「金髪蒼眼の種族」が作ったアラスカ古代遺跡・イピウタクの謎! 独自の先進文化を誇った“白い巨人”の正体は?
最果ての酷寒地、アラスカで2000年前に栄えた後に消滅した謎の都市がある。今は遺跡だけが残るイピウタクにはいったい誰が暮らし、なぜ失われたのか――!?
記事を読む
かつて青森の山中にあり、地図や県の公文書から抹消されたと噂される杉沢村。津山事件や『八つ墓村』がもとになった都市伝説といわれるが、ネットでは、杉沢村が実在した証拠とされるキーワードもささやかれている。 杉沢村伝説にはただの噂、物語で片づけられない、一縷の真実が隠されているのではないか。
目次
青森県には地図から消された村にまつわる都市伝説がある。同県のある山奥には古ぼけた鳥居があり、その鳥居の下には髑髏(どくろ)の形に見える岩が置かれている。そして鳥居の向こうには廃村となった村がある。
この村は「杉沢村」と呼ばれている。
村へ向かう途中の道には「ここから先へ立ち入る者、命の保証はない」と書かれた看板があり、さらに進むと、廃墟が残る村の残骸が現れる。その廃墟には古びた血痕がこびりついており、そこで惨劇があったことを窺わせる。
実はこの杉沢村は過去に実在した村で、昭和初期まで人が住んでいた。しかしある日、突然ひとりの若者が何かに取り憑つかれたようになって斧を手に村人を襲いはじめた。この凶行により村は若者を残して全滅。そして村人を皆殺しにした若者も自ら命を絶った。
この事件により住人がいなくなった杉沢村は地図から消え、訪れる人間もなくなった。しかしこの廃村にはいまだに殺された人々や、殺人鬼となった若者の霊が棲みついており、迷い込んできた人間に牙を剥くという──。
私はそんな〝杉沢村〟を訪れていた。正確には杉沢村そのものではなく、人々に杉沢村と呼ばれている地域だ。場所は青森空港のすぐ近く、青森市内の小畑沢小杉というところだ。
山奥にあるという杉沢村のイメージにそぐわず、杉沢村の入り口とされる鳥居は舗装された道路のすぐそばにあり、容易に辿り着くことができる。近くにはゴルフ場があり、昼間に行けば無気味さはあまり感じない。
鳥居の向こうに行くと、「猿田彦大神(さるたひこおおかみ)」と刻まれた石碑の他、いくつかの石がある。しかし杉沢村伝説とともに語られることが多い鳥居の下にある髑髏の形をした岩は見つからない。ひとつ髑髏のように見えなくもない石はあるが、いわれてみないとわからない。
さらに奥に行けば赤い屋根の小さな小屋のようなものがあるが、血痕は見当たらない。当然廃村もなく、「ここから先へ立ち入る者、命の保証はない」と書かれた看板もない。
吉田悠軌著『禁足地巡礼(きんそくちじゅんれい)』によれば、90年代にはこの場所は近隣の道路も整備されていなかったが、2007年に汚泥・屎尿処理施設が建設されたことをきっかけに開けた土地になり、開発が進んだのだという。
今はグーグルマップで「杉沢村」と検索するとこの場所が出てくるため、地図から消えた村どころか、新たに地図に登録された村となっている。
かつて杉沢村の入り口とされた、青森市内の小畑沢小杉。2本の杉の間に白木の鳥居が立つ(写真提供:斎藤力也)。
鳥居の奥にある石碑には、猿田彦大明神と刻まれている(写真提供:斎藤力也)。
もともと、この杉沢村の都市伝説は青森県で地元の人々に語られていた話なのだという。
私が発見した最も古い記録は1995年、弘前大学発行の『境界とコミュニケーション』に収録された小池淳一氏の論文「世間話と伝承」に載せられたものだ。ここでは弘前大学の学生に知っている怖い話をレポートとして求めたところ、青森県の怖い話の名所として「杉沢村」が挙げられたという。
それによれば、杉沢村はひとりの男によって住人が全員皆殺しにされた村で、浮かばれない霊たちがここに来る人を死の道に引きずり込む。また、現在は村ではなく墓所となっている、という内容が記されている。
また杉沢村と並列して「月光の滝」という地名が挙げられているのも見える。月光の滝は今も有名な心霊スポットであり、実在する。恐らく杉沢村も地元青森県の人々の間では心霊スポットの一種として扱われていたのではないかと思う。
廃墟や廃村が心霊スポットとして扱われる場合、その住民が皆殺しにされた、という背景は杉沢村に限らず頻繁に語られるため、珍しいものではない。
