古代マヤのオーパーツ「クリスタル・スカル」に見るアトランティス文明の存在/並木伸一郎・神秘の古代遺産

文=並木伸一郎

    「ムー認定 神秘の古代遺産」より、オーパーツ「水晶ドクロ(クリスタルスカル)」をアーカイブ。その発見経緯と高度な技術の謎とは…?

    アトランティスの残滓を求めたミッチェル・ヘッジス

     かつてイギリスが生んだ高名な探検家、フレデリック・アルバート・ミッチェル・ヘッジスは、有史以前に高度の文明をもって繁栄したとされる、伝説の大陸「アトランティス」の実在を信じる夢多き探検家のひとりだった。そして、古代マヤ文明にこそアトランティスの遺跡が残されているはずだ、とかねがね主張していた。
     そんな彼は、かねてよりイギリス領ホンジュラス沿岸のベイ湾諸島のどこかに、アトランティスの前哨地らしきものが遺されているのではないか、と目をつけていた。
     というのも、何度かの探検で非常に珍しい工芸品をいくつか手に入れており、さらにその探検の際、ホンジュラスの密林の奥深くに眠る失われた古代都市にまつわる伝説を耳にしていたからだった。

     1919年、マイクは養女のアンナ、マヤ研究家のトマス・ガン博士、そして常に彼の探検の片腕として協力してくれるレディ・リッチモンド・ブラウンを伴い、失われた都市を求めて古代マヤの遺産
    クリスタル・スカルホンジュラスの奥地へと向かったのである。
     マヤ・ケチ・インディオが住む集落に到着したマイクたち一行は、そこでひとまず旅装をといた。そして、発掘調査に協力してくれる現地人を確保したあと、さらに奥地へと進んでいった。
     想像以上に険しいジャングルが一行の行く手を何度もさえぎった。それを必死に切り開きながら進むこと数か月、彼らはついに〝失われた都市〞を発見したのだ。

     それはまさに幸運と呼ぶべきものだった。なにしろ熱帯のジャングルは、あらゆるものを緑のカーテンで覆い隠してしまう。その遺跡も例外ではなかった。密生する草木や蔦に覆われ、普通ならだれにも気づかれなかっただろう。ただ、偶然にもほんの一か所、石組みが顔をのぞかせている場所に彼らは出くわしたのだ。
     マイクの合図で火がかけられた。緑のカーテンが次第に消え去る。と、そのあとには数多くの石壁やテラス、そして塚が現れてきた。

    ルバアンタン遺跡を発掘調査したメンバー。左からミッチェル・ヘッジス、レディ・リッチモンド・ブラウン、トマス・ガン博士。

    ルバアンタン遺跡を発見

     こうして数日後、伝説の失われた古代都市は、その姿をあらわにしたのである。
    「やはり伝説は本当だった!」
     目の前の広大な遺跡を見てマイクら一行は、こみあげてくる感動をおさえきれなかった。
     マイクはこの都市遺跡を「ルバアンタン」と名づけることにした。マヤの言葉で「崩れ落ちた石の都」という意味だ。そしてすぐにホンジュラス政府に対して遺跡発掘の許可願いを申請した。その結果、向こう7年間にわたる独占発掘権を与えられたのである。

     本格的な発掘作業が開始されてから数年経ったころ、ルバアンタンの全容が次第につかめてきた。
     都市は約10キロ四方の広さをもち、中央にそびえ立つ巨大な砦には、ピラミッド、テラス、住居、地下室、さらには1万人以上の観客を収容するように設計された、ふたつの大きな階段のある巨大な円形劇場が付属していた。そこはまさに、〝ジャングルの中に突然出現した現代〞と形容したくなるほどの偉容を誇る遺跡だったのだ。

     1923年、発掘資金と資材調達のため一時イギリスに帰国したマイクは、「ルバアンタンは、これまでアメリカ大陸で発見された単独の土着建造物の中では最大の規模を有している」と報告している。さらに「100万個は優に超える切り石を用いてつくられた巨大な砦は、すばらしいの一語に尽きる」とつけ加えた。
     そして遺跡から出土した像、陶器、石の道具の数々を示して居並ぶ新聞記者たちを驚かせたのである。

    ルバアンタン遺跡の復元想像図。

    マヤ族が示した水晶ドクロ

     マイクが本国へ戻っている間、娘のアンナは現地にとどまっていた。小さかったアンナはもともと遺跡の発掘に加わらず、現地のマヤ族の一家族と暮らしていたのだ。それが思わぬ幸運をもたらした。
     この年の12月、アンナは自身で崩壊した壁に埋もれた寺院の祭壇の下に、何か重大なものが埋まっているらしいことを、インディオの友人から教えられたのだ。それは、マヤ・ケチ・インディオにとっては、代々伝わるきわめて神聖なものであったらしい。そこで彼女は、父が戻ってきてからそれを発掘してもらおうと考えた。
     クリスマスの少し前、マイクがようやく戻ってきた。アンナから好奇心をそそる情報を得た彼は、さっそく祭壇跡の発掘作業に着手した。
     祭壇は崩れ落ちた大きな石壁の下敷きになっている。細心の注意を払いながら、瓦礫の山がひとつひとつ取り除かれていった。

    「おや? 何か光るものが見えるぞ!」
     だれかが叫んだ。確かにキラキラと光り輝くものが、砂から顔をのぞかせていたのである。
     一同の目がそれに集中した。
     マイクが近づき、用心深く周囲の砂をかきわけると、一気にそれを取りだした。
    「ドクロだ、見事な細工のドクロだ!」
     マイクの興奮した声がジャングルにこだました。
     祭壇の下に埋もれていたもの、なんとそれは、水晶で作られたきわめて精巧なドクロだったのである。
     時に1924年1月1日、その日は、奇しくもアンナの17回目の誕生日だった。
     ドクロを手にしたマイクは、それを高く差し上げ、まじまじと眺めた。陽光を浴びたそれはキラキラと神秘的に輝いた。

    ミッチェル・ヘッジスがルバアンタンの遺跡で発見した水晶ドクロ。通称ヘッジス・スカル。
    マイクの娘、アンナ・ヘッジス。彼女が水晶ドクロにつながる情報を得た。

     それから3か月後、この水晶ドクローークリスタル・スカルが発見された場所から約8メートル離れた地点で、ドクロの下あごの部分が見つかった。これまた見事なできばえの細工物だった。しかもまったく傷んでいないのだ。
     マイクはドクロの本体にこのあごを合わせてみた。はたせるかな、それはピッタリとはまったのだ。
     分離する下あご、そして精緻をきわめた細工。このドクロの製作者は、よほどの熟練工だったに違いない。

    ヘッジス・スカルは下あごを取り外せる精密な構造だった。

     しかし、これほどまでに加工する技術が果たして古代のマヤ文明にあったのだろうか?
     確かに遺跡自体はマヤ文明のものだろう。しかし、この水晶ドクロに関する限り、これまで知られてきたマヤ文明とは異質のものが感じられるのだ。
    「もしかしたらアトランティスの遺産ではないか?」
     それほどまでにこの水晶ドクロは見事なできばえだったのだ。

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    並木伸一郎

    「ムー」創刊当初から寄稿するベテランライター。UFO研究団体ICER日本代表、日本宇宙現象研究会(JSPS)会長などを兼任。ロズウェルやエリア51をはじめ現地調査を重ねて考察し、独自の仮説を「ムー」や自身のYouTubeなどで発表している。

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