8波無視できない! 感染症の恐怖が具現化した怪異譚/黒史郎・妖怪補遺々々

文=黒史郎

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    巷ではコロナ第8波に自粛の声が上がりつつ、旅行者支援も行われている、なんだかよくわからない状況ですが、感染症に振り回されたのは過去の人々もでも同じです。そんな感染症にまつわる奇妙な話を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ! 

     年の瀬に近づくにつれて街は活況を呈し、クリスマスや年越しの準備でたくさんの人々がデパートや市場に集まります。そんな中、声を大にして呼びかけられているのが感染予防対策です。今年はコロナ第8波に加え、季節性インフルエンザの同時流行が懸念されております。皆さん、対策は万全でしょうか。
     今回は感染症にまつわる話を、いくつかご用意いたしました。

    チフス猫と疱瘡牛

     昭和12年、秋のことです。奈良県のある町で7人のチフス感染者が出ました。
     調査によると感染元は共同井戸と判明したのですが、町内の人々はこれを否定。感染元は、某家で飼われている「黒猫」だというのです。
     ——というのも、その家では60過ぎの女性が病床についていたのですが、これが実はチフスなのだと噂されていました。ところが女性は隔離などされず、医者の手品(見事な腕前くらいの意味だと思われます)によって全快したとのこと。代わりにその「祟り(チフス)」を、飼っている黒猫が町内に振りまいている、だから黒猫を退治してほしいとの訴えが市役所に続々と届いたとか。
     これはデマでしたが、【病を振りまく黒猫】という忌まわしい想像上の怪物は、人々の中で現実の恐怖となって屹立し、脅かしていたのです。
     町民たちの恐怖を鎮めるため、黒猫をどうにかしなければなりません。かといって罪のない猫を殺すわけにもいきませんので、家から出さぬように縛りつけ、それを町人に伝えると、この騒ぎは収まったということです。
     
     病はウィルスだけでなく、このような「噂」もあっという間に広めてしまうのです。
     1980年に撲滅したとされる天然痘。このワクチン接種「種痘」においても、奇怪な噂が広まったそうです。
    「【疱瘡牛(ほうそううし)】の膿を人体に植えつけると牛になってしまう」
     そんな噂を信じ、ワクチン接種を拒む人たちがいたそうです。なんとか説得して接種し、接種跡がついて無事に善感(免疫が獲得されたこと)したものの、その症状を病が伝染したからだと泣きだす人たちもいました。政府はかなり苦労をしたといいます。

    病の姿

     コレラは、コレラ菌に汚染された飲食物を摂取すると感染する病です。幾度か世界的大流行も起きており、日本でもこれまでに何十万人もの犠牲が出ています。庶民はこうした病から家族を守るため、あらゆる情報を取り入れ、あらゆるものを試しました。
     雑誌『キング』昭和6年発行号の付録『明治昭和大正大絵巻』には、虎の姿をした【虎列刺(コレラ)】が描かれています。

    『明治昭和大正大絵巻』より

     明治19年、虎列刺(コレラ)は全国に猖獗を極め、10万8000人が死亡したそうです。
     この病を恐れた人々は病の侵入を阻むため、家の前に竹矢来(竹を組んで作った囲い)を結び、魔除け(病除け)として軒などに如何わしい絵札を貼ったそうです。

    『明治昭和大正大絵巻』の如何わしい絵札

    『明治昭和大正大絵巻』の如何わしい絵札
     鳥の脚の生えた老人の頭。 3本足の猿。確かにどちらも如何わしい絵です。鳥のような姿、3本足など、コロナをきっかけに近年話題となった「アマビエ」「アマビコ」を彷彿とさせます。
     明治13年に発行された『コレラ豫防心得草』には、コレラに罹らないための20の予防法が記されています。

    『コレラ豫防心得草』より

     こちらの書には、〈毎朝早起きし、家の内外を掃除する〉〈家業に精を出し、怠けず、一層努めて稼ぐ〉〈暑い夜でも薄着・下着一枚・全裸などで寝てはいけない〉〈朝昼晩ちゃんと食べて、間食は避ける〉といった、「普通」のことが書かれています。
     また同書にもコレラの姿が見られます。

