君は「落ち武者の霊」に救われたことはあるか?/医者にオカルトを止められた男(5)
目次1 実話怪談ラスト・オチムシャ2 怖い話を求められる理由 実話怪談ラスト・オチムシャ 「……きっと、オーケンの見たのはラスト・オチムシャやな。ラスト・サムライでなしに」 と北野誠さんは言ったのであ
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怪談といえば落ち武者や生首……というのはもう古い? 怪談の昭和スタイルを回顧する。
以前、本連載では『時代とともに変わる宇宙人の姿』というタイトルで、時代ごとの「宇宙人像」の変化について回顧したことがあった。僕ら世代が幼少時に親しんだ「タコ型火星人」や「超絶ブロンド美人の金星人」など、今となっては見向きもされない往年の牧歌的(?)な「宇宙人像」を思い出しつつ、淘汰されていったイメージの変遷を追ってみたのだ。
今回は同様のことを「幽霊・怪談」をネタにやってみたい。この分野もまた「世につれ」ての流行り廃りがあるわけで、時の経過とともに「時代遅れ」になってしまった「幽霊」のカタチや「怪談」のシチュエーション・道具立ては無数にあると思う。なかには幼少期の僕らを心底震え上がらせたのに、今ではなんの効力も発揮できないような「オワコン的幽霊」もいるだろう。そうした記憶の残骸を、例によって昭和の子ども向け心霊本などから拾い集めてみたいのである。
思えば70年代オカルトブーム期は「怪談」の様相が一変した時期だった。それ以前、児童書や児童雑誌に掲載される「怪談」は、どちらかといえば「昔話」が中心で、各地方に伝わる怪異譚的民話、あるいは『東海道四谷怪談』『番町皿屋敷』『耳なし芳一』などの「古典怪談」の抄訳紹介が多かった。
60年代末の「妖怪ブーム」時も、その起爆剤となった『ゲゲゲの鬼太郎』は現代劇だが、児童雑誌などで「妖怪特集」が組まれる際は、基本的に戦国時代や江戸時代の「妖怪話」を紹介するケースが定番だったと思う。当時の子どもたちを夢中にさせた大映の「妖怪三部作」も時代劇だ。
こうしたことは子ども文化に限らない。当時の「恐怖映画」といえば主流は「異色時代劇」であり、お盆の納涼企画としてテレビで放映される「怪談ドラマ」なども時代劇ばかりだった。もちろん大蔵怪談映画などには現代劇もあり、東宝の特撮系ホラーなどもあったわけだが、それらはやはりアングラ、もしくはマニアックなコンテンツとして位置付けられていたと思う。
このあたりの感覚は今となっては少々意識しずらいのだが、「幽霊」や「妖怪」などは、なにかしら「過去」に属するもの、古の時代から微かに聞こえてくる「残響」のようなものとして捉える傾向があったような気がする。当時の人々の「この世ならぬもの」に対する恐怖の源泉も、そうした「過去からの視線」みたいなところにあったのかも知れない。「高度経済成長」を謳歌する現在に対する潜在的な不安みたいなものを、この頃の多くの作品がうっすらと漂わせていた。
この状況が70年代なかばごろから徐々に変化していく。
社会現象となった『エクソシスト』などの欧米の「オカルト映画」の影響か、はたまた日本のテレビ史上初の「心霊特番」だった『あなたの知らない世界』などの影響なのか、ともかくリアルタイム感とリアリティを前面に押し出した「現代実話怪談」が徐々に主流となり、一方で歌舞伎などの影響を色濃く受けた「古典怪談」や民話的な怪異譚は一気に古臭いものになっていった。
僕ら世代が小学校低学年のころがちょうどその端境期で、当時の子ども文化における「心霊シーン」(?)では、おなじみの日本的「古典怪談」とビビッドな「現代実話怪談」が並走しているような状況だったのだと思う。
僕らは「あなたの知らない世界」的な視聴者・読者の「実体験」に基づくリアルな怪談の洗礼を受けて以降、「チョンマゲものの怪談はつまんない」と凋落していく「古典怪談」にはシラケるようになっていったが、かろうじて新旧両タイプの「怪談」に育てられた最後の世代なのかも知れない。
「現代実話怪談」が主流になると、それ以前の「怪談」に使われていたお決まりの要素の多くは、子どもたちにすら鼻で笑われるものとなっていった。
例えば、あの古典的な「幽霊」のポーズや姿。両手をだらりと胸の前にたらし、なおかつ足がない……というイメージだ。江戸時代の「幽霊画」などが源泉なのだろうが、こうしたものや「三角巾と白装束(天冠と経帷子)」の「幽霊」はただの記号と化し、コントやギャグマンガ、あるいは遊園地のお化け屋敷にしか登場の場が与えられなくなっていく。
