飯田譲治が語る「超能力の真実」 TVアニメ「NIGHT HEAD 2041」放送記念インタビュー

構成=高野勝久 撮影=我妻慶一

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    超能力を持つ者の苦悩を描いたTVドラマ「NIGHT HEAD」が、新作TVアニメ「NIGHT HEAD 2041」となって復活! 近未来を舞台に、超能力者と精神エネルギーを否定し取り締まる国家保安隊が対峙するディストピアが提示される。 「NIGHT HEAD」の生みの親であり、新作アニメで原作・構成・脚本を務める飯田譲治氏に、2021年に送り出す超能力者、超常現象についてインタビュー。超能力を“実在するもの”と実感させた、ある人物とは……?

    「本物」との出会いが変えた”超能力”のイメージ

    ――90年代のドラマが2021年にアニメとして復活します。約30年の時を隔てて、飯田さんにとって、また「NIGHT HEAD」という作品にとって「超能力」の位置付けを教えてください。

    飯田譲治(以下、飯田) 僕は子どもの頃から、手塚治虫や筒井康隆、大きくなってからはフィリップ・K・ディックなんかを読んで育ったんですが、超能力は「話を考えるうえであったら面白いもの」という認識でした。クリエイターは「そんなことがあるわけない」と考えるよりも「もしあったらどうだろう?」と考える方がより面白い話がつくれる。超能力も「もしも実在したらどんな面白いことが考えられるだろうか?」というテーマだったんです。
    ――ところがあるとき、そうした意識に革命がおきるような出来事があった。
    「NIGHT HEAD」のもとになったのは「世にも奇妙な物語」で放映された「常識酒場」という作品です。とある酒場で、超能力を全否定してバカにする男たちが飲んでいた。その場にホンモノの超能力者の兄弟がたまたま遭遇してしまい……という15分ほどの短編です。
     その「常識酒場」で超能力者の兄を演じた今井雅之から「未来が見える人を知っているんですよ」と、ある人を紹介されたんです。ぼくは“家元”と呼んでいますが、踊りのお師匠さんをしている方だった。今井とふたりで初めて会いにいったのはお互い30代前半の頃でしたが、そのときにいろいろと言われたことがびっくりするほど当たる。とても細かく、のちに引っ越すことになる家の外観まで当てていた。どの話もずいぶん後になって「そういうことだったのか」と、全部実現していったんですよ。
     生まれてはじめて「超能力者だ」と思える人に出会ったわけです。

    ――超能力ものの作品を手掛けたら、本物に出会ってしまったという……。

    飯田 そこで気がついたんだけど、「俺、超能力って全然信じてなかったな」と。そのときに自分のなかで痛感したんですね。あったら面白いなとは思っていたけど、あると信じてはいなかった。だから、実際に「そういう力を持った人と会う」という状況もリアルに想像したことがなかった。そんなことに気づかされたんです。そこからあとは、超能力のあるなしの議論はもう無意味になってしまった。実際にそういう人を目の前に見たわけだから。
     それからは「現実にあるのなら、それはどういう理屈で存在しているんだろう」という疑問についてすごく考えるようになった。あったら面白いねという世間話的なレベルは飛びこえてしまったわけですね。
     自分自身も絶対に知らないことを、この人は知っていた。そんな現象はいったいどんな理屈で成立するのだろう……そういうことを真剣に考えたあの時間があったおかげで、超常現象の話、幽霊のこと、そういうものを「NIGHT HEAD」の物語に反映することができたわけですよ。
     そう考えると、あれはもう個人としても作品としても運命的な出会いだったのかもしれない。

    ――まるでなにかに仕組まれたかのような展開です。

    飯田 本当に、誰か仕組んだんじゃないかと思うくらい。「NIGHT HEAD」が生まれたのも必然だったようにも思えますね。
    その後も家元とはたびたびお会いする関係が続いたんですが、「NIGHT HEAD」についても“予言”されているんです。「幹があって、それがわーっと枝分かれしていくのが見える」と。放映前ですよ。深夜枠で、しかも関東ローカルのドラマがヒットするなんて誰も想像もしてない頃に。同じ時期に、「子どもがお金を背負ってくるよ」なんてことも言われましたが、ちょうど長男が生まれたタイミングで「NIGHT HEAD」の小説版が発売になり、即完売即増刷ということがあった。独特の表現をする人でしたが、見ようと思って見ているわけではなく、不意に見えたものを口にするようでしたね。目の前に像が浮かんでくるといった感じで話す人でした。

    2041年の世界と超能力者という存在

    ――一般的には「信じがたい」と思われそうな、強烈な実体験ですね。

    飯田 人間というのは、みな誰もが自分の信じる世界を構築するものなので、超能力にしてもそれを信じていない人には信じていない現実がくる、信じている人には信じている現実が訪れる。信じていない人は、たとえば今この場でスプーンが折れたとしても信じない(笑)。それと、強くそういうものを否定する人は強力な否定のエネルギーを発するんですよ。「あるわけない」という気持ちを強烈に放っている人がいると、超能力が働かなくなる……と思います。

    ——実際に予言、超能力を目にした経験が、作品に影響を与えている部分もあるのでしょうか?

    飯田 30年前のドラマでは家元からイマジネーションをうけたキャラクターも登場させています。まさにそのままというような。超能力みたいなことは想像だけでは拠り所がないわけだけれど、現実にそういう人に会えたことはリアリティ構築の面でとても大きかったです。

    ——ドラマ版が放送された90年代当時と現在では「超能力」を取り巻く環境もずいぶん変わっています。作品世界はさらに未来の2041年ですが、描かれる超能力者像にも変化があるのでしょうか?

