男女和合の餅”オブック”を食べる! 金剛地金山神社の伝統祭祀「子宝まつり」の危機/山梨奇譚

文・写真=山梨奇譚

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    性器の形の餅をこね、食べることで子宝を祈願する。独特の「子宝まつり」を伝える山梨県の金剛地金山神社に現地YouTuberが行ってみたところ……。

    小さな神社のふしぎな祭祀

     山梨県甲斐市宇津谷(旧双葉町)には、一風変わった祭典が行われる神社がある。祭典も変わっているのだが、神社の見た目も他の神社とは少し異なっているのだ。

     それが『金剛地金山神社』だ。

     一見するとプレハブと見間違うほどの小さな神社で、その存在を知らなければ普通の人は素通りしてしまうだろう。今回私はこの神社について取材することで、神社や風習だけではなく様々問題も見えてきたので合わせてお伝えしたいと思う。

    金剛地金山神社。

    「まつり」を行う「神社」

     文部科学省の資料によれば、日本全国には大小合わせて約8万5千社の神社があるという。
     しかし、宗教法人としての認証を受けていない『小祠』と呼ばれるもの、いわゆる街角にひっそり祀られたものや、家の中に祀られたもの。はたまた会社で屋上に祀っているものなど見かけるが、こうしたものを合わせれば20万社あるのではないかという話もあるくらいだ。

     そんな神社では「祭礼」「祭祀」「祭典」など、様々な言葉で表される『お祭り』が行われることがあるのは誰もが知るところだろう。
     どれもに『祭り』という字が共通しているが、ここには次のような意味が含まれていることをご存知だろうか?

    『奉(たてまつ)る』
    これは「捧げる」という意味であり、祭りの語源の一つに数えられているものである。神様に対して酒や食事などの供物を捧げ、それを下ろして神と共に神事に参加した者で飲食をすることで、神と人、そして人と人が結ばれること。この一連を「奉る」と表現している。

    『まつろう』
    こちらも祭りの語源の一つになっており、人間にはない神霊の力に対して服従・奉仕・供物を捧げ直会すること自体を表現している。

    『待つ』
    祭りという文字には、神の降臨を待つ。神託をいただくことを願うという意味も込められているという。

     このように様々な意味、そして願いが込められているわけだが、祭祀とは非常に重要な儀式ということだ。そんな重要な儀式を行う場所が神社なのである。

    プレハブ小屋が社殿? 金山神社

     神社というものはそれぞれ祀っている神様が異なるのはご存知の通りだろう。それと合わせて祭祀も様々なのだが、その中には一風変わったものを執り行う神社が存在する。
     例えば長野県の諏訪大社で7年に一度行われる『御柱祭』は、諏訪湖周辺に存在する4社の諏訪大社にある大きな柱4本ずつ、合計16本を入れ替える作業が行われる。ここでは10トンにもなる巨木が山を滑り降りたり、街中を通っていくのだがとても盛大で変わったお祭りと言えるだろう。

     今回取材した金山神社の祭典もとても変わったものであるが、まずは神社そのものについてお話ししておこうと思う。

     通常神社といえば、鳥居と参道があり、境内の中に拝殿・本殿といった作りなのだが、冒頭でも言ったように、一見プレハブ小屋と見間違ってしまうような佇まいでひっそりと建っているのだ。しかし参道の脇にはしっかりと祭典の解説の看板が立てられていた。

     それによれば御祭神は『金山猿田彦命(かなやまさるたひこのみこと)』となっている。その後の文には『金山彦と金山姫ともいわれています』ともある。
     金山猿田彦命を検索しても、この金山神社くらいしかヒットしない。金山彦神と猿田彦が習合した神なのだろうか。この二柱の神が別々に祀られていることもあるのだが、習合しているケースは稀である。

     この神社の氏子は通称『小林組』という、小林性を中心とした十数戸で、武田氏配下で刀剣などの製造をしていた鍛冶職人の子孫とのことだ。そのため金山神社では当時使用していたと思われる『鞴(ふいご)』も御神体の一つとなっている。
     金山彦神は鉱山の神とされ、『鉄』と関係が深いため、鍛冶職人に祀られているのも頷ける。さらに、この金山彦神は男根と結びつけて考えられることもある。そこに、道祖神的であり、男根、そして男女の和合の象徴でもある猿田彦が習合して、現在の金山神社となったのだろう。

