帯雨林に覆われているメソアメリカ(中米)のグアテマラ北部一帯が、この最新の“ライダー”技術を使って航空調査が実施された結果、当初の期待をはるかに上回る大きな成果がもたらされた。
なんと少なくとも6万か所をゆうに超える古代マヤ文明の石造遺跡群が、メソアメリカ特有の蒸し暑い熱帯性雨林の分厚いベールに隠されたままひっそり眠っているという、まさに世界を驚かせる考古学的な新事実が明らかにされたのだ!
6万か所にわたって太古の昔から眠る古代マヤ遺跡。
それほど莫大な数の“遺跡”群が、もし住居や神殿や公共施設などのいわゆるインフラ(生活や産業の基盤)を意味するなら、そこまで大発展を遂げた古代マヤ文明を担っていたマヤ人は、少なくとも100万人ぐらいはいたかもしれない。
国連が発表した最新の「世界人口白書」によると、現在の世界人口はついに75億を突破したらしいが、同じ白書は紀元前7000年から前1000年の間の世界人口は、500万から1000万人へと漸増を続けていたとする。
そして世界人口が億の大台に乗ったのは西暦が始まったころであり、それ以降は算術級数的になだらかな増大曲線を描いてきたものと推定されている。
この公式統計が正しければ、古代マヤ文明の人口を100万人ぐらいと見なすのは、それなりに妥当な数字かもしれない。
いずれにせよ古代マヤ文明は、ややもすると私たちが抱きかねないイメージ―—先住民が狩猟や漁撈や農耕の素朴な生活を営みながら細々と暮らしていた原始的な文明などでは決してなかった。
古代マヤ人は、モダンアートと錯覚しそうなほど美しくユニークなデザインのマヤ聖刻文字で碑文を記し、現代天文学にも劣らぬ厳密正確な天文観測に基づいて作成した、そのまま現代の地球上でも通用する幾通りかの暦を、毎日の生活で使いこなしていた。
仮に現代世界に置き換えたとしても、一個の文明国として立派に通用するような、同時代の古代世界きっての高度文明国家だったと、私たちは敬意をもって認めなければならないのだ。
「遺跡が6万か所も探知されたというのは、従来の古代マヤ観を根底から覆くつがえす大発見だ。この古代文明はこれまで考えられていた以上に、その偉大さがおそらくひと桁上回る―—すなわち十層倍も偉大な高度文明だったと見直さなければならない!」
マヤ文明“ライダー航空調査”プロジェクトに協力したマヤ学者のひとり、アメリカ独立革命以前に建学された由緒ある私立イサカ大学(ニューヨーク州)の人類学・考古学者トーマス・ガリソン教授は、BBC記者にそう強調する。
「世界的に知られる古代のエジプトやインドや中国の諸文明と比べても、いささかの遜色もないスケールの古代文明だったといっていい。古代マヤ文明はこれまであまりにも過小評価されすぎていたようだ。私はそう断言する!」
ライダー調査チームの一員で、やはり建学180年を誇るテュレーン大学(ルイジアナ州)の考古学者フランシスコ・エストラダベッリ教授も、「ナショナル・ジオグラフィック」誌にインタビューされて、感慨深げに述懐する。
「ライダー技術は、ハッブル宇宙望遠鏡衛星が天文学に革命をもたらしたのと同じ意味で、現代の考古学に革命をもたらす画期的テクノロジーだ。だが、この最新技術で得られる全データを解析し終わって、われわれが自分たちの見たものを真に理解するようになるまでには、あと100年はかかるだろう」
エストラダベッリ教授がそんな感慨を抱くのも、ある意味無理はない。
この画期的なライダー技術が出現するまでは、考古学者たちが発掘調査の努力をこつこつと重ねて遺跡を地図化するのは、並み大抵の苦労ではなかったからだ。
たとえば、同じグアテマラ北部のジャングルの中で、エルゾッツと呼ばれるマヤ遺跡の発掘調査を、考古学者たちは長年にわたって地道に続けてきた。だが、今回のライダー航空調査のおかげで、地上のエルゾッツ発掘調査隊がまだ未発見だった全長数キロに達する長大な防御壁が、空中から難なくあっさりと発見されたのだ!
