城崎の道智上人がタイムトラベラー!? 温泉偉人の足跡を辿る旅/松原タニシ超人化計画・温泉編2

取材=松原タニシ 構成=高野勝久

関連キーワード:
地域:

    城崎温泉をひらいた道智上人とは何者なのか? 松原タニシがムー的推理でその正体に迫ってみた!

    お坊さんが温泉を見つける理由

     城崎温泉を発見した道智上人(どうちしょうにん)に、鉄輪温泉でサウナを発明した一遍上人(いっぺんしょうにん)と温泉にまつわる超人たちの足跡を追っている今回の「超人化計画」。

     温泉とお坊さんは関係が深く、高僧が発見した温泉はこの他にも全国各地にたくさんある。行基がみつけたと言い伝えられているのが草津温泉に湯河原温泉、有馬温泉もそう。弘法大師空海はとにかく日本中で温泉を掘り当てているし、役行者が発見したという温泉もある。

    行基(画像=colbaseより)

     お坊さんのほかには、神様がみつけたという温泉も多い。有馬温泉には、行基だけでなくオオクニヌシがみつけたという伝説もあるし、道後温泉にはスクナヒコナの神話が残されている。

     なぜこんなにお坊さんや神様がらみの伝説が多いのかといえば、そこにはちゃんとした理由がある。お坊さんは昔の知識層で、薬や医療に関する情報もたくさん持っていた。そのため、実際にお坊さんたちが「温泉に浸かったら病気が治るよ」と知らせながら全国を回っていた……という可能性が考えられるんじゃないだろうか。

     神様にしても、オオクニヌシは神話でイナバのしろうさぎを助けているし、スクナヒコナも医療の神様として信仰されている。この二柱の神はペアで登場することも多く、医薬の祖神としてオオクニヌシとスクナヒコナを祀る神社もある。ということで、そんなお坊さんや神様がみつけた温泉だということにしたら、温泉の効能にも信ぴょう性が増すというPR効果もあったのだろう。

    オオクニヌシとスクナヒコナ(画像=国会図書館デジタルコレクション)。

     伝説が全て事実だとは考えにくいが(なにしろ全部本当だったら空海なんかとんでもないことになってしまう)、そうした理由で高僧の開湯伝説が語り継がれていったという一面はあるんじゃないだろうか。

    城崎温泉の祖・道智上人の伝説

     というところで、城崎温泉の伝説に戻ろう。温泉の効能PRのために高僧の開湯伝説が語り継がれた、と考えると、どうも城崎温泉の道智上人だけが謎すぎる。道智上人は城崎温泉の伝説にしか登場しないお坊さんなのだ。どうせならそれこそ空海とか、もっとメジャーな人物にしたほうが信ぴょう性も増しそうなのに、なぜ道智上人なんだろうか。

     そのこたえを探るべく、道智上人が開いたといわれる城崎の古刹、温泉寺にいってみた。

     お寺までの道中にあったお地蔵さん。

     閻魔堂もあった。

     そしてこちらが道智上人。

     今から1300年前、奈良時代のこと。城崎を訪れた道智上人は、そこに難病に苦しむ人たちがたくさんいるのを目にする。上人は土地の鎮守神である四所明神に「悪い病気の人たちを救いたい」と願をかけるのだが、すると夢に白髪の老人があらわれて「ここから西南にある木の下を掘ると、求めているものがみつかるだろう」とのお告げをくだす。

     上人はこの夢のお告げを信じ、木のあったところに庵を結ぶと1000日もの間そこで曼荼羅経を唱え続けた。そして結願の1000日目、お告げのとおりに湯が湧き出て、それが今のまんだら湯となったのだーーという。

     城崎温泉は2020年に開湯1300年を迎えたそうなので、温泉の発見は西暦720年ということになる。その後、738年には奈良の長谷寺に祀られる観音像とおなじ木でつくられた観音像がここに流れ着いたので、それを祀って建てられたのが温泉寺だ。

    謎の高僧・道智上人の正体とは!?

     ところで、道智上人の出身地は東北は出羽三山のふもと、道智村だといわれている。いまでも山形県には道智畑という地名が現存していて、そこからはたしかに道智上人という僧侶がでているらしい。

     だが奇妙なことに、そちら東北の道智上人は室町時代の人。紹介してきたように、城崎温泉の道智上人は奈良時代。600〜700年ちかくも時代がずれているのだ。どういうことだろう?

     しかも実在しているほうの(室町時代の)道智上人もいろんなことをしたお坊さんとして有名で、曼荼羅堂というところで修行したという。こっちの道智さんはまんだら湯、あちらは曼荼羅堂。しかも、どちらの道智さんも入滅、つまりなくなったのは月こそ違うが24日なのだそうだ。いったいこの共通点はどういうことなのか……。

     城崎の道智上人にはさらに謎めいた伝説があって、その最期は亀の甲羅に乗って入滅、つまり、亀の甲羅にのってどこかに去ってしまったのだという。この謎をムー的に考えてみよう。道智上人は奈良時代に亀の甲羅に乗って城崎温泉を立ち去ったあと、山形県に行った可能性があるんじゃないだろうか。何百年も経ってからふたたび姿を現すなんて、そんなことが可能なのか? ここで亀の甲羅の形状を思い浮かべてもらいたい。なにかに似ていないか……そう、UFOだ!道智上人は、UFOにのった宇宙人だったのかもしれない。もしくは、UFO型のタイムマシンを操縦するタイムトラベラーだったと考えることができるじゃないか! そうであれば、上人の超人的な伝説にも説明がつく……かもしれない。

     ところで、城崎温泉には最初に温泉を発見したのはコウノトリだとする別の伝説もある。城崎温泉の外湯のひとつに「鴻の湯」というのがあり、今から1400年前、コウノトリがケガをした足を癒しているのをみた村人がそこに温泉を発見したとの伝説をもっている。この説でいくと城崎温泉の始まりは道智上人より100年も早くなるのだが、鳥や動物が発見したという伝説もお坊さんの開湯伝説とおなじくらいよくみられるパターンだ。

     コウノトリは豊岡市の市の鳥でもあり、温泉は不老長寿の湯、幸せの湯、そして温泉をみつけたコウノトリが二羽のつがいだったということから夫婦円満のご利益もあるんだそうだ。さまざまな伝説にいろどられた城崎温泉と道智上人を追った超人化計画でした。

    動画でのレポートはこちら!

    動画はこちらから! 10分目~あたりです。

    松原タニシ

    心理的瑕疵のある物件に住み、その生活をレポートする“事故物件住みます芸人”。死と生活が隣接しつづけることで死生観がバグっている。著書『恐い間取り』『恐い旅』『死る旅』で累計33万部突破している。

    関連記事

    おすすめ記事