    『コレラ豫防心得草』より

     こちらでの【コレラ】のイメージは、鬼のような姿をし、単体ではなく複数です。ウィルスの擬人化と考えると、こんなのが何億といるわけです。
     このコレラ鬼たちは「どうもこの頃、人間どもが気づいてきたらしく、腰巻や襦袢で寝冷えの用心をはじめた。だから、もうこれからは、我らの仕事もなくなるだろう。いっそのこと、天竺にでも高飛びでもするか」といったことをいいながら、一目散に人間界から逃げ去っています。先の感染対策をしっかりしておくと、このような結果になるようです。

    荒れ寺での恐怖

     神奈川県川崎市中原区にある泉澤寺(せんたくじ)は、吉良氏の菩提寺として吉良頼高が多摩郡烏山村に創建し、吉良頼康が現在の場所に移転させて一拠点としたといわれています。
     寺のある一帯は神地(ごうじ)と呼ばれていましたが、この地名は消失、現在は橋に名が残っています。この消えた地名の由来は「耕地」であるとか、元は「宝地」であったともいわれているのですが、次のような気味の悪い由来譚も語られていました。
     
     泉澤寺が創建される前、この土地には荒れるにまかせた寺がありました。境内には雑草が生い茂り、参拝者のないことは一目瞭然。
     そんな破れ寺からはときどき、夜になると木魚を叩く音が聞こえてきました。
     こんな寺にお坊さんなど訪れるわけもなく。住民らは大変気味悪がりました。
     ある時、村外れの医者のもとにひとりの小僧が駆け込んできました。
     小僧は近くの寺の者だと名乗り、うちの和尚が病に罹ったので診にきてもらいたいといいます。
    ーーはて、この近くに寺などあったか。
     いや。あるのは、例の厭な噂がある荒れ寺しかない。
    「あんな寺に和尚などいるはずがない」
    「いるから来たんだ」と小僧は返すと、「寺を見捨てると祟りが在るぞ」と脅してきます。
     医者はしかたなく、小僧についていきました。
     やはり着いてみると、そこは例の破れ寺。しかし、いつものように無人ではなく、寺内では若い僧侶が苦しそうに臥せっていました。
     医者は僧侶の腕をとって手首に指をあてます。
     ……脈がない。
     そして、いやに毛深い。
    ーーこれは人間じゃない。
     こっちも見てくれと僧侶は舌をベロンと出しました。
     僧侶の舌には、何やらぼつぼつと異様な腫物があります。
     恐ろしくなった医者は逃げようとしますが、入口の戸は先ほどの小僧が押さえています。
     すると今度はそこに、老齢の僧侶がやってきました。
     自分も具合が悪いので診てくれというのです。
    恐る恐る腕をとって手首に指を当てると、こちらも脈がない。そして、腕が毛深い。
     舌を見せるように医者がいうと、老齢の僧侶もベロン。その舌にも若い僧侶と同じ出来物がぼつぼつとできています。
     ゾッとした医者は「すぐに治るからこれを飲んでおいてください」と薬を置いて、足早に寺を出ました。
     たったった、と後ろから足音が近づいてきます。
     振り返ると、先ほど迎えに来た小僧でした。
    「おらも見てくれ」
     彼は、ぼつぼつと出来物のある舌をダランと垂らしながら、医者を追いかけてきたのです。
     医者はその場で気を失ってしまいました。
    ーーそのようなことがあったので、他の社寺から神主を呼んで、この荒れ寺で祝詞をあげてもらいました。こうして神の力で清めたことから、この一帯を「神地」と呼ぶようになった、ともいわれています。
     
     お化けたちが、医者をだまして食らおうとしたのでしょう。
     あるいは、お化けたちの間で病が流行し、人間の医者に本気で助けを求めていたのかもしれません。

     【参考資料】
     高田十郎『随筆山村記』
     萩坂昇『神奈川ふるさと風土図 川崎編』
     秋山光條『コレラ豫防心得草』
     『夏の小児病醫典』
     『明治昭和大正大絵巻』

    黒史郎

    作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。

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