家の中を“喪服の女”が彷徨い…! 歴史的心霊現象「モートン事件」を考察した研究家がたどり着いた恐怖の真相

文=仲田しんじ

関連キーワード:

    最も詳細に報告された心霊現象の一つとされている「モートン事件」とは何だったのか。新たな興味深い考察では意外なことに心霊現象ではなかった可能性が主張されている。

    医学生の娘が証言した「モートン事件」

     英イングランド南西部グロスターシャー州チェルトナムにある屋敷で起きた「モートン事件」は、1882〜89年にかけて、屋敷の中をさまよう黒衣の女性の幽霊が繰り返し目撃された心霊事件である。

     デスパード一家が住んでいたその屋敷で、家族の娘である当時19歳だった医学生ロジーナ・クララ・デスパードによって報告された。ちなみに事件名の“モートン”は、当初本名を明かしていなかったロジーナのペンネームである。

     ロンドンの心霊研究協会(SPR)の記録に残されたロジーナの証言は次の通りだ。

    「背が高い女性の姿で、黒い柔らかなウールの服を着ていた。動くときのわずかな音からそう判断した。顔は右手に持ったハンカチで隠れていた。…(中略)…全体的に喪服を着た未亡人の印象だった。帽子は被っていなかったが頭が全体的に黒ずんでいることから、長いベールかフードを被っているようにも見えた」

     その“喪服の未亡人”が屋敷の中で移動するルートはいつも同じで、2階のロジーナの部屋近くに出没、物音を聞いたロジーナがドアを開けると、廊下を階段に向かって歩いていくのだという。その後、幽霊は1階まで降りて正面の応接間に入り、部屋の奥の窓際でしばらく椅子に座ったり歩き回ったりしていた。それから部屋を出て、庭に通じる狭い通路に向かいつつ姿を消すという。

    ※画像は「Wikimedia Commons」より

     ロジーナは1882〜84年にかけてその幽霊を6回ほど目撃した。不思議なことに彼女の両親は一度も目撃していないのだが、彼女の姉、弟とその友人の少年の少なくとも3人は幽霊を目撃。3人とも見知らぬ来客かと思ったが、後になって来客などいなかったことが判明したのだ。

     さらに、家族で部屋にいる時に“喪服の未亡人”が部屋にやって来て30分ほど過ごしたケースもあったというが、不思議なことにロジーナ以外は誰もその姿が見えていないようで無関心であった。

     ロジーナは幽霊の物理的存在を確かめ、その証拠を捉えようとあらゆる試みを行った。幽霊が通るであろう場所に紐を張り巡らせたり、少なくとも一度は幽霊に抱きついて触れようとした。しかし、これらの試みはなんの成果も上げられなかった。ロジーナはまた幽霊に話しかけて意思疎通を図ろうとしたが、“喪服の未亡人”は一言も話さなかったという。この屋敷で起きたそのほかの心霊現象として、鳴るはずのない足音、温度変化(冷たい風など)などもあったとされる。

    “喪服の未亡人”は当初は生身の人間のように見えていたが、時が経つにつれて徐々に輪郭がぼやけ、影が薄まっていき、1889年には完全に消えてしまい、それ以降目撃されなくなったという。

     その後の調査で、この“喪服の未亡人”は以前その屋敷に住んでいた男性の2番目の妻、イモージェン・スウィンホーによく似ていたことが判明した。しかしながら、この女性は屋敷で亡くなってはいなかった。

     最終的にデスパード一家はこの屋敷から引っ越し、ロジーナは後に法医学医となった。

     それから屋敷は何度も所有者が変わり現在も使用されているのだが、数十年後の住人によって再び幽霊が目撃されはじめる。

     屋敷が「セント・アンズ」と呼ばれる教会施設として使われていた1969年、聖職者が目撃した幽霊は部屋の壁を通り抜けて立ち去ったという。改装されて賃貸物件となった1973年に入居していたタクシー運転手とその妻も、数々の心霊現象を詳細にわたり報告している。

    ※画像はYouTubeチャンネル「Bleaki Blinder」より

    “喪服の未亡人”は象徴なのか?