イメージが急速に恐怖の機能を失ってしまったわけだが、しかしよく思い出してみれば、70年代後半までは、この記号的「幽霊」も一応は現役で活躍(?)しており、初期の「あなたの知らない世界」にも登場していたし、「実話怪談集」などにもこのスタイルの「霊体」を目撃した人の証言が掲載されたりもしている。ある年齢までの僕らも、このタイプの「幽霊」に一定の恐怖を感じていたはずだ。徐々にこの種の「霊体」が戯画化していったのは、葬儀が日常と切り離されるようになり、実際の「死装束=経帷子」を目にする子どもたちが減ったことにもよるのかも知れない。
さらに古典的「幽霊」のお膳立て(?)といえば、「柳の下」「人魂」「丑三つ時」、そして「生臭い匂い」などがお決まりで、これらも幽霊画、そして歌舞伎の「怪談もの」や落語の「怪談噺」などによって常套化していった「幽霊出現の前兆」である。
「柳の下」に恐怖を見出す感覚は僕ら世代にはすでになかったと思う。「柳の下の幽霊」は「梅に鶯」「紅葉に鹿」「松に鶴」といったような日本画における「花鳥風月」の定番モチーフのようなもので、そうした教養というかリテラシーは、もはや僕ら世代の感覚にはなかったということなのだろう。
一方、「人魂」に関しては、80年代以降は怪談に登場する機会がめっきり減ったとはいえ、ある時期までは「怪異」としてそれなりに機能していたと思う。幼少時の僕も「浮遊する光」というイメージにはやはり恐怖を感じていたし、児童雑誌の「心霊特集」などでも「人魂」についてのトピックはよく見かけた。70年代の「実話怪談本」にも「人魂目撃譚」や「人魂多発地帯」などの紹介は多い。当時から「燐の発光が云々」という科学的説明は児童メディアでも盛んに行われていたが、そうした即物的な解説を聞かされたところで、僕らの「人魂」に対する畏怖(?)はそれほど減じなかったように思う。
なぜか現在もしっかり有効らしいのが、「草木も眠る丑三つ時」という設定である。昔も今も時間厳守の勤勉な「幽霊」は多いらしく、怪異の体験者が「我に返ってふと時計を見ると、ちょうど午前2時でした」みたいなフレーズでエピソードを終える手法は21世紀にいたっても相変わらず多用されている。
今の若い世代がまったくピンとこないのが、おそらく「生臭い匂い」だと思う。子ども時代の僕らでさえ、多くの「怪談」で「幽霊」が登場する直前になぜ「生臭い匂い」が漂うことになっているのか、いまひとつよくわからなかった。これも落語などから来ている定番の「怪異の前兆」で、往年の「怪談噺」などでは、だいたい次のような定型文で語られることが多い。
「遠くの寺で打ち出す鐘が陰に籠ってものすごく、ゴ~ン……。すると、どこからともなくプ~ンと生臭い風が吹いてきて……」
というところでヒュ~ドロドロと「幽霊」のご登場と相成るわけだが、この「生臭い匂い」は、もう僕ら世代の頭のなかでは恐怖と結びつかなくなっていたと思う。「死臭」を連想させる意図があったのだと思うが、恐怖演出しては早い段階で無効化していたという印象だ。とはいえ、70年代の「実話怪談本」などを読み返してみると、意外にこれを取り入れた話も目立つ。「魚が腐ったような」と形容される腐敗臭や、「黴臭い」「甘ったるい匂い」などの描写もあり、「生臭い」かどうかはともかく、さまざまな「霊臭」ということであれば、現在の怪談においても語られることがあるようだ。
今も通用するのかどうかちょっと微妙なのが、昭和の定番「落ち武者」の幽霊、それに類する戦国時代の武士、及び江戸時代の罪人などの「生首」の出現である。この種の話は子ども時代に無数に聞かされた。今は当時ほど耳にする機会はないようだが、僕ら世代には、これらには今も一定の恐怖を喚起されてしまう人が多いのではないだろうか。
少々記憶が曖昧なのだが、『あなたの知らない世界』で紹介されたレジェンド級の昭和名作「怪談」、キャシー中島の「小坪トンネル事件」。これはさまざまな番組で「再現フィルム」がリメイクされ、その度に細かい尾ひれが付加されていった。そのバージョンのなかに、「落ち武者の行列」が出現するパターンがあったはずなのだ(他の話と記憶が混線しているかも知れないが、覚えてる人いないかなぁ?)。トンネル中央で体験者一行を乗せたクルマがエンスト、するとクルマの四方八方から誰かがしきりに車体を叩く音が聞こえ、フロントグラスには白い手形が無数に付く。みんなはクルマから逃げ出すが、ひとり取り残された運転手は心を病んでしまい、現在も入院している……というアウトラインはオリジナル同様なのだが、このバーションでは途中で白い霧が立ち込め、その濃霧のなかを「落ち武者の行列」が甲冑の音をガチャガチャと響かせながら通り過ぎていく、という演出が加えられていた。年端のいかない僕はこれを見て震えあがったのを覚えている。例によって新倉イワオ先生が「やはり、場所が鎌倉ですからねぇ……」と解説していたのも怖かった。
