現代社会に渦巻く「呪い」を跳ね返す!/LUAの「ブラックオニキス−開運と魔除けの呪術」(1)
漆黒に輝くブラックオニキスは、古代ローマをはじめインドやペルシアなど、各地で魔除けの石として用いられてきました。古今東西の「呪い」と、その解除法について研究を重ねているLUA氏が、本誌11月号の特別付
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日本の長い歴史の裏側で、密かに継承されてきた占いとまじないの秘法を伝える占呪術師(せんじゅじゅつし)がいる。その最後の継承者・きりん師に、いかにして秘法を伝授されたのか、その内容はどんなものだったのか。これまで明かされることのなかった民俗呪術の真相を知るべくロングインタビューを行った。
目次
占呪術師・きりん氏(以下、きりん師)に取材するにあたって、まずやり
たかったのは、きりん師とともに「洞(ほら)」を訪ねることだった。
案内していただいた先は、神奈川県鎌倉市の某所。ある寺院の境内奥の山裾に点在する洞窟群である。
「『洞』って何なんだと聞かれても、ちょっと説明難しいですね。『ばあさま』たちも、ちゃんとした定義づけをしたことはいってませんでしたし。
特定の場所が、口伝(くでん)として、ある意味〝血の記憶〟のような形で何代にもわたってお祀りされていたということでしょうか。ある種の波長とか、集合意識といったもので、みんなが特別な場所だと認識していたのが、「洞」と呼ばれる場所であったと」(きりん)
昔から先人たちがお祀りし、お詣りしていた場所。それは時代を経て神社や仏寺に発展する場合もあるが、立派なお社とは別に、境内に古びた石の祠(ほこら)がぽつんと残されている場合もある。それは、神社のはじまりの場所であったり、あらたに祭神が勧請される以前からカミ祀りが行われていた場だったりする。
また、山の入り口にある洞窟(窟)や、ウロを生じた巨樹のたもとに小さな祠が祀られている場合もある。
今回うかがった洞窟群は、広くいえば寺院の境内にあたるが、寺の信仰とは直接の関係はない。岩壁にいくつかの洞窟があり、なかには、古い墓場とも籠もり修行の場とも違う、いわくありげな「洞」もあった。
「『洞』がどんな場所かといえば、みんながその土地で生きていくための、今あるその土地の『もとの場所』。『もと』を漢字でいえば、元や本であり、素であり祖でもあります。
風水的ないい方をすれば、龍脈のエネルギーが集約されている場所。なかでも湧き水が出る泉や巨樹が生えている場所、滝といった特異なエネルギーが集中している場にもそれに対応した『洞』がある。古くは、そこから人々のくらしが始まったんです」(きりん)
はるか昔、その土地に人が住むにあたって、最初に行われたのは、その土地の〝ツボ〟を見つけ、その土地との折り合いをつけるためにまじないを行う(土地のカミを祀る)ことだった。
きりん師のいう「洞」とはそういう場所で、長い歴史を通じて神社や寺院とも関わりながら民間の信仰として継承されてきた。
そんな「洞」のカミ祀りを担ってきた人たちが密かに伝承してきた、まじないや占いなどの術法がある。
きりん師によれば、「洞」の祭祀やまじない作法を担ったのは女性のみで、男性のみの世界である山岳修験(山伏)とは別に(役割を分担しながら)継承されてきたという。
ちなみにその世界では、「五体満足、五感満足は役立たず」ともいわれるらしい。何らかの障害を抱えた人が、他の人よりいち早く土地の情報を感知できる存在として重宝され、共同体に密かに守られてきた歴史があるという。
しかし、その担い手たちはどんどん鬼籍に入り、きりん師が関わった「洞のばあさま」の系譜も途絶えてしまった。結果として、きりん師は「洞」の〝末子(ばっし)〟となったのだが、もとより、「ばあさま」らにとっても、彼女が最後の継承者になることはわかっていたようだ。そのため、受け継がれた術法は漏らさずきりん師に伝えられることになった。
