現代日本に「忍び」は実在する! Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」忍術監修・山田雄司インタビュー

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    国内外で注目されるNetflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」。忍びとは何者だったのか? そのリアルな姿が徐々に解明されつつある。

    “忍者の専門家”が教える忍びの事実

     現代に生きる忍び一家を描いたドラマ、Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」が国内外から注目を浴びている。歴史上の忍びたちはどんな集団だったのか。もし現代まで続いていたら、彼らは本当に「忍びの家」のように暮らしていたのか? 忍術・忍者を研究し、「忍びの家」の忍術監修(!)もつとめた三重大学教授 山田雄司(やまだゆうじ)先生に彼らのリアルな実態を教えてもらった。

    「忍びの家」の主人公・俵晴は、服部半蔵を祖とする忍び一族の一員だ。(Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」)

    ――山田先生は歴史学者として忍者の研究をされています。実際の忍者、忍びとはどんな人たちだったのでしょう? 「忍びの家」の俵家は服部半蔵の子孫であり、現在まで忍びの術を継承した一族です。ドラマには他にも風魔小太郎や「くノ一」一族などさまざまな忍者、忍びが登場しています。

    山田雄司 実は、服部半蔵は忍者ではないんですよ。

    ――「忍びの家」の根幹を揺るがすような史実からですか!

    山田雄司 家康に仕えた服部半蔵は武将として忍びを使役しますが、自身が忍者として忍術を使っていたわけではないんです。そしてなにより、忍者の世界においては「名前を残すような者はたいした忍者ではない」とされていました。たとえば実在した忍びとしては、下柘植ノ木猿(しもつげのきざる)という、その名の通り猿のように木登り上手だった者や、楯岡ノ道順(たておかのどうじゅん)という忍術名人がいたとことが知られています。しかし本来、忍びたるものは自分が生きた痕跡さえ残してはいけない。それができる者こそが最も優秀な忍者なんです。

    ――なるほど、生きた痕跡すら消してしまえるのが真の忍び……。「有名な忍者」ということばがすでに矛盾なんですね。となると、学問として忍者を追いかけるのは難しそうですね。

    山田雄司 そうですね、私たちが三重大学で忍者の研究を始めたのが2012年ですが、それ以前はしっかりまとまった学術的研究はありませんでした。ただ、痕跡を消すといってもわずかながら記録は残され、新たに発見されることもあるので、それらを手掛かりに研究を進めているところです。

    ――そうしたかすかな痕跡から知られる、忍者の実態とはどんなものだったんでしょう? 「忍びの家」で活躍する忍びたちは、いわゆる忍法というより、アスリートや格闘家も顔負けのリアルな体術使いという印象でした。

    山田雄司 忍びは任務として城に忍び込んだり、石垣をよじ登ったり、お堀など水中を移動することもありましたから、身体能力は非常に優れていたでしょう。ただアスリートと違うのは、一定のルールのなかで実力を競うわけではなく、目的のために最適であれば、どんな手段でも用いること。たとえば「忍びは普通なら七日かかる道を五日で走ってしまう」といった俊足のイメージも、ずっと走ることではなく、馬を乗り継いだっていい。そうすることで「忍びはすごく足が速い」と周囲に思い込ませることもできる。そのようにして人の意表をつくことが、忍びの重要なテクニックなんです。

    ――人の意表をつく、裏をかく。となると忍びは体力も重要だし、頭脳も必要になってきますね。

    山田雄司 忍びたちが歴史のなかで一貫して継承していたのは、諜報(ちょうほう)の技術です。室町あるいは南北朝時代から昭和に至るまで、忍びによる諜報活動はずっと行われてきました。戦国時代だと敵の城に潜入して火をつけたりする活動もありましたが、平和な江戸時代には城下町に住んで情報を集めて、治安維持にかかわる任務が増えてくる。今でいえば公安みたいなものですね。事件が起こる前の情報収集、諜報を行うのも忍びです。

    忍びの任務は高い身体能力が求められた(国立国会図書館デジタルコレクション)。

    ドラマでの「組織」と「修験道」のリアル

    ――ドラマでは俵家のサポートとして、BNM(忍者管理局)に属する現場の事後処理係「清掃班」も登場しますが、歴史上の忍びたちもチーム体制で動いていたんでしょうか?

