感染呪物「怪文書」という叫び/吉田悠軌の怪談解題・呪物編

文=吉田悠軌

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    執筆者も意図も不明な謎のテキスト「怪文書」たち。それは日常のふとした瞬間に姿を現し、私たちを不穏な気持ちに陥れる。その点は怪談にもよく似ているが、しかし決定的に異なる部分を持っている。

    日常を反転させる「怪文書」という存在

     オカルト・怪談好きな人間は、おしなべて「怪文書」にも惹かれてしまうでのはないか。
     だれが書いたかわからない、日常言語から逸脱した文体の、意図も目的も論旨もつかみづらいテキスト。それは現行社会とは異なる論理、別の思考があるのではというロマンを感じさせてくれる。しかもその文章は、すぐ近くに実在する匿名の隣人が書き、われわれの生活圏内に提示してきたものだ。
     日常のふとした瞬間に、常識を覆すような異分子に触れてしまう。怪文書とは、まさに怪談と相通じる体験ツールなのだ。

     その体験を存分に堪能するには、やはりインターネットではなく、紙などの現物に直接出くわしたほうがいい。町内の掲示板、電信柱の貼り紙、だれかが投函してきた手紙……。そこに届けた書き手がいるという存在感、ここに「呪物」として現れている臨場感。それこそが怪文書の本質である。

     私も怪文書好きとして、街中でそれらを見かけるたびに撮影し、手に取るようにしている。最近も、代々木公園近くで出色のものに遭遇した。「ご自由にどうぞ」と書かれた路上の段ボール箱。よくある断捨離かと思いきや、ガラクタに混じって手製の冊子が入っていた。

    「アホでバカな学者は点九点■■■(※人物名)」なる題名に魅せられて開くと、さらに奇抜な本文が展開している。連想で繋がる単語の小刻みな羅列に、「ボポアミヘン」「煙草シケモク火消水」といった造語。そして「アホでバカな学者は点九点」の主旋律が「てんくてん」「、9、」と変奏されつつ繰り返されていく。ただの無意識による自動書記ではなく、なにか奇妙な論理が貫かれているようだ。

    (上・下)あらゆる表記の「、9、」が並ぶ謎の怪文書。「ご自由にどうぞ」とあったが……。人物名などはスミ塗りをした。

     また2022年には『ツイ跡!都市伝説』(CBCテレビ)という番組にて、謎の怪文書を調査したこともある。目黒区や大田区など城南エリア各地に、ほぼ同じ文言の小さな貼り紙が確認できるのだ。電柱に貼られているケースが多いのだが、その数と範囲の広さが尋常ではない。北は中目黒駅から南は横浜駅まで、おそらく100枚は超えているのではないだろうか。

     その内容は、以下のとおり。
    「入りたし 芸大 美 日大 芸慶応 文」

     素直に捉えるなら、東京藝大美術学部・日本大学芸術学部・慶應大学文学部への合格祈願となる。前段は「入りたい」「祈合格」などバージョン違いはあるものの、3つの大学・学部については絶対に変わらない。また同じ電柱でも定期的に紙が新しくなる、雨で剥がれそうになったら接着しなおされる、との証言もあった。
     文言の内容と、すべて同じ筆跡であることから、一個人による活動かと察せられる。しかし少なくとも10年以上前(2010年代前半)から継続されており、普通の受験生とは思えない。いったいだれがなんのために行っているのだろうか。
     調査を重ねるうち、某駅の周辺にずば抜けて頻出していることを発見した。その街が貼り紙の人物の拠点のようだ。また、どのようなポイントが選ばれているかの傾向も見えてきた。貼り紙があるのは路上のなかでも人が立ち止まる場所、交差点、信号の前、駐車場、踏切など。つまり通行人にこの祈願を見てもらおうとの意図が見受けられるのだ。

     怪文書とは、どれほど異様な文章が書かれていようと、けっして書き手だけで完結するものではない。そこでは必ず、不特定多数の受け手へのコミュニケーションが図られている。またコミュニケーションである以上、読み手もまた怪文書からの影響を受けてしまったりもする。
    日々多くの怪文書に接しているものなら、その危険も高まるだろう。

