ダンテ『神曲』は小惑星衝突による天変地異を描写していた!? サタンの正体は巨大隕石か、衝撃の異説
あのダンテは、小惑星による世界の破滅を描写していた!? 『神曲』に秘めら現実の大災害と物理的概念!
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現在、太陽系には8つの惑星がある。地球は太陽から3番目に位置するが、太陽と地球との距離を基準にすると、各惑星の距離は数列で表すことができるという。 その数列で計算すると、火星と木星の間に、惑星がもうひとつ存在することになる。 失われた第5惑星――シュメール文明の遺物にその存在が記され、『旧約聖書』にも登場するこの幻の惑星とは?
目次
日本が世界に誇る大偉業だった。
2003年5月に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」は05年9月に小惑星イトカワに到達。至近距離から詳細な観測を行ったあとの同年11月、イトカワへの着陸と離陸を行い、サンプル採取を試みた。その後、燃料漏れやエンジン停止、通信途絶などのトラブルが相次ぐという絶望的状況に陥ったものの、2010年6月13日、7年余におよんだ約60億キロの宇宙の旅を終えて地球帰還を成し遂げた。
月以外の天体に着陸した探査機が帰還したのは世界で初めてであり、しかも回収されたサンプル容器内の微粒子の大半はイトカワ由来だった。これまた、世界初の小惑星からのサンプルリターンという快挙だったのである。
このイトカワをはじめとする小惑星群に天文学者が注目するようになったのは18世紀後半だった。
1766年、ヨハン・ダニエル・ティティウスが、太陽系の惑星(当時知られていたのは水星、金星、地球、火星、木星、土星)はある数列に従って配置されていることを発見。1772年、ヨハン・ボーデがその数列の重要性を訴えて、太陽系惑星に関する法則性が広く知られることになった。
これを「ティティウス・ボーデの法則」あるいは「ボーデの法則」と呼ぶ。


太陽と地球間の距離を1天文単位(AU)とすると、それぞれの惑星と太陽間の距離(D)は次の数式で表される、というものだ。
D=0.3N+0.4
(Nは内側の惑星から順に0、1、2、4、8、16、32、64……とする数列)
もっと具体的に説明すると──、
N 惑星 法則値 実距離
0 水星 0.4 0.39
1 金星 0.7 0.72
2 地球 1.0 1
4 火星 1.6 1.52
8 ★? 2.8 ?
16 木星 5.2 5.2
32 土星 10.0 9.54
となる。
1781年、ウィリアム・ハーシェルがこの法則に従い、N=64、D=19.6に近いD=19.19の地点を公転する新惑星、天王星を発見したことにより、ボーデの法則はにわかに脚光を浴び、N=8に相当する惑星の存在を信じる天文学者や天文ファンが”幻の第5番惑星”の発見競争を繰り広げた。


その結果、1801年、イタリアのピアッツィがD=2.8に近い2.77AU地点に直径約1000キロの新天体を発見し、ケレスと名づけた。
翌02年にはパラス、04年にはジュノー、07年にはベスタと、同じような位置に新天体が相次いで発見されたものの、ケレスの直径は地球の月の約7分の2しかないなど、いずれの天体も「惑星」と呼ぶにはあまりにも小さいことから惑星とは区別され、1853年以降は「小惑星」と呼ばれるようになった。

現在発見されている小惑星は数十万個で、大小さまざま小惑星の総数は数百万個以上、数十センチ大のものを含めると、一説に100億個あるとも推定されているが、直径が100キロを超えるものは約220個しかない。それら小惑星の大半は火星軌道と木星軌道の間に存在し、約2.2~3.2AUの範囲に集まっており、この領域を「小惑星帯」と呼ぶ。
現在、太陽系には8つの惑星が存在するが、遙か昔、太陽系の地図は今とは違う姿をしていた可能性がある。

ミニ天体の集合体であるこの小惑星帯は、かつてはひとつの惑星だったものが、何らかの原因で破壊されてバラバラになったのではないかという仮説が提示され、旧ソ連の天文学者はこれを「パエトーン」と呼び、欧米の天文学界では「バルカン」と呼称されていた。