では、彼女はいかにして「きりん」となったのか。その生い立ちから術法の継承にいたる経緯を直接うかがった。話を聞くにつけ、現代とは思えない数奇な運命に驚かされるのだが、ともあれ以下、本人の証言をそのまま略述してみたい。
──うちの父は、九州・熊本にある島の出身で、北九州の小倉で母と結婚。
後に親族の伝つ手てで大阪に移り、その地で兄と私が生まれました。
私は生まれたときからの記憶があるんです。いわゆる0歳児記憶。人としゃべるより、見えないモノとの会話が多かった記憶があります。それが何かといえば、虫(の精)なのか妖怪のような存在なのか。ともかく、親と会話するよりそちらと会話するのがメイン。不思議に思われるでしょうが、その見えないソレ ──私が〝お蔭(かげ)さま〟と呼んでいる存在── と脳内で会話が成立していたんですよ。むしろ、言葉を教えてくれる躾(しつけ)役みたいな。
逆に、人間と会話するほうがコミュニケーションにズレを感じていました。とくに家庭内では、母親の産後の肥立ちがよくなかったせいか(産後うつか?)、物心つく前から自分にとって母はアブナイ人で、他人より他人のようでもあり、それでいて近くにいるメンドクサイ存在でした。
それよりお蔭さまのほうがより近しい存在で、いつも遊んでくれたんです。
その後、私が3〜4歳のときに北九州の小倉南区に移るんですけど、一家が住んでいた団地の裏に高蔵山という山があって、そこにもまたお蔭さまがいろいろ棲んでいたんですね。おそらく稲荷・龍神系の精霊や妖怪の類いだったかと思うのですが。
私は幼少期のころからよく熱を出していました。心臓や腎臓が弱かったせいもあって。でも運動能力はわりとあって、学校を休んだ昼間とか、家にだれもいないので山にこっそり行ったりしてました。ときには夜にも……。そのあげく、いいかげん帰んなさいとばかりに、じいちゃんやばあちゃんに見送ってもらうという。たぶん生きていない人ですけど(笑)。
家ではひとりでいることが多かったですね。だれともしゃべらずに絵を描
いていました。もう飽きることなく。明らかに人ではないものを(笑)。
相変わらず人間と話をするのがメンドクサイし、フラストレーションがた
まる。そんな子でした。
まだ幼いころのことですが、あるとき、「コイツ、いなくなってしまえばいい‼」と思うことがありました。すると、お蔭さまたちに取り囲まれて、こう諭されたんです。
「いいか、マサキ(本名)、自分らは人から見えないからいつでも会えるだ
ろう? その人を消しちゃったら、肉体がないからずっとお前に張りついて
しまうぞ!」
「わかった! もうそんなことは思わない」
──こんな感じで、私はお蔭さまから人生を教えられたんです。
──小2の冬休み、年末年始の休みを利用して、はじめて父の実家のある〝島〟に行きました。島には父方の祖母がいたのですが、そのリアルばあさまが私の顔を見てため息つきながらこうつぶやいたのを覚えています。
「とうとう来てしもうたかぁ……」
どういうことかといえば、もともと予言されていたらしいんです。あそこの家から「洞」の跡を継ぐ娘が生まれると。本来は「洞」の子は幼いときから仕込むのが当たり前とされているのですが、当時の私はそのぎりぎりの年齢でした。
いろんなばあさまたちが私に会いにきました。近所に挨拶に出向くと、私にばかり注目が集まるのを感じました。こうしてその年末年始は過ぎ、次は小3の夏休み。今度はまるまる1か月の滞在で、ついに〝そのとき〟がやってきました。
夕食が過ぎ、とっぷり日が暮れると、子供だけにすぐ眠くなってしまいます。すると夜中、自分ひとりだけが起こされ、玄関には提灯を持ったばあさまが待っていました。
