創造論と進化論を両立させる最終仮説!「古代宇宙飛行士説」という奥の手/新ID理論

文=宇佐和通

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    創造論において”科学”と”神”を共存させる試行錯誤が育まれている。進化論と創造論をまたぐ「神の存在」——“古代の宇宙飛行士説”に踏み込むシリーズ最終回!

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    生命の誕生と進化を司る神とはなにか?

     この連載では、進化論(特にダーウィニズム)とそれと対立する理論を基に、ID理論をはじめとする“非進化論陣営”の構造とそれぞれの特徴・特色を見てきた。
     ここまで論を進めてきて改めて思うのは、神と呼ばれている存在が何だったのかという基本的な疑問だ。神、デザイナー、呼び名は何であれ、知的な存在が地球生物の進化に直接的あるいは間接的に関わっていたのか。連載最後の今回は、そのあたりも意識していきたい。
     これまでもそうだったが、進化論もID理論も創造論も有神的進化論もすべてを含め、ここでは特に “オルターナティブ”という形容詞がキーワードになる。オルターナティブ進化論の重要な要素としても、“古代の宇宙飛行士説”に触れておく必要があるだろう。

    古代の宇宙飛行士説

     古代の宇宙飛行士説という言葉がクローズアップされるようになったのはいつごろだっただろうか。今となっては“オルターナティブ・ヒストリー”の枠組みの中で確固とした存在感を示し、よく知られたボキャブラリーとなっている。

     当然ながら、と言うべきだろう。古代の宇宙飛行士説とID理論、そして全般的な創造論の要素をすべて組み合わせて考えようとする人たちがいる。そしてこれも想像に難くないが、こうした人たちが徐々に注目を集めている。
     彼らが言うには、何らかの知的生命体が古代の地球を訪れた痕跡は世界各地に残されている。その事実は、今も手で触れることができる遺跡に刻み込まれ、共通のモチーフについて語られたさまざまな神話に綴られている。この分野の論理的土台を築いた人物は、エーリッヒ・フォン・デニケンだ。ただ、古代の宇宙飛行士説を「偽科学」と決めつける見方は、デニケン(Erich von Däniken)が初めて本を出した1969年から変わらない。

     古代の宇宙飛行士説の実質的な提唱者であるデニケンは、神と宇宙論をテーマに据えた著作を多く残している。

     さらに細分化するなら、中核的な要素は科学と宗教、そして神と創造ということになる。この連載でここまで論じてきたすべての要素をひとつにまとめる役割を果たすにふさわしいかもしれない。
     さらに、主流派科学の枠組みからも主流派宗教の枠組みからも離れた独自の立ち位置にあり、考え方としては比較的新しい。出発点かつ中核となる“パレオコンタクト=古代の地球と知的生命体のコンタクト”をキーワードに、地球人類の起源と運命を解き明かそうとする姿勢は、進化論ともID理論とも、そして創造論とも一線を画す。

     古代の宇宙飛行士説でよく使われるのが“シーディング=(種蒔き)”という言葉だ。知的生命体が古代の地球を訪れたのはまさにシーディングが目的だったという考え方が基盤となる。蒔かれたのは地球生物の種、あるいは地球文明の種だ。古代の宇宙飛行士説は、地球人類の文明の礎はもちろん、それよりはるか前の時代までさかのぼって、地球の生物の源まで探っていく。よりストレートな言い方をするなら、地球の生物の源となった種がほかの星から“移植”された可能性を追う。
     こうした行いの背景には、聖書をはじめとする主要宗教の伝承、そして世界中に数多く存在する神話で語られている共通のモチーフが介在している。端的に表現するなら、“空からやってきたもの”ということになるだろうか。
     地球のすべての生物の源となる種を蒔き、進化のきっかけを作ったのは、この“空からやってきたもの”ではないのか。古代の宇宙飛行士説は、こうした方向性でものごとを考える。

    シュメール文明の粘土板に描かれた「神々」は宇宙人なのか?