「もちろん、最終的にはおそらく地上のわれわれも、この防御壁が護る丘上の城砦に辿り着くことにはなっただろう。だが、2010年の時点で、私はこの城砦からわずか50メートル以内にまで近づいていたのに、何も見つけられなかったんだよ!」
発掘調査団の一員だった前出イサカ大のガリソン教授は、ウェブサイト「ライヴサイエンス」の記者にそう嘆いてみせたものだ。
過去150年のマヤ考古学上の定説では、古代マヤ文明は紀元前2000年ごろに勃興して、現在のメキシコからグアテマラにかけた一帯に支配を拡げながら、大いに発展した。西暦紀元後も1000年以上隆盛と繁栄を誇ったが、やがてしだいに衰退し、1500年代に入ると後継のアステカ文明に取って代わられた。
西暦紀元後も1000年以上隆盛と繁栄を誇ったが、やがてしだいに衰退し、1500年代に入ると後継のアステカ文明に取って代わられた。だが、そのアステカ帝国もわずか100年足らずで、スペイン人征服者(コンキスタドール)たちの非情な侵略と残虐な暴力によって、16世紀には滅亡に追い込まれてしまったのだ。
前出のマヤ学者エストラダベッリ教授は、6万か所以上のマヤ遺跡を新発見という今回の最新情報を根拠に、これだけ多数の遺跡を残せたからには、最盛期の古代マヤ文明の人口は従来の100万人説どころではなく、少なくとも1000万人から1500万人はあったにちがいない、と大胆に見積もっている。
とはいえ、今回の6万か所以上のマヤ遺跡発見のニュースを知って、おそらく主流マヤ学界の考古学者たち以上に内心喜んだのは、これまで長い歳月、主流派から冷たくあしらわれてきた異端派のマヤ学者たちかもしれない。
異端派ーーいわゆる“太古宇宙飛行士”仮説を提唱する宇宙考古学者や研究者たちのことだ。
太古、地球外知的生命体―—平たくいえば“異星人”が、地球の生物相に何らかの形で直接的あるいは間接的に干渉し、結果的に人類の誕生とその文明の創生・発展に関与した可能性を検証する異端的な研究分野である。
このきわめてSF的発想の源流をどこまでも遡れば、超常現象研究の父祖と呼ぶべきアメリカのチャールズ・フォートの“人類家畜”説に行き着く。
だが、“太古宇宙飛行士”仮説の直系的パイオニアとしては、ロシア(旧ソ連、のちにアメリカに亡命)の数学者マテス・メンデレヴィッチ・アグレストがいる。
だが、“太古宇宙飛行士”仮説の直系的パイオニアとしては、ロシア(旧ソ連、のちにアメリカに亡命)の数学者マテス・メンデレヴィッチ・アグレストがいる。
そして同じ“太古宇宙飛行士”仮説の発想を引き継いで世界に広めたセールスマン的存在が、世界的ベストセラー『未来の記憶』シリーズのエーリッヒ・フォン・デニケン(スイス)であり、『地球年代記』シリーズのゼカリア・シッチン(ロシア出身のちアメリカ)なのである。
現在の段階でまだまったく未調査の手つかず状態に置かれたマヤ遺跡が、驚くなかれ6万か所もあるというのなら、ひょっとしてその中には、彼ら異端派マヤ学者たちの主張の正当性を裏づけ、彼らにとって有利に解釈できそうな新たな“証拠”を秘めた遺跡が発見される可能性も、大いにありそうだ。
それにしても、古代マヤ文明が“太古宇宙飛行士”仮説とどんな関係にあるというのかと、ひょっとしたら奇妙に思われる方もおられるかもしれない。
そこで筆者は、いささか私事に踏み込んでお話ししなければならないことを、読者のみなさんにはお許し願いたいと思う。
かつて平井和正という超人気SF作家がいた。とくに「ウルフガイ」シリーズや「幻魔大戦」シリーズは、マニアックなファンの間で絶大な人気を誇った。生前の平井と筆者はなぜか不思議なほど気が合い、ウマが合ったので、私がSF編集者をやめてフリーになってからも、互いに連絡を取り合ってはよく国内のあちこちへ小旅行に出かけたものだ。
