新生児の脳は“まっさらな状態”ではなかった! 胎内記憶の謎にも迫る脳神経研究の最前線

文=仲田しんじ

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    子ども時代の楽しい体験は一生の宝にもなるが、幼少期の記憶は曖昧であったり、あまり憶えていなかったりする。脳が未熟であるゆえ仕方ないようにも思えるが、新たな研究によると実態はまったく異なるという。

    幼少期の記憶が貧弱である理由

     長年生きていると記憶は膨らんでいくばかりであり、脳の中はいろんなことを書き留めたメモ用紙が雑多に積み上げられているかのようにも思えてくる。

     とすれば逆に、新生児の脳はあたかも新品のノートブックのように“まっさらな”状態に思えてくるが、しかしそうしたイメージは神経科学においてはいったん保留しなければならないようだ。

     オーストリア科学技術研究所(ISTA)の研究チームが今年4月に学術誌「Nature Communications」で発表した研究によれば、脳の記憶中枢となる神経ネットワークは、実は幼少期には高度かつ複雑に接続されており、その後になって徐々に間引かれていくことで、より洗練し構造化されたシステムへと変化するという。

     研究チームは、記憶の保存と想起において中心的役割を果たす海馬の「CA3」と呼ばれる領域に注目した。可塑性に優れたCA3内のニューロンは結合の強弱を調整することができ、それによってさまざまな記憶を強化したり弱めたりすることができる。

     研究チームは、出生直後、思春期、成体期に採取したマウスの脳組織を調べた。その結果、幼少期には海馬の神経ネットワークが密接に配線されており、多くのニューロンがランダムなパターンで過剰に接続されていることがわかった。しかし脳が成熟するにつれて、これらの無秩序なネットワークは接続が間引かれることでまばらになり、より構造化される。この間引きは出生直後から始まり、思春期までには神経回路の接続性が出生時からは著しく低下するのである。

     この発見は、海馬が最初は“白紙”の状態であるという考えを否定するものとなる。神経回路の過剰な接続性により、幼少期の脳内は情報で満ち溢れていることになるのだ。絶えずインプットされてくる情報に過度に反応しているがゆえに、幼少期には記憶が形成され難いのだと考えることもできる。

     ニューロンが過剰に活性化された状態にあると、異なる経験が重複した活動パターンを引き起こす可能性がある。その重複が大きすぎると、脳は記憶を区別することが困難になり、明確な記憶ではなく漠然と重なり合った記憶が生成される。幼少期の脳は、きわめて活発ではあるが故に精度を欠いているのである。

     この不正確さは行動にも影響を与える可能性がある。たとえばげっ歯類の研究では、ケージ内の特定の場所で軽い電気ショックを受けた個体は恐怖が刷り込まれ、同じケージに戻されると電気ショックがなくても身動きが取れなくなることが示されている。この実験で、成体の場合はまさにその現場で身動きが取れなくなるのに対し、若い個体では似たような環境でも同様の反応を示した。つまり、記憶は形成されているものの、若い個体ではその正確性が低いのだ。

     脳が成熟するにつれて、ニューロンはより選択的になり、電位変化(スパイク)を起こすには複数の入力が必要になる。その結果、より明確で独立したネットワークが形成され、具体的で安定した記憶が形成されてくる。したがって幼少期の記憶が貧弱なのは、記憶が曖昧であり絶えずオーバーラップされて長期的に保持できないためだとも考えられるのだ。幼い頃の脳は“情報の洪水”に晒されていて、よぼど強烈な体験ならいざ知らず、些細な長期記憶を形成する暇がないことになる。

    Jill WellingtonによるPixabayからの画像

    新生児の脳はフルスペック状態

     今回の研究には関わっていないオランダのラドバウド大学ドンダース脳・認知・行動研究所の助教授であるハウズル・フレイヤ・オラフスドッティル氏は、前述の研究結果について「記憶の発達に関するこれまでの知見と一致している」と科学メディア「Live Science」に話す。

    「複数の点で興味深い発見です。発達心理学の研究では、記憶は年齢とともに具体的になることが示唆されています。ですから今回、神経回路レベルで接続パターンがまばらになっていることが分かったのは、とても興味深いことです」(オラフスドッティル氏)

     では、出生前の脳の神経回路形成は何によって促されるのだろうか。

     研究チームによれば、この密な初期の神経結合は、遺伝的にプログラムされた発達過程の結果かもしれないという。そして出生後に、経験によって神経回路が洗練されていくということだ。

     今回の研究結果は出生前の経験、つまり「胎内記憶」が脳に永続的な痕跡を残す可能性を否定するものではない。しかしオラフスドッティル氏は、そうした最初期の学習形態は、成熟した海馬回路とは異なる神経系に依存していると考えている。

    「胎児期の経験が存在し、影響を与えていることは否定しません。それらは、いわば私たちの脳、そしておそらくは心理にも痕跡を残すでしょう」(オラフスドッティル氏)

     そうした胎児期の記憶の痕跡は、人生の後半で形成される詳細な記憶とは異なっていそうだ。

    イメージ画像:「Adobe Stock」

     ともあれ出生時、幼少時の脳は「すべてが揃っている状態」であると研究チームは考えている。

     最初から一通りの要素がすべて揃っている状態は、視覚・聴覚・嗅覚など異なる種類の情報をニューロンが素早く結びつけられるように働き、脳に極めて重要な“先制的な優位性”をもたらしている可能性がある。幼児期にわれわれが母国語を自然にマスターできるのも、ニューロンの密接な接続性の賜物であるのかもしれない。

     逆にもし脳が“白紙の状態”から始まっていたとしたら、ニューロン同士のつながりが希薄すぎて互いを見つけられず、初期段階での情報伝達が困難になるかもしれないと研究チームは考えている。

     新生児の脳が実はフルスペックであるとすれば、考えられている以上に「胎教」の活動が有効なのかもしれない。そして幼少期の子どもたちの認知機能は実は優れ過ぎているのだという意外にして新たな理解がもたらされそうだ。

    【参考】
    https://www.livescience.com/health/neuroscience/we-remember-little-to-nothing-of-early-childhood-and-a-recent-mouse-study-may-help-explain-why

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

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