    (上3点)目黒区、大田区を中心に100枚をこえているという大学合格祈願の貼り紙。作者も真意も、場所の法則も不明。

    怪文書マニアが体験した怪文書の無気味な「予言」

     私のオカルト関係の知人に、関根津トムという若者がいる。UFO研究家・比嘉光太郎とともにサークル「未確認の会」を立ち上げた、新進気鋭のオカルティストだ。呪物などの怪しげな物品を精力的に収集しており、その一環として怪文書にも注目している。
     私以上の怪文書マニアである彼の体験談を紹介しておこう。

     ひとつめは、神戸での出来事。
     元町高架通商店街、通称モトコーは変わった店が多いことで有名だ。珍品を求めて商店街をさまよっていたトム氏は、ふとあるものに目を止めた。居並ぶ店舗の一画、営業時間外のためか閉じられたシャッターに、一枚の紙が貼り付けられている。
    「丸山10分遅刻 飯川45分遅刻」
     ここで待ち合わせたふたりの人物に対し、遅刻を咎めているのだろうか。しかし執筆者が置き書きをして去ったのであれば、このふたりが何分遅れるかなどわからないはずだ。そうした事情はともかくとして、もっとずっと不可解な点がひとつ。
     この文章はすべて、鏡文字で綴られていたのだ。
     紙を裏返して透かせば、まっとうな向きの文字が滲んでいる。だがサインペンで書かれた表面は、明らかに正反対の文字のほうだ。
     ひどく書きづらいはずだが、たどたどしさは見受けられない。この人物は、ふだんから鏡文字に慣れているのだろうか。だとしても、他人への連絡メモをこのように書く意味はまったく不明だ。
     いくら考えても正解に辿り着けそうもないので、トム氏は次の用事へと向かった。するとそこで軽いトラブルに見舞われ、さらに後に控えた知人との待ち合わせに間に合わなくなってしまう。
    「遅刻してしまったんです。それもぴったり45分」
     相手はひどく腹を立てた。その前の会合も、トム氏の急病でキャンセルしていたという背景があったのだが。
    「こういうことが続くならもう会えません、といわれてしまい……もちろん自分が悪いんですけれど」
     人生で初めて突きつけられた、知人からの絶縁宣言だった。
     自分の瑕疵については、今でも猛省している。だがその直前に「遅刻」が奇妙な方法で暗示されていたことに、トム氏はどうしても戦慄を覚えてしまうのだという。

    関根津トム氏提供の例。不穏な暗示を与えた鏡文字の怪文書。

    収集したノートが招く? 自宅に発生する怪現象

     ふたつめは、つい先日のことである。
     新宿の一部で有名な某マンションに興味を持ったトム氏は、当該ビル1階で経営する喫茶店を訪ねてみた。だが店内にいた客は、明らかに一般人である壮年男性のみ。男性は机の上にノートを広げ、店主だろう女性になにごとかを熱弁していた。近づいてみれば、4冊ものノートが手書きの文字でびっしりと埋まっている。
    「なにを書いているのですか」
     トム氏の質問に、男性は「写経をしている」と答え、鞄から和綴じの古文書を取り出した。表紙しか確認していないが、経典を原本として書き写しているのだろうと推察された。
    「私も勉強したいので、ノートを譲ってもらえませんか」
     男性は照れくさそうな笑顔を浮かべながら、そのうちの一冊を譲ってくれた。
     帰宅後、ノートを開いたトム氏は奇妙なことに気づく。そこに書かれていたのは経文ではなく、ですます調の散文だった。いちおうは仏教的な精神修養について述べているようだが、支離滅裂な文体で、とても出版物のコピーだとは思えない。やけにオノマトペが強調され、音に着目して悟りを目指すといった内容である。
    「「ドン」これが皆さんの命の根源です」「「ポン」という音は事実で、これ自体は意味がないのにあなたは考えようとする」
    「「コツン」と音がしたら「コツン」これだけです」
     こうしたフレーズで組み立てられた断章が、合計で92篇。さらに後半部には、まったく同じ92編の文章がもう一度繰り返されている。
     男性は、ひたすら同一の文を連ねていくことを「写経」と表現していたのだろうか。それにしても、あの古文書にこんな奇態なテキストが記されていたとは思えない。とはいえ前後半が完全に一致しているのだから、思いつくまま書いたわけでもない……。
     いったいこの「写経」の原本はどこにあるのか? 男性はなにを参照して、こんな文章をノート4冊分、いやおそらくそれ以上にわたって書きつづけているのか?
     ――パキッ。トム氏の部屋に、乾いた音が響いた。
     呪物収集部屋として借りたこの木造ボロアパートでは、たびたび家鳴りが発生する。なにも珍しくない、ただの日常茶飯事なのだが。
     ――パキ、パキッ。
     その音が、いつもより鋭く耳をついてくる。このまま聞き続けたら、うっかり「悟り」に至ってしまいそうで、トム氏は慌ててノートを閉じた。