ではなぜそんな杉沢村が全国的に有名な都市伝説となったのか。それはまず、インターネットによる拡散だった。
1997年、WEBサイト「怪異・日本の七不思議」に杉沢村についての話が投稿された。そこに記された話は、人里離れた山奥にあった杉沢村という村で、ある青年が村人をひとり残らず斧で殺し、自らも命を絶った。そのため村として機能しなくなった杉沢村は青森市と合併して地図から消えた。この杉沢村は青森空港の付近にあるが、集落に行ける道は一本しかなく、入り口には鳥居がある。そして集落の中にはべったりと血のついた廃屋がある。そしてその青年の邪悪な霊か、惨殺された村人の怨念か、そこに入ったある人は精神に異常をきたしたという。
その後、同サイトでは1999年に杉沢村についての情報が投稿されるとともに、村の入り口であるという鳥居と、そのすぐ側にある石碑の写真が投稿された。その写真こそ、私が立っているこの小畑沢小杉を写したものだった。
この場所にはかつて「小杉集落」という集落があった。WEBサイト「現代奇談」によれば、この集落は通称「杉沢村」と呼ばれていたという。
これは近所からこの集落に行く際、「杉さ行く」といっていたものが訛ったのだと記されている。その名前が地図から消えた村の名前として残ったようだ。
そしてネットで話題になったこの都市伝説は、次にテレビに活躍の場を移した。
2000年8月、フジテレビの番組「奇跡体験‼アンビリバボー」にて、ネットで話題になっているとしてこの杉沢村が取り上げられ、全国的に知られることになる。
しかし、現在の杉沢村の都市伝説が形成されるに至るまで、この小杉集落の他にもいくつかの要素が加えられたのではないかと考えている。青森市内を巡り、その要素を集めてみよう。
鳥居の奥にすすむと、伝説に登場する赤い屋根の小屋は実在した(写真提供:斎藤力也)。
まず取り上げたいのは、杉沢村の入り口にあるという髑髏の形をした岩だ。
実は青森市内には、実際に髑髏の形をした岩がある。
この岩は小杉集落跡地から西側に進み、入内(にゅうない)川を渡った向こう側にある。橋を渡り、道を南側に向かって進むと、やがて山沿いの道になる。緑に囲まれたその道を進むと、小さな町に出る。入内と呼ばれる地域だ。ここをさらに進み、町を抜けると山道に出る。そして人通りもまばらな真っすぐな道を歩いていくと、「石神(いしがみ)神社 左」と記された木の看板が現れる。目的地はこの先だ。木々の香りに包まれながら未舗装の道を辿る。すると長い石の階段が現れた。その石段の上には、鳥居が鎮座している。
この神社こそ「石神神社」だ。そして、この場所には髑髏の形をした岩が御神体として祀られている。その大きさは2メートルほど。斜めに置かれた頭蓋骨のような形をしており、眼孔に当たるふたつの穴にはまるで眼球のように丸い石がひとつずつ存在している。
神社に伝わる話によれば、この岩から湧き出る清水には難病や眼病治療に対する効果があり、藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く喧伝された。
このため参詣する人が後を絶つことがなかったという。
この冷泉の発見者は、眼病を患わずらっていた小館村(現青森市)の弥十郎という人であったが、明治元年、神仏混淆(しんぶつこんこう)が禁止されたとき、神社の形体が未整備であるという理由から信仰を禁じられた。
それでも霊泉を求める人が多く祈禱所を願い出たが、1872年、県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。その後、髑髏の形の自然石の破壊も試みられたが、壊すことはできなかった。
そして1905年、神社は再開発され、正式な神社として認められるに至ったという。
山奥にある、鳥居がある、石の形をした岩があるなどの要素は杉沢村と共通しており、実際この神社が杉沢村の入り口である、という噂も存在するよ
うだ。また神社に向かう途中にある「石神神社 左」の看板は、杉沢村に行く途中にあるという木の看板を連想させる。