    山田雄司 忍者というと一人で孤独に任務をこなすイメージがあるけれど、多くはチーム体制で、仲間と一緒に綿密に計画をたてて行動していました。なかにはBNMのようにこっそりと死体を片付けるような担当をした人たちもいたかもしれません。

    俵家をサポートするBNM(忍者管理局)のメンバー(Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」)

    ――「忍びの家」の現代忍者の描写はかなりリアルなんですね

    山田雄司 俵家長女の凪(ナギ)は美術館に忍び込んでは展示品を盗み出し、それを元の場所に戻すことを鍛錬として繰り返していましたね。じつは忍術の継承者たちは、明治以後もある時期まで「人の家に忍び込んでサイフを盗み、それをまた返しておく」という修行をおこなっていたという証言があります。ですからもし現代に生きる忍びがあのシーンをみたら「おお、これは!」と思うかもしれませんよ。

    盗んで戻すという、遊びのように忍術を使って見せる凪。(Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」)

    ――風魔一族のシーンで真言が唱えられたり役行者の名前がでてきたりと、修験道のモチーフがしばしば登場したのも印象的でした。

    山田雄司 忍者の術には修験道の影響がとても大きいですね。忍びたちは任務に赴く前に、臨、兵、闘、者……と九字の印をきる「九字護身法」をおこなっていました。それによって心を落ち着かせ任務への心構えをつくる。それはまったく修験者がおこなう九字と同様です。その他、薬草の知識なども修験道からとりいれています。

    ――マンガやアニメの世界だけでなく、本物の忍びも実際に印を結んでいたんですね。

    江戸時代に描かれた、巻物を加え印を結ぶ忍び(国立国会図書館デジタルコレクション)
    戦前にまとめられた忍術書にも印や九字の用い方がまとめられている(国立国会図書館デジタルコレクション)。

    戦後まで生きた「最後の忍者」

    ――忍者の諜報技術は幕末の開港時や、昭和初期の陸軍中野学校の時代まで歴史に記録されています。現代まで昭和まで活動していた忍者がいるんですね。

    山田雄司 外国人がやってくるようになると、その状況を探るため、忍者の需要が一気に高まります。明治になると忍者組織は解体されますが、その後も活動した人がいました。「最後の忍者」ともいわれているのですが、大正時代から戦後まで活動していた、藤田西湖(ふじたせいこ)という人物がいます。本人は忍びの末裔だといっていますが、出生地などの情報を取り繕っている節があり実際どうなのかは確かめるのが難しい。しかし、藤田が戦前に陸軍中野学校で忍術を教えていたことは間違いありません。

    ――陸軍中野学校というと、諜報活動を行う軍人を育成するために昭和12年に日本軍が設立した学校ですね。ここの学生は軍人でも坊主にしなくてもいいし、天皇の名前を聞いても姿勢を正さないなどあえて通常の軍人らしくなくふるまうことを学んだといいますが、忍術まで教えられていたんですか?

    山田雄司 そうなんです、藤田は陸軍中野学校設立初期に忍術の講義を行っていました。さらに政府の命令をうけて蒋介石暗殺の計画に携わっていた時期もあるようで、実際に日本政府と連携していたことも確かです。公権力のもとで諜報活動を行っていたという意味では、藤田は確かに「最後の忍者」だといえるでしょうね。現在も「忍者の末裔」として忍術を伝承している人はいるのですが、実際に政府のためになにかをしたという人はいないでしょう。

    ――現在忍術を伝承している方たちは、「忍びの家」前半での俵家のように「主人(あるじ)がいない状態」なので、忍者とはいえないんですね。もちろん政府のために活動していたとしても、決して明かすことはないでしょうが……

    リアル「忍びの末裔」は全国に数百世帯

    ――俵家の家族は、造り酒屋なのに酒を飲まない、恋愛も禁止というたいへん厳しい掟のなかで生きています。禁酒、恋愛禁止というのもリアルな忍びの姿だったんでしょうか?

