淡路島で生まれる”国生み”グッズと…”ボバンボン”という謎/平成UMAみやげ
バブルをまたいだ平成は、いわゆるオカルト事象がやんわりと世に受け入れられていた時代でもある。「ファンシー絵みやげ」研究家の山下メロが、当時を彩った”UMAみやげ”の世界をご案内。妖精…小人…ときて、お
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松原タニシが超人を目指して「即身仏」を訪ね歩く。北へ北へと旅をすすめ、即身仏の聖地・出羽三山へ!
前回の「舜義上人」に続き、即身仏を追う。ここからは関東を抜けて東北に突入。即身仏の本場・山形を目指して北上だ!
●弘智法印宥貞上人(福島県石川郡浅川町・貫秀寺)
茨城県のすぐ北、福島県浅川町の貫秀寺には弘智法印宥貞上人(こうちほういんゆうていしょうにん)という即身仏がいらっしゃる。舜義(しゅんぎ)上人と同じく、石棺のなかで入定した数少ない即身仏だ。やはり山形まで北上しないと土中入定は難しいのか……。
拝観させてもらおうと予約電話をかけたのだが、電話のお返事は
「即身仏様は、現在旅に出られております」
というものだった。即身仏が旅……? 詳しく聞いてみると、現在新潟県の博物館で開催されているミイラ展に出張しているため、寺にはいないのだとか。宥貞上人は各地のミイラ展に出張することが多いらしく、もしかしたらあなたもどこかのミイラ展で上人に会うチャンスがあるかもしれない。
それにしても「旅に出ておられます」という表現は印象的だった。やはり即身仏は「生きている」のだ。
ということで、今回は福島には立ち寄らず、いざ山形県へ。
●光明海上人(山形県白鷹町・蔵高院)
山形県に現存する8人の即身仏のうち6人が日本海側の庄内地方に集中しているのだが、探訪日はあいにくの大寒波と大雪でその方面への道が通行止めに。残りふたりが南側の白鷹町と米沢市に安置されているが、残念ながら米沢市の即身仏はお寺でなく個人宅で保管されているため、もうひとりの即身仏、白鷹町の光明海(こうみょうかい)上人を訪ねた。
光明海上人はもとは猟師で、狙った獲物は逃さず百発百中で仕留める凄腕の持ち主だった。そんな自分自身の狙撃の技術に神秘性を感じ、そこから聖なるものに目覚めて修行をはじめたという珍しいパターンの行者だ。
光明海上人も、入定のときには村人たちに「100年たったら掘り起こしてくれ」と言い残している。そして村人たちが遺言を代々言い伝え、100年後に掘りおこした……となればよかったのだが、なんとその100年の間に明治維新がおこり、激動のなかで村自体が消滅してしまった。村どころか幕府まで消滅する大混乱時代だったわけだが、そうして村からは上人を掘り起こす人もいなくなってしまったのである。
上人が再び地上に出たのは、昭和53年。入定から124年もの歳月が経ってからのことだった。この年、消滅した村の隣にある白鷹町が町おこしを企画し、そのなかで隣村にいたという即身仏が話題にあがる。廃村の寺から引き取った文献でもウラがとれたことで噂は本当らしいとなり、町主催の光明海上人再発見プロジェクトが始動。そして文献が示す場所を掘り返したところ、伝承どおりそこに光明海上人がいらっしゃったのである。
上人の遺言した100年と実際の124年は、即身仏的時間感覚では誤差の範囲かもしれない。なにしろ3年の予定が84年待った方もいらっしゃるのだ。
即身仏は弘法大師信仰の関係で真言宗に多いのだが、蔵高院は曹洞宗のお寺。宗派の垣根をこえて、地域の超人である即身仏が守られている。
●金剛院祐観(宮城県白石市・萬蔵稲荷神社)
次はちょっと南にもどって宮城県の萬蔵(まんぞう)稲荷神社。地元では親しみを込めて「萬蔵さん」と呼ばれているが、この萬蔵さんというのは、この辺に生まれ馬方を生業とした人で、峠をこえるときには必ず山頂の稲荷に供え物をかかなさいというあつい信仰心の持ち主だった。
ある夜、萬蔵さんはこの峠で大雪に閉じ込められてしまった。もう馬と一緒に死ぬしかない……と観念したとき、突然老人が現れて「私は稲荷神社の化身である」と告げる。
そして、お前は信心深くて偉いからといってこの老人に三頭の馬を与えられるのだ。そのおかげで凍死寸前だった萬蔵さんはどうにか家に帰り着くことができ、のちに馬を売った金で神様に大きな社殿を寄進する。
これがのちに萬蔵稲荷神社となるのだが、こんな奇跡を体験したことで萬蔵さんはすっかりそちら方面に心を惹かれて、修行の道に進むことになるのである。
そして出羽三山での厳しい修行の結果、萬蔵さんはすごい霊力を持つ行者となる。空を飛んだり雨乞いを成功させて村を干ばつから救ったりとまさに超人的な大活躍で、やがて「大阿闇梨金剛院祐観(だいあじゃりこんごういんゆうかん)」という立派な名前を許され、即身仏として最期を迎えるのだ。
その後、萬蔵さんあらため祐観阿闍梨の即身仏は長く神社が守ってきたのだが、大正時代に学術研究のためにと博物館に貸し出されたとき、何者かに横流しされて行方不明になってしまった。
この時代、金持ちがステータスとしてミイラを持ちたがるという妙な流行があり、どこかの見世物屋に騙し取られてしまったのではないかなどと推測されているが、今どこにあるのか、そもそも現存しているのかどうかもわかっていない。
●真如海上人(山形県鶴岡市・湯殿山総本寺大日坊瀧水寺)
いよいよ即身仏信仰の中心中の中心へ。出羽三山信仰の中核、湯殿山(ゆどのさん)総本山大日坊にむかう。
出羽三山信仰の中心地、すなわち即身仏信仰の中心である湯殿山の総本山、大日坊にやってきた。ここには真如海(しんにょかい)上人という即身仏がいらっしゃるのだが、ここはすごい。即身仏もすごいがご住職、貫主さんがすごいのだ。即身仏について、ぶっ通しで3時間くらいお話ししてくれるのである。
即身仏の歴史から、湯殿山、出羽三山の信仰、江戸時代から明治に至る廃仏毀釈の歴史、お寺に国宝がある話までダイジェストなしでみっちり3時間である。おそらく、この熱量をすべての参拝者に注いでいるのだろう。そのエネルギー、モチベーションはやっぱり超人・即身仏をお守りしていることから出てくるのだろうか。
真如海上人は、96歳と史上最高齢で入定した即身仏だ。生前から肉類、魚介類だけでなく穀類まで食べない木喰行(もくじきぎょう)という苦行をおこなっていたのだが、上人96歳の時、日本を天明の大飢饉が襲う。この飢饉は江戸時代の三大飢饉に数えられるほどの災害で、寒冷地である東北の凶作と被害はとくに悲惨で、数万とも数十万ともいわれる人々が飢えによって命を落としたといわれる。
真如海上人はこの惨状を目の当たりにし、飢饉に苦しむ衆生を救うことが最後の使命だと考えて、100歳近いたいへんな高齢の身でなお、即身仏になる道を選んだのだ。
松原タニシ
心理的瑕疵のある物件に住み、その生活をレポートする“事故物件住みます芸人”。死と生活が隣接しつづけることで死生観がバグっている。著書『恐い間取り』『恐い旅』『死る旅』で累計33万部突破している。
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