「すずめの戸締まり」呪術的考察(2)現世と常世の往還と「お返しもうす」地鎮はいかに描かれたか?

構成=本田不二雄 協力=東宝

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    新海誠監督の「すずめの戸締まり」は独特のワードや意味深なモチーフ、隠れテーマなどを想起させる。本稿では、地脈を詠み、地霊と対峙し、大地を鎮めることを生業とする麒麟(きりん)師の視点で、作品を読み解いていく。

    1回目はこちら

    作中に秘められた陰陽の理(ことわり)

    本田「まずは、閉じ師の草太が”戸締まり”のときに唱える祝詞に、聞きなれない神の名前が登場してきますが、まずはそこからお聞きしたい」

    かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
    遠つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。
    ひさしく拝領つかまつったこの山河、
    かしこみかしこみ謹んで……お返し申す!

    「すずめの戸締まり」より

    きりん「『かけまくもかしこきヒミズの神よ~』というのは、実は似たようなフレーズが私の流派にもあるんですよ。土地の地鎮のとときに唱える言葉。発音(音韻)がややちがうだけで、ほぼ似たようなフレーズです。そこで出てくる「ヒミズ」なる神、これは、私が継承してきた嶽啓道(がっけいどう)では、『火と水の神様』のことをいうんですよ。それはすなわち、太陽神と月の神なんですね。つまり陰と陽。太極の神。森羅万象、太陽・太陰のすべての世界観を統べる存在といっていいかもしれません」

    本田「陰陽・太極といえば、よく知られた太極図を思い出します。色でいえば白と黒。白と黒といえば、作中の重要なキャラクターであるダイジンとサダイジンがまさにそうですよね」

    きりん「それぞれの体に、陰の中の陽、陽のなかの陰がある。白いダイジンは、左目のふちが黒、そして黒いサダイジンは右目のふちが白。白黒・右左が対極的な関係をあらわしている。そしてダイジンは、表向き白い猫だけど、主人公・鈴芽を助けるときは黒い猫になる。で、黒いサダイジンは、変身すると白い猫になるじゃないですか。だから表裏一体。陰中の陽の陽中の陰が表裏で替わるんですよ。整理するとこうなりますね」

    ◎ダイジン(ウダイジン)…西・現世では陽質・肉体白・左目のふちが黒(陽中の陰)
    ◎サダイジン…東・現世では陰質・肉体黒・右目のふちが白(陰中の陽)

    トリックスターであるダイジン(ウダイジン)。

    本田「ダイジン・サダイジンの名称は、いわゆる朝廷の官職名で、雛人形でいうところの左大臣と右大臣を思わせます」

    きりん「その順位では、左大臣が上で、次いで右大臣。白いダイジン(=ウダイジン)が小さくて、黒いサダイジンが大きいのは、左大臣が表で実権を握る側で、右大臣はそれをサポートする側になるため。でも、右大臣の役目が重要であるように、作中のダイジンも重要なはたらきをするし、鈴芽の思いに応じて大きくなったり、小さく痩せ細ったりしますからね。そこが面白い」

    本田「ところで、岩戸鈴芽という主人公の名前ですが、劇場で配布された『新海誠本』で、新海監督はアメノウズメ(天宇受賣命/天鈿女命〈あめのうずめのみこと〉)からインスピレーションを得たと述べている。となれば、岩戸は記紀神話の『天岩戸』が由来でしょう。神話では、ウズメの舞で岩戸が開き、アマテラス大神=太陽神が出てきますが、このあたりも象徴的ですね」

    きりん「だから、物語の基点が宮崎になる。宮崎県は日向国で、太陽が昇る側(日向=ヒムカ)。一方、閉じ師の草太は宗像姓で、宗像の地は九州ではその日向の裏側にあたり、日の沈む側になる。鈴芽は女性だから陰なんだけど、日向だから陽、つまり陽中の陰。で、草太は男性の陽だけど、日の沈む側の一族の人なので、陰中の陽。つまりこのペアは、陰陽が太極で合致しているんですね」

    主人公の岩戸鈴芽。
    閉じ師の宗像草太。

    本田「で、面白いのが、記紀では、岩戸『開き』をやるんですね。そこでは、アマテラスが籠って扉を閉じてしまったときに、さまざまな災いが起こる。そして、戸を開いたら太陽の光が回復して平和になるという。一方で、『戸締まり』には『閉じ師』が登場する」

    きりん「だからあれはね、岩戸がどっちを向いているかということなんですよ。現世(こっち)にいなくちゃいけないはずのアマテラスが後ろ戸を越えたら向こう(常世)が明るくなってこっちが暗い常世になるという。単純な陰陽逆転の法則なんですよ」