     偽科学とさげすまれることが多い古代の宇宙飛行士説のスタンスは、表面的には極端に見えるに違いない。しかし筆者は思う。創造論的な宗教色が強く出ているわけでもなく、無理な形で主流派科学の枠組みにすべてを押し込もうとする姿勢も感じられない。また、主流派科学に属する科学者たちの中にも、古代の宇宙飛行士説を全面的に認めないまでも、非難はしないという立場の人たちもいる。一般的に思われているほどアンバランスな考え方ではないのかもしれないのだ。

     ここでもう一度、古代の宇宙飛行士説のエッセンスとなる部分を示しておこう。デニケン自身の言葉を借りるなら、次のような言い方になるはずだ。

    「宇宙由来の知的生命体が有史以前の地球を訪れ、類人猿に近いヒト科生物から人類を創り出した。そして知的生命体はやがて創造神として崇められるようになった。こうした“古代の宇宙飛行士”が残した痕跡や人類に対する文化的影響は遺跡や遺物、そして聖書や神話に見ることができる」

     古代の宇宙飛行士説のフォーカスは人類の誕生以降に置かれると思われがちだが、前述の通り、はるか昔の時代の地球の姿もイメージしながら、聖書の巨人族の逸話やシュメール/アッカド神話の“アヌンナキ”に関する伝承に関しても独自の見解を示す。そのプロセスも、やはり“シーディング”という言葉に集約されると思うのだ。

    地球人は宇宙由来なのか

     コモンセンスという観点から人類の進化について考えるなら、ヒト科生物の祖先が地球上に現れたのは500~700万年前のアフリカだったとされている。生物学的に言えば、われわれ現生人類はゴリラやチンパンジーなどと共にヒト科生物に属し、二足歩行するためにヒト亜科という形で分類される。二足歩行が可能なホモ・エレクトスが現れたのは、200~300万年前だ。
     ホモ・エレクトスから進化した現生人類は20万年ほど前に現れ、アフリカからアジア、ヨーロッパへと広がり、やがて世界中で栄えるようになった。これがダーウィン進化論で説明されているプロセスだ。

     こうした考え方に対しそれぞれ反意を示すのがID理論であり、創造論であり有神進化論であるわけだが、古代の宇宙飛行士説はさらにスコープを広げる形で地球の歴史全体を語ることを試みる。その過程には、前述のとおり地球人類の起源という議論も含まれる。そしてこの種の議論も、いくつかに枝分かれしながら存在している。

    写真=NASA’s oddard Space Flight Center Conceptual Image Lab

     たとえばパンスペルミア説では隕石に含まれた“生命の芽”が地球に到達し、それから地球生命が生まれたとされている。生命の芽は地球独自の形で生まれたのではなく、宇宙由来だったというわけだ。パンスペルミア説でよく言われるのは、太古の火星で生まれた生命体が地球にもたらされ、そこから地球生物の進化が始まったというメカニズムだ。

     ところが、これは意図的に行われたものであるという仮説がある。
     これも“シーディング”の概念と深く関わっているのではないか。

     こうした考え方はひとつのジャンルとして“エイリアン・エンジニアリング説”と呼ばれる。有史以前の地球を訪れた知的生命体が、地球の生物の進化の過程を意図的に方向づけたという考え方だ。
     この部分は、本質的にはID理論と合致する。ならばこうした知的生命体は、どの時点で地球を訪れたのか。生命の芽を持って地球を訪れたとする意見もあれば、単細胞レベルの生物が現れてから、あるいはヒト科生物が現れてからという意見もある。いずれにせよ、エイリアン・エンジニアリング説では知的生命体との直接的な関わりが強調され、やがてこうした存在が宗教的概念の基礎となったとされている。

     シーディング説の特色を端的に示すものがもうひとつある。“動物園仮説”と呼ばれる考え方だ。

     2016年6月にスペインのテネリフェ島で開催された「スターマス」という国際会議に講演者として招かれた天体物理学者ニール・ドグラース・タイソン博士は「地球は何らかの知的存在によって精巧に作られた“動物園”かもしれない」と語った。タイソン博士は、ニューヨークの「ヘイデン・プラネタリウム」の館長を長年にわたって務めた著名な科学者だ。こうした人物が太古の地球と知的生命体の関連性をほのめかす発言を行ったことで、主流派科学の内部は少なからず色めき立ったに違いない。

     筆者が指摘したいのは、こういうことだ。地球の生物の進化について考える時、化石だけを頼りに推測を重ねていくという方法に違和感を抱いている科学者は、決して少なくないのではないだろうか。そして地球という限られた環境の中で起こりえることの限界についても、ある程度見えてきているのではないだろうか。

     地球外からもたらされる要因の可能性のひとつとして挙げられるのが、古代の宇宙飛行士説によって語られる存在、“空からやってきたもの”である。デザイナー、あるいは神という言葉で呼ぶ人もいるだろうし、宇宙人という表現が一番ふさわしいと感じる人もいるだろう。

     だからこそ、「ダーウィン進化論VSそれ以外のオルターナティブ進化論」という構図を俯瞰する時、神という要素を盛り込むなら、古代の宇宙飛行士説だけ除外するのはきわめてバランスが悪いと筆者は思うのだ。