    「モートン事件」とは何だったのか。作家で超常現象研究家のスーザン・デメター氏は、「境界」をキーワードに「モートン事件」を考察する。

     デメター氏によれば、幽霊や心霊現象は境界に属するものと定義できる。幽霊はわれわれであると同時にわれわれではなく、生きているわけでも死んでいるわけでもないという境界線上の存在だというのだ。その出没場所もまた、建物内の窓・出入口・階段・廊下など部屋を繋ぐ境界である場合が多い。

     境界を時間に当てはめると、移行期に相当する。歴史的には時代の変わり目という移行期があり、人の一生においても人生の変わり目という移行期がある。結婚と離婚の間には別居という移行期があり、医学生と医師の間には研修医という移行期の状態がある。

     境界と移行期をキーワードに「モートン事件」について改めて考えてみると、まずその時代は性的役割(ジェンダーロール)が明確に定められていたヴィクトリア朝時代であったことが意味を持つという。

     その時代、最初の証言者である19歳のロジーナは、当時の女性としては珍しく法医学医になるための勉強をしていた。つまり、人生の移行期にあったのである。

     そしてロジーナの人生だけでなく、この時代はイギリスの女性全般にとっても変わり目であったと言えそうだ。というのもこの頃、イギリスでは初の女性参政権運動が全国的なムーブメントになりつつあったのだ。以下は、1905〜14年にかけてのイギリスにおける女性の生活を考察した論文からの抜粋で、当時の女性たちが置かれていた状況が示されている。

    「野心的な中流階級の女性たちは、看護、教育、法律、医学といった適切な職業に就くという目標を達成するために、途方もない困難に直面した。彼女たちの野心が高ければ高いほど、困難も大きくなった。医師たちは医学の扉を固く閉ざし、女性が弁護士になれる場所はわずかにあったが、聖職者には一人もいなかった」(エリー・アレヴィ著『History of the English People: The Rule of Democracy(1905-1914)』より)

    ※画像はYouTubeチャンネル「Bleaki Blinder」より

     ヴィクトリア朝時代に大家族で暮らし、科学の道に進むことを目指していた若い女性にとって、人生は決して楽なものではなかっただろう。幽霊体験以外に、ロジーナの考えや感情、そして人生全般について、個人的な記録が残されていないのは残念である。

     つまり、ロジーナが暮らしていた場所と時代の背景を検証することで、幽霊目撃証言がロジーナの“表現”であった可能性が浮上してくるのだ。

     デメター氏によると“喪服の未亡人”は、当時の女性に対する社会的制約を象徴するものと解釈できるという。そしてこの幽霊は、最初の目撃者の人生、そして彼女が生きた場所と時代の一般的な状況を映し出す鏡となり、“喪服の未亡人”はロジーナ自身の内面世界と精神、そしてより大きな集合的無意識が外に投影されたものかもしれないという。

     さらに興味深いのは、デスパード一家が引っ越した後、幽霊は長らく出なくなっていたが、1960年代後半から高まりを見せた女性の権利運動(ウーマンリブ)の重要な時期に再び目撃されはじめたことである。デメター氏の理解では、女性にとってきわめて緊張が高まっていた時代性と無関係ではないということになるだろう。

     とすれば「モートン事件」は“自作自演”であり狂言沙汰ということにもなってくる。確かにロジーナの両親が幽霊を一度も見ていなかったことはやや不可解にも思える。ただし、姉や弟らが同じ人物を見ていた事実をどう考えればよいのか。

     幽霊を見たと公言することが、ある意味でフロイト的な抑圧された心理に起因しているのだという精神分析学的な考察であり、なかなか興味深いデメター氏の解釈であるが、事の真相を今から確かめる術はなさそうだ。

    【参考】
    https://susandemeter.substack.com/p/the-real-woman-in-black
    https://en.wikipedia.org/wiki/The_Cheltenham_Ghost

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

    関連記事

    おすすめ記事