だが、平井は老いるにつれて極端なマスコミ嫌い、人嫌いになり、しまいには執筆のペンを握ることもしなくなった。最晩年になるとほとんど自宅に籠もったきり外出もせず、東京で開かれる出版パーティにも出てこないし、人にも会おうとしなくなったのだ。
それでも、私にだけは最後まで心を開いていてくれたようで、ときたま訪ねていくと、口数はめっきり少なくなったが、こちらの話をいつもにこやかな笑顔で聞いてくれた。
その平井が人気作家の絶頂にあったころ、だしぬけに手土産として拙宅に持参してくれたのが、いわゆる“太古宇宙飛行士石板”の実物の6分の1ほどの縮尺レプリカだった。
現在もわが家の玄関の白壁を飾っていて、もちろん裏面には自筆の署名が「平井和正 1975年贈」と入っている。私が編集者稼業から足を洗って、フリーになってからちょうど1年目にあたる。
生前の平井は大がつくほどの飛行機嫌いで、私の知るかぎりでは、海外旅行に出かけたのはそのときのメキシコ観光旅行だけだったと思う。後日になって知ったが、このレプリカ石板はメキシコシティの国立人類学博物館の売店で購入したものだった。
わざわざ私のためにこのレプリカ石板を買ってきてくれたのも、私がフリーになる前からUFOや宇宙考古学やUMAなどの研究分野にのめりこみ、その方面の訳書や著作を出しはじめていたことをもちろん知っていたからだ。
平井に限らず当時の日本のSF作家たちは、ネタを拾えそうな、いうなれば地続きのジャンルとして、宇宙考古学関連の著作物を読むのは当たり前だったのだ。
そして数年前に鬼籍に入ったこの親友に今でも心から感謝しているのは、“太古宇宙飛行士石板”レプリカをじかに手にしたことも大きな契機のひとつとなって、思いがけなくもまさにその翌年、世界の“宇宙考古学的”古代遺跡を探訪して回りたいという長年の夢が、出版企画の形で叶ったからなのだ。
そしてこの古代遺跡探訪の旅で訪れた重要な遺跡のひとつが、ほかでもない古代マヤ文明を代表するパレンケ遺跡だった。
なぜならこの遺跡の中心的存在である“碑銘の神殿”ピラミッドの地下墓室に置かれた石棺の石蓋のレリーフ画(浮き彫り絵)こそが、件の“太古宇宙飛行士石板”の出所だったからである(ただし実際に現地パレンケで見られるのは、文化財保護の観点から作成された精巧なレプリカで、本物はメキシコシティの国立人類学博物館に展示されている)。
話を本筋に戻そう。
このパレンケ遺跡の石棺の石蓋レリーフ画こそは、前出のデニケンやシッチンをはじめとする宇宙考古学者たちが主張する“太古宇宙飛行士”仮説のもっとも重要な証拠物件のひとつとされている。
もともとはメキシコ屈指のマヤ遺跡、パレンケ都市国家の中でも中心をなす“碑銘の神殿”ピラミッドの地下に発見された通称“パカル大王”石棺の石蓋表面に彫られたレリーフ画である。石棺そのものがメキシコの考古学者アルベルト・ルースによって発見されたのは1952年で、マヤの神殿ピラミッドがエジプトのそれと同様、王者の墳墓という性格を持つことを裏づける世紀の大発見として、斯界に一大センセーションを巻き起こした。
だが、その15年後、宇宙考古学者デニケンが“太古宇宙飛行士”仮説に基づく想像力豊かな解釈を発表したために、別の意味で再び大センセーションが巻き起こされたのだ。
「この浮き彫りに描かれているのは、操縦席に座った宇宙飛行士が宇宙船を操縦している光景だ。したがってここに葬られた墓の主は地球人ではなく、異星人にちがいない!」