    古代の宇宙飛行士説とポップカルチャー

     古代の宇宙飛行士説の中核部分は、地球の古代民族と知的生命体の間に接点があったという仮説だ。優れた技術を有していた知的生命体は、超自然的な力を宿す聖なる存在として受け容れられた。

     古代の宇宙飛行士説を一気に広めたのは、デニケンの『Chariots of the Gods?』だったわけだが、これを原作とするドキュメンタリー映画が製作され、アカデミー賞にノミネートされた事実はあまり知られていない。60年代終わりの時代を生きていた人々は、それまで誰も指摘しなかった事実に熱狂したのだろう。

     この連載の第1回で触れたように、当時のアメリカは、テネシー州議会が次のような内容の法案を正式に破棄した時代だった。
    「テネシー州内の公立教育機関において聖書に記された聖なる創造の教えに反し、人間が下等動物から進化したという内容の仮説について講義することを禁じる」
     まさに科学的根拠がない存在である神という要素を極力排除し、科学的要素を盛り込んだ“創造科学論”という新しい考えが生まれた時代でもある。ただし、古代の宇宙飛行士説は創造科学論よりもはるかに信憑性が低いと認識され、エンターテインメントの延長線上にある仮説というニュアンスで受け容れられたといっていいだろう。
     “偽科学”と呼ばれる素地はこの頃すでに出来上がっており、そのイメージが今になっても拭えないのだ。

     デニケンの著書で一気に知名度が高まった古代の宇宙飛行士説。その名前をトレードマークにした「エンシェント・アストロノート・ソサエティ=古代の宇宙飛行士協会」という機関が創立されたのは1973年だった。創立者はジーン・M・フィリップというアメリカの法律家だ。『エンシェント・スカイズ』という機関誌も発行し、主としてヨーロッパと北米で世界規模の会合も数回開催された。しかし、1998年にフィリップが会長の座を退くと同時に、協会は空中分解してしまう。救いの手を差し伸べたのはスイスのファンだった。有志が集まって資金を出し合い、会社化して「Archaeology, Astronautics and SETI Research Association」(考古学・宇宙航行術・SETI研究協会)という名称で再スタートを切った。

     宇宙の古代飛行士説がポップカルチャーの中で昇華した事例もある。2003年、デニケンの母国スイスのインターラーケンに6200万ドル(約66億円)を投じた『ミステリーパーク』というテーマパークが建設された。連載第2回で触れたケンタッキー州の『クリエーション・ミュージアム』や『アーク・エンカウンター』と全く同じノリだろう。開園後3年で資金に行き詰まり、閉鎖を余儀なくされてしまった。古代の宇宙飛行士説も、よく知られてはいたものの、真のビリーバーはそれほど多くはなかったということだろうか。だが、そのコンセプトは「ユングフラウパーク」に継承されているようだ。

     その理由は、科学的な要素があまり感じられないイメージかもしれない。論陣の顔ぶれもデニケン以外はほとんど知られた人物はおらず、あらたに『Scientific Ancient Skies』とタイトルを変えて再発刊した機関誌もインパクトに欠けた。やがて寄稿そのものが集まらなくなり、休刊に追いやられてしまった。

     しかし、90年代からグラハム・ハンコックの『神々の指紋』に代表されるオルターナティブ・ヒストリー的思考が大きなうねりを起こし、それに引っ張られる形で古代の宇宙飛行士説も再びポップカルチャーという舞台で脚光を浴びることになった。それ以来、例えばジョルジュ・ツォカロスやデビッド・チルドレスといった著名なライターが新戦力として加わり、また、主流派科学の枠内にいる科学者たちの中にも古代の宇宙飛行士説に興味を示す人たちが出てくるようになった。

     その流れの中でデニケンの著作物が見直され、アメリカの人気ケーブルテレビ局ヒストリー・チャンネルが『古代の宇宙人』というシリーズが製作されてしばらく経った今、古代の宇宙飛行士説には1970年代とは少し違う種類の視線が向けられている。誤解を恐れずに言うなら、ダーウィニズムでもID理論でも創造論でもない、地球生物の進化に関する考え方の新しい選択肢と呼べる存在に位置づけられるに至った。

     古代の宇宙飛行士説の重鎮であり中核であり続けているデニケンの眼に聖書の創造物語はどう映っているのだろうか。数多い著書および記事の内容からひもとくと、「原始的な遺伝子工学に関する歪曲された記憶」ということになる。
     デニケンの視点から判断しても、前述の通り、古代の宇宙飛行士説はID理論ときわめて親和性が高いことになる。何らかの知的存在が地球生物に与えた決定的な影響を重視するため、進化論の妥当性が否定される。ならば、古代の宇宙飛行士説では“すべての始まり”をどのように説明するのか。先にパンスペルミアについて簡単に触れたが、最も新しいキーワードとして挙げられるのが、“ディレクテッド・パンスペルミア”という言葉だ。 