    本田「そういう意味では、鈴芽は陰陽が逆転した子でもありますね。幼い頃に一回開けちゃって戻ってきている」

    きりん「たぶん鈴芽は、いわば神隠し系の死んじゃっている子なんですよ。死んでいるけど、何らかのはたらきで神隠しから出てきている。だから凍える雪の中で生き残り、常世の感覚を持って帰ってきている」

    本田「ということは、すでに陰陽の逆転を経験している。そうなると、その境目にある『後ろ戸』とは何かが気になってきますね」

    占呪術師・きりん(麒麟)
    まじない屋「きりん堂」店主。8歳時より熊本県の島の女性だけに伝わる「洞(ほら)の呪術」の伝授を受け、土着の民俗宗教である嶽啓道(がっけいどう)の一、岳洞(たけほら)の筆頭「麒麟」を襲名。その唯一の継承者となる。

    後ろ戸」とは何だったのか?

    本田「『後ろ戸(後戸)』について調べると、寺社の本殿(本堂)の後ろに戸があり、そこを守護する『後戸の神』というのがおられるという。その代表例が、東大寺法華堂の執金剛神や延暦寺常行堂のマタラ神であると。そしてそのマタラ神は、あちらの世界と交わる道化師として芸能の世界で登場するという。要するに、後ろ戸はあの世の”裏の神さま”が出入りする扉らしい。一方で、神道行法に詳しい人にいわせると、後ろ戸の神に対する作法というのが(忘れられているけれども)実際にあるという」

    きりん「うん、ある(微笑)」

    本田「ということは、後戸の神にはちゃんと神格があって、祀る人もいる(いた)。その作法もある(あった)らしい。その話を以前したときに、きりん師は「自分は後ろ戸の側の人間」とおっしゃっている。後ろ戸の側とは?」

    きりん「ある部分、生き方そのものといえるかもしれない。ただ、前(表)か後ろ(裏)かというより、表裏一体なんですよ。日常の状態とあの世は。どっちから見るのかというちがい。手を出してといわれて、掌のほうを出すか、甲のほうを出すかというぐらいのちがい」

    本田「よくわかりませんが、要は、あの世との交渉人だと理解しておきましょう(笑)。で、その後ろ戸の扉は、開けて見てはいけないものなんですか?」

    きりん「通常は、開けても見えないはずなんですよ。そこの世界は。草太が鈴芽に言うじゃないですか。『君は何を見ていたんだ?』と。たぶん、ひとりひとり見える向こう側の景色はちがう。私が見る後ろ戸と本田さんが見る後ろ戸とでは、見える世界がちがう。それが信心信仰のありようだとか、死生観によって異なる」

    本田「作中では、それを一般化した形で『常世』と言ってますよね。常世って、記紀にも出てくる日本古来の他界観を意味する言葉ですが、どういう世界かはあまり説明されていませんよね」

    きりん「鈴芽は最初、その扉を開けても中に入れないじゃないですか。肉(肉身)がある以上行けないんですよ。で、一生に一度通れる扉がある。要は、つまり、肉がなくなった(霊体になった?)ときに通れるんですよ。でも、鈴芽は一度越えている。いったん肉を失くしているわけです。だからもう一度行ける。ただし同じ扉でね、という。扉はひとり一枚なんです。で、最初は怖くなかったのが、人とのつながりが濃くなって、それが何たるかを知ることではじめて怖くなる。それが鈴芽。草太くんがいない世界は怖いって。そういう人とのつながりの大切さが彼を通してわかるし、それを教えたのがダイジン。いろんな地域を巡らせることで、人のぬくもりとか、家族とか、当たり前のことをひとつひとつ覚えていく。いろんな苦しみや悲しみがあっても、そこに家があって、町があって、行ってきます、お帰りの声があったことを思い起こして”後ろ戸を閉じる”という」

    本田「つまり、その土地に生きた人々の思いや温かい日常が暴れ狂う常世の神を鎮めて、もとの場所(常世)に『お返しする』ということですね」

    きりん「そう。扉はたぶん境界線なんですよ。生きたまま死ぬか、死んだまま生きるかを含めて。そして、ひとりひとりの内面にも関わっている。おばさん(環さん)の本音がサダイジンの憑依によって出たシーンがありましたね。心の片隅にあったものをサダイジンが吐き出させたんですね。そういう心の扉、いわば”心の後ろ戸”の開け閉めに揺さぶりをかけるのがダイジンとサダイジンなんだと」