もちろん現在の石神神社は正式な神社であるため、観光として訪れることもできる。しかし杉沢村が青森市の青森空港付近にあるといった初期の噂と比べてみると、この神社は青森空港から南東に真っすぐ進んだところにある。こういった共通点を考えるに、杉沢村が生まれた理由とまではいわないが、杉沢村伝説の一部を形成する要素のひとつになった可能性が考えられる。
小杉集落跡も石神神社も同じく青森市内、青森空港付近の山の中にある。山奥の神社にある髑髏の形をした石、という情報が、山の中の、鳥居と石碑が入り口となった廃村と混ざり、杉沢村の入り口にある鳥居の下には髑髏の形をした岩がある、という話が生まれたのではないだろうか。
石神神社にある、髑髏のようなふしぎな形をしたご神体(写真提供:ものがたり法人FireWorks)。
青森市にある石神神社の鳥居。国旗が交差に掲げられている。(写真提供:ものがたり法人FireWorks)
そして杉沢村を構成するもうひとつの大きな要素は、村人たちが皆殺しにされ、地図から消えた、という話だ。
先の小杉集落にはそのような事件があったという記録はないし、そもそも青森県内には現在記録が残っている限り、村を丸ごと全滅させるような大規模な殺人事件があったという情報はない。
この噂は元になった事件がある、という説もよく語られる。有名なものは岡山県で起きた「津山事件」だろう。
1938年、一夜にして青年、都井睦雄(といむつお)が同じ集落に住む住民を30人も殺害した。そのため「津山30人殺し」とも呼ばれる。この事件において、犯人の都井は自分を邪険に扱い、心ない風評を流す住人たちに不満を募らせ、散弾銃と日本刀を凶器として次々と襲った。そして最後に自ら猟銃で命を絶った。
津山事件は一日での大量殺人や犯人の自殺などが杉沢村の伝説と共通する。一方、津山事件では集落の人間が皆殺しにされたわけではなく、杉沢村で凶器として使われたとされる斧が使われたのは、都井が自らの祖母を殺害した最初の殺人のみであった。
このように共通する部分はあるものの、津山事件と杉沢村の伝説は異なる点も多い。特に岡山県と青森県ではかなり距離が離れている。
では次に伝説のモデルとなったと語られることがある「風道」の話を考えてみたい。もっとも、これは実在の事件ではなく、森村誠一の小説、およびそれを原作とした映画『野性の証明』に登場する架空の集落を舞台にした事件だ。
「風道」は岩手県の山にある集落とされ、農作物に感染する軟腐病原菌(なんぷびょうげんきん)に侵された若者が、斧を使い、自分の住む集落の住人たちを皆殺しにするという展開が見られる。この際、生き残ったのはこの青年の娘である少女だけで、彼女はたまたま自衛隊の工作員に助けられ、その工作員によって若者は殺害される。また映画の中盤には廃村となった村が映像として登場する。
これを見るに、斧を使った殺人や集落の全滅など、杉沢村と共通する要素が見出せる。地域も岩手県と青森県の隣県が舞台になっている。
先述したWEBサイト「怪異・日本の七不思議」では、この津山事件と風道の話が混ざり、杉沢村の伝説が生まれたのではないかと考察されている。
90年代末に語られた杉沢村の伝説の場合、語られる要素を見るにこれが正解に近いのではないかと考えられる。
先に記したように廃村や廃屋で大量殺人があったと語られるのはよくあることだが、その肉付けとして「津山事件」や『野性の証明』の要素が、意識的にせよ無意識にせよ使われたのではないだろうか。
しかしいずれにせよ、「津山事件」も『野性の証明』も青森県を舞台にしていない。杉沢村の伝説が青森県を舞台に語られるようになったのには、いくつか可能性が考えられる。
1953年に中津軽郡新和村(現弘前市)で発生した「青森県新和村(にいなむら)一家七人殺害事件」の影響があるのではないか、という説はよく語られる。これはリンゴ園農家の三男である青年が実家に侵入し、一家7人を猟銃で射殺した事件で、この大量殺人が杉沢村伝説の形成に影響を与えたのではないか、といわれている。
また、青森県では実際に山の中でたくさんの人々が亡くなった事件も起きている。
杉沢村と同じく青森市に聳(そび)える八甲田山。18の山々からなるこの大岳は、かつて惨劇の舞台となった。
その山に入ってみよう。八甲田山は小杉集落跡地や石神神社のさらに南東にある火山群の総称だ。