     社の裏手には祠があり、その周りには男根や女性器を模った石が所狭しと並べられていた。これはおそらく氏子たちがどこかで手に入れたものを祀ったのだろう。

    小屋のような社殿の裏に、本殿と思われる祠がある。
    山梨特有の「丸石」のほか、性器の形の石も奉納されている。

    金剛地の「子宝まつり

     金山神社で行われる祭典は平成14年10月2日に、山梨県甲斐市の指定無形民俗文化財に指定されている。『金剛地の子宝まつり』とも呼ばれ、子孫繁栄を願って毎年1月28日に行われるのだ。
     その起源は「伝わるところ」ではあるが、江戸時代中期の寛保年間(1741年~1744年)から続いているものだという。

     祭典では金剛地の集落のものが家々から米を持ち寄り、男性器型と女性器型の餅が作られる。この餅作りは代々男性のみが行っている。
     リアルな形に作られた餅は釜で茹でられ、茹で上がったものにアンコをつけて完成。この性器(の形の餅)は『オブック』と呼ばれる、神への供物なのだ。当番の家が先頭になって金山神社まで『オブック』を運び、神に奉納するというわけなのである。

    地元の方に見せていただいた「オブック」の写真。

     奉納用のオブックは男性器型のものが長さ17cm、女性器型のものは長さ18cm、幅8cmで、それぞれが500gもあるという。供え終わって氏子たちが食べるオブックも以前は300gもあったそうだ。これを男性が女性器型を、女性が男性器型を「残さず」食べることで子宝に恵まれるのである。とはいえ、なかなか大きくて口に入らないため、歳月を経るにつれオブックは小さくなったらしい。

     また、この祭典は氏子だけではなく、事前に予約をすれば氏子以外の人も供物を頂くことができる。そのため祭典当日には遠方からも子授けを願う人が訪れたり、実際に子を授かった人がお礼参りに訪れているのだ。

    子宝祈願のはずが…後継者不足に

     少し変わった祭典が行われている金山神社だが、近年は深刻な問題も抱えていることが、取材によってわかってきた。
     ご存知の通り、ここ数年は新型コロナウイルスが感染拡大していたが、その影響によって祭典行われていなかった。しかし、それが問題というわけではない。

     金山神社に限らず地方の祭典などには同じ例もあると思うが、若い人材が県外へ出てしまうために『後継者不足』が問題となっているのだ。
     実際、現地は若手と呼ばれる人でも40代後半という状況で、長老と呼ばれる人たちはかなり高齢になってきている。また、先ほども触れた通り『オブック作り』は男性が行うため、働き盛りの青年が家を出てしまったり、夫に先立たれた世帯ではオブック作りに参加できなくなる。子宝の御利益を得ようにも、そもそもオブックの作り手が減ってきているそうだ。

     男女の性器を模った餅を作って食べるというところからメディア取材の申し込みも多数来るようだが、番組によってはただ面白おかしく紹介するだけのものもあったという。ある意味『見せ物』的に紹介されることは、長年この祭典を守ってきた氏子の心情としては複雑なものがあるだろう。

     今全国各地には、この金山神社と同じく消えかかっている風習は多数存在しているだろう。『是非残してくれ!』という気持ちはあるのだが、現地の現状を知ってしまうと簡単にそう言えなかったのも正直なところである。
     私ができることは長く続いてきたこの祭典と、それに携わる人たちの現実を伝えることくらいしかないが、本心を言えば『この祭典を残してくれ』という気持ちだ。

    YouTube「山梨奇譚」での取材動画はこちら!

    山梨奇譚

    山梨県の不思議な場所、変わった物、伝説・伝承などを紹介するYouTube「山梨奇譚」。ロケ動画を中心に、山梨の変わった魅力を発信する。
    世界の歴史、神話、宗教を解説するYouTube「世界ミステリーch」も運営する。

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