なるほど、この絵を彫ったマヤ人の芸術家には、科学技術への真の理解や知識が欠けていただろうことを差し引けば、そこに描かれているのは様式化された操縦装置と推進機構に取り囲まれて座る宇宙飛行士であり、その証拠に推進装置からは噴射炎らしきものまで迸ほとばしりでている―—と見立てても決しておかしくない絵柄なのだ。
もちろん例によって、既成のマヤ考古学界はこのすばらしく想像力豊かな新説を一笑に付すと、次のように説明したものだ。
「このレリーフ画はまず、横倒しではなく垂直に立てて見るべき構図になっている。上から順にケツァル鳥(メソアメリカ文化の霊鳥、現在はグアテマラの国鳥)、世界樹(または生命の樹)、真人(または神)、玉座を支える大地神の頭蓋骨が描かれており、これらのモチーフはそれぞれ、マヤのほかの芸術作品でもよく見られる」
たしかに“ケツァル鳥”と“世界樹”を組み合わせたデザインの浮き彫りは、同じパレンケ遺跡内の“十字架の神殿”と“木の葉の十字架の神殿”にも見られる。名称中の“十字架”とは、むろん十字形状の“世界樹”を指している。
“十字架”と呼ばれるからといって、別にキリスト教と関係があるわけではない。十字架のモチーフは、古代世界共通のシンボル(記号)で、東洋でいえば、仏教や寺院の記号として使われる“卍”(まんじ)も、その変形とされる。
キリスト教が起源どころか、もっとはるかに時代を遡って、シュメールやバビロニアやエジプト、インドや中国など、世界最古の諸文明が栄枯盛衰した時代から―—つまり事実上、人類文明が花開いたそもそもの最初から、いつでもどこでも常に“宇宙の力”や“生命力”を表す世界共通の記号として用いられてきたのだ。
筆者の知見では、その事実自体が人類の誕生と古代文明の宇宙起源―—すなわち、宇宙の知的生命体による地球生命体への介入、もっといえば生物進化の促進や干渉や工作、さらには文明教化や技術移転といった形の援助や支援があった可能性を示唆する。
それが物質的(異星船の地球来訪)か精神的(宇宙知性体からの霊的啓示)か、それともその両方だったかはわからないが―—
パレンケ遺跡の石棺レリーフ画に対する宇宙考古学的解釈はさておき、当のレリーフ画の構図全体が何を意味するのかという点では、主流マヤ学者の間でも意見がまちまちで、大別次のような諸説が入り乱れている。
①宗教的風習に従って、生け贄に供された男が台座の上で心臓をえぐりだされる場面。
②トウモロコシの神のシンボルの前で、高位の神官が寝そべって寛くつろいでいる場面。
③玉座に座った先住民部族の支配者が、生命の樹の果実をもぎ取っている場面。
④偉大な統治者パカルが、その死の瞬間、神話動物の口元に落下する場面。
これら諸説のうち、近年マヤ考古学界で最有力視されるようになったのは、都市国家パレンケの全盛時に君臨したと碑文に記されている偉大な“キニチ・ハナーブ・パカル王”が、ここに埋葬されたというパカル王墳墓説である。
この伝説的人物は“すごく熱い風に打たれて死に、その魂は天に運びあげられた”という不思議なエピソードの持ち主でもある。
主流マヤ学者たちは碑文が伝えるこの奇妙な物語から推測して、墓の主であるパカル王はおそらくマラリヤか何かの熱病に罹って死んだのだと解釈している。
だが、この話を“太古宇宙飛行士”仮説に引き寄せて強引に解釈すれば、このマヤ神殿の地下に埋葬された“パカル王”という人物は、宇宙船の噴射炎か放射能でも浴びて命を落としたのではないかとも考えられなくはなさそうだ。
この見方に有利に働きそうな人類学的事実もある。問題のレリーフ画が施された石棺の中に安置されていた人骨の謎だ。