青々と茂る木々の間を抜け、整備された道を徒歩で登っていくと、高田馬場と呼ばれる場所に雪中行軍(せっちゅうこうぐん)遭難記念像が立っている。これは「八甲田山雪中行軍遭難事件」と呼ばれる事件で最初に発見された、後藤房之助(ごとうふさのすけ)伍長をモデルにした像だ。
1902年1月、日本陸軍第八師団は青森市街から八甲田山に入り、同じ市内の田代新湯(たしろもとゆ)の宿に向かって雪中行軍を開始したが、途中で遭難し、210名のうち199名が死亡するという大惨事が発生した。
この事件により、当時から現在に至るまで陸軍第八師団の幽霊が八甲田山に出現するという都市伝説が語られつづけている。特にこの記念像の付近を訪れたカップルが兵士たちの幽霊と遭遇するという話が多い。
そしてこの事件は創作の題材にもなっている。新田次郎(にったじろう)の小説『八甲田山死の彷徨(ほうこう)』でも描写され、それを元に1977年に公開された映画『八甲田山』でも描かれた。当時の日本映画の興行収入記録を塗り替えたこの映画では、陸軍兵士たちが過酷な状況に追い詰められ、次々と倒れていく姿が描かれる。
そしてその翌年、先述した映画『野性の証明』が公開されている。さらにこの映画でも自衛隊の特殊部隊が過酷な状況に追い詰められる様子が描かれる。
そしてこの2本の映画は公開時期が近しいだけでなく、主演が同じ高倉健であった。また『野性の証明』では冒頭で青森、岩手、宮城に跨る北上山地が舞台であると冒頭で示され、何度か青森県の場面が登場する。
この『野性の証明』と『八甲田山』で類似した部分、そして八甲田山の亡霊譚(たん)が混同され、杉沢村の伝説の生成に影響を与えた可能性も考えられる。
八甲田連峰を背景に立つ雪中行軍遭難記念像。吹雪の中、捜索隊の目印になるよう仮死状態で立つ後藤房之助伍長の姿といわれている。
私は緑が生い茂る初夏の八甲田山を後にした。日が明るいうちは、この場所に幽霊が出そうな暗い雰囲気はない。
しかし、この場所を舞台にした怪談は後を絶たない。それはこの山で数多くの人々が亡くなったという事実があるからだ。
だが、先述したように、杉沢村の伝説の中で語られるような大量殺人事件の記録は、青森県内では確認されていない。
都市伝説の形成には、曖昧な印象や情報が影響することも多い。杉沢村の伝説は小杉集落の跡地から始まり、先の『野性の証明』で描かれた「風道」における大量殺人事件や「津山事件」、石神神社の髑髏の形の岩、そしてもしかすれば映画『八甲田山』や八甲田山に伝わる幽霊譚や「青森県新和村一家7人殺害事件」などの要素が加えられていき、現在の大量殺人事件で村人が全滅し、その怨霊の潜む地図から消された村、という都市伝説として語られるに至ったのではないだろうか。
しかし、今でも杉沢村に迷い込んだという体験談は後を絶たない。もしかしたら、そういった人々が互いに語りあってきた伝説は、いつしか本当に地図に載らない村を作り上げたのかもしれない。
もし青森県へと地図にない村を捜しにいき、そこで本当に見知らぬ廃村に迷い込んでしまったら、そこから無事に戻ることができるかどうかはわからない。
朝里樹
1990年北海道生まれ。公務員として働くかたわら、在野で都市伝説の収集・研究を行う。
関連記事
「金髪蒼眼の種族」が作ったアラスカ古代遺跡・イピウタクの謎! 独自の先進文化を誇った“白い巨人”の正体は?
最果ての酷寒地、アラスカで2000年前に栄えた後に消滅した謎の都市がある。今は遺跡だけが残るイピウタクにはいったい誰が暮らし、なぜ失われたのか――!?
記事を読む
タクシー幽霊と消えるヒッチハイカーと、帰ってくるおきくさん/朝里樹・都市伝説タイムトリップ
都市伝説には元ネタがあった。タクシー運転手がバックミラー越しに後を見るとそこには……。
記事を読む
神話に描かれた「最初の皇居」遺跡! 鹿児島県 南さつま市の山中巨石群「宮ノ山遺跡」の謎
居住に適さない急峻な山肌に並ぶ巨石群はいつ誰が建造したのか? 薩摩に残る「古代日本神話」の現場を調査する。
記事を読む
朝鮮半島から鬼が来た!中国地方に伝わる「塵輪」神話のルーツに迫る/高橋御山人
その昔、日本に飛来した「塵輪(じんりん)」と呼ばれる鬼を天皇が弓矢で征伐したとされる伝説。中国地方各地を巡り、その背後にある真実を探る!
記事を読む
おすすめ記事