そしてそのばあさまに連れられて、山の中へ。どれだけ歩いたか、それは
どこだったのかは覚えていません。
こんもりした森の中にあるお社のような扉を開けると、「洞」(カミ祀りの場)があり、座敷があって、ほかのばあさまたちもやってきました。全員そろって8人いたでしょうか。90歳以上の人もいました。若い人で50代ぐらい。うちふたりはすでに亡くなっている人だった気がします。
昼間はそれぞれ家の仕事がありますから、夜にしか集まりません。そもそも呪術は夜中にやるのが基本です。〝伝授〟は2週間ほどのあいだ毎夜つ
づきました。
最初、何だかわからないドブロクのようなものを飲まされました。中身はわかりません。ミミズみたいなものが入っていたような気がします。
それから講義と実践になるわけですが、そのあいだじゅう船酔いしたような気分でした。気がついたら、私が私を見ているような感覚だったことも記憶しています。
その内容は、「霊氣法」というもので、基本三法(①断捨理氣、②財運法、③縁法)のそれぞれの概念と、それぞれのまじないでの応用。ただし、無文字で伝承されたものでしたから、講義といってもすべて〝口移し〟。8人が順繰りに私に伝えることを後からコピーするように復唱していく。その内容がわかったかどうかなどはお構いなく、次から次にという感じで。映画の再生と早送りを一気にやっているような不思議な感覚でした。
まじないに関しては、道具とともにやって見せて次は一緒にやってみる、
という方法。10種ほどの基本の作法を叩き込まれ、あとは基本三法に応用できるよう仕込まれました……。
こうして、8歳の子供に長年継承されてきた呪術の体系がそっくり伝えられた。さらに小3の冬休みに1週間ほど滞在し、夏の伝授のブラッシュアップが行われたという。
ともあれ、質実ともに子供の許容量を超えた内容に思えるが、もとよりその伝授は、知識を教えるというより、「洞」にふさわしい器にエッセンスを注ぎ込む、たとえていえば、まっさらなOSにアプリをインストールするようなものだったのかもしれない。
少女マサキは、伝授の際にばあさまたちから「あなたは『きりん』なんだから」と指名されたという。それはまさしく宿命だった。ではなぜきりん(麒麟)だったのか。「私は真ん中を担う役割だったんです」と師はいう。
どういうことか。
解釈すれば、麒麟は五行(ごぎょう)「木・火・土・金・水」のうち「土」のシンボル(神獣)で、方位は中央。全体の調和を図る役どころである。なお、先の8人のばあさまは、八方もしくは四方をふたりずつで担っていたといい、中央の麒麟がそろったタイミングで、8人の御業が麒麟に集約された。つまりこの地の「洞」(岳洞“たけほら”という)にとって、麒麟は欠けていたピースであり、かつ最後の一ピースでもあったのだろう。
ちなみに、土の神である麒麟は、山や大地をつかさどるとともに、天と地を知る存在でもあるという。季節でいえば土用。土用は立春、立夏、立秋、立冬の前約2週間(年によって異なる)を指し、麒麟は季節が変わる「はじまりどころとおさまりどころ」をまとめる役目を担う。
そこできりん師は、それぞれの土用に合わせて「なごみまじない」を念入りに重ね、護符やお守を謹製し、顧客に頒布している。
「『まじなう』とは、自分と周囲の世界をまじわらせること。実はさまざまなモノコトには見えない存在(お蔭さま)がかかわっていて、それらと会話するように信用と信頼をつなげぎとめておくことで、呪術ははじめて動くんです」と、きりん師。
「とくに、土用の時期は、前の季節で起きたツケが必ず回ってきます。いろんなトラブルが起きやすい時期なんです。ですから、異なる気が支配する季節へのバトンタッチを促すために『なごみまじない』を行う。すると、お蔭さまがフォローしてくれるんですね」
