東京都町田市に特有の「天狗道祖神」を追う! 隠された修験道と信仰の謎

羽仁礼

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    烏天狗の姿の道祖神を見たことがあるのは、町田市ゆかりの人だろう。「天狗道祖神」は現地特有の信仰文化を物語るものだ。

    東京都町田市成瀬に特有の烏天狗の像

     道祖神とは、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに、村の守り神として、あるいや子孫繁栄、旅や交通安全を願って祀られる。大部分は石像として安置され、道祖神以外にも道陸神(どうろくじん)、賽の神(さいのかみ、さえのかみ)など、様々な呼び名が各地に伝わる。

     その形もいろいろあるが、東京都町田市成瀬地区には、独特の姿の道祖神が何体か確認されている。なんと烏天狗の姿をしており、天狗道祖神と呼び習わされているのだ。この種の道祖神は、今のところ日本全国でも成瀬でしか確認されていない珍しいものだ。

     成瀬にある3体の道祖神は2025年3月、町田市教育委員会によって町田市登録有形民俗文化財に登録された。これを記念して、4月28日から5月9日まで、成瀬コミュニティセンターでパネル展示が行われたので、筆者は5月4日、現地を訪れて展示を見てきた。

     現地では町田市在住で「UMA(未確認動物)」の名を広めた實吉達郎先生(御年95歳!) と、先生のマネジメント協力を行うとともに、多摩エリアで音楽イベント等の活動をしている岡崎忍氏の案内で、パネル展だけでなく道祖神の実物を見る機会にも恵まれた。

    實吉達郎先生。

     パネル展での解説によれば、道祖神は市内では「セーノカミ」「サイノカミ」などとも呼ばれ、1月15日前後の小正月の時期に周辺でどんど焼きを行う風習があるという。

     これら3体の天狗道祖神は、1700年代の江戸時代中期に造られたもので、土地開発による移転を何度か経験したということだ。

     たとえば現在西山児童公園内にあるものは、「享保14年(1729年)正月吉日」の文字が刻まれており、本来西山橋のたもとにあったものが区画整理により移転したという。
     山野根神社内にある2体目には「元文二丁巳(1737年)七月吉祥日氏子惣施口」と刻まれている。本は山村橋のたもとにあった。
     3体目は、「武州成瀬東光寺村惣氏子」と刻まれているが建立年代は不明である。

     この3体目は成瀬クリーンセンター裏に区切られた一角に、馬頭観音や地蔵菩薩と共に鎮座しており、岡崎氏の案内で現物を見ることができた。高さは49センチと以外に小さいが、頭巾、鈴懸、括袴の山伏装束、それに吊り上がった目や嘴を持つ、典型的な烏天狗の姿だ。

    七枚羽の団扇を手にする烏天狗。

     この道祖神が手にした団扇は7枚羽だが、妖怪にも詳しい實吉達郎先生からこんな指摘があった。

    「手に持つヤツデの葉が7枚だと、あまり位の高い天狗ではない。位の高い天狗は8枚以上葉がある」

    町田は修験道ゆかりの土地だった

     では、全国でも例を見ない天狗道祖神が、歴史ある古都でもない成瀬に集中するのは何故だろうか。この地区と天狗とは、何か関わりがあるのだろうか。

     じつは江戸後期の地誌「新編武蔵風土記稿」の成瀬村の項には、村内に修験道の道場「五大院」があったとの記述がある。このため、市教委は「成瀬地区は修験道との関連性が深いと推察され、地区に固有の道祖神信仰があったと考えられる」としている。

     またかつて近辺には中村という場所に、修験者たちが集まる薬師堂があり、そこから高尾山に向かう修験者を守るために天狗道祖神が建立されたという説もある。

     高尾山を修行の場とする高尾修験は、江戸時代初期には守護を受けていた北条氏が滅亡して一時衰退するが、江戸幕府第八代将軍吉宗の時代にその守護を受けて復活している。実際天狗道祖神の建立年代も、この吉宗の時代である。

     成瀬だけでなく町田市全体にまで目を広げると、他にも天狗像が残るという。

     實吉先生と岡崎氏によれば、町田市忠生町にある東向山簗田寺敷地内には、「秋葉天狗像」と呼ばれるものがある。

     静岡県浜松市にある秋葉山もまた修験道の聖地のひとつであり、秋葉山の守護神が秋葉権現こと秋葉山三尺坊という天狗である。このお寺の住職によると、昔、3尺(約90センチ)の部屋で修業した一人の僧が、神通力を身につけ飛べる様になり、静岡本山の秋葉山へ飛び立ったと言われており、高台の石像は忠生町や山崎町を火災から守る火伏せの秋葉三尺坊様として、建造されたのだという。
     建造年代は「宝暦八戊寅稔山嵜村霜月」ということだから、1758年11月ということになる。

     さらに町田市内には他にも、天狗の姿をした木造の「秋葉明神立像」とされるものも2体確認されている。

     ただ秋葉三尺坊については、本来長野県に生まれた人間が修行を重ねて天狗となり、秋葉山に居を定めたという伝説が流布している。天狗となってからは火防の神通力を発揮したということで、江戸時代には日除けの神として広く信仰されていた。
     もしかしたら町田市にも秋葉三尺坊の信仰が根付いており、成瀬の烏天狗も、高尾修験ではなく三尺坊ゆかりのものだったのかもしれない。

    簗田寺秋葉天狗像。

     ともあれ、この簗田寺は古くから多摩地域の隠れたパワースポットとして知られており、大蛇が住んでいたという池も残っている。さらに町田市には天狗に関する民話もいくつか伝えられているようだ。また新しい情報が入ったら、是非また紹介したい。

    羽仁 礼

    ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
    ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。

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