推定身長が180センチを超える壮年男子で、これは当時のマヤ人男性の平均身長155センチ(ちなみに女性は145センチ)と比べれば、まさに“巨人”であり“異邦人(エイリアン)”だった。デニケンら宇宙考古学者は、人骨の主が異邦人どころか“異星人”だった可能性も大いにあるとしている。
入念を極めた王墓の造作、頭部に被せられたヒスイの仮面と、飾り物で埋め尽くした埋葬方式は、北米・中米・南米全大陸を通じて類例がなく、そこに葬られた人物が、異常なほどの社会的敬意を受け、最高の地位に君臨するVIPだったことを強く暗示する。
古代マヤ文明では支配者層の中心人物をとくに“真人”(アラチ・ウイニク)と称したが、だれと比べての“真人”(本物の人間?)だったのか? われわれ人類は“神(異星人)”に似ているが神ではない、という意味に解釈するのは強引すぎるだろうか。
総じてメソアメリカの先住民は、数えきれぬほど多数の“神々”を持っていた。その大半は素朴な原始信仰の対象として説明できる自然神だったが、ひと柱だけ別格だったのは、全メソアメリカ古代文化を通じて篤く信仰された至高神“ケツァルコアトル”だ。
厳密にいえば、ケツァルコアトルというのはメソアメリカ最後のアステカ文化における創造神の呼び名で、古代マヤ文明ではもっぱら“ククルカン”(マヤの一部では“グクマッツ”)と呼ばれた(ちなみにここでは深入りしないが、南米のインカ神話の創造神ヴィラコチャもほとんど同様の至高神とされる)。
しかし、呼び名はどう変わってもシンボルとしては“羽毛あるヘビ(フェザード・サーペント)”(翼蛇神)という神話動物で表現され、空を飛んで天と地を自由に行き来できる神とされた。
人間の世界は物質的に繁栄するたびに精神的に堕落して、神の罰を受け、天の落下や火山の噴火や大洪水や大地震に襲われて、これまで3度(または4度)破滅を繰り返したが、そのたびにククルカンが人類を創造し直して、世界を甦らせたという。
だが他方では、ククルカンは実在人物の事蹟を反映したような文化英雄(カルチャー・ヒーロー)的性格も持ち合わせていた。人間にトウモロコシを与え(農業)、彫刻や織物の方法(工芸)を授け、神殿の造り方(建築)や時を測り星の動きを知り暦を作る方法(天文・暦法)を教え、人身御供や血を流すのを禁じる(倫理)、平和な白い顔(白人?)の背の高い“神”だったというのだ。
先に言及したように、古代マヤ人は同時代のヨーロッパやアジアで使われていた暦よりはるかに正確な太陽暦や太陰暦を用いながら、一方では1年260日(20日で13か月)の何の役にも立たない祭式暦ツォルキンも併用していた。ひょっとしてこれは彼らに文明を教えた異星人の故郷惑星の暦だったのだろうか。
さらに、古代マヤ人の用いた数通りの暦の中に、5126年というとてつもなく長い周期でひと周り(還暦)するマヤ学上“長周期暦(ロング・カウント)”と呼ばれる摩訶不思議な暦がある。
その長周期暦の最終還暦年である“2012年”が目前に迫ってきた20世紀後半、霊性向上をめざす“ニューエイジ”思想信仰が広まりだすとともに、その信者たちから“2012年世界破滅”予言が唱えられ、世界破滅後のごく少数の生き残りこそが新人類となって、新たな理想の精神文明が始まるはずなどと主張された。
また一方では、滅亡予言の2012年の前年、2011年にメキシコ合衆国政府機関INAH(国立人類学歴史学研究所[インスティトゥート・ナシオナル・デ・イストリア・アントロポロギカ])から、“80年にわたって封印されてきた”という謎のマヤ出土品類が緊急公開された。