いわゆる単一大型母天体破壊説だが、しかしながら、この仮説は世界の天文学界の定説とはなりえていない。いくつかの難点があるからだ。
まずは、小惑星帯の全体の質量をトータルしても、単一の惑星の質量にはとうてい到達しえないことがあげられている。大型母天体の破壊原因も判明していない。また、すべての小惑星が同一の起源を持つわけではなく、かつて彗星だったものなども含まれていることがわかってきたからだ。
そこでアメリカの天文学者たちは、直径が1000~1500キロの複数の小型母天体が木星の重力に振り回されて、互いに何度も衝突を繰り返して砕け散った、という仮説を立てた。
実際、太陽系最大の惑星である木星は地球の約320倍の質量を持ち、小惑星群に大きく作用している。だが、この仮説も重大な欠陥を抱えている。
第一に、母天体の内部構造をつくりだすのに必要な熱源が見つかっていない。小惑星の母天体は珪酸塩の地殻と鉄ニッケル合金の巨大な核構造を持っているはずだが、これをつくりだすには、初めに集まってきた原材料のガスや宇宙塵などがかなりの高温に加熱されて溶けてしまわなければならない。
地球や水星、金星、火星などでは、その熱源は宇宙塵やガスなどの重力エネルギーと、それらに含まれていた放射性元素の崩壊熱だったというのが通説だ。だが、複数小型母天体衝突説が前提とする直径1500キロ以下の天体では、この種の熱源だけでは十分な高温が得られないのである。


そこで、太陽が現在より遙かに強い輻射(ふくしゃ)をしていた時期があった、初期の太陽は強い磁場をつくりだす強烈な太陽風を出しながら高速回転していた、今は消滅してしまった寿命の短い放射性物質が原材料に含まれていた……などの仮説も示されているが、いずれも説得力は乏しい。かくて複数小型母天体衝突説も破綻せざるをえなくなり、現在では次のような考えが主流になっている。
天文学の一般的な理論では、惑星は太陽系の歴史の最初の100万年の間に、微惑星の累積によって形成されたとされる。つまり微惑星は度重なる衝突によって、岩の多い惑星(地球型惑星)、巨大ガス惑星(木星型惑星)、巨大氷惑星(天王星型惑星)のコアになった、というのだ。
しかし小惑星帯では、微惑星は木星の強い重力の影響を受けて、単一の惑星を形成する最終段階に達することができず、そのまま太陽の周りを回りつづけた、というのがアカデミズムの立場なのである。


だが、この説にも謎が残る。観測や隕石の分析、得られたデータの研究などから、一度は排除された単一大型母天体破壊説が再浮上してきているのだ。
たとえば、自転する球形の天体表面の各部分のアルベド(太陽系内の天体の表面に入射する太陽光線の強さと、反射する光線の強さの比率)の違いによって起こる明るさの変化はかなり複雑な形を取るにもかかわらず、小惑星の明るさの変化は通常ふたつのピークを持つ単純な形を取ることが判明している。この観測結果は、小惑星が砕石場の石ころのように不規則な形状をしていることを物語っているのだ。
小惑星のそれぞれの大きさと数量の関係にも注目したい。前記したように、小惑星帯にある天体のうち、直径が100キロを超えるものはおよそ220個にすぎないが、ミニ天体は数百万個以上にも急増する。これは砕石場で見られるのと同じ現象であり、大きな堅い塊が物理的衝撃を受けて破壊されるとこうなるのである。
さらに、地球上で採取された隕石と小惑星が同じ母天体を起源とする”兄弟”であることを示すデータもある。100個以上の小惑星の反射スペクトルと、実験室で調べた各種隕石の反射スペクトルとを比較すると、各小惑星にきわめてよく一致する隕石群が存在していることが確認された。この事実は、対応する小惑星と隕石群の鉱物的組成がよく似ていることを如実に示しているのだ。
それだけではない。地球上で採取された隕石の90パーセント以上は珪酸塩を主成分とし、残りが鉄とニッケルの合金を主成分とする。このうち後者の金属質のある種の隕石に含まれる合金の結晶構造から、それらは温度をセ氏0.2度、ないしセ氏10度下げるのに、じつに100万年もの長い年月をかけてゆっくりと冷えていった場合にだけできるものであることが判明した。
つまり、熱伝導率の低い、数十キロから数百キロもある厚い層の地下深くに埋められた状態でゆっくりと冷えたものであることを示しているのだ。
一方で、隕石の構成物質が最初に固形化した時期を放射性物質による年代測定法で調べると、45億年前から46億年前に集中している。
ところが、それぞれの隕石が宇宙空間に剥きだしになって宇宙線にさらされはじめてからの経過時間を示す放射性同位元素の量を調べてみると、ほとんどが4億~5億年という数字が弾きだされる。つまり、その隕石は約40億年間、母天体の内部に埋まっていたことになるのだ。
それとは逆に、大型母天体の表面にあったと推定される性質を持つ角礫質(かくれきしつ)隕石も確認されている。
そうした点を検証していくと、小惑星帯は単一大型母天体が破壊されて形成された、と考えるほうが納得しやすいのである。
現代アカデミズムは単一大型母天体破壊説にはなおも否定的だが、じつは古代文明の担い手たちは、”幻の太陽系第5番惑星”の存在を知っていたらしい。