    飯田 2041年、いまから20年後くらいだとそれほど想像できないほどの大変化はないんじゃないかと思います。いきなりエアカーが飛び回っていることもないだろうと。今の延長上にある、変わっているようで逆に驚くほど変化していない場所もあって……という世界観ですね。
    もともと超能力っていうのは全員が持っているもので、「ないものだ」って信じ込まされることでこの世界が成り立っているという考え方は、今回の作品にも反映されています。現実社会での超能力をとりまく状況は、ずっと抵抗がなくなっていますよね。昔は超常現象の話をしているだけで「インチキだろ!」って怒り出す人がいましたからね(苦笑)。

    思うから、ある。あるから、思う。

    ——幽霊を見たとか、あるいはUFOに遭遇した的な超常体験はありますか?

    飯田 幽霊はねえ……怖くないんですよ。というのも、もうしょっちゅう乗っかられたり、手を握られたりしているから。怖がらなさすぎるから来ちゃうんだよ、と言われたこともあります。
    数か月に一度くらいですかな、金縛りにあうんです。夜中に「どっかいけー!!」と私が叫んでいるんですって。それを聞いて隣にいた妻が飛び起きて塩撒いたりしてね(笑)。しょっちゅうですよ。
    幽霊なんかはもう、それこそそう遠くない未来に科学的に証明されるんじゃないかな。まだ解明されていないというだけで。ただ、じゃあどういう理屈で見えるんだっていわれてもわからないんだけど。
    家元と出会う前から、虫の知らせだとか、大切な人が亡くなる前には胸がざわざわする、というような経験はあった。今でも、人と話をしていてまったく本題とは関係のないことを「伝えなきゃいけない」って気持ちになることがあるんです。もう話の流れとは全然関係のないことを。それはきっと伝えたい何者かが俺の口を使っているんだろうなと思いますね。そういう不思議な感覚はある。

    ――霊的なことについても、理屈はわからないけど体験としての実在を確信しているわけですね。

    飯田 基本的に言葉になっているものは存在していると思っているんです。「サイコキネシス」ってことばがあるのは、そう表現せざるを得ない能力、現象があったから、言葉が後からできた。「鬼」にしても、鬼に匹敵する何者かがあったからこそ、それを表現する言葉が求められたわけでしょう。何もないところから「鬼」って言葉を創作した人がいると考える方が、違和感がある。神、地獄、運命……みんなそうなんじゃないかな。

    ――思うからある、あるから思う。まさに「超常現象があるとしたら」ではなく「実在するのはどういう理屈か」という考え方です。

    飯田 霊はわいわいやってる楽しそうなところに集まるといいますから、撮影中もそういう現象は多いですね。ホテルとかも人の情念のようなものが渦巻いていることがあるし、本物の死体解剖室で撮影したときは、もう、部屋に入った瞬間につらかった。どうも霊がいるとかいないではない、もっとどんよりとした「気」のようなものを受けてしまうようです。だからロケハンでもやりたくない場所、直感的にここはやめておこうって場所があるんですよ。そういう感覚はとても大事にしています。

    ——「直感」で!

    飯田 直感は一番大切にしていますし、まわりにもよく言っています。ぱっと一歩足を踏み込んで、ここはヤバいな……と思ったら引き返したほうがいい。超能力についての話でも同じですが、人間は自分自身で理屈をつくって自説を補強、矯正してしまうので、最初の感覚、直感が一番正しい判断をしていることが多くて、信用できるんです。

    「NIGHT HEAD 2041」

    ——では、直感的に今回「NIGHT HEAD 2041」の手応えはどうでしょう?

    飯田 それは……もう直感にならないんですよ。なぜなら僕はもう「当たってほしい」という希望、願望があるから。まっさらな目でみられないわけ。テレビで格闘技をふと目にしたとき、どっちが勝つなって直感的にわかることはある。でも「俺はどっちが勝つか当てられるぜ」って気持ちで見るともうダメなんです。判断したいという気持ちになっちゃってるから、それはもう直感ではない。なかなか難しいものです。
    ただ、なんでもそうですが緻密にデータを積み重ねてつくったものって大爆発はしない。データにない部分で、どうなるかわからないものをやったときにヒットがでるわけです。30年前の「NIGHT HEAD」も当たるなんて誰も思ってなかったんだから。大空振りするか、ヒットするか。データを踏まえて70点を目指して65点をとるようなやり方よりも、僕はそっちが好きだし、これまでもそうしてきました。

    ——確かに、2021年に「NIGHT HEAD」がどう受け入れられるのか、予想できません。

    飯田 ドラマをオンタイムで見ていた世代の人たちが「今の若い世代に向けたアニメにしたい」という提案をしてくれたのはうれしかったですよ。超能力の物語が若い世代にどうとらえられるのか、10代の反応が楽しみですね。「NIGHT HEAD」のときにも10年早いと言われました。それからもう30年たったんだから、当時よりもっと多くの人に受け入れてもらえるかな。

    飯田譲治
    映画監督、脚本家、小説家。TVドラマ『NIGHT HEAD』(原作・監督・脚本)、映画『らせん』(監督・脚本)『アナザヘヴン』(原作・監督・脚本)『ドラゴンヘッド』(監督・脚本)ほか。
    衣装協力: DO CLASSE

    インタビューの模様は動画でも紹介!

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