まずは、きりん師が運営する「まじない屋きりん堂」のサイトを開いてみよう。
「まじないと占いは、古くから日本の暮らしの中にいつもありました。きりん堂では、その古から続くまじないと占いをお伝えしております」(トップ画面より)
折々に更新されるその内容はどれも興味深いが、注目は「ばあさま語り(ばあさまとわたし)」だ。上では紹介できなかった「ばあさま」たちの言葉がきりん師の記憶から再生されている。難しい理屈はないが、その土地や風土と折り合って生きていた「ばあさまの智慧」が縦横に語られており、懐かしく、ときにはっとさせられる。
プロフィールの欄には「名音(なおと)の魂・魂詠(たまよ)み占呪術師★きりん」とあるが、「名音の魂・魂詠み」とは、「洞」独特の「名音の魂詠み(①)」、「血脈詠み(②)」、「土地詠み(③)」という占いに由来している。
①は文字通り名前の音と生年月日から当人の命運を詠む。②は当人を前にして、その血脈(経絡)から両親から受け継いだ体質を詠む。③は当人から醸し出る土のにおいから住まいの吉凶や運勢を詠むというものだ。
「なぜ『詠む』と表記するかといえば、名前の音にも血脈にも土地にも波動や音階があるというのが「洞」の考え方。それぞれ歌(産声)をともなって始まると考えるんですね。洞の葬式のひとつに歌って見送るというのがありますが、その人の人生そのものを感じ取り、理解して詠み歌って称える。それが占いにつながっているのです」(きりん)
ちなみに、プロフィールの最後には、「嶽啓道(がくけいどう)・岳洞杜頭(たけほらとず)─麒麟(きりん)/貫洞代杜頭(ぬきほらだいとず)─貔貅(ひきゅう)」とある。
読者のためにこの肩書きを解説する必要があるだろう。
嶽啓道とは、きりん師が伝授を受けた「洞(岳洞)」の流派名で、杜頭はその代表の意、いっぽうの「貫洞」は、きりん師の地元、北九州・小倉の山あいの地区にあった「洞」のことだ。
先にきりん師が幼少期から家の裏山(高蔵山)に出入りしていたことは述べたが、実はこの地域にも「ばあさま」たちがいた。
「小6のとき、学校をサボって自転車で貫洞のあった近くの田んぼをブラブラしていたら、農作業をしていたひとりのばあさまに声をかけられ、そのまま貫洞に連れていかれたのが最初のきっかけでした」
きりん師は高校生ころまで貫洞の集会所に通い、ばあさまたちから身振り手振りでまじない呪術の手ほどきを受けたという。岳洞で占呪術師たる器ができあがっていたので、貫洞での伝授はいわば応用編だった。しかし、世話役のばあさまが亡くなったのち、貫洞もまた一気に廃れてしまい、ここでもきりん師は最後の継承者になってしまった。
なお、「貔貅(ひきゅう)」とは、麒麟とならぶ中国由来の瑞獣で、もとは破邪のシンボルとされ、風水では財運の象徴とみなされている。
「最初に声をかけられたとき、貔貅の後継ぎさんの身体事情から私が代行することになったのです」(きりん)
麒麟にして貔貅。こうして、ふたつの「洞」の系譜を継承する占呪術師が誕生したのである。
日本は近代化によって「洞」(その呼び名は各地さまざまだっただろう)の多くを潰し、土着のカミと信仰の多くを失った。
そんななか、きりん師のような土俗的なまじない信仰の継承者がいたことは、筆者にとってひとつの驚きだった。
ある意味、その伝承文化は神社神道や仏教といった既成の宗教以上に日本人の精神性に深く根ざしたものだったかもしれない。
これからも折にふれ、きりん師とともに地霊の端末というべき「洞」とその呪術世界を深堀りする旅に出かけてみたい。
(2021年6月23日記事を再掲載)
本田不二雄
ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。
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