「生首」を見てしまう、という話にも今も生理的に嫌悪感があって、これは小さいころから「烏森刑場跡」(品川区・第一京浜沿い)などの話を聞かされていたせいだと思う。70年代のあのあたりは多くの東京人にとって依然として「禁忌の地」であり、ウチの母などはこの近辺をドライブで通過する際、いつも運転する父に「烏森よ。気をつけてね」などと言っていた(笑)。道路の傍らに「さらし首」(の幻影)を見てしまったり、いわゆる「舞首」、つまり宙を舞う「生首」に遭遇してパニックになって事故を起こしたという話しがさまざまな形で流布していたのだ。嘘か本当かは知らないが、界隈には原因不明の事故が多発しているというのは、当時の大人たちがごく普通に噂していたと思う。
この種の時代劇風のネタが今ではちょっと下火になってきたのは、やはり時の経過の問題なのだろう。関ヶ原の「落ち武者の霊」の目撃情報が21世紀に入ったころから「激減」したそうで、そのことから「幽霊」の「寿命」は約400年ほどではないか?……という説もあるようだ。それはともかくして、僕らより少し下の世代の人たちの感覚では、「戦国時代の武士」といった設定の「霊体」には充分なリアリティを持ちにくくなっているらしい。「縄文人の幽霊を見た!」といった話をあまり聞かないように、400年程度が「幽霊」の「賞味期限」の限界なのかも知れない。
昨今、いわゆる「怪談師」や「怪談研究家」たちの一部に、主に江戸時代の「古典怪談」を再評価したり、再解釈したりする傾向があるようなのは興味深いと思う。
先述したように、70年代のまでの児童書や児童雑誌、あるいは『まんが日本昔ばなし』などのアニメ番組では、夏になると盛んに定番「古典怪談」を紹介するので、一応は僕らの世代も誰もが『東海道四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』『耳なし芳一』あたりの概要くらいは知っていた。こうした継承は90年代くらいに途切れてしまっているように思う。もちろん現在も「古典怪談」を紹介する児童書は刊行されてはいるが、やはり『学校の怪談』ブーム以降はリアルタイムの実話系、もしくは「創作怪談」が主流だ。それは当然のことだし、そもそもそうした傾向に乗った最初の世代が僕らなのだけど、「古典怪談」ならではの怖さ、時代劇ならではのエグさ、そして長い歴史を通じて継承されてきたことによって獲得した、何かしら普遍的な恐怖の原初形態のようなものを忘れ去ってしまうのはもったいない。
「古典怪談」の大きな特徴は、基本的には「モラルテール」、つまり教訓話になっていることである。その部分にヌルさを感じ、だからこそ「つまらない」と僕ら世代も考えていたのだが、例えば中川信夫の映画『東海道四谷怪談』などを観れば、今の若い世代もあまりの禍々しさに震撼するだろう。生きた人間の女性が凄惨な虐待の果てに恐るべき「怨霊」へと変質するまでのプロセスを描くのが『四谷怪談』の本質であり、まるで「幽霊ができるまで」を解説する残虐なレシピのようだ。そこには実社会の不条理や闇が濃密に凝縮されており、それに対する弱者側の「ペイバック」として「因果応報」という「モラル」が絶望的に語られる。
「Jホラー」ブーム以降、ホラー映画の作劇は「因果応報」の展開を避けることでリアリティを獲得する、というスタイルがトレンドになったといわれているが、90年代以降の作品が本当にそのようなものになっているのかはかなり疑わしい。そもそも「怪談」は「語り=物語」の形を保ちつつ、「モラルテール」から自由になることができるのだろうか?
次回は「モラルテール」としての「怪談」と、昭和における「教訓的怪談」の代表格であり、これもまた今では「時代遅れ」になりつつあるらしい「戦争怪談」について回顧してみたい。
初見健一
昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。
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