公開にあたっては何の正式発表もなく、しかもあくまでも非公式な形だったが、このタイミングで緊急公開されたのは、その出土品類が世界破滅予言とどこか関連性があるようだったかららしい。
問題の出土品類は1930年代初め、カンペチェ州カラクルムにある神殿ピラミッドと地下洞窟から成る壮大なマヤ遺跡で、当時のINAH発掘作業員たちが発見したとされるものだった。
ところが、その出土品の大半が、従来知られていたマヤ工芸品とはあまりにもかけ離れた異様なもので、主流マヤ学者たちにはどうにも理解できず説明もつかなかったため、取り扱いに困惑した当時のメキシコ政府が、やむなく極秘分類扱いにしてINAH部内に固く封印してしまったのだという。
その封印を80年ぶりに解くよう命じたのは、ほかでもない当時の第56代メキシコ合衆国大統領フェリペ・デヘスス・カルデロン・イノホーサだった。
そしてカルデロン前大統領が封印解除の大統領令を発した裏に隠された真の目的は、もちろん心ある者たちに“2012年世界破滅”予言の的中回避の方法を模索させるためだったという。
だれもが知るように、幸い2012年という年も、結局は世界に破滅をもたらすような大事件が起こることもなく、ほとんど例年どおり、私たちの前を大過なく通り過ぎていった。
ただし実際には、マヤ長周期暦の5126年周期説もひとつの有力な仮説にすぎない。起算年がいつなのか、その取り方にもよるし、年数そのものに異論を唱えるマヤ学者もいる。
つまり、この先のごくごく近い将来に、実は破滅の淵が大きく口を開けて、私たちを待ち構えていないとも限らないのだ。
それはともかく、封印を解かれた問題のマヤ遺跡出土品は、現代の私たちの視点から見れば、どこからどう見てもいわゆるオーパーツ―—“それを生みだした時代や文化の水準に合わない場違いな工芸品”としか形容のしようがない代物ばかりのようだ。
なぜなら封印解除以後に公開されたマヤ遺跡の副葬品や出土品には、細部はさまざまに異なるが基本的形状は一貫して同じ“空飛ぶ円盤型土器”、明らかに宇宙服らしきものを着た“異星宇宙飛行士土偶”、円盤型物体が離着陸する場面を描いた線刻画石板、両目がグレイ型に吊り上がった“異星人仮面”や“異星人人形”、さらには“異星人”と“円盤”を一緒に描いた“円盤・異星人相関図”さらには“地球に小惑星が衝突する瞬間”らしき光景が描かれた線刻石板まで、色も形も内容も多岐多様にわたっている。
この“古代マヤ文明の異星人オーパーツ群発見(というより再発見?)”のニュースが、マスメディアやインターネットを介して世界中に流れたとき、いかにも今どきの科学関連情報ということで、「フェイクニュースの類いでは?」という懐疑的な疑問の声も、当然ながらマスメディアの一部では上がったものだ。
その逆に「年代測定された結果、この出土品類はたしかに古代マヤ文明のものと判明した」との肯定的ニュースも流れたが、残念ながら現段階では、情報の出所が今ひとつ明確ではなく、肯定も否定もできないというのが現実だ。
どうやらこの“マヤ宇宙考古学上の大発見”の真偽問題は、これからもまだまだ論争を呼びそうな予感がする。当面のところ、私たち門外漢は事態の推移を辛抱強く見守りつづけるほかないようだ。
今後も引き続き、この興味深い話題に関しては、続報が入り次第、また稿を改めてご報告することをみなさんにお約束しよう。
南山宏
作家、翻訳家。怪奇現象研究家。「ムー」にて連載「ちょっと不思議な話」「南山宏の綺想科学論」を連載。
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