漂着した藁が宇賀神の使いをもたらした!? 山形県三川町で出会った「蛇ニオ」の謎

文=高橋御山人

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    山形県のある地域に伝わる、「蛇ニオ」という耳慣れない文化財。そこには古くから続く蛇信仰の痕跡がみてとれた。

    旅先で見つけた「宇賀神社 蛇ニオ」の案内

     北国では秋の気配を感じさせつつあった、令和6年の9月中旬。筆者は山形県内陸部で伝統芸能の取材を終え、最上川沿いにクルマを走らせ、日本海側の庄内平野に出て道の駅で一休みしていた。

     最上川河口にあって北前船の寄港地として栄えた酒田市と、庄内藩の城下町であり修験で名高い出羽三山を擁する鶴岡市との間に、三川町(みかわまち)がある。庄内平野の中央部に位置し、水田が広がる米どころだ。そこに「道の駅 庄内みかわ」がある。国道からも外れたローカルなスーパーがあり、地元客がメインらしい静かな道の駅だ。

     そこで飲み物を買い、駐車場にある町内の案内図をぼんやりと眺めていると、「宇賀神社 蛇ニオ」という文字と、茅葺屋根の竪穴住居のようなイラストが目に飛び込んできた。
     これは一体何か。
     特殊な民俗や信仰、伝説のあるものに違いない。ならばこの目で確かめずばなるまいと、クルマを走らせた。

    道の駅 庄内みかわにある三川町内の案内図。右上に「宇賀神社 蛇ニオ」がある。

     道の駅から、赤川沿いの道を4キロ程北上する。赤川は、庄内平野を南から北に向かって流れる、山形県内では最上川に次いで二番目に長い河川だ。その東岸の堤防近くの集落に、宇賀神社はあった。

     宇賀神社は、堤防の外側の道から、細い水路を渡った場所に建つ、小さな神社だ。その鳥居をくぐってすぐ左の参道脇に「蛇ニオ」が鎮座していた。
     それは直径2メートル、高さ1メートル程のドーム状に積まれた円形の藁(わら)で、まさに蛇がとぐろを巻くようである。頂上を髷(まげ)のように結ってあるため、その髷に当たる部分がとぐろから出している蛇の頭にも見える。

    宇賀神社は赤川沿いの集落にある小さな神社。鳥居をくぐってすぐ左手に「蛇ニオ」が鎮座している。
    宇賀神社境内の「蛇ニオ」。洪水の際に流れて来て、中から双頭の蛇が出現し、以後様々な霊異を現したという。形状自体蛇がとぐろを巻くようだ。

     ところで「ニオ」とは何か。これは刈り取った稲穂や、脱穀した後の稲藁を円錐形に高く積み上げたもので、稲刈りが済んだ後の秋の水田で見られるものである。そうして稲穂や藁を乾燥させる。地域により呼び名はさまざまであり、稲塚、藁塚などとも呼ばれる。この「蛇ニオ」の場合は「藁ニオ」だ。
     また、藁の上にさらに屋根となる藁を載せて、下の藁を雨風から守る造りのようだが、筆者が訪れたときは「蛇ニオ」の上にビニールがかけられていた。

    現在はビニールがかぶせられており、頂上の白い突起の中に、藁を髷のように結った箇所が納められている。

     境内の解説板によると、200年程前、赤川の大洪水の際、小さな「藁ニオ」が流れ着いた。その中から双頭の蛇が現れたので、宇賀神社のお使いの神の棲み家として祀ってきたという。そして、安産、防火、疫病除けに霊験あらたかな神として近隣の信仰を集めてきた。

    蛇ニオと人面蛇身の神「宇賀神」

     宇賀神というのは、起源ははっきりしないが、中世、神仏習合が進むなかで信仰が発達してきた神で、人の頭に蛇の身体を持ち、とぐろ巻く姿で表された。七福神の一角として名高い弁財天と習合し「宇賀弁財天」とも呼ばれた。姿としては弁財天の頭上に宇賀神が乗るという構図がよく見られる。その形は円錐であり、まさに「ニオ」である。

    宇賀神像の例(東京都中野区・福寿院)。人頭の部分は、女性であったり老翁であったりする。形状は「ニオ」と似た円錐形である。

     また、弁財天の使いは白蛇とされ、白蛇の棲む場所には非常によく弁財天が祀られる。有名な鎌倉の銭洗弁天は、正式名称を「銭洗弁財天宇賀福神社」といい、宇賀神を祀る神社であるが、その名からも分かる通り金運の守り神としても名高い。

    こちらも宇賀神像の例。筆者が所有する円空作の模造品。円空仏特有の極端なデフォルメで形状は円錐よりは円柱に近いが、人頭蛇身でとぐろを巻く姿はよく表現されている。こちらの頭は老翁であり、中央の髭が像下端まで伸びている。

