戦地から届いた「最後の挨拶」/朝里樹の都市伝説タイムトリップ

文=朝里樹 絵=本多翔

関連キーワード:

    死の前にふと現れ 別れを告げて去っていく者たち。現れるのは幻か、異界を超えて訪れる何かなのか?

    戦地からの別れの訪問者

     人はいつ死ぬかわからない。病死、事故死など、現在でも予期せぬ死を迎える可能性はいくつもあるが、今から、80年ほど前、戦時中だった時代には、故郷から遠く離れた戦地で、常に死と隣り合わせで戦っていた兵隊たちがいた。
     彼らの多くは最後に家族に会うこともできず散っていった。しかし、死の直前や直後、戦地に赴いたはずの人間が家族の前に姿を現わし、言葉を交わしたという体験談が何例も残されている。

     松谷みよ子著『現代民話考5死の報せ・あの世へ行った話』を参考に、そういった話をいくつか紹介しよう。

     兵庫県のある家では、沖縄に行った息子が突然帰ってきて母親に声をかけ、膝に頭を乗せて眠った。しかし実はそのころにはすでに息子は死んでおり、後に沖縄戦で戦死したという公報が届いたという。
     また、北海道のある寺では、1944年7月、出征した息子が青白い顔で帰ってきて、本堂へ行ってお経を上げはじめた。母親と祖母がその姿を見ていると、息子の姿はすーっと消えてしまった。後にわかったことでは、その日、息子はサイパン島で玉砕しており、日本にいるはずがなかったのだという。

     福島県では、女性が夜眠っていると、戦争で硫黄島に行ったはずの夫が現れた。さらにその2日後、川で顔を洗うため、外に出ようとしたとき、暗がりに軍服を着た夫が現れた。そこで「帰ってきたのか」と思い、道に出たところ、夫は「別れをいいに来た」と告げ、消えてしまった。それで女性は夫が戦死したのだと感づいたが、やがて本当に夫が硫黄島で戦死したという公報が入った。その戦士の日付は、夫が最後の挨拶に訪れたその日だったという。

    第2次世界大戦で激戦地になった硫黄島。いまでも霊の噂が絶えない。

     高知県では、1944年、少年が夜中に便所のために起きたところ、家の門のほうから靴の音が聞こえた。そこで見てみると、戦争に行ったはずの叔父がおり、軍服を身に着けていたが、どうしてか足のほうは見えなかった。少年が戸惑っていると、いつの間にか叔父の姿は消えていた。そして後日、叔父の戦死の公報か届いたため、少年は、叔父が家族に自分の戦死を知らせに帰ってきたのだろうと、家族と話し合ったのだという。

     このほかにも夢の中に現れて自分の戦死を告げたという話、出征した家族が戦死したちょうどそのときに、家に火の玉が現れたため、最後の挨拶にきたことがわかったという話や、姿は見えないが、確かに戦地に行ったはずの人間の声が聞こえ、後日戦死の報せが来るが、その人物が死んだ日は、声が聞こえたその日だった、という話もある。

     また、こういった話は兵士だけではなく、戦争で亡くなった市民の話もあり、同じく松谷みよ子の『現代民話考6 銃後・思想弾圧・空襲・沖縄戦』には、大阪府に住んでいた女性が空襲で亡くなったが、その際に家族のもとに現れ、すぐに消えたという話がのせられている。また長崎の寄宿舎にいた息子が原爆で亡くなったが、母親がその直前に家に帰って挨拶をした姿を見た、という話もある。

     このように、死の直前、もしくは直後に最後の挨拶に来る人々の話は、戦時中の体験談として数多く残されている。しかし、それよりももっと前、江戸時代にも多くの人々が死を迎える直前、直後に挨拶にやってきたという話がある。

    日本兵、民間人が自決したことで知られる、サイパンのスーサイドクリフ。

    境界を越えて現れる者たち

     根岸鎮衛の随筆『耳嚢』には、根岸鎮衛自身が聞いた話を書き残したものだとして、こんな話がのせられている。

     天明2(1728)年の夏のはじめのこと。浅草新し橋(神田川に架かる橋)の外にあった町家の娘が、武家であるか町家であるかわからないが、ある家に妾として迎えられ、一子を生んだ。
     しかしその後、血労(労咳)のようになったため、子どもを近くの町家に里子に出し、女はそのまま死んでしまった。しかしその夜、女が里子のもとにやってきた。里親は女が死んだことを知らなかったため、女が門口で会釈すると、子どもを抱いて彼女に見せた。女はわが子を見て「あらあら、よく太って成長しましたね」といって抱き取り、世話をして、「かわいらしく成長した子を捨て、別れるのは残念です」といった。里親はこの人は大病を患っているはずなのに、ふしぎなことだ、と思いながら、火をつけて明かりを灯すと、女は子を返して挨拶し、去っていった。その翌日、女が住んでいた家から彼女が昨夜病死したことが知らされたのだという。

     同じく『耳嚢』には、文化2(1805)年の8月の話として、ある老女が幼いころから召し使っていた少女が悪い風邪をひいた。少女を大変可愛がっていた老女は、しばらく家に留め置いて治療させたが、やがて親もとに帰すことになった。
     しかしある夜、老女が眠りから目覚めると、枕もとに少女が座っていた。老女が「お前は病気なのに、どうしてここに来たんだい」と尋ねると、少女は涙を流し、「いつか恩をお返ししたいと思っておりましたが、もはや今を限りの命でございますから、せめてものお礼をしに参ったのです」といい、姿を消してしまった。そのため、翌朝になって人を遣わし、少女の親もとに尋ねると、少女は昨日、だれかがそこにいるように恩を謝した後、もはや心残りはないと言い、臥して死んでしまったのだという。

     このように、人の死に際はままならぬものであっても、最後に親しい者のもとを訪れる話は多い。強い思いを抱いた人間の霊魂の前には、どんな距離の隔たりも意味はないのかもしれない。

    (月刊ムー 2025年9月号)

    朝里樹

    1990年北海道生まれ。怪異妖怪愛好家。在野で都市伝説の収集・研究を行う。

    関連記事

    おすすめ記事