    扉を境界として、常世との行き来が描かれる。

    「お返しもうす」と「お帰りもうす」

    きりん「祝詞に話を戻しますと……『お返し申す』の部分がちょっとひっかかります。どこへ返すのか、誰に対して言っているのか、はっきりしていない。私にいわせれば、『お返し申す』ではなく、『お帰りもうす』なんです。『お返し申す』はヒミズの神にお返しで、本来は、『あなたのお子であるこの土地を返すための道をください』であり、『お返しいたしすので、どうかこの土地神さまのためのお道開きのための後ろ戸を開けてください』になるんです。で、鍵をかけることが『お帰りもうす』になるんです」

    本田「鍵をかけるというのは、ある種、拒絶する、遮断するというイメージにも映ります」

    きりん「シャットアウトではなく、ケジメをつけるという意味。ケジメとは、気の〆をつけるという意味。鍵を閉めるというのは、土地神さまがあの世に帰る。あの世の道をヒミズの神につくってもらって、こちら側の土地神さまがヒミズのもとに帰られることをあらわすひと区切り。だから『お帰りもうす』なんです」

    本田「観ている人はどうしても、ヤバいやつを封印することのように解釈してしまう」

    きりん「それはとてもよくちがう(笑)。地鎮だからね。お鎮めするという。封印するんじゃなくて、『もう暴れなくて大丈夫ですよ』と眠っていただく、お休みいただくという。決していなくはならないので。なぜ暴れるかというと、もともと暴れるものなんです。地脈なので。ただ、枠があると暴れないんですよ。枠の中でモゴモゴする。そして、枠がなくなると不安になって暴れるという。おうちがなくなっておうちはどこ? みたいな」

    本田「なるほど。土地神に枠をつくってさしあげるのが地鎮の行者であり、作法なんですね。確かに、作中では『神様の本質はきまぐれ』だと語られている」

    きりん「それが、人間の都合じゃない土地神の本質。人間の都合で視るからきまぐれなのであって。自然現象的には暴れるのが当たり前のことなので」

    作中で「ミミズ」は地から噴き出て暴れる赤黒く長いものとして描かれている。

    地震をひき起こす「ミミズ」

    本田「最後にもうひとつ気になったのは、地震を起こす強大な赤いエネルギーが『ミミズ』と呼ばれていたことです」

    きりん「私らにいわせると、ミミズは現世では、水の神様なんですよ。いわば『巳(み)の水』。山神さまのひとつで、山を豊かにする、土地を豊かにするのが現世のミミズ。悪を食って善を生むというつくりがそもそもミミズにある。ところが、常世のミミズは、マグマの塊だったでしょ? これがすごいと思いましたよ」

    本田「確かに、現世のミミズは生ごみを分解して土壌を浄化しますよね。ただ、単純な疑問として、なぜミミズだったのか。レッドドラゴン(赤龍)みたいに描くこともできたのではないかと思ったりする」

    きりん「要は、地の流れにひたすら潜り続けている存在。だからミミズには目がない。目が見えないと存在は、ほんらい格が低いことを意味しますが、その反面で、力(霊力)は強い。人間も同じで、目が見えない人の感覚ってすごいじゃないですか。それはともかく、先にヒミズの神を陰陽であり火と水の神であり、太陽・太陰のすべての世界観を統べる存在といいましたが、その表記が「日不見」の神であるという表記が意味深いですね」

    本田「あっ!……『日不見』すなわち太陽を見ることがない存在で、すなわちミミズということになりますよね! 現世の裏側の常世のヒミズの神の化身がミミズということでしょうか。それは気づきませんでした」

    きりん「そこで、土地を人間の都合で荒らし、土地に感謝し拝みがなくなると、土地神の神格が下がって、”破れ神”になって要石が抜けて、結果、常世のヒミズの神の化身が巨大なミミズになって暴れだすぞ、という戒めです」

    「だから人間にできるのは、要石(結界石)など一時固定したモノや枠をつくって……私たちはそれを『かたちだま』といいますが……そこにエネルギーを封じ込めて、ちゃんと定期的に磨いたり手当をするということが重要になってくるんですね」

    本田「なるほど。とても刺激になる、呪術的解読でした」

    映画「すずめの戸締まり」公開情報

    『すずめの戸締まり』
    全国東宝系にて絶賛公開中
    ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

    原作・脚本・監督:新海誠  
    声の出演:原菜乃華 松村北斗
         深津絵里 染谷将太 伊藤沙莉 花瀬琴音 花澤香菜 神木隆之介
         松本白鸚
    キャラクターデザイン:田中将賀
    作画監督:土屋堅一
    美術監督:丹治匠
    音楽:RADWIMPS 陣内一真

    映画『すずめの戸締まり』HP

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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