    山田雄司 実際に、忍術書には「酒や色欲は慎まなければならない」と書かれています。藤田西湖もふだん酒は飲まなかったといっていますし、逆にどれだけ飲まされても酔わないように大酒飲みの練習もしたそうです。また基本的に忍者はその家に生まれた子供が育成されて忍者になることが多く、結婚についてもたとえば伊賀流であれば伊賀者どうしで、ということが多かったようです。

    現代に忍びが実在したら、やはり恋愛は御法度だったかもしれない(Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」)。

    ――ということは、現代に忍びが生きていたらやはりお酒と恋愛は禁止かもしれない。厳しいですね。そんな忍びの家の子孫は、今も残っているんでしょうか?

    山田雄司 さすがに現役の忍びかどうかはわかりませんが、末裔の方はたくさんいらっしゃいますよ。そうした家には古文書も残っています。

    ――忍びの末裔の家に古文書が! それはぜひ取材してみたいです!

    山田雄司 ところが、あることはわかっているんだけど公開するとなると微妙な問題で、絶対に見せてくれない方も多いんです。というのも、忍術書には「他見を許さず」、つまり他の人には見せてはいけないという掟があり、ご子孫は今でもそれを守っているんです。いまだに誰にも見せたことがないという文書もありましたね。

    ――決して他人には見せない。そこも非常に忍びっぽいですね。山田先生が確認できている範囲で、忍びの末裔はどのくらいいるんでしょう?

    山田雄司 伊賀や甲賀には多いですよ。他にも、幕府ができるとき江戸に移った伊賀者の末裔や、全国の大名に仕えていた忍びたちの末裔が各地に残っています。トータルすると何百世帯かにはなりますね。わかりやすいのは苗字ですが、たとえば伊賀だと服部、甲賀だと伴、鵜飼、芥川、また望月にも忍者の系譜は多いですね。もちろん全く関係のない服部さんや望月さんもたくさんいますから、一概にはいえませんが。

    江戸時代にまとめられた忍術書『万川海集』には忍術の多くの秘伝が書き残されている。忍び道具や罠のつくりかたなど図も多彩(国立公文書館デジタルアーカイブ)

    日本はもっと「忍者」の活用を!

    ――「忍びの家」は日本だけでなく世界的に高評価を得ているようです。現代の日本に忍者、忍びがいないのはもったいないように思えます。

    山田雄司 アメリカには国際スパイ博物館という施設があっていろいろなスパイ技術が展示されているんですが、その内容をみるとやっていることはほとんど忍者と同じなんです。日本はいま外交戦略などあまりうまくないので、その辺りは忍者に学ぶところが大いにあるかもしれません。外国ではいまだに忍者が現存していると思っている方も多くて、海外から「日本には今どのくらい忍者がいるんですか」と質問されることもあります。この状況をうまく活用するべきだと思いますね。たとえば外交交渉の場で「きょうは忍者を何人連れてきましたよ」というだけで、相手の諜報担当を警戒させる、そういう使い方もできるでしょう。「忍者はもういないのに冗談で言っている」と思われてもいいんです。「自分を“うつけ”だと思わせる」というのも忍びのひとつの技ですから。人の思っていること、想像の裏をかく、意表をつくのが忍術の極意ですよ。

    ――優秀な忍びは痕跡を残さないとすると、他国のスパイ組織が「これだけ調べてもみつからないのだから日本にはもう忍者はいないだろう」と考えても、それは逆に俵家のようなものすごく優秀な忍びがいることを示しているのかもしれない……。

    山田雄司 いるかもしれないし、いないかもしれない。そう思わせることこそ忍術なんです!

    ――忍者がいるのかいないのかという話をしている状況こそが、すでに忍者の術中ということですね。

    いるかもしれないし、いないかもしれない……。そう思わせるのが忍術だ!(Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」)

    山田雄司(やまだゆうじ)
    三重大学人文学部教授。国際忍者研究センター副センター長。
    1967年静岡県沼津市生まれ。京都大卒、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。主な著書に、『忍者の歴史』KADOKAWA、『忍者の精神』KADOKAWA、『忍者はすごかった』幻冬舎新書、『実践!忍術の手引き』BABジャパン、など。

    国際忍者研究センター

    webムー編集部

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