君は幽霊とステージで共演したことはあるか?/大槻ケンヂ「医者にオカルトを止められた男」新9回(第29回)

文=大槻ケンヂ イラスト=チビル松村

    webムーの連載コラムが本誌に登場! 医者から「オカルトという病」を宣告され、無事に社会復帰した男・大槻ケンヂの奇妙な日常を語ります。

    父と反抗期の僕

     幽霊というと人はそれを「怖い怖い」というが、はたしてそうか? なぜ死んだ人が怖いのか? 死んでしまって、もう会えないはずだった人とまた会えるのだ。むしろそれは嬉しいことではないのか? 双方にとってだ。そりゃま、うらみつらみの残る死者との再会はいい気がしないだろう。でも、そこは生きている者がこういってやればいいのではないか。

    「ねぇ、だれも生きているうちはいろいろあるよ。無念なこともある。でも、そんなの生きているうちだけだろ。死んで現生の闇から解放されたならもういいじゃない。俺は、むしろ君にまた会えてうれしいんだよ。会いにきてくれて、ありがとう」

     幽霊でもいいからまた「会いにきてくれて、ありがとう」といってみたい相手は何人かいる。まずは父だ。いや、彼の場合にはありがとうよりさきに「御免」とひと言謝りたいと思っている。

     父は80代で死んだ。ロックなどやっているバカ息子とは真逆の銀行マンで、特技は金勘定だった。たまに会えばまず「賢二、CDは年に2枚出せ、そのほうが税金上有利だから」と真顔でいい、アパート経営の堅実性を語り出すのであった。遊びにも行かない男だった。
     僕がロックやオカルトへ走ったのは真面目に過ぎる父への反抗という側面も強かったと思う。ただ、一度、雪国をひたすら走る列車の映像をテレビで眺めていた父が「あ〜っ」とため息をついて「なにもかも捨ててこんな旅に出てみたい」といったのを見たことがある。そのころ反抗期ど真ん中の少年であった僕は、即座に「だったら今すぐ行けばいいじゃないか!」と吐き捨てて居間を出て行った。

     アレは……悪いこといっちゃったな……と、歳を重ねて今思う。
     父にしてみれば、息子を育てるために遊びもせずひたすら金勘定をして働くしかなかったのだ。一生に一度も北国への自由な旅に出られなかったのだ。バカ息子のための不自由だったのだ。あんなこというんじゃなかった……幽霊でぜんぜんいい、父にまた会えることができるならひと言謝りたい。
    「オヤジ、あのいい方は悪かった。ゴメン」
    「ん……そんなことより賢二、CDは年に2枚出せ、そのほうが税金上有利……」
    「今CDってなくなりつつあるんだよ」
    「そうなのか? 賢二、仕事はあるのか?」
    「ああ、昨夜はPANTAさんの一周忌ライブに出て歌ってきたよ」

    スピリチュアル体験と僕

     PANTAさんもまた、幽霊でぜんぜんいいからまた会いたい人だ。バンド・頭脳警察のボーカリストでロックの大先輩。昨年、病気で亡くなった。悲しかった。一周忌ライブにはたくさんのゲストが出演し、頭脳警察の演奏で歌った。

     その会場で個人的に不思議なことがあった。その日、僕は「幽霊でいいから死んだ人たちに再会したい」ということをずっと思っていた。とくにPANTAさんや、占部君という若くして死んだ小学校の同級生にまた会いたい、小学校のころに彼と遊んだ占部家の、あの雑草の茂った庭でまた子どものころのように遊んでみたい、などと考えていたのだ。それで会場に着くと、出演者のひとりの先輩ミュージシャンが舞台裏の暗がりでフーっと近づいてきて、初対面の僕に「君、占部の庭にいたね」いきなりいった。「えっ⁉」「俺、占部の兄貴の友だちなんだよ。昔、占部の家の庭で、君と占部の弟が遊んでいるのを、俺、見たよ」
     なんだこの偶然。シンクロニシティというやつか。きっとPANTAさんが繋いでくれたのだなと思ってしまった。

     ライブで僕は2曲歌った。一曲は「世界革命戦争宣言」というタイトルだ。60年代の赤軍派のアジテーションを引用した、反帝国主義、武装による宣戦布告をまくし立てる今ではコンプラ的にまったくダメだろう過激極まりない歌詞。そんなものを気弱な僕がステージで叫んだなら、きっとPANTAさんは「大槻、似合わねーな」といって大笑いしてくれるだろう。

     そう思いながら叫びはじめたら、隣にPANTAさんが立っていたので驚いた。
    〝立っている〞と明確に〝感じた〞のだ。
    「ああ、これが人のいう霊感というものなのか」とそのとき思った。とくに、スピリチュアル系の方々のいう霊とはこのことか、と理解した。
    「世界革命戦争宣言」をアジテーションしている間ずっと、僕のかたわらに昨年亡くなったはずのPANTAさんが、存在として立っていて、僕をときに指さしてニコニコと、ゲラゲラと、笑ってくれたのであった。それは視覚では捉えることができなかったし聴覚で笑い声が聞こえたわけでもない。もちろんお客さんにも見えていない。ただ、「あ、PANTAさん来てる」という僕の感覚にすぎなかった。でも、主観こそが自己存在証明なのだと考えるなら、死者はそのとき、確かに僕のそばに存在し、よりそってくれていたのだ。

     楽屋に戻ると、出演者のみなさんが「よかったよ」といってほめてくれた。ポンポンと僕の体に触れてねぎらう人も多かった。その中に明らかに、PANTAさんの手による〝ポンポン〞があった……と僕は〝感じた〞。霊現象の中でも触感というのはレアなものである。すべては僕の主観的認識に過ぎず物理的証拠はいっさいないから、つまり人は信じたいことを信じるという考えにおいて、これらはすべておそらく心霊現象ではなく一種のスピリチュアル的体験だったのであろう。でも正直どちらでもいい。幻想であってもまたPANTAさんに会えて、僕は嬉しかった。

    幽霊でも会いたい人

     亡き人にかかわる楽曲を演奏するとき、また演奏する会場などで、その亡き人を〝感じる〞ということは、ミュージシャンなら多くの者が経験していることと思う。「ああ今日アイツこの会場に来てるね」「うん、いる、今ステージにいる」「いてもいいけど、シールドだけは抜かないでほしいよね」「大丈夫だよ幽霊に足はないから引っかからない(笑)」……などということを追悼ライブなどでバンドマンはいう。そんなとき、だれもが嬉しそうな顔になっている。
     数年前に友人のベーシストが亡くなったときも、そのバンドのギタリストがベロベロに酔っ払って楽屋で「今日アイツ来てるよ、いるよ、そこに」といって楽しそうに笑っていた。それから数年して彼もフッと死んでしまった。幽霊でいいから彼にまた会いたくて、僕はたまに彼の作った曲を演奏している。彼を〝感じる〞ために……。

     アレ、今回湿っぽくなったかな? PANTAさん一周忌ライブにはゴダイゴのミッキー吉野さんも出演された。僕の出番の後「よかったよ」といってくださった。大先輩の言葉が嬉しくて、SNSに「ミッキー吉野さんにほめられた」と書いた。あとで見返したら「ミッキー吉野屋さんにほめられた」と打っていた。ミッキーさん御免なさい! PANTAさんの物理的霊力によるイタズラだったと信じたい。

    (月刊ムー2024年9月号より)

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    大槻ケンヂ

    1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
    筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。

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