    オノマトペが強調される写経式の怪文書。関根津氏提供。

    解題――怪談と怪文書に共通するキーワード「感染」

     怪文書と怪談の共通点はもうひとつある。「感染」だ。怪談は語り手と聞き手の連鎖によって伝わる。いやむしろ不思議な語りが連鎖していくコミュニケーション運動そのものを、われわれは「怪談」と呼んでいる。
     そしてテキストを読むとき、われわれはいったんそれを脳内で全肯定して受容しなければならない。怪文書のような異常なテキストも、自身の内に取り込むことになる。その強度があまりに高ければ、世界の変質を迫られるような混乱が生じるだろう。

     それがトム氏の感じた戦慄だ。
     怪文書の現物に対峙したことで、ウイルスに感染するがごとく、自分と世界とが書き換えられそうになる恐怖。インターネット上のデータでは、そこまでの影響を及ぼしづらい。やはり手書きの現物だからこそ、強い呪術性と呪物性を帯びてしまうのだ。

     たとえば「不幸の手紙(幸福の手紙)」は、まさしく怪文書を感染させていく呪術的行為だ。「これは不幸の手紙です。受け取った人は、これと同じ手紙を一週間以内に十人の人に送らなければなりません。東京都の吉田さんは手紙を止めてしまったため交通事故で死にました」
     書き手から送られた受け手が、また書き手となり次の受け手に送る。まったく同一の文面を(写経のごとく)コピーし、拡散させていく。これが手書きであり、ハガキという現物であることも重要だ。確かにFAXや電子メールのほうがコピー&ペーストと拡散には適しているが、呪術性・呪物性は弱くなってしまう。
     FAXであれば当たり屋グループの注意喚起(この地域で組織的な当たり屋行為が発生しています。××というナンバープレートの車に気をつけてください。注意喚起のためこれを各所にFAXしてください……)。電子メールであれば「アラブ人の恩返し」(アラブ系の男性を助けたところ、「これから一週間は地下鉄に乗らないで」と警告されました。テロ行為が計画されているようです。このメールを友人知人に拡散してください……)。などのような現実的恐怖がメインとなり、かつての不幸・幸福といった超常性は失われていった。

    不特定多数が見ることで発現する、拡散による浄化

     大学合格祈願の貼り紙も、呪術的コミュニケーションなのだと私は思っている。ただこちらの場合、変化を望んでいるのはむしろ行為者のほうだろう。
     一般的な合格祈願なら、自室に「〇〇大学合格!」との決意をしたためた紙を貼り、自分ひとりの目につけばよい。または神社での祈願であれば、神にさえ願いが伝わればよい。絵馬の文言はむしろ他人に見せないようにするし、近年では個人情報保護シールまで広まっている。しかしこちらは逆に、衆目に晒されるのを目的としている。
     当該人物はもはや受験生ではないだろうが、各大学へ入りたかった念願を、呪いのように抱えつづけている。その澱を自分の外へ解放するため、大量の紙に言葉として記した。だがそれだけでは足りない。不特定多数の人々に見てもらわねば、拡散による浄化が行われないのだ。

     昔の日本には、出産で死んだ女性を弔うための「流れ勧請」という風習があった。街道沿いの水辺に赤い布、経文を書いた布を貼り、道行く人々がそこに水をかけていく。多くの人の協力により、やがて布の赤色や文字が薄れ、それらが完全に消えたとき、産死者の供養が遂げられる。あるいは交差点を行き交う人々の会話から吉兆を占う「辻占」。赤子が健やかに育つよう、その胎盤を辻に埋めて人々に踏んでもらう習俗など。こうした見知らぬ通行人の力を借りるイメージが、あの貼り紙には託されているのではないか。

     怪文書と怪談は似ているが、混同してはならない点がひとつある。怪文書とその書き手はけっして怪異ではなく、実在の人間による発表物ということだ。怪文書が受け手に影響を与えるように、書き手もまた自身や世界に変化を与えるため、その文章を書き、どこかへ送り届けている。怪文書とは双方向のコミュニケーションだと、何度でも強調しておきたい。

    (月刊ムー 2026年07月号)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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