平将門・首塚伝説 京都から関東へ飛んだ怨霊・英雄の史跡を辿る
非命にたおれた猛将・平将門。その首は京都に運ばれて晒されるも、故郷を目指して飛んでいった──と伝えられている。この伝説を裏づけるかのように、京都と関東の間には将門伝説を伴う首塚が点在している。 怪異と
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松原タニシが超人の足跡を追う「超人化計画」、今回は日本史上トップクラスの超・超人、平将門公をめぐる弾丸ツアーレポートだ!
松原タニシが超人を目指す「超人化計画」、今回追いかけた超人はついにこの人、平将門!
2023年6月におこなわれた「ムー旅 平将門巡り 胴と首をつなぐ!崇敬の旅」に同乗してきました。
平将門とはどんな人物だったのか。詳しいことは「ムー」などを読んでもらうとして、ざっくりと説明すると、将門は今から1000年ほど前、坂東、今の茨城県で反乱を起こしたとされる人物だ。
関東各地の国司を追放して独自に新国司を任命、さらに「ワシが新しい天皇、新皇じゃー」と宣言したところ、朝廷から「そらいかん!」ということで討伐軍を差し向けられて最終的には倒されてしまうのだが、その最期を迎えた場所が茨城県坂東市あたりだとされる。そして、倒された将門を祀る神社が今回のムー旅の目的地のひとつ、国王神社なのだ。
こちらが国王神社。実際に訪れてみると意外と簡素で、「将門の神社です!」と前面に押し出している雰囲気でもない。神社の宝物として将門公の像が保管されているのだが、なんと昭和の頃に一度盗まれてしまったことがあるそうだ。
さいわい見つかりはしたものの大変な騒ぎとなり、その後はコンクリート製の建物に大切にしまわれていて簡単には拝見できない状態になっている。建物は厳重に閉鎖され、通常はお堂に像の写真が飾られているのだ。
さて、「胴と首をつなぐ旅」の胴のほうにあたるのが、国王神社とおなじく坂東市にあるお寺、延命院。この境内に、将門の胴体を葬ったとされる「胴塚」がある。
お寺のあちこちにみえる「大威徳将門明王」ののぼり旗。このお寺では、将門公が仏さまとしてまつられているのだ。
こちらが将門公の胴塚。延命院は真言宗のお寺だが、胴塚の石碑には浄土真宗で唱えられる「南無阿弥陀仏」が彫られている。なぜかというと、もともとこの石碑は延命院ではなく、東京の首塚にあったものなのだ。
首塚にあった石碑、なんと昔いちど盗まれてしまったことがあるのだ(さっきもどこかで聞いたぞ)。盗まれているあいだに首塚ではあたらしい供養塔をつくって置きなおしたのだが、その後しばらくしたら盗まれた供養塔が発見される。
発見時には3つに割れてしまっていたものの、不幸中の幸いパーツはすべてそろっていて修復することができた。しかし首塚にはもう新しい供養塔が置かれているし……というわけで、古いほうの石碑が首塚から胴塚に贈られることになり、ここに据えられたのである。
首塚をまつる東京のお寺は浄土真宗だったので、石碑には「南無阿弥陀仏」が彫られていた。そんなわけで石碑は「南無阿弥陀仏」なのに真言宗のお寺に建つという数奇な運命をたどることになったのだ。
ところで、ムー旅では現地でボランティアガイドさんが説明をしてくださったのだが、ムーの偉い人(サングラスの人)がガイドさんに「胴塚で将門公の祟りとかないんですか?」と質問したところ、「……ないんですか?」を言い終わらないうちにすごい速さで「ないね!」と一言。
胴塚で祟りはまったくないそうだ。逆に「何を怖がっているんですか?」とでもいうような気まずい空気が流れる……。ガイドさんもおっしゃっていたが、将門公は坂東市では、あるいは広く関東では反逆者ではなく「英雄」なのだ。
さて、将門公といえば外せない聖地がここ神田明神。神田明神といえば将門を祀る神社として有名だが、じつはいっとき、将門公が主祭神からはずされていた時期があるのだ。
世の中が徳川から新政府の時代になり、江戸城には徳川将軍にかわって明治天皇が住むことになる。明治7年(1874)には初めて天皇が神田明神を参拝する運びとなったのだが、このとき神社ではひとつの「問題」が浮かび上がった。
祭神とはいえ、将門公はかつて朝廷に反乱をおこした人物。天皇に刃向かった人を祀る場所に今の天皇さまが来たらまずいのでは……ということになり、「将門さまはいったん奥の別室へ……」とでもいうように、神社の奥にもうひとつ別の社を建て、祭神将門をそちらに遷座させたのだ。なにか命令があったわけではなく、神田明神側から天皇への忖度だろう、という。
その後ながらく将門公は別社に遷座されたままになっていたのだが、時代が昭和になり、さらに戦後、1970年代になるとNHK大河ドラマの影響などもあって世間に将門ブームがわきおこる。そんな潮流も受けて、昭和59年(1984)。将門公はおよそ90年ぶり本殿にもどることになり、今に至るのだ。
そして、将門公をめぐるムー旅、最後を締めくくるスポットはやっぱり大手町の首塚だ。
なにか念らしきものを飛ばすサングラスの人。そんなことすると祟られてしまいそうだが……。
ともかく、将門塚は2021年に平成令和の大改修を終えて、とてもきれいになっている。こうして、首と胴をつなぐムー旅ツアーは無事に終了。怖い目にあうこともありませんでした。
……と思っていたところ、旅の終了後、ツアーに参加していた方から「今日はタニシさんが参加されると聞いて、どうしてもお渡ししたいものを持ってきたんですが……」と渡されたものがある。それがこれ。
首だよ! 将門公の首塚ツアーで、謎の人形の首をもらってしまった。「なんか曰くがあるっていう人から譲り受けました」とのことで、その方も何があった首なのかは詳しく知らないらしい。むちゃくちゃ怖いんやけど。この人形の首も、どこかの首塚に供養しないといけないんだろうか……。
松原タニシ
心理的瑕疵のある物件に住み、その生活をレポートする“事故物件住みます芸人”。死と生活が隣接しつづけることで死生観がバグっている。著書『恐い間取り』『恐い旅』『死る旅』で累計33万部突破している。
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