現代文明のルーツは、現在のイラクにあたるメソポタミア南部で、紀元前4000年前に花開いたシュメール文明にある。その文明の担い手だったシュメール人はきわめて高度な天文学的知識を有しており、天文学に関する膨大な量の粘土板文書と円筒印章を遺した。
そのひとつに、星型突起を持つ大きな円の周囲に11個の小円を配した図がある。じつはこの図に太陽系宇宙の驚くべき秘密が封印されていることが、アメリカの言語学者で宇宙考古学者でもあるゼカリア・シッチンの解読によって判明した。

中央部の円は太陽で、その周囲に水星、金星、地球と月、火星、木星、土星、さらには1781年以降に発見された天王星、海王星、冥王星までもが配されている、とシッチンは主張する。
すなわち、その図は現代天文学の見解とまったく同じ大きさの比率で太陽系惑星群を描いた太陽系図だ、というのだが、驚愕すべきはそれだけにとどまらない。火星と木星の間に、9つの惑星(現在、冥王星は準惑星に降格)以外のもうひとつの未知の惑星X(幻の第5番惑星)が描かれているのだ。
シッチンは、その惑星Xは古代シュメール人が「ニビル」(古代バビロニアでは「マルドゥク」)と呼んでいた惑星である、と説く。
このニビルと小惑星帯との関係は分明ではないが、シュメールの粘土板文書はニビルについて、概略、次のように説明する。
──原初の太陽系はアプス(太陽)、ムンム(水星)、ティアマト(生命の乙女)の3天体からなっていた。やがてムンムとティアマトの間に金星と火星が、ティアマトの外側に木星と土星が、そして遙か彼方に天王星と海王星が生まれた。そこへ外宇宙から侵入してきたニビルが接近して太陽系に引っ張り込まれ、その衛星群がティアマトを粉砕した。その破片から地球と月が生まれた。ニビルはそのまま1周約3600年の軌道に乗って外宇宙へ飛び去った。
この伝説の核となる部分に多少なりとも真実が含まれているとするなら、小惑星帯の母天体になったのは「ティアマト」であり、地球と月の形成に関与しなかったミニ天体が小惑星群になったとも考えられる。また小惑星帯をトータルした全体の質量の少なさも説明できるのだが……。


とまれ、かつて太陽系の火星と木星間に存在し、今は失われてしまった幻の第5番惑星の記述は『旧約聖書』にも見られる。紙数がないので簡単に紹介したい。
聖書に記される超人類的な神や天使たちを地球外知的生命体=異星人と見なす考え方がある。
天使のなかで最も偉大とされながら、神に叛逆(はんぎゃく)して堕天使になったとされるルシファーは次のように描かれる。
「わたしはお前を/翼を広げて覆うケルブとして造った/お前は神の聖なる山にいて/火の石の間を歩いていた/お前が創造された日から/お前の歩みは無垢であったが/ついに不正がお前の中に/見いだされるようになった」(「エゼキエル書」28章14~15節)
「ケルブ」とは飛行装置、「火の石の間」は惑星と惑星の間を意味しており、この預言はルシファーが居住する惑星が太陽系にあったことを示唆している。


そしてその惑星を聖書は「ラハブ」と記述し、ラハブ崩壊の様子を次のように描写している。
「天の柱は揺らぎ/その叱咤(しった)に動転する/神は御力をもって海を制し/英知をもってラハブを打たれた/風をもって天をぬぐい/御手は逃げる大蛇を刺し貫いた」(「ヨブ記」26章11~13節)
きわめて寓意的ではあるが、宇宙規模のカタストロフィーが太陽系を襲った結果、ラハブと名づけられていた第5番惑星は大破壊されて粉々に砕け散り、現在の小惑星帯になったことを聖書は暗に物語っているのである。

ただし、宇宙規模のカタストロフィーの原因については定かではない。天体の超接近説、太陽の一時的急膨張説、母天体内部の大規模爆発説、母天体表面での熱核爆発説……などが唱えられているが、万人が支持する説はない。
「はやぶさ」が採取して、壮大な旅の果てに持ち帰ったイトカワの微粒子は、その巨大な謎を解いてくれる可能性を秘めてもいるのである。

●参考資料=「失われた惑星[パエトーン](村上晶彦/「ムー」9号所収)、「謎の惑星『ニビル』と火星基地復活!!」(北周一郎/「ムー」162号所収)、「謎の火星都市と惑星ラハブ」(並木伸一郎/「ムー」274号所収)ほか
(月刊ムー2011年5月号初出)
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