「トミノの地獄」の禁忌が海外にも拡大! 死を誘う呪いの詩の都市伝説を考察/ 遠野そら
声に出して読んではいけない詩「トミノの地獄」。その都市伝説は海外にも波及している。詩や音楽にまつわる感染のタブーを解説する。
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“1954年、存在しない国トレドから来日し、騒動となったのちに姿を消した男がいた”……よく知られるこの有名都市伝説に、近年、新事実が発覚! それを元に、「トレドの男」の正体と事件の謎を考察する! 第2章(『ムー』2023年6月号より)
・ 1959年10月24日
ジーグラスが羽田空港に入国。入国資格は単なる旅行者ではなく「政府の要務を帯びたもの」で、パスポートには台北日本大使館のビザが与えられていた。
・ 1960年1月20日〜
詐欺罪の容疑で逮捕される。当初の罪状は約35万円分の偽造小切手を使ったというもの。ジーグラスは逮捕後、自らを「ネグシ・ハベシ国の移動大使で、アメリカの諜報機関員だ」「外交特権の侵害だから、すぐに釈放しろ」と主張した。
そのためこの件は国際問題と判断され外事課へ回されることとなった。
・ 1960年2月ごろ
警察庁外事課第一係長だった佐々淳行氏が、部下からこの件の説明を受ける。
部下によると、世界地図を出してネグシ・ハベシ国がどこにあるのか訊いたところ、ジーグラスはエチオピアのちょっと南のあたりを指していたという。彼の持つ週刊誌サイズほどもある巨大なパスポートはネグシ・ハベシ語で書かれているため、だれも読めなかった。最初は会話もできなかったが、彼は14か国語を話せるとのことで、取り調べは英語で行われることになった。
パスポートの所持人資格を証明する欄には、カナダの新聞にも出てきた謎の文字列「ルフ、ウブワリ、オクトラ、ネグシ、ハベシ……」が綴られている。ジーグラスによるとそこには、「ネグシ・ハベシ国国連代表部・特命全権大使で、同時に移動大使……」と書いてあるのだそうだ。
経歴を問うと「アメリカで生まれ、各国を渡り、第2次世界大戦後は中南米で暮らした。その後韓国で米軍の諜報機関員となり、しばらくしてアラブ連合の特殊任務につき、ネグシ・ハベシ国の外交官となった。日本に来たのは、アラブ大連合の義勇兵募集という極秘任務遂行のため」などと述べたが、最終的に関係各国に照会した結果、すべて事実無根と判明したという。
また彼の持つパスポートが偽造であることは、世界中の政府が発給した旅券のいずれとも合致しないことのほかに、ホテルを捜索した結果、押収した印鑑と、旅券に押されていた発行責任者の印が一致したことによって証拠立てることができた、と佐々氏は書いている。
・ 1960年3月〜
ジーグラスの公判が始まった。「週刊公論」に少し様子が載っているので、それを紹介しよう。
ジーグラスは「ネグシ・ハベシ国はサハラ砂漠に近い、エチオピアの国境にある。その中心地はアジスアベバである」と述べた。しかしアジスアベバといえばエチオピアの首都だ。それに対して彼は「エチオピアの首都はアジスアバーバと読むのが正しい」と語った。しかし裁判長が外務省に照会したところ、エチオピアの首都以外にそのような地名はないと返事がきた。
困り果てた検察庁は旅券に記されている謎の文字列に焦点を向けた。この文字列の言語をジーグラスは「アラビアのトワレック地方の方言」と公判で答えた。
このトワレック地方は確かに存在する。そこでアラブ連合大使館にも伺いを立てたが、それ以上はわからなかった。彼を日本に入れるきっかけとなった台北の日本大使館は「ICAO(国際民間航空機関)のリング局長から推薦状があったので信用した」と述べている。
これらの公判でジーグラスの国籍・素性はまったくわからなかったのだが、とりあえず偽造小切手と不法入国の容疑で判決がいい渡されることとなった。
・ 1960年8月10日
懲役1年の有罪判決が出るが、判決を読み上げているときにジーグラスはいきなり両手首を切った。このときに用いたガラス片は「読売新聞」「朝日新聞」では「ビンのカケラ」、「週刊公論」にはさらに、留置場で牛乳ビンを割って一部を残しておいたと書かれている。ジーグラスはすぐに退廷した。判決理由のいい渡しは、彼が不在の中で続いた。
この先のジーグラスの時系列が、佐々氏と報道ではなぜかまったく異なる。普通に考えれば、事件から30年近くたってから書かれた佐々氏の情報が不確かなのでは、と思えるが、彼はこの事件の当事者なのだ。無視はできないので、この後の時系列は報道と佐々氏とを分けて書くことにする。
まず、報道資料による時系列。
・ 1960年8月中旬
ジーグラスが、一審判決は途中から彼と弁護人が両方不在の中で行われたので無効だ、と主張し控訴。それは受け入れられた。
・ 1961年7月25日
ジーグラスの主張が高裁で認められ、各紙がそれを報じる。
・ 1961年12月22日
一審と同じ懲役1年の判決を受けた。しかし、ジーグラスは刑期を上回る勾留日数のため1日も服役をしなくてよいことになり、ただちに上訴権を放棄した。
次に佐々氏の書籍による時系列。
・ 1960年9月ごろ
ジーグラスの控訴は受け入れられず、中断した判決公判が再度行われ、懲役1年の判決を受けた。
・ 1961年7月ごろ
ジーグラスは獄中から原文兵衛警視総監らを相手取って、「横領罪」による処罰と100万ドルの損害賠償を求めて告訴した。訴状によると、「日本警察はネグシ・ハベシ国移動大使である彼を不当にも逮捕し、所持していた同国の原子力開発の極秘計画書を没収し、横領した」という。
佐々氏は刑事部や警務部に事情説明しなければいけない羽目となった。これには困ったが、もっと困ったのは新任の原文兵衛警視総監に、このわけのわからない事件を改めて発端から説明しなければならないことだった、と彼は書いている。
・ 1961年秋
ジーグラスの刑期が満了。佐々氏は、国外退去強制処分にすることになったのだが、どこに強制送還するかでもめたと書いている。
協議の結果、日本に入国したときの最終寄港地、香港に送還することに決まった。
さて、これがジーグラス事件のあらましだが、佐々氏の書籍と報道との食い違いはいったいなんなのだろう。
佐々氏の『亡国スパイ秘録』のあとがきに、通称「佐々メモ」と呼ばれる90冊の手帖をはじめとする大量の史料が国会図書館の憲政資料室に寄贈された話が載っている。佐々氏の著作がしっかりした資料をもとに書かれていることは想像に難くない。
ではなぜ彼は、控訴は認められなかったと書いているのだろう。これ以外にも無視できない食い違いがある。報道では、自殺に使ったのがビンの破片であることに疑いの余地はない。しかしながら佐々氏の部下は「腕時計のガラスを砕いて口の中に隠してたようです」といっていた。
また、佐々氏はホテルを捜索したと書いているが、「週刊公論」によるとジーグラスは芝公園のアパートに住んでいた。そして、警察が捜索したのはそのアパートなのだ。
これらの情報を集めた筆者は、さらなる調査をすることに決め、当時の英字新聞を調べてみることにした。
(初出:『ムー』2023年6月号)
~第3章につづく~
★ 第3~6章は月刊「ムー」2023年6月号をご覧ください
冨山詩曜
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