    ディレクテッド・パンスペルミア

     パンスペルミア説では、地球生命の芽となる物質が隕石などの内部に含まれる形で地球に到達したとされている。ディレクテッド・パンスペルミア説は、その過程さえも“ディレクテッド”=管理された、あるいは方向づけられた出来事だったという内容だ。
     生命の源となる物質は、宇宙全体で見つけることができる。つまり、条件さえ合えばどこであっても生命が生まれることは可能だ。こうした物質が“偶然”に隕石に含まれたまま地球に到達して地球生命体が生まれたとするのがパンスペルミア説だ。

     DNAの構造を発見したイギリス人科学者フランシス・クリックが、イギリス人化学者レスリー・オーゲルと共に、地球上に生命が生まれたのは意図的なプロセスーーつまり何らかの存在が地球に固有の生物を生み出すために生命の芽を意図的に送り込んだ、という仮説を発表した。1971年、旧ソ連のアルメニア共和国のビュラカ天文台で行われた「地球外知的生命体とのコミュニケーション会議」で提唱されたこの仮説は「ディレクテッド・パンスペルミア」と呼ばれ、1973年に正式な論文という形になった。

     クリックとオーゲルがディレクテッド・パンスペルミア説の裏付けとしたのは、地球生物の遺伝子コードの普遍性だ。生命が複数回にわたって生まれたのであれば、あるいはより単純な形の遺伝子コードから進化したのであれば、数えきれないほどの遺伝子コードが存在するはずだ。生物学的な根拠としては、地球生物とモリブデンの関係性が挙げられる。モリブデンは必須微量元素とされているが、地球の組成を考えると、モリブデンが占める割合はごくわずかだ。この特性は、そもそも生命が誕生したのはモリブデンが豊富な惑星だったことを示すものであると考えられる。

     遺伝子コードについても言い方を変えてもう一度記しておこう。地球生物の遺伝子コードが共通しているのは、その遺伝子コードがひとつの種に起因するものであり、それが地球上に蒔かれてさまざまな生物に変化していったと考えられる。
     クリックとオーゲルはまた、宇宙の歴史は古く、地球以外の惑星で知的生命体が生まれ、文明を築いた可能性はどの部分であっても可能だったという立場を取った。こうした先進文明を有する知的生命体が古代の地球を訪れ、生命の種を蒔いたのかもしれない。これは可能性ではなく、科学的事実に基づくシナリオだ。そしてその「科学的事実に基づくシナリオ」を受け容れる流れが徐々に出来上がりつつある。

     生命の根源ーー地球であっても、ほかの惑星であってもーーは、少なくともしばらくの間は解けぬ謎であり続けるだろう。宇宙における生命の起源と地球生物の進化に関する議論の枠組みの中で、ディレクテッド・パンスペルミア説は十分な存在感を示していくに違いない。クリックは今でもディレクテッド・パンスペルミア説に対する検証をアップデートし続けている。

     その中核部分が、今も昔も“偽科学”というレッテルが貼られがちな古代の宇宙飛行士説ときわめて似ている事実も興味深い。もっとはっきり言ってしまえば、ディレクテッド・パンスペルミア説は、言葉遣いの違いこそあれ、本質は古代の宇宙飛行士説と何ら変わらないのだ。

     ここまでの全4回で地球生命・生物の進化に関する考察を重ね、そして、それぞれの仮説のビリーバーの立場の違いを明らかにすることを意識してきた。科学と宗教という歴然とした二極構造に、オーバーラップする余地はあるのか。科学と宗教をひとつにまとめることはできるのか。それとも、そもそも表裏一体の状態なのか。あるいは、パラレルワールドのようにまったく触れ合うことなく存在しているのか。

     そして、神と呼ばれている存在は何だったのか。それは宗教的な意味合いで言う崇敬対象なのか。それとも“空からやってきたもの”、つまりいわゆる地球外生命体だったのか。そうした存在が意図的に“神”という概念を植え付け、何十万年も前から続く地球人類の集合的無意識の中に刷り込んだのか。

     われわれが抱き続け、今や突き付けられている形となった疑問はあまりにも大きく、あまりにも深い。

    (2020年9月23日記事を再編集)

    宇佐和通

    翻訳家、作家、都市伝説研究家。海外情報に通じ、並木伸一郎氏のバディとしてロズウェルをはじめ現地取材にも参加している。

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