     だが、三川町の宇賀神社は、農村部にあるためかそうした金運の守護神としての性格はあまりないようだ。一方で、超常的な現象をいくつも示す神秘の神として、次のような不思議な話が言い伝えられている。

     ある時、夜中に餅をつく音が聞こえたので、近所の人が不思議に思いその音をたどってみると「蛇ニオ」の中から聞こえてくる。そこで身を清め「蛇ニオ」を崩してみると、なかから一頭の獅子頭が出てきた。ーーこの獅子頭は宇賀神社に奉納されて、例祭には獅子舞が舞われている。

     また別のある時、付近の家で火災が発生したが、そこに4、5人の若者が現れ、火中もいとわず家のなかから家財道具を持ち出し、再び火をかいくぐっていずこともなく消え去った。この若者達は神の化身であったといい、また「蛇ニオ」にどれだけ火の粉が降りかかっても発火しなかったという。

     さらにある別の時には、赤川で大洪水が起こり「蛇ニオ」が流されたが、東南に150メートル程の場所で止まった。ところがその近辺で次々と不幸が起こるので巫女に伺いを立てたところ、「蛇ニオ」が元の位置に戻りたいという。そうこうしているうちにまた大洪水が起こり、前とは反対の流れとなって元の位置に戻ったという。

     このような不可思議な伝説を持つ「蛇ニオ」であるが、宇賀神社を信仰する人の前には、白い蛇や頭に金のハチマキをした蛇が今も現れるという。「蛇ニオ」は今も現役で霊異を現し、畏れ敬われる存在なのだ。

    蛇信仰に密接に関わる「水」の聖域

     蛇は古くから水神として信仰されてきた。水の神として、火事や洪水で霊験を示すのはよく分かる。また「蛇ニオ」が近くを流れる赤川と深い関係がある事は明らかで、この川を遡った上流には、冒頭で述べた修験で名高い出羽三山のうち、月山や湯殿山がある。特に湯殿山は、古くは話すことも聞くこともタブーであり、現在でも写真撮影禁止、裸足で参拝する御神体で名高いが、そこから流れ出る赤い湯が赤川の名の由来だともいわれる。

    宇賀神社近くの赤川に架かる両田川橋より上流を望む。奥に聳えるのは、羽黒山、月山、湯殿山から成る出羽三山の山々で、赤川の源流もその方面にある。

     東北地方では、山伏神楽という修験者が広めた神楽が伝わっており、獅子舞はその代表的な演目の一つである。また明治よりも前には、山伏は巫女とペアを組んで、巫女が神懸かりとなり、山伏が審神者となって村々を巡り祈祷するということがよくあった。そして修験道は神仏習合の最たるものであり、宇賀神は神仏習合の神である。であれば、「蛇ニオ」のルーツには、出羽三山の修験が関係しているのではないか──。

    山形県鶴岡市を流れる梵字川は、月山を水源とする、赤川の主要な支流の一つ。いかにも修験の聖地らしい名である。

     人の気配もしない静まり返った集落の小さな神社で、そうしたことに思いを巡らせていると、突如初老の男性に声を掛けられた。男性は近隣にお住いの方で、地元の子供に「蛇ニオ」の説明をすることもあるそうだ。その際に用いるメモ書きを頂き、口頭でもいくつかのお話を聞かせて頂いた。それらの中には、境内の解説板にない内容も含まれていた。

    ーー「蛇ニオ」は、以前はもっと大きかったが、近年は少し小さくなっている。宇賀神社では白蛇を神として祀っていて「白明神(はくみょうじん)」とも呼ばれている。白蛇や金のハチマキをした蛇を見れば幸せになり、お金持ちになれる。宇賀神社は230年程前に建てられたが、その前から「蛇ニオ」が存在したと思われる。そして「蛇ニオ」は、誰が作ってどこから流れてきたのか、誰にも分からない、等々ーー。

     さかしらに推測をしようとも、所詮は人の業であり、人の理を超えた神の業など計り知れはしないのだと、そう「蛇ニオ」に告げられたのかもしれない。誰が作って、どこから流れてきたのか、人には分からないのだ。ただ、不可思議な「蛇ニオ」が、そこに鎮まるばかりだ。

    出羽三山の一つ、湯殿山には赤い湯が湧いており、参道脇でも見かける。このあたりに湧く湯は丹生(にぶ)鉱泉と呼ばれているが、丹生とは朱色の硫化水銀を意味する言葉であり、同じような赤い色をしたものにも付けられることがある。こうした湯殿山の赤い湯が注ぐことが、赤川の名の由来ともされる。

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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