謎の儀式か悪魔の憑依か? シカの亡骸を囲んで奇妙な振る舞いを見せる男女をトレイルカメラが撮影
カナダの大自然に設置されたトレイルカメラが映していたのは、シカの死骸に起きた恐ろしい出来事だった――!
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昭和の怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターが回想。今回は、”キョウイク”テキストとなった「狼少女」について。
「森の獣に育てられた謎の『野生児』が発見された。その子は人語を解さず、ただ動物のような唸り声をあげ、手を使わずに生肉を食べる。四足で走れば人間離れした猛スピードで移動し、その瞳は夜の暗闇で爛々と輝く……」
昭和世代であれば、こんな「奇譚」を1度や2度は聞いたことがあるだろう。70年代に子ども時代を過ごした人なら、1度や2度どころか「この種のネタにはもう飽きたっ!」と言いたくなるくらいにさんざん聞いたり読んだりしているはずだ。
「野生児」ネタは、なぜか昭和のオカルト児童書の定番だった。「世界のふしぎな話」みたいなアンソロジーには必ずといっていいほど入っていたのだ。
類人猿に育てられた「ヒヒ少年」とか、カモシカと暮らしていた「カモシカ少年」、豹に育てられた「豹少年」など、さまざまなバリエーションがあったが、一番多く語られていたのが狼に育てられた「狼少年」。世界のあちこちで発見例があるとされていた。
しかし、70年代に氾濫した「野生児」ネタのなかでも、最も広く流布していたのは「狼少年」ではなく「狼少女」だ。同世代ならその名の響きが耳に残っていると思う。
「アマラとカマラ」という「狼少女」の姉妹の逸話である。
いや、当時の多くの本では「姉妹」と表現されていたが、実際には血はつながっていなかったらしい。ともかく、狼によって「姉妹」のように育てられたふたりの少女が、「野生児」という昭和オカルトの定番ジャンルを象徴する存在だったのである。
彼女たちの物語や写真は多くのオカルト児童書に掲載されたが、真偽のわからぬ怪しい「奇譚」としてではなく、れっきとした「事実」として語られ、多くのマジメな大人たちによって議論された。
そもそも、この話を最初にとりあげたのはオカルト界隈の人々ではなく、教育者や児童心理学者なのである。
「アマラとカマラ」が「発見」されたのは1920年のことだが、これが日本で広く知られるようになったのは1955年に翻訳・刊行された『狼にそだてられた子』(アーノルド・ゲゼル著/生月雅子・訳/新教育協会)がきっかけだった。この本は「アマラとカマラ」が保護され、「人の子」として「再教育」を受ける様子を綴った研究レポート。著者のアーノルド・ゲゼルはアメリカの心理学者・小児科医で、児童の発達研究という学問分野を確立したパイオニア的な権威だ。この本も完全に児童心理学・教育学に関するマジメな学問的研究書なのである。
狼に育てられた野生児が人間世界に連れてこられ、そこで一般の子どもと同様の生活が送れるように「再教育」を施される……。この主題には、教育や文化といったものの意味を問い直すような複雑な問題が含まれている。
獣とともに暮らしてきた野生児を強制的に「人間化」することは、果たして「正しい」のか? いや、そもそも「野生児」に限らず、自由奔放に生きようとする子どもを大人社会の型にはめるだけの現在の教育は、本当に「正しい」のだろうか?
「アマラとカマラ」は、結局「再教育」によっても「普通の子ども」として成長することはできず、保護されてから数年後、幼くして死んでしまう。無理矢理に押し付けられた人間としての教育や文化は、彼女たちを幸せにしただろうか? 狼たちとともに大自然のなかで「野生の掟」に従って伸び伸びと生きていた方が、彼女たちは幸福だったのではないか?……といった具合に、「アマラとカマラ」の物語はまず良識的な児童心理学者や教育者の間で、「教育というものへの本質的な疑念」を突きつけてくる「事件」として大きな話題になったのである。そのため、60年代から70年代にかけては多くの教科書に彼女たちの物語が掲載された。僕自身も小学生時代、道徳の教科書だか副読本だかに、「アマラとカマラ」の不鮮明な写真が載っていたのを覚えている。
前置きが長くなったが、ここで「アマラとカマラ」の「物語」の概要をごく簡単にまとめておこう。例によって複数の資料の間で記述がアレコレと矛盾しているのだが、細かい部分を無視して要約すると、だいたい次のようなものになる。
1920年、インドの西ベンガル州「ミドナムリ村」と呼ばれる場所で、狼の巣(洞穴)にいた二人の子どもが保護された(「狼の巣で発見された」のではなく、「シロアリ塚で狼たちと暮らしていたときに発見された」とする資料もある)。保護したのは、この地に伝道に来ていたキリスト教伝道師、ジョセフ・シング牧師。現地の男に「近くのジャングルに恐ろしい化け物がいる」と聞かされ、狼の穴近くを調査していたのだという。「化け物退治」を請け負った、ということらしい。また、村人のいう「恐ろしい化け物」は、この子どもたちのことだったのだろう。目撃者たちからは「獣人」のような存在だと思われていたのかも知れない。
保護された子どもたちは小さい方が1歳半、大きいほうが8歳ほどと推定された。どちらも女の子。年長の子は「カマラ」、幼い方は「アマラ」と名付けられた。シング牧師は二人を自分が経営するミドナプールの孤児院に連れて帰り、以降、そこで彼女たちを養育する。
当初、「アマラとカマラ」は、まさに野生の狼のようにふるまったという。手足の関節が硬直しているために立ち上がることができず、常に四つん這いで移動する。口にするものは生肉と牛乳。夜になると活動的になり、暗闇では両目が光ったそうだ。鋭い牙があったと語る資料も多い。聴覚、嗅覚が異常に優れ、70メートルも離れたところに置かれた肉の存在を察知することができたそうだ。
翌年、二人は病気になって昏睡状態に陥る。「カマラ」はなんとか峠を越したが、幼い「アマラ」は9月に死んでしまった。死因は膵臓炎。「カマラ」は妹の死に際し、「ふた粒の涙」を流したと伝えられている。
その後も「カマラ」は二足歩行や言語など、人間社会に順応するための教育を受け続ける日々を送る。2年ほどで直立歩行できるようになり、言語についても最終的には45語の単語を覚え、簡単なやりとりであれば会話も可能になった。しかし発見から9年後の1929年の11月、尿毒症にかかって死んでしまう。推定年齢で「アマラ」は2歳と少し、「カマラ」は17歳ほど。どちらもあまりに短い生涯だった……。
この逸話は1926年の段階でアメリカの新聞が報道し、広く知られることになったが、それ以前から現地では彼女たちをひと目見ようと集まる見物客で大騒ぎになっていたといわれている。1941年には前述したアーノルド・ゼゲルの本が出版され、「アマラとカマラ」の名は世界中に響き渡ることになった。
この話をまったく知らなかった若い世代のなかには、牧師の「善意」に翻弄されただけの「アマラとカマラ」の悲劇的な生涯に、ちょっとシンミリしてしまったり、「教育とはなにか?」についてマジメに考え込んでしまった人もいるかも知れない。
僕がこの原稿を書いている本日は4月1日、エイプリルフールである。次回の本コラムでは、この物語はかなりムカつく形でひっくり返されることになる。来月は「アマラとカマラ」の物語の真偽、そしてこの物語が70年代の子ども文化に与えた大きな影響について回顧してみたい。
(2020年